盛夏~夜
「もう、訳がわからない」
経緯を簡単にざっくり説明すると、小春さんの存在を当然ながら信じれない千秋さんに、彼女が食事するところを見せたのだ。千秋さんからすると、一人でに箸が動き回り料理が消えただけだが、十分証拠足り得るだろう。
混乱が恐怖に勝り、それでもショックなのに変わり無かったみたいで、千秋さんは夕食を殆ど残した。まぁ俺も始めてみたときは……そうでなくても飯はあんまり食えてなかったか。
もうそれを見せたのだから関係ないと言わんばかりに、小春さんはいつもの縁側で、いつもの湯飲みで、いつも通りお茶を啜っていた。その姿を見て千秋さんはなおのこと混乱した。
そんな絶賛混乱中の千秋さんはと言うと、女の子座りで頭を抱え両肘を卓についている。
「千秋さん、未知との邂逅はどんな気分ですか?」
「怖いような信じられないような馬鹿げてるような……よく分からない」
「まぁそうでしょうね。でもこれで少しは信じてもらえましたか?」
「うぅー」
「取り敢えず風呂は沸いてるんで、冷めない内に行ってきてくださいね」
衝撃の連続に混乱しすぎて怖くなくなったのか、思ったより素直に行ってくれた。
千秋さんの去ったリビングに会話はなく、蝉が忙しなく鳴き、千秋さんに渡された風鈴が時おり風に吹かれ涼しげな音を鳴らす。
今日は千秋さんが来たってのもあって柄にもなく喋りすぎた、普段から俺も小春さんも口数が多い方じゃないから会話も少ない、慣れないことをして疲れたな。
「今日は満月ね」
「みたいですね」
そう、これくらいの軽い会話で充分俺は満たされる。誰とも話さない時期を思い出すともう二度とごめんだねと言いたくなる、でも、四六時中誰かと話してるのも遠慮したい。
適度な距離で適切な会話量、この二つが揃うとやはり心地よい。
そんな風に夏の夜の時間は流れていき、寝仕度を全て終えた。後は出来ることなら寝る前に答えを聞いておきたいところだ。
「俺先に寝ますね」
「ちょっと待って」
「…………」
「なっちゃんはさ、私がここに住んでも迷惑じゃない?」
「迷惑かけてるとと思うなら、家事は当番制でお願いします」
「もぉ、素直じゃないなぁ。ほら、素直に千秋お姉ちゃんって――――」
「寝てください」
どうやら混乱しすぎで怖くなくなったみたいで、去り際に俺の頭をクシャクシャとすると陽気な声で『お休み~』といって客間に消えてった。時刻は十一時、普段の千秋さんならまだ起きてる時間だろうけど、きっと疲れたんだろう。
さて、俺も寝よう。
「じゃあ俺も寝ますね。寝るときは電気消して湯飲みは流しにつけといてください」
「それくらい分かってるわよ」
少し不機嫌そうだ。まぁでも亡霊だって元は人間だしそう言う日もあるに違いない。気にせず寝よう。
寝室の自分の布団に入って目を瞑ってみた。
■□■□■□■
全く眠れず時間を浪費すること四時間半、時刻はだいたい三時半といった所で俺もギブアップ。取り敢えずお茶だけ飲みに行こう。そう思い位廊下を台所方面に歩く、途中居間の電気が消えてることを確認できた。
コップによく冷えた麦茶をいれて一気に飲み干す、それが宜しくなかったようでなおのこと眠気は明後日の方向に飛び去った。
「はぁ、仕方ない」
日課の勉強道具をもって居間に入る、寝れないなら勉強でもしよう。そんな俺の目論みは一瞬で撃破されたのだ。
満月の月明かりを美しく反射する長い黒髪に、透き通るほど綺麗な肌。よく見慣れた桜の着物を来た女性が、小春さんがまだ縁側に座っていたからだ。
あり得ないくらい動悸が早くなるのを感じる、これは触れてはいけない、知ってはいけないモノだと本能的に悟ったのか、畏れのようなものが俺の中にはあった。
「夏輝か、まだ寝てなかったの?」
「……あ、えっと、なんか眠れませんでした」
「私もよ」
金縛りのような不快感は無く、しかし金縛りのようにその場に立ったまま動けずにいた。
月明かりに美しく妖しく照らされる小春さんは続けた。
「私が死んで、亡霊になって、大きな変化も沢山体験して来たのに変な話ね。千秋がここに住むって決まって、何かが変わるのが怖いなんて。こんなの今更過ぎてもう捨てた感情だと思ってたわ」
「…………」
「人間からしたら気の遠くなる年月生きてきたのに、こんな些細なことで不安とか嫌悪とか期待とか、まるで生きてる頃に戻ったみたいね」
どういう訳か…………どういう訳か小春さんは楽しそうにこちらに微笑んだ。不思議なことに、先程までの畏れは何処かへ消し飛んでいった。
人間に比べると永遠に等しい時間一人で生き続けてきた、人間とはかけ離れた彼女に、人間らしさ的な曖昧で抽象的な何処にも明確な定義なんて無い、それこそ目に見えないモノを感じてしまったからだろう。
「でも、少し安心したわ」
「どうしてですか?」
「どうしてでしょうね」
勿体振ると彼女は、自分の左側をポンポンと叩いた。ここに座れと言うと合図だろう。
特に断る理由はない。意味も理由もなく拒絶される辛さを知ってるからなんて言い訳は無しにして、手に持ったものを机に置いて少し緊張ぎみにそこに座った。
頭の中お花畑な奴等みたいに男女関係を好きと嫌いで見てる訳じゃないが、あの小春さんのとなりに座ると言うのは、なかなかどうして緊張するものだ。
「いつか、ちゃんと夏輝にも話せる日が来ると良いわね」
「そん時は小春さんがいなくなる日ですかね」
「素直になったらいいのに」
「俺は自分の気持ちに素直ですから」
それっきり俺と小春さんの間に会話は無かった。早かった動悸も治まり、景色は月明かりから太陽の明かりに照らされていき次第に明け方のオレンジ色の景色を迎えた。
少し前までは近くの小学校でラジオ体操していたが、誰も来ないからと言う理由で廃止になった。その為、夏の朝には雀の鳴く声とセミの大合唱しか聞こえない。暑苦しい夏はまだまだ続くらしい。