侯爵令息
何故、頷いてしまったのか。
どうして側を離れてしまったのか。
悔やんでも、悔やみきれない。
悔しくて、憎くて、悲しくて、なのに。
何もできないもどかしさ。
ぐちゃぐちゃな気持ちを抱えたまま、冷めた目であいつを見つめる事しか出来なかった。
「あれは、わざとではない!ただミアがーー」
「口の利き方に気をつけなさい。テレミア嬢、、いいえ、今のあなたならアールデン侯爵令嬢かしら。」
感情のこもらない声で言葉を端折り、鋭い瞳を投げたのは王妃様だった。
「ミ、アールデン侯爵令嬢が無断で離宮に入って、花を手折っていたのです。しかもシルキーと私が訪れた所にいたのですよ。シルキーに何かされるのではないかと思って、気が気ではありませんでした。対峙していたら勝手に落ちたのです、私の所為ではありません。」
目を瞑って殿下の話を聞いていた陛下は、トントンと玉座の肘置きを指で弾いた。
「そなたは何故あそこにいた?門前で止められはしなかったか?」
殿下はしたり顔で言う。
「あの役立たずですね。まさか王子である私の行く手を阻むとは、驚きでした。しかし、私はこの国を継ぐ者ですから。直ぐに退けました。」
さも誇らしく語る姿に嫌気がさした。
この王子はここまで愚かだっただろうか。
違う者に上書きされてしまったような気持ち悪さがある。
「何人も入ることはならない、王命だと言われなかったか。」
「そのような事は聞いていません!ただ入る事は出来ないとだけ。」
深く、深くため息をついて、ひとりの騎士に目を向け、呼び寄せる。
「直答を許す、我の問いに答えよ。あの日、門前で起こった事を話せ。」
白の騎士服を着た大柄の赤毛の男が片足をついた。
殿下は役立たずなどと言っていたが、騎士のトップだ。
本気になれば軽く捻り潰されていただろうに。
「あの日、陛下の勅命を受け王妃陛下の護衛で離宮に参りました。アールデン侯爵の皆様との非公式な茶会との事で御座いました。数名は王妃陛下と共に宮中に入り、私と他数名は入り口に控えておりました。王より何人も宮中に入れる事は罷りならぬと命じられていました故。」
ひと息ついて、騎士は続けた。
「少しして王子殿下がトロガ子爵令嬢を伴って御出でになりましたが、王命がありましたので御止め致しました。その際『王命』である事、王妃陛下が茶会を開いている旨は御説明致しました。が、受け入れては貰えませんでした。」
「それで、」
陛下は薄く目を開いて顎をしゃくりその先を促す。
「何度も御止めしたのですが、王子殿下に御理解頂けず最後には抜刀されて……。王家の方々に刃を向けるなど以ての外、離宮の門前を赤く染める事など出来るはずも御座いません。致し方なく御通しするしかありませんでした。私の独断で御座います。処分ならば私ひとりに。何卒お願い申し上げます。」
騎士団長はそう告げると深々と頭を垂れた。
「ーーーーただ通しただけか?」
「いいえ。私は王妃陛下へ御報告に上がりました。部下2人を警護の為に王子殿下に付き従うよう命じました。」
「そなたらの忠義は良く知っている。この件での近衛への咎めは無いものとする。」
「有難き事で御座います。」
陛下が手を振ると、騎士団長はスッと壁際に下がっていった。
「王妃よ、あの日は確かにアールデン侯爵家を招いての茶会であったな。」
隣に座る王妃様へ視線を送る。
「そうで御座います。テレミア嬢に心無い振る舞いをした者がいるでしょう?親として一言申さねばならない事がありましたので、侯爵夫人と御子息も一緒に招きました。若い娘が公の場であのような仕打ちを受けて、心痛も深いはず。ですから誰とも顔を合わせないように陛下にお願いしたのです。」
2人に視線を向けられた殿下は若干青ざめているように見えた。
「母上が離宮で茶会をされている。なのにシルキーへの招待状は無くて。早く母上に会って欲しかった。会って話をすればどれ程シルキーが素晴らしい女性なのか、わかって貰えると思ったのです。もっと早くに会って貰えればこんな事にはなりませんでした。」
殿下の言い分に誰もが皆同じ事を思ったに違いない。
国の将来をこの方に預けても大丈夫なのかと。
もっとも高い頂にいる2人もそう思ったのだろう。
揃って深く息を吐いた。
「招待状を出したのはアールデン侯爵家のみ。しかもお前が仕出かした行いの尻拭いにです。門は堅く閉ざされていたはず。それを私欲でこじ開けるとは、何様のつもりですか!」
さらに深い溜め息をついて、陛下は壁際に控えた近衛を手招きした。
「そなたらがフェルナンドの警護に着いたのだな。離宮に入った後の行動を報告せよ。」
「第1師団、セルビアとコーネリアで御座います。フェルナンド殿下とトロガ子爵令嬢は馬車を降りると先ず桟橋へと繋がる庭園の小道を行かれました。」
「ほう、王妃の居場所は聞かれなかったのか?」
「はい、何も聞かれませんでした。我々の存在に気がついていなかったのかも知れません。桟橋の近くまで行きますと、突然脇道に逸れました。そちらは湖のへりで少し高くなっている箇所でしたので慌てて御側に参りましたが、すでにアールデン侯爵令嬢がおられました。………」
「良い、見たまま聞いたまま話してみよ。」
何かを話す事に躊躇している騎士に陛下が声をかけると、意を決したように話し始めた。
「殿下が声を上げてアールデン侯爵令嬢に詰め寄りました。『何故ここにいるのか、婚約者だと我を通して入り込んだのだろう。王家所有の地に許可なく入り込んで、花を手折るとは。この盗人め、ここのモノは塵ひとつおまえの物にはならぬ』と言うような事を叫ぶと御令嬢が手にしていた花を取り上げて、、、私には後ろへ押したように見えました。御令嬢が立っていた場所は本当に湖のきわでしたからそのまま後ろに倒れて、落ちてしまいました。」
聞いていて人々から悲鳴が上がる。
殿下がミアを落とした?
そんな馬鹿な話があるのか。
「騎士の分際で俺に罪を着せるのか!!」
殿下は激高して騎士に詰め寄ろうとしたが、騎士団長に止められた。
「お前に意見は求めていない。黙っておれ。」
陛下の厳しい視線を浴びて殿下は唇を噛んで引き下がった。
「コーネリア、そなたはどうだ。」
もうひとりの騎士も淡々と話し始める。
「セルビア殿と殆ど変わり御座いません。ただ、御令嬢は殿下の声で我々がいた事に気がついたようで、待ち伏せしていたようには見えませんでした。……落ちたとわかって、急いで湖に飛び込みました。何とか見つける事が出来たのですが、抱え上げて岸に上がる事もままならず桟橋からの手が来るまで水の中を漂っておりました。御令嬢は息も絶え絶えで意識もなく、もう少し早くにお助け出来ていればと申し訳なく思います。」
「その間フェルナンドはどうしていた?」
「手一杯で周りに気を向ける事がさほど出来ませんでしたが、水面に出た時には殿下お姿は見えませんでした。」
「セルビア、そなたは?」
「救い出されても抱え上げる事は出来ないと分かっておりましたので、桟橋へと走りました。その際にアールデン侯爵令息と鉢合わせましまして、2人で救助に向かいました。その間も、後も殿下とは会っておりません。」
突き落とした本人は何もせずにその場を去った。
そう言う事なのか。
全ての人の視線が殿下に向かう。
婚約者であった者にそこまでの仕打ちが出来るのか。
「ち、違う、突き落としてなど!そ、それにミアは勝手に入り込んで、王家の花を手折った盗み人だ。天罰が降ったのだ!」
青ざめた顔で言い放った。
バキリ、と何かが折れる音が響いた。次いで殿下へ折れた扇子が飛ぶ。
「ーーーーミアに庭園の散策と花を手折るのを許可したのは私です。盗み人などと、、天罰などとっ!」
立ち上がった王妃様の手はブルブルと震えていた。
「王命に背いてまで離宮に入った。ならば何故直ぐに私の元にこなかったのです。何故、私の居場所を確認しなかったのです!お前は最初から私に合うつもりなどなかったのでしょう?欲求のままに突き進むとは獣と同じです。」
王妃様の鋭い言葉に殿下は二の句も継げずその場でうなだれてしまった。
「ジルステイト、ここに。」
陛下は殿下を一瞥すると俺の名を呼んだ。
「ここにおります。」
膝を折り、目前に傅く。
「テレミアはあの場で何をしていたのだ?嘘偽りなく申せ。」
「花を、花を愛でておりました。あそこには芳しく香る、薄い紫の小さな花が満開に咲いておりました。調べましたら、ライラックと言う名の花でした。どうやらテレミアは毎年この時期にあの花を愛でていたようです。……テレミアの体調が整い次第、領地へ戻る算段でしたし、テレミアはもう王都に出て来るつもりも無かったのだと思います。てすから最後に見たかったのではないかと、想い出に一房欲しかったのではないかと、そう思います。」
「嘘だ、シルキーに害を成そうとあの場にいたのです。父上、騙されてはいけません。アールデンは皆嘘つきだ!」
親しい友人だと思っていた。
堅実で優しい奴だと思っていた。
次に仕える王になるのだと思っていた。
でもそれは思い違いだった。
10年付き従った妹を捨て、それ以上の付き合いであった俺を、王家に変わらぬ忠誠を誓った侯爵家を嘘つき呼ばわりとは。
恐れいった。
体の震えが止まらない。
ああ、この抑えようのない怒りをどうすれば良いのか。
吹き出しそうな憤怒を押さえつけ、荒ぶる心と格闘し唇を強く噛み締めた時、トンと肩に手が置かれた。
顔を上げれば父がいた。
反対側には母が。
「この場で物申す事を許して頂けますか?」
父の平坦な声が響く。
何の表情も浮かべず、淡々としていた。
「ああ、許す。アルベルト、もう戻ってはくれない、、だろうな。」
疲労も隠さず、陛下はうな垂れていた。
「そうですね。嘘つきは退場した方がよろしいでしょう。ああ、陛下には申し訳ありませんが貴方の後に傅く事は出来はしませんよ。彼方からこの国の先を見ています。これ以上の世迷い言は聞きたくもない。なので我々はここでお暇申し上げます。これまで可愛がって頂きありがとう存じます。それでは。」
父は胸に手を当てて最高礼を、母は淑女の美しい最上の礼を。
そして、王都を去った。