9.死にざま
ドンキーを設計した技師については、結局何も分からなかった。ドンキーに聞いても、技師が訪れた事があるというだけで、自身はそれ以上に何も知らなかった。だが、「素晴らしい方」と称賛した事については、
「周りから言われる事が多かったのです。私には、少しだけ設計士の『思い』が混じっています。特定の名前や住所などは、分かりませんが」
曖昧なんだな。けれど知らなくていいと思った。知ろうとしたが、反対に、技師に要らない感情を起こされた。嫉妬なんてしょうもない、プライドは守りたかった。
翌日に、起きるとまたドンキーが正座していて私に訊ねる。
「決行しますか」
何度訊かれた事だろう。だが、今日こそは。「そうだな」
いまだ100%ではない決心が、ついていた。
大量に人を殺すとしたら、何を使えばいいだろうか。ナチス支配下にあったドイツでは、ガス室虐殺なんて歴史があった。児童虐待でも同じ模倣で使われて、日本じゃ1995年(平成7年)3月20日に東京の地下鉄で宗教団体が起こしたサリン同時多発テロ事件を思い出す。
凶器となる毒物が簡単に手に入り単独犯でも可能なら、それもいいだろうが、私はそれでは納得がいかなかった。世間に衝撃を与えるだけなら裸にでもなって東京スカイツリーでも登る事だな。
私は、どうやって死にたいだろう。警官隊の銃弾に倒れたいのだろうか。裁判や刑罰で拷問でもされたいのだろうか。それとも。
恐らく、『発狂して』死にたい。自暴自棄でいい。誰か動画に撮ってほしい。私はもう、人ではないのだという事を証明してやる。
今朝の献立は、ご飯とワカメの味噌汁と、大根おろし入り納豆、ズッキーニとニンジンのナムル風サラダ、オクラの肉巻きだった。朝から何て贅沢なんだと小さく感動している。朝食を採る事すら難しい身としては。
「テレビつけてくれ」「はい」
ドンキーの細い手が伸びてテレビの電源を入れる。今どきリモコンが無いテレビというのが悲しくて泣ける。どうせゴミ置き場から拾ってきたテレビだ。捨てようとした持ち主にも何処から拾ってきたんですかと訊いてみたい。
テレビをつけて直ぐ、異変に気がついた。
「ん?」
「何でしょう」
矛先は、テレビの中だった。ニュースをしているのだが、興奮したリポーターの必死になって説明している姿が映し出された。企業のビルが立ち並ぶ背景、人が忙しく走り回っている。何かが起きているらしいという事が分かる。しかも悲鳴の様な泣き声がする。誰かが泣いて叫んでいるらしい。
事件か、事故なのか? 発生してから間もないのだろう。
「たった今新しい情報が入りました! 容疑者は狩野須賀田斬士郎、42歳無職、ナイフの様な物を持って現在、オメガ銀行ツルタ支店にて立てこもり中です!」
どうやら報道された通り銀行強盗みたいだな。泣いているのは人質にでもなった職員の家族や知人だろうか。
「凄い騒ぎだな。人質立てこもり事件でこれほど大騒ぎしているのもちょっと異常さを感じるが……」
言った後に、どうやら私は勘違いをしている事に気がついた。
「血が」
ドンキーが画面を指さした。見ると、リポーターの居る画面の隅で血だまりがあった。血?
「チャンネルを変えてくれ」
私の指図通りにドンキーがチャンネルを変えると、似た様な光景で報道する者がヘルメットを被った若い女性に変わる。見出しに、『テロか 無差別殺傷事件発生』と書かれていた。無差別テロ?
報道を大人しく聞いていると、つい先ほど通りと中央通りが交わる交差点で、元化学工場派遣社員の運転する2トントラックが赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねて暴走、対向車線で信号待ちをしていた普通車と接触して停車し、車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護に駆けつけた通行人や警察官14人を所持していたナイフで立て続けに殺傷したという。
さらに、男は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走し、事件発生後間もなくして近くの警察署交番から駆けつけた警察官が男を追跡し警棒で応戦するも、男は銀行に立てこもり人質をとって現在、緊張状態という事だった。
「無差別殺傷……」
私は茫然とした。誰かに先を越された。
事件の報道が、頭の中をスクロールしていく。
やがて映し出された容疑者の写真、こんな短時間で身元は確実に判明したという事か。発生したのは何時だ、事件はどれくらい経過している。
「あ」
顔写真を見て、最近に似た顔を見た覚えがあった。そうだ、昨日、温泉ですれ違った男。髭面の、長髪で汚らしい男。だが確信は持てない、雰囲気が似ているというだけで同一人物だとは断言できない。あまり見てはいなかったから。
現場の状況が伝わり終わると、解説者達が揃って座るスタジオに場面が変わった。彼らは口々に「一体どうして」「一部情報によると、犯罪予告がSNSの掲示板に書き込まれていたとか。またですか」「これは2008年にあった、秋葉原事件を彷彿とさせますねえ」「でも今回は立てこもりですよ。人質達の安否が心配です」などと、騒ぎ立てている。
「最低」「最悪」「一体何故」が、飛び交った。
「貴男は弱いのね」
テレビに釘付けになっていた私が、その声で我に返った。私の向かいで言ったのはドンキーだ。「今、何て……」ぎ、と首を僅かに傾けて彼女を凝視した。
「あれが貴男」
ドンキーは、テレビに目を向ける。容疑者の写真が映る。「あれが私」長いボサボサした髪の、不健康そうでゲッソリと痩せかけた顔の男。42歳、私よりは若干年が上の。
「残念」
哀しみといった表情は無い。嘲笑しているわけでも無い。だが、私の胸中をえぐるには十分だった。残念? 何が? ヒーローにでも成り損ねたから? ヒーロー? 犯罪者が? ――そんなはずがない。
昔に憧れたヒーローは、あんな浮浪者みたいなものじゃなかったはずだ。あんな、最低最悪とボロクソに非難されてるヒーローが何処にいる。おかしい。あれが俺。俺はあんなのじゃない。おかしいおかしいおかしい。
「出てけ!」
混乱が口に出た。
「ひとりにしてくれ! ――出てってくれ!」
叫んで、うずくまった。
彼女、ドンキーが静かに出ていった音がした。
時間が経つと、テレビの中がまた騒がしくなる。俺はゆっくりと顔を上げて、事の成り行きを見守っていた。立てこもりに動きがあった様で、場が騒然となっている。
そして、俺は見た。
銀行から出て来たと思われる人物が、最後に抵抗したのか、警官の銃撃に遭う――
倒れた。
動かない。
「うわあああ」
俺は顔を覆った。滅茶苦茶な犯行で全国に衝撃と恐怖を与えた者の最期を見届けた。一生忘れる事がないだろう、一生? 俺の一生なんて。
あれは俺になるはずだったのだ。俺ならもっと巧くやれた、ドンキーが居るから。ドンキーという美しい凶器が。もっと早くに決断してさえすれば。そうすれば俺はきっと至福で、きっときっともっと……。
その時、携帯電話の呼び出し音が鳴った。激しく動揺し、暫くは出なかった。だが恐る恐る手に取り誰からかを確認すると、会社からだった。勇気を出してかけ直してみると、出たのは上司で、俺の体調を心配して電話してくれた事が分かった。それと、今日の出勤の事とかも。
無断欠勤はマズい、と慌てて熱が下がらない、と言い訳をした。そうか、と相手は言って深く言及はしなかったのでよかった。明日は行きます……気のない返事で、電話をきる。
ぎり、ぐりぎりぎり……
歯ぎしりが部屋中に響いた。俺の歯は隙間だらけだ。医者に行く気も無い。俺のどんな悪い癖も、母親は治してくれなかった。俺は大人になるまで不自由した事は無い。怒られた記憶というものがない。母親の言いつけは守った。行けと願われて大学まで行った。就職もした。仕方なく辞めてしまったけど。友人を失った。阿呆な女の手によって。離婚した。酷い裏切りだ。俺は何も悪い事をしていないのに。おかしい。
あいつらが悪いんだ。幸せに生きてる奴ら。あいつらが俺から本来あったはずの幸せを横取りしたんだ。だから幸せでいやがるんだ。何も知らない偽善者め。偽善者偽善者偽善者。あああああ。
いつの間にか、眠っていた。
アパートが見渡せる、隔たりを挟んで向かいの建物からドンキーが俺を見続けていたとも知らずに。
「愛してた……」
誰に向けたであろう彼女の呟きは、誰にも伝わる事がない。
附属池田小事件。2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市で起こった小学校無差別殺傷事件である。実行犯は大阪地方裁判所平成15年8月28日付け判決(判旨)を伝える新聞記事によれば、宅間守、犯行時37歳による単独犯と認定されている。
10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った男が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。結果、児童8名(1年生1名、2年生7名)が殺害され、児童13名・教諭2名に傷害を負わせる惨事となった。男は校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕。最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器を落とし、「あーしんど」と呟いたという。その後殺人罪などで起訴された。
男は逮捕当初、精神障害者を装った言動を取っていた。しかし、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」とされ、責任能力を認める結果が出た。男は逮捕直後に「薬を10回分飲んだ。しんどい」と供述して、医師の診察を受けた。男が飲んだとされる薬は、通院先の病院などを調べた結果、抗精神病薬「セロクエル」と抗鬱剤「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の3種類と判明した。これら全部を10回分服用しても眠くなるだけであり、奇怪な行動を起こしたりすることはない。また、男の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物を押収。複数の病院に通院して、「眠れない」などと偽って薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいた。さらに、逮捕後に男の血液や尿などを採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されなかった。捜査員がこの事実を突きつけると、男は「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めたという。
2003年8月28日、大阪地方裁判所は被告人に対して死刑判決を言い渡した。極刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、今回はそれを破って主文を先に言い渡した。また、すでに被告人は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、拘置所職員によって連れ出されており、死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことはなかった。また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、特別に法廷にテレビカメラを設置し、別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。
死刑確定後、控訴期限の9月10日に弁護団は控訴したが、9月26日に被告人自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。被告人は主任弁護人に送った文書で、刑事訴訟法第475条第2項で規定された「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」を訴えていた。その内容として「死刑は殺される刑罰や。6ヶ月過ぎて、いつまでもいつまでも嫌がらせをされる刑罰ではない。すぐ殺せばダメージが無いんやから、暫く嫌がらせしてから執行する、そんな条文があるんか。法律家ならワシの身になれや! 法律を遵守するのが法律家の仕事やろが! 何や、自殺幇助や、そんな物関係あるか! 国が法律を守らんかったら行政訴訟で噛み付くのが己ら左翼代言屋の使命やろが! まあ、この手紙でヘソ曲げて意固地になる様やったら、下の下のカスの代言屋や」などと主張していた。
死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、被告人は大阪拘置所で死刑を執行された。結果的には被告人の望んだ通りの早期執行となった。
ウィキペディア、『附属池田小事件』より抜粋。
17名がトラックではねられたり刺されたりするなどの被害を受け、その内、7名(19歳から74歳までの男性6名、21歳の女性1名)が死亡した、『秋葉原通り魔事件』。通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられている。被害者数は平成時代に起きた無差別殺傷事件としては7年前の同じ日に発生した、大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件に次ぐ惨劇になった。
ウィキペディア、『秋葉原通り魔事件』より。