騎士 ①
久しぶりに見た貴女は風に吹かれ佇んでいた。
後ろ姿だけで、以前より細っそりとしたのがわかる。
その姿は儚げで今でも消えてしまいそうだった。
驚いて振り返った貴方の瞳は影を落とした薄紫で。
それと同じ色の花を大切そうに持っていた。
その後はあっという間。
瞬間、見開かれた瞳。
助けを求め伸ばされた手。
ひらめくドレス。
舞い散る水飛沫。
ただそれを見送っていた殿下を横目に、後を追った。
あれはいつだったか。
7歳以上の高位貴族の子女が集められて行われた大規模な催しがあった。
王家主催で場所は離宮。
しかも王子殿下も出席されるのだから、従順に振る舞うよう言い聞かせられていた者が殆どだろう。
その中に俺もいた。
兄上たちもいたから心配も緊張もなかった。
その中に一際目を引く女の子がいた。
印象的なのは釣り上がり気味の薄い紫の大きな瞳。
艶のある漆黒の髪。
空色のドレスがよく似合っていた。
チラチラと見ていると兄上に気がつかれ、ニヤニヤと小突かれたが女の子が誰だかわかったのか、髪をぐしゃぐしゃにかき回された。
「残念だねぇ。あの子はダメだよ。もうお相手が決まっているから。友達になるのも難しい。」
そう1番上の兄が言ったのを覚えている。
後から知ったのだけれど、この催し自体あの子と殿下のために開かれたものだった。
2人の初めての顔合わせ、親睦を深める為のもの。
テレミア アールデン侯爵令嬢。
この先、国の高みに登ることが決まっている貴女との一方的な出会いだった。
その日は好きに庭園を散策しても良い事になっていたから、兄達からこっそり離れて気の赴くままに歩いた。
勝手知ったる庭だったし、どこに何があるのかも大体把握していた。
辿りついたのは湖で、危ないから近づかないよう言われていたのを思い出した。
迷い込んだ子どもに危険が及ばないよう騎士も所々に配置されていて、バレないよう見つからないように木々をかき分けて湖のほとりを目指す。
ふと鼻についた香り。
それを辿って歩み進めると薄紫の満開の花に出会った。
とても良い香りで、その色がさっきの女の子を思い出させた。
満面の笑みにキラキラ輝く綺麗な紫の瞳。
少しだけでも話をしてみたかった。
そんな事を考えていたら桟橋の方から声が聴こえて来て、咄嗟に姿を隠してしまった。
茂みの中でじっとすぎるのを待っていたが、声は近づいて来てあの花の前で止まった。
「このお花の香りだったのですね。」
女の子の弾んだ声。
「そうだね。このような場所に咲いているのを初めて知ったよ。可愛らしい花だね。」
これは王子殿下の声?
「わざわざ道をそれていただいてありがとうございました。いっしょに見つけられてとてもうれしいです。」
「婚約者の可愛いお願いだからね。ふふ、そんなに緊張しないで?僕達はこれから長い時間を一緒に過ごすのだから。ミアと呼んでもいいかな?僕の事はフェルと呼んで欲しいな。これから仲良くやっていこうね、ミア。」
女の子が頰を染めてそれはそれは嬉しそうに微笑むのを見てしまった。
「もちろんです!よろしくお願いいたします、フェル様。」
それは2人だけの神聖な誓いの様にも見えて、とても申し訳ない気持ちになった。
あの微笑みは殿下だけのモノだったのに、それを一緒に見てしまった罪悪感。
それと共に感じた心の高揚感。
きっと殿下も女の子の事をとても好きになるに違いない。
だから、その日のことは胸の奥の奥にしまって蓋をした。
なのに何故こんな事になってしまったのか。
水を掻き分けて、水の底を目指す。
最初に見えたのはワインレッドのドレス。
結った髪が乱されて黒が舞っていた。
目は固く閉ざされていて、紫の瞳は見られない。
貴女は水の中を漂っていた。
腕を取り、光を目指す。
ゴボゴボと自分の吐く息づかいしか聴こえない。
ああ、早く、早く。
降り注ぐ光が増えて、ザッと水面へ出た。
テレミア様は!?
腕に抱えた貴女はぐったりとして、声をかけても反応がない。
絶え絶えながらもわずかに息はあった。
体を背後から支え、水に潜らない様に頭を肩に当て顎を上げる。
その間も声をかけ続けるが、反応はなくて。
早く陸に上がりたいのに、落ちた場所が悪かった。
湖面から陸地まで高さがありすぎて抱えあげられない。
上を見上げても誰もいなかった。
多分桟橋からボートを使う筈だ。
セルビアが来てくれるだろう。
少しでも、近づいて、早く処置をしなければ。
気だけが焦る。
少しづつ桟橋の方へ進むとボートが近づいて来て。
貴女を船上に上げて、陸へと急がせた。
貴女の姿が見えなくなって、咄嗟に飛び込んでいた。
伸ばされ手を俺が掴む事が出来ていたらどんなに良かったか。
しかしあの瞬間も貴女が求めたのは王子様であって、騎士ではなかった。
見開かれた瞳はあの日と同じで彼だけを見ていた。
王子様に助けられるのを望んでいただろうに。
それでも花を奪った殿下の手が彼女を後ろに押した様に見えてしまったから、殿下はただ貴女が消えて行くのを見ているだけだったから。
色々な理由を並べて貴女を救う騎士になった。
どうか、煌めく彼女の瞳をもう一度見ることができますように。
陸を目指し泳ぎながらそう願う事しか出来なかった。
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濡れた体を見苦しくない程度に整えて、連れてこられたのはある一室。
そこには王妃様が青い顔をして座っていた。
背後には騎士団長が控えていて、鋭い目を向けられる。
殿下の護衛としての報告を促され、正確に殿下の動向を話して行く。
1番のネックはテレミア様が『落ちた』場面で、思わず言いあぐねてしまう。
『落ちてしまった』のか『落とされた』のか、報告するならば『落ちた』が妥当だろうか。
「コーネリア、貴方からはどう見えたのです?感じたままに話して。」
王妃様は頭を抱えていた。
チラリと騎士団長を見ると、頷かれる。
「………後ろに押した様に見えました。ですが、私がそう見えただけなのかもしれません。」
項垂れた頭を軽く振って窓の外を見た王妃様の瞳は混乱と怒りと悲しみが渦巻いていた。
「、、、貴方にもそう見えたのね。」
貴方にもと言うと、もう1人の騎士セルビアにもそう見えたということか。
自分の妄想ではなかったが、喜べはしない。
王妃様の招待客で、しかもアールデン侯爵令嬢が離宮の湖に落とされたのだ。
婚約破棄の次は王家の庭で溺れる。しかもそれをしたのは王太子殿下。
ただで済むはずがない。
それこそ『王の意向』があるのでないか、そう勘繰られてしまえば陛下の足元も危うくなる。
「あの子はテレミアに怒っていたの?」
「はい。テレミア様が無理に離宮に入って、あたかも殿下の前に嫌がらせの如く現れ、王の庭の花を盗んだと。」
「テレミアは花を?」
「はい。ライラックの花を一房お持ちでした。」
華奢な手をキツく、手の筋が浮かぶ程に握りしめる。
「ーー私が手折る事を許可したの。庭の散策を許したのも私。もっと護衛をつければ良かったの?私も一緒に行けば違う結果になった?何にせよテレミアには何の落ち度もない………。」
そう言うと黙り込んでしまった。
テレミア様はどうなっただろうか。
無事に意識が戻っていれば良い。
その沈黙を破ったのは、侍従長だった。
「お話しの途中に申し訳ありません。殿下がいらっしゃいましたのでご報告を。……薔薇の間でお嬢様とお茶を、嗜んで御座います。」
それを聞いた瞬間、王妃様は立ち上がりる。
握られた手は震え、瞳は苛烈に燃え上がった。
「薔薇の間に参ります。王命に背いた不届き者を拘束し、王城へ。この事は陛下に采配して頂きます。部屋から出る様ならば力尽くで止めて良いと陛下に言われていますね?それを実行してもらいます。本人が何を言おうと相手にする必要はありません。」
そう言うと数人の騎士を従え、カツカツとヒールを鳴らして部屋を後にされた。
「私も、行った方が良いですかね。」
後に残されてのは団長にと俺だけ。
「お前は良いだろう。それよりも良くテレミア様を助けてくれた。お前達がいなかったと思うとゾッとする。」
「私達がいなくても殿下が助けたでしょう?」
「ーーーーーー本当にそう思うか?湖面に上がった時に、桟橋からの救助の中に殿下はいらしたか?」
落ちた場所には誰もいなかった。
桟橋に駆けつけたのではなかったのか?
アレは弾みで押し出してしまったから、唖然と落ちて行くのを見ていたのではなかったのか。
嘘、だろ?
殿下はテレミア様を落として、見捨てた?
「セルビアはお前が飛び込んだ後、直ぐに桟橋に走った。
途中、ジルステイト殿に会ってふたりでテレミア様を屋敷に運んだ。その間殿下の姿は見ていないそうだ。そして今、殿下は王妃陛下にも会わず、呑気に女といる。テレミア様の事など気にもしなかったと言う事だな。」
何の感情ものせずに淡々と現状を話す団長の言葉をまさかと思った。
「悪い冗談ですよね。だってふたりはあんなに仲良くて、互いに支え合っていて、それがどうして?」
婚約破棄したからと言って今までの情がそんなに簡単に消えてしまうものなのか。
側から見たら仲睦まじく、互いを好ましく思っていると感じられたのは、全て思い違いだったのか。
「人の心は理解し難い。殿下が何を思っているのか、誰にもわからない。だが、殿下は道を間違えた。選んだ道は王座には続いていないだろう。」
騎士団長の重い言葉を俺はただ聴くことしか出来なかった。
殿下と子爵令嬢は王城に護送され、それぞれ身分に合わせた貴族用の牢に入れられる。
離宮での事故には箝口令が引かれ、関係者は両陛下と騎士団長自ら聴取をされた。
セルビアと俺は何度も、同じ事を長時間話す事になった。
陛下の護衛で殿下の牢へも行った。
陛下にすがろうとした殿下を遠ざけ、ふたりの会話の邪魔にならないよう気配を消す。
内容は聞き流す気でいたが、あまりの酷さに思わず口元が歪みそうになった。
余りにも自分本意すぎる。
王太子とは、王族とは何かを、王命の重さも、忠誠も何もかも理解していないとは。
あの令嬢のなにが素晴らしいと言うのだ。
あの令嬢は平民に近い所で育った為か貴族と言うものを理解できないし、するつもりもない。
平民のルールに準ずるならば、身分など捨ててしまえば良いものを。
それも出来ない中途半端な女、到底王妃になどなれる器ではない。
しかし次の王だけがそれを良しとし、推し進めようとしていた。
自己中心的な、思い込みだけで突き進む男。
それが今の王太子とは。
国が歪む。
そう思った。
口には絶対に出来ないが、自分の息子の教育に陛下達は失敗した。
いつからか、どこからかはわからない。
元々の資質なのかもしれない。
今ま上手く隠していたのか、それとも子爵令嬢に出会った事で目覚めてしまったのか。
皆が認める『王太子』という偶像に擬態し、それに疲れて、途中で放棄した。
その偶像が激しく劣化し、理解し難い者に取って代わった、そんな気持ち悪さを感じる。
しばらく考え込んでいた陛下はキツく結んだ目を開く。
「明日、場を設けて処遇を決める。心せよ。」
そう言い残し、牢を後にした。