にゃあの6
屋敷の中を引きずられ、和樹が連れてこられたのはパイモンの部屋だった。
「ただいまーっと……ハチ、入れ」
「は、はい。お邪魔します」
扉を開けた先にあった玄関口は、この世界では珍しいが、和樹にとっては馴染みのあるものだった。
靴を脱ぐ為に段差になっており、パイモンは三メートルを越える身長を窮屈に丸めて、自分の履いている靴を脱いでいた。
(和室……)
玄関からすぐそこに、障子が貼られている。
そして、障子の手前には小さな台所があり、水を張られた桶の中に、食器が貯まっていた。
「ほら、早く入らんか」
「は、はいっ。失礼します」
50センチを越えそうな大きさの、パイモンの靴。
その隣で和樹も靴を脱ぐ。
すると、子猫が急に走り出し、障子の隙間をくぐり抜け、奥へと向かっていった。
「こ、こらっ」
「別にいいからお前も早く来い」
のしりのしりと障子の向こうに行ったパイモンを追い、和樹もその部屋に入る。
すると、柔らかな日の光が和樹の目に飛び込んだ。
「おお……」
「ふぅー。自分の部屋が一番落ち着くわい」
そこは、全くもって、和室だった。
畳が張られ、ちゃぶ台があり、ちゃぶ台の上には籠に入った果物が置いてある。
変わっているのは、床の間に飾られているのが日本刀ではなく、超巨大なハンマーである事くらいだった。
部屋の奥の障子は開け放たれていて、そこから館の庭園が見える。
その縁側で、子猫は光を浴びて丸まっていた。
「ふなあ〜……」
「おうおう、気持ちええか。ネコよお……」
パイモンは、意外にも子猫を優しく撫でた。
コワモテのパイモンが、エルミラよりもそれを隠さないのを、和樹は信じられない気持ちで見ていた。
「……和室、なんですね」
「ワシは東の生まれじゃからのー」
「東では珍しくないんですか?」
「転生者の文化が発達しとるからの。……はあー、疲れた」
子猫を撫でる手を止めて、パイモンがちゃぶ台の前で座る。
ちゃぶ台の前で体を丸めたパイモンは、なんだか、和樹にはいつもより小さく見えた。
「パ、パイモン様?」
「なあハチ。お主も座れい……」
「はあ……お、お主?」
ちゃぶ台を挟み、パイモンと向かい合う。
パイモンは六本の腕の一対で腕を組み、他の腕からはチカラが失われていた。
「なあ、ハチよお。……ワシはな、もうな、……魔族イヤじゃ……」
「……はい?」
「どっこらしょっと……」
肩を落としてパイモンが台所へと向かう。
貯まった洗い物に舌打ちしてから、火打ちで火を点けお茶を沸かした。
「ワシもなあ……。昔はなあ、そりゃもう暴れたもんよ……」
「は、はあ」
——ピーッ
古臭いやかんから、古臭い音が鳴る。
お茶を淹れる音に混じり、パイモンのつぶやくような声が聞こえる。
「だってお前、ワシは魔族じゃからなあ。来る日も来る日も、ブッ殺、ブッ殺……。戦いに生き甲斐を感じてたもんじゃ……」
「ぶ、武将ですもんね。そうなんでしょうね」
「はあ……。つかれた……」
テーブルに戻ってきたパイモンは、二つの湯のみにお茶を注ぐと、自分と和樹の前に置いた。
籠の中から果物を取り出し、それも置いてくれた。
「ほれ」
「あ、ありがとうございます」
……はあ〜〜。
深いため息を吐きながら、パイモンは果物の皮を剥き始めた。みかんのような果物だった。
(……うわ。白いの全部取ってる……)
「なあ、ハチやい。お前ら若いもんは、そりゃええわ。有り余っとるからのお……。
そりゃお前、ワシだって昔はありあまっとったよ。ロマンスだってありあまってたわ……」
「は、はあ」
「けどな、ワシャもう今年で八百歳じゃぞ? ……ええ歳こいて、誰が強いとかどいつが凄いとか、そんなもんマジでどうでもええわ……」
パイモンは、みかんのような粒の背中だけを口に入れて、中身だけを綺麗に食べた。
(あ、薄皮食べないんだ……)
「……大陸におると、人間共が生意気だとか、どこそこの魔王が調子に乗っとるとか、あいつらそんな事ばっか言っとんじゃぞ? ……どんだけヒマなんじゃ、あいつらは……」
「そ、それ言っちゃったら」
「ほれ。お主も食え。…剥いてやろうか?」
「あ、自分で出来ますんで……」
見るからに渋そうなお茶を飲み、やはりパイモンは深いため息を吐いた。
「……隠居代わりにこの島に来た。アスタロト様は、魔界大貴族の中でも生粋の変わり者じゃ。
戦争なんて興味ないし、魔族院の中でも中枢に入り込める家柄なのに、わざわざ、誰も来ないこんな場所に領地を構えとる」
「はあ……」
「けどなあ。…あの人やっぱり、ワシらみたいな混血魔族と違って純粋な悪魔じゃから、なんだかんだ言って、『若い』んじゃよ。
魔族らしくとか、魔族としてとか……。
だいたい、魔族らしさってなんじゃ? 自分らしさみたいなもんか?
……ありのままの自分とか、そんなもん見たことねえしピンとこんわ。ワシは、もうそういうのええわ……」
「な、なんとも言えませんけど…」
もぐもぐ……。
大きな口に、小さなみかん的な粒を放り込みながら、お茶をすするパイモンは、疲れてしまった老人そのものだった。
ぶつくさと言いながら、食べ終わった薄皮を、綺麗に並べている。
「……なんじゃ魔族らしさって。知らねえわそんなの。もう生肉食いたくねぇわ……」
(おじいちゃん……)
和樹はおばあちゃん子であった。
目の前の老人の、小さく丸めている背中に、胸が詰まるような気持ちになった。
「なあハチよお。お主知っとるか?」
「何をですか?」
「今なあ、大陸の魔王城で、人間の勇者と魔王が戦っとるらしい。……なあハチ、その結果、どうなると思う?」
「ど、どうなるんでしょうか?」
読者諸兄は覚えているだろうか。
実は、たった今、世界を揺るがす伝説の戦いも、この世界では進んでいるのである。
では、この頃の魔王城を見てみよう。