ナナミ ツカサ
「えー…ここがこうであるから、ここの答えはこう」
数学の岡野の授業はいつもこうだ。
ここ、だとか。こう、だとか。
理屈っぽすぎて分からない。
だからクラスの平均点上がらないんだよ、と目の前では溢せない愚痴を
岡野にぶつけた。
「はあ……」
今度は大きな溜め息をクラス中にぶつける。
途端に、隣の席の宮内 葵が反応した。
「どうしたの?今日、フキゲンだね?」
台詞では心配そうにしているが、顔はニヤついている。
そう、宮内 葵はこういうやつなのだ。常に笑顔と言えば聞こえはいいが、それは例えば「お通夜」なんかでも笑っていそうなやつだ。
無表情からは感情を読むことができないのと同じで、常に笑顔だとそれもまた感情が読めなくて不気味でもあるのだ。
「別に、岡野の授業が疲れただけだよ」
僕は無難に返した。
だが、彼女は首を傾げると「つまんなーい」と返した。
僕は彼女の返答に少し顔を歪ませ、すぐさま反抗した。
「なんだったら、つまんなくなかった?」
僕の大人げない問いに宮内 葵は上に上がった口角をさらに上に上げる。
その瞬間、僕は僕の大人げなさを激しく後悔した。
こんな面倒くさそうなことになるなら笑って終わらせれば良かった、とまた顔を歪ませる。
「彼女と、喧嘩でもした~?」
相変わらず鼻につくニヤっとした顔で聞いてくる。
あぁ、そうくると思ったよ。宮内 葵は典型的なゴシップ好きで、人の恋愛によく首をつっこむ。僕の彼女が他の男といちゃついていただとかよく聞かされたものだ。
「おかげさまで円満ですよ」
僕は最高に嫌みっぽく返した。
だが、宮内 葵はそれにも負けずにこう返した。
「そーいや、今日、美夜ちゃんまだ見てないなあ」
僕も退かずに返す。
そうして岡野のつまらない授業よりも宮内 葵を屈服させることに意識を集中させる。
「そりゃあまだ一時間目だからな」
「あんた彼氏でしょ?心配とかしないわけ?」
「心配しなくても、美夜は真面目だからちゃんと学校にいるよ…」
「そーいやあんたら朝は一緒に登校しないよねえ…」
「冷やかされるのを美夜が嫌がるんだよ!」
「下校も同じじゃない?」
「だから、下校も裏門から帰ってんだろ!」
僕らが本当に授業の存在を忘れかけたときだった。
「宮内!名波!授業中になに喋ってんだ!立て!」
岡野が叫んだ。
くそ…と心の中で唱え、宮内 葵の方をみると案の定、彼女も珍しく不味そうな顔をしていた。僕も宮内 葵もしぶしぶとその場に立つ。
立つと宮内 葵は机に向かって椅子を押す。
ギィとなる渋い音に掻き消させるようにニヤッと呟いた。
「岡野の説教は授業より熱心よ……」
やっぱりこいつ、お通夜でも笑うな。
そう確信したときだった。
校内放送が響き渡った。
「全クラス、授業を中断して体育会に集まってください。
繰り返します全クラス、授業を中断して体育会に集まってください」
クラス中がざわめく。他のクラスの生徒がすでに廊下に出始めたのか、廊下が騒がしくなるのもすぐにわかった。
「……なんだあ?おーいお前ら、立て立て!とりあえず体育会行くぞ~」
岡野は気だるそうに教室の前のドアを開ける。
クラスメートたちは何か不穏な空気が鎮座していることよりも
岡野の授業が潰れたことの方が印象がでかいようで、みんな表情は明るかった。
「ついてんな!司!」
僕の名前を呼び、俺の背中をバシッと叩く。
もうそんな素振りだけで誰かが理解できた。
「笑い事じゃないよ、ナツキ」
僕はそいつの顔もみずに返事を返した。親友ってそういうもんだ。
ナツキは歯並びのいい白い歯をみせて笑った。
「それにしても、いきなりなんだろーな。
不審者来たとか?」
「…だったらこんな大々的に召集しねーだろ…」
「うーんまあなあー」
ありきたりな会話をしていると体育会の入り口に着いた。
中には既にたくさんの生徒たちが集められ、壇上には遠くからでも分かるくらい真っ青な顔した校長と、警察官が2名立っていた。
「「まじ?」」
僕とナツキは顔を見合わせた。
授業を中断させるほどだ。普通じゃないのは明らかだが、それが本当に警察沙汰とは僕もナツキも思わなかったのだ。授業中断で喜んでいた皆も空気を察して、体育会の中には妙な空気と女子の高いヒソヒソ話が聞こえた。
目の前には宮内 葵がいた。
さすがの宮内 葵はこんな状況にも屈せず、いやむしろ楽しむかのように
校長の方をニヤっと見つめていた。
端に集められ、なにやら話を聞いていた先生が戻ってくると皆が皆、校長と同じ色になり生徒に列を作るように叫んだ。
いつもよりも重く。気持ち悪い。汗がにじむ。
僕とナツキも列に入り、校長が話すのを待った。
しばらくし、生徒がすべて揃ったところで校長はやっと口を開いた。
声は震えていた。
「ざ、残念なお知らせがあります…
本校の旧校舎の近くにある雑木林…その奥にある用具入れの付近から
本校の女子生徒の遺体が発見されました…」
なっ……
僕は声を失った。
頭が混乱する。
周りの反応は様々だった。僕と同様に声を失うもの。
悲鳴を上げるもの。涙を流し始めるもの。
旧校舎?雑木林?用具入れの付近?
なんだってそんなところで。今は誰も近づかないところで。
いや、近づかないところだからか?
「そして身元鑑定の結果。身元が判明しました…
亡くなったのは……」
「2年1組の吉野 美夜さんです」
校長があげた名前に目を見開いた。
思わず声が漏れる。
「………は?」
前に座ってたナツキがゆっくりこっちを見る。
「……美夜って…司…お前…」
周りの視線も俺の方に向けられる。
「う、うそだろ?は…いやいやいやまてまて!」
焦りで視線が泳ぎ、不意に宮内 葵と目があった。
宮内 葵はいつになく真剣な表情だった。
やめろよ。やめてくれ。お前はお通夜でも笑いそうじゃないか。
笑ってくれよ。じゃないと……じゃないと…
「現実みてえじゃねえか……」
自然と目からは涙がこぼれていた。
ナツキの暖かい腕が背中に伸びる。周りからも暖かい腕が伸びるのがわかった。
「お、落ちつこう、司。な?」
「つかさ……」
いつになく優しい声が聞こえる。
やめろ。やめろ。やめてくれ。嫌だ。現実を見せるな。
相変わらず周りからの視線は強く、息苦しさを感じ、僕はそのとき自分が過呼吸になっているとこにやっと気づいた。涙で遮られる視界で自分の手が痙攣しているのが見えた。
「…っうぐ…が………手、がっ!」
やっとの思いで吐き出した声も耳鳴りで何て言ったのか、自分でもわからなかった。前方からむかつく岡野が走ってくるのが見えた。
僕はそこで深い意識の底に支配された。
ー…
桜が散った。春だった。切ない季節だ。
「桜は自分の命が短いことを知っているの。だから一瞬を美しく飾るのよ」
いつかの美夜の声が聞こえる。
美夜、君は知っていたのか。自分の命が短いことを知っていたのか。
ああ、だからそんなに君は美しかったのか。