一幕・夢の雫は、いつか見た花
こんにちは、神ヶ月雨音です。
今回も、部活で書いたシリーズを投稿します。
もしかすると、前シリーズとの絡みもあるかも……?な掌編集です。
良ければ読んでください!
幼少期に見た夢というのは、あまり覚えていないものだ。記憶の片隅にも残らず、見た年齢が幼ければ幼いほど、記憶に残りにくい。
しかし、ふとしたきっかけ、例えば、その夢で見た光景に似た景色を見たときや、夢で聞いた言葉をたまたま耳にしたときなどに、断片的に蘇ることがある。
気づけば、何処か見覚えのある十字路に立っていた。周りには一昔前の雰囲気漂う住宅が並び立ち、右手に少し曲がった先にある公園では、幼い子供たちがはしゃいでいる。
その中に一人、黄色いワンピースを着た少女が見えた。彼女は、一人立ち尽くしたまま、顔を手で覆い、肩を震わせている。
どうしたんだろう。そう思い、一歩その足を踏み出した。その瞬間、世界がひっくり返った。
はっと目を覚まし、視界に映る天井を確認する。少し目をこすると、浅上悠真は上体を起こした。
「なんか、懐かしいな」
見覚えのある夢。いつ頃見たかは覚えていないが、恐らく今の住居に引っ越す前、幼稚園生の頃くらいだと感じた。悠真は何故急にこんな夢を見たのか思考をめぐらせた。すると。
「そういや、こないだ桜斗と一緒に遊んだときに……」
先日、友人の桜斗と一緒に、悠真が昔に住んでいた地域へ遊びに行ったことを思い出した。そういえば、その時にデジャヴのような感覚を覚えた。その感覚に、似ている気がした。
「悠真―、朝ごはんできてるわよー」
「はーい」
母の呼び声に思考を遮られた悠真は、諦めて一階へ下りていった。
十字路を左に進んだ先。緩やかに流れる川の上に架かる橋を二人は歩いていた。後ろを向けば、幼子たちがはしゃぐ公園が十字路を挟んで遠くに見える。
自分の左手が、いっそう強く握られる。手をつないでいる少女の方を見やると、少女はこちらを向いて口を開いた。
「――――――」
「浅上、答えは?」
「ふぁっ、7……ですかね」
「13だ。起きとけ」
「は、はい」
数学の授業中、転寝をしていた悠真は、先生の指名で咄嗟に目を覚ました。
(今朝の続き? にしても、いいとこで起こしやがって……)
少女が最後に発した言葉は何故か聞き取れなかった。何と言ったのか気になりとてもモヤモヤしたが、仕方なく考えるのはやめにした。そしてそのままぼぅっとしているうちに、悠真の意識はまた遠のいていった。
「おい、浅上、答えは」
「はっ、8です」
「0だ。起きとけ」
「はい」
学校が終わり、悠真は桜斗と一緒に下校していた。
「いやあ、部活オフって楽だわぁ」
「先生出張だっけか。よかったな」
「悠真は文化部だからいいよなぁ。週二日しかないじゃん」
「まあな」
すると、ふと思い出したように桜斗が言った。
「あ、そういやさ、こないだ言ってたデジャヴ? みたいなあれ、結局なんだったんだ?」
「ああ、あれか。実は全くわかんねえんだよな。でも今朝懐かしい夢を見るようになった」
「懐かしい夢?」
「うん。なんか懐かしい感じがする。ってだけだけど」
「ふうん。なんか面白そうだな」
「面白くねえよ? こちとらずっとモヤモヤしてんだから」
そんな頃で、帰路が分かれた。二人は手を振り、「また月曜」と別れた。
帰宅した悠真は、夕食を作っている最中の母親に聞いた。
「なんかさ、引っ越してくる前に、俺何かあった?」
「何かあったって何よ。アバウトすぎじゃない」
「うーん、何て言うかなぁ、小さい女の子と仲良かったとか」
悠真は夢で見た少女を思い浮かべながら母に聞いた。すると母は、少し暗い表情をしたかと思うと、すぐ普通の表情になっていった。
「あんたも小さかったんだから、友達みんな小さい女の子でしょ?」
「そういう意味じゃなくてさぁ」
「あんたの友好関係なんて覚えてないわよ。ましてや幼稚園外だったら知るわけないじゃない」
「まじかよ」
これ以上の情報は望めないと確信した悠真は、自分の部屋に向かった。
悠真は自分の部屋のベッドに寝転ぶと、天井を見つめた。
「あれは記憶? それとも夢? どっちだ?」
実を言えば、悠真は引っ越してくる前の頃の記憶があまりない。引っ越してきてからの方が、楽しい記憶が多く残っているのだろう。仲のよかった幼稚園の友人などはうっすら覚えているが、それ以外の記憶がほとんどないのだ。
「あの女の子、何処かで……」
小さな家の前に二人は立っていた。少女は寂しげな顔をしている。その肩を叩き、自分が言葉を発する。
「――――――」
不思議と自分の耳には届かなかったが、少女はそれを聞いてたちまち明るい顔になった。
少女は自分の左手を握っていた手を解くと、家の玄関に向かっていった。扉を開ける一歩手前でこちらを振り向くと、手を振りながら言った。
「――――――」
同じく聞こえなかったが、口の動きでわかった。
『また明日ね』
「悠真―、夜ご飯よー」
母親の夕飯の時間だと呼ぶ声で、悠真は目を覚ました。
「また続きか……」
夢の中での発言は聞こえなかった。しかし、少女の返答から予想はついた。
『また明日、遊ぼう?』
きっと少女は帰りたくないと駄々をこねたのだろう。そこで自分が、明日の約束をすることで彼女をなだめたのだ。
「そういや、そんなことあったような……」
記憶の何処かに、その発言が残っているように感じた。これまで夢を見たときとは違う、現実味を帯びたような感覚が悠真の中にあった。
「何かを忘れてる。多分、忘れちゃダメなことを」
再度母の怒号が聞こえ、慌てて悠真はベッドを飛び降りた。
夕食を母と二人で食べながら、悠真は何気なく母に尋ねた。
「引っ越す前の近所の友達って、みんな元気にしてるかな」
「どうだろうね。皆元気なんじゃない? あ、でも」
「ん?」
「いや、なんでもない。一人元気かどうか定かじゃない子がいた気がしたけど、気のせいだった」
「ふうん。なんだそれ」
悠真には、母が何かを隠しているように感じた。わざとお茶を濁そうとしているように見えた。これ以上探っても意味はない。そう思った悠真はあることを母に告げた。
「明日、前住んでたとこまで遊びに言ってくるわ」
「また?」
「思い出めぐり、的な」
「そ、そう。いいんじゃない?」
明らかに母は不安そうな顔をしている。何だろか、自分は昔誘拐にでもあって、そのトラウマでも蘇るのではと心配しているのだろうか。などというよくわからない考察をしながら、悠真は夕食を食べ終え、歯を磨いて自室に戻った。
「さて、どうしたもんかなぁ」
悠真は電車の経路を調べた後、そのまま携帯で音楽を聴き始めた。
ベッドに寝転がり、音楽を聴きながらぼぅっとしていると、ふと、一つの曲のワンフレーズが耳についた。
〝約束なんてのは所詮希望論だ〟
「!」
悠真は弾かれたように上体を起こした。歌詞が、悠真の心の中の何かを突き刺したように感じた。
「希望論なんかじゃない。絶対に果たすって約束したんだ」
無意識のうちに、そう呟いていた。
「約束……か」
具体的に何かは思い出せなかったが、誰かと、何か大切な約束をしたことだけは思い出した。
「……全部、明日になりゃわかるはずだ」
そう言い聞かせ、悠真は瞳を閉じた。
見慣れた懐かしい十字路。その真ん中に、女の子が立っている。背は自分より少し低く、綺麗な長い髪を風になびかせながら、こちらに背を向けて立っている。
彼女はゆっくりこちらを振り向くと、にっこり笑って言った。
「約束」
自分は弾かれるように彼女の名前を呼ぼうとした。しかし、何故か名前が出てこない。知っているはずなのに。
『君は……』
発したその声は、風にかき消されて聞こえなかった。
翌日、悠真は二度電車を乗り換えて昔住んでいた小さな街へ来ていた。所々建物は変わっているが、ほとんど昔と変わっていなかった。
「懐かしいな。多分誰も俺のこと覚えてないだろうな」
そんなことを呟きながら、悠真は町を歩いた。色々な場所を通るたびに、懐かしい記憶が蘇ってくる。
そうやって歩き回っているうちに、例の十字路にたどり着いた。不意に、昨晩の夢が蘇る。
「約束……か」
悠真の足は自然と、十字路を右に曲がっていた。その先には、公園がある。
「懐かしいなこの公園。確かここで……」
そう、夢で見たように、あの少女と出会ったのだ。今は何故か、鮮明に思い出された。
「確か、迷子になったって泣いてたんだっけ。それで俺が、家まで着いて行ってやったんだよな」
夢で見た光景は、夢ではなかった。悠真自身の記憶だったのだ。そこまで思い出せたのに、彼女が誰なのか、そして約束とは何だったのかがいまだに思い出せずにいた。
「次は、あっち行くかな」
悠真は踵を返し、反対側にある橋へ向けて歩き出した。
「俺だって幼稚園児の癖に、年上ぶって手繋いで行ったんだっけ」
歩きながらそう呟くと、突然後ろから声が聞こえた。
「そうだよ。あの時はとっても安心したな」
「えっ?」
悠真が咄嗟に振り向くと、そこには、昨晩夢で見たあの少女が立っていた。
「久しぶりだね、ゆうま兄」
「き、君は……」
少女はにっこりと微笑むと、悠真の元へ駆け寄り、左手を握った。
「さ、行こ」
「う、うん」
少女の手を引きながら、悠真は橋へ歩いていった。
「き、君はあの時の」
「うん、そうだよ。成長しててビックリした?」
「ま、まあ」
少女は楽しそうに笑いながら悠真と歩いた。時折、懐かしそうに目を細めながら。
「覚えてる? ゆうま兄が私を家まで連れて行ってくれた後、私ゆうま兄と遊んでたくて泣いて駄々こねたの」
「うん、覚えてる……って言うか、思い出した」
「あの時にゆうま兄が、「明日も遊ぼう」って誘ってくれたの、すっごい嬉しかったんだぁ」
「そっか、よかった」
そんな話をしながら橋を渡る。川を見下ろすと、数匹の魚が泳いでいるのが見えた。
「あの時、君はここで何て言ったんだっけ」
「忘れちゃったの?」
「う、ごめん」
「いいよ。教えたげる」
「いや、大丈夫。自分で思い出さなきゃ意味ないから」
「そっか」
そうやって話しているうちに、悠真はとあることに気が付いた。それは、今のこの状況に疑問を持たざるを得ない疑問だった。
「ちょっと待って」
「ん? どうしたの?」
「なんで、俺は君を知っているんだ?」
「何でって、ゆうま兄と私は昔ずっと仲良かったじゃん」
「違う、そういう意味じゃない」
そうだ。昔仲良かったのなら、何故俺は今のこの子を夢で見たのだろう。幼少期の記憶しかないはずなのに、何故。
「何で、君は俺の夢に出てきたんだ? その姿で……」
「ゆうま兄……」
少女は俯いて、寂しげな表情をした。泣いているのだろうか、頬がキラリと光った。
「あのね、ゆうま兄」
「ん?」
少女は顔を上げると、寂しげな笑みを見せた。
「私ね、約束のために今日ここに来たんだ」
「約束のため?」
悠真には、なんとなくその意味がわかった気がした。しかし、わかりたくないと心のどこかで思った。
「あの時、ゆうま兄がしてくれた約束のために、今日ここに来たの」
「約束……」
その時、悠真の脳裏に、忘れていた記憶が蘇った。
夕暮れ時、出会った頃と同じように泣きじゃくる少女を前に、悠真は頭を悩ませた。
「うぅ、いやだよゆうま兄……」
「そんなこと言ったって仕方ないよ。僕だっていやだし」
悠真は悩んだ末、優しく少女の頭を撫でた。
「じゃあ、大きくなったら、また会おう? 僕、絶対戻ってくるから」
「ほんとう……?」
少女は涙を止め、悠真を見上げた。
「うん、絶対。約束するよ」
「約束……!」
二人は小指を結び、約束の唄を唱えた。
「そっか、俺、絶対帰ってくるって」
「うん。大きくなったらまた会うって約束。私は果たせなかったから、今日だけ、ルール違反だけどね」
その言葉が示す意味を理解したくなくて、悠真は耳を塞いだ。その手に優しく少女の手が触れる。
「ねえ、ゆうま兄」
「なに……?」
「ごめんね、無理矢理連れてくるようなことして」
その一言で全てを察した。この間のデジャヴも、ここ数日の夢も、全て彼女の仕業だったと。
「いいよ。こうしてまた会えたし、約束も果たせたから」
「やっぱりゆうま兄は優しいね」
そう言って、少女は悠真に抱きついた。突然のことに悠真はよろけたが、何とか堪えた。
「ねえゆうま兄、私の名前、覚えてる?」
「……うん。覚えてるよ」
本当は、覚えてなどなかった。でも、呼べる気がした。
「よかった、嬉しい」
少女は悠真から離れると、にっこりと笑った。頬を一筋の雫が伝う。
「もう、そろそろかな。ありがとうゆうま兄」
「うん、こちらこそありがとう」
風が強くなった。少女の髪が、風になびく。頬を伝っていた雫が、空に流れた。
「さよなら、大好きだよ、ゆうま兄」
「さよなら、鈴蘭」
強い風が吹き去った後、鈴蘭の姿はそこにはなかった。
「さて、帰るかな」
悠真は涙を拭うと、歩き出した。
きっとまた、鈴蘭の夢を見るだろう。「約束」の意味を持つ花の名を冠する彼女の夢を。
見慣れた橋の上、綺麗な少女は、橋の下を見下ろしていた。時折強めの風が吹き、長い髪をなびかせる。
「鈴蘭」
名前を呼ぶと、彼女は振り向いた。目に少し涙を浮かべながら、にっこりと微笑む。初めて会ったときとは違う、哀ではない、愛の雫を零しながら。
「ありがとう」
はっきりと聞こえた。
悠真は目を覚ますと、上体を起こした。ベッドから下りると窓を開けた。窓辺に置いた花瓶には、一輪の白い鈴蘭が活けてある。
「おはよう」
悠真は鈴蘭をそっと撫でると、ふと頭に思い浮かんだ詩を口ずさんだ。
いつか見た 夢の雫は 君影草
花弁から滴り落ちた朝の雫は、もう夢じゃない。




