モノローグを飼う者
と、ここまでは僕の飼っている「モノローグ」の発言だ。
モノローグとは独白や傍白、脇台詞や独り言を指す言葉だ。
対義語はダイアローグ会話を意味する。
僕はいつも「モノローグ」を飼い、そのモノローグとの意見交換を通して客観的に自分を捉えようとする傾向があるらしい。
残念なことに絶望と現実に同時に襲われてしまったがために僕の心が防御反応を示したようだ。
僕の抱える絶望にこの「モノローグ」が、現実には僕が対処している形だ。
僕はこの「モノローグ」に『』と名前をつけ、世話をしているわけである。
現実はいくら暗い過去があろうともいくら自分を忌み嫌い、自らの父親に対して悪態をつこうとも
それを悟られぬよう、気高く強く生きねばならない。
僕は否応なくそんな選択をしてしまうのだ。しかしながら僕はそんな生活に満足している。
きっと笑っていればどんなものにも過去になり、いついかなる時も代替となる幸せを享受する準備となる。
今は理解できない自分の嫌いなところや父親の愚かな姿に対して、何かしらの解答を得る事もできるだろう。
今自分が最もやってはいけないことは、これ以上周りを巻き込んで迷惑をかけること。
そしてなによりも自分自身を信じられなくなることだと僕自身が経験から学んでいるのだ。
ネットを見れば、何かの所為にして自分の意見を押し通すことを是としている場面も見受けられるが、
全くもって僕にとっては参考にならない。
今の僕に必要なことは何かを否定して前を向くことではない。僕は安心したいのではなく成長したいのだ。
そこを履き違えないように。
「さて、今日も学級委員の仕事が確か入っていたはずだな。父さんは…今日も夜通しか。」
わかっていたはずだが、父親の不在確認。
「いってきます」
誰もいない家にわざわざいってきますを言うなんて可笑しいかもしれないが、自分でも誰に向けているのか家族がいた時からでさえ意識したことはない。
自分に言い聞かせているのかもしれない。心の中の家族に向けて言っているのかもしれない。家族というものを体現してその重みを構築しているのかもしれない。
まぁなんにせよ、現実がやってきた。学校だ。