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彼女の名は、ドンキー  作者: あゆみかん熟もも


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7/10

7.技師の面影

 住んでいるアパートから軽トラックを運転して10分ほどを走ると、会社に着く。去年に市で短期募集していたので応募し、臨時職員として採用されて至る。平日の朝から晩まで働き、日給は8千円にはならないほどだ。約2か月間ではあるが、採用が決まってからは真面目に土木作業員として、一所懸命に働いている。

 鬱々とし出したのはもっと以前で、妻と離婚してからになるだろうか、いや、する前からだったろうか……はっきりとは覚えていない。前に勤めていた会社は、海外派遣会社とのトラブルをキッカケに辞めざるを得ない状況に追い込まれて、辞表を書いた。

 嫌な事が続いて、離婚し独り身ではあるから考える時間が多くあったが、自分を満たしてくれるものなんか無い。職が無いから日雇いとかパチンコで稼いで毎日を食い繋いでいたが、私に限界は近づいていってると感じていた。

 だが、思いも寄らぬ事態に陥った。

 なんとギックリ腰だ。ふざけているのだろうか。残念ながら大真面目だった。

「うーうーうー」

 サイレンの真似をしているつもりはない、私の唸り声である。

「朝食はどうしますか」

「知るか!」

「食べさせて差し上げましょうか」

「う」

 布団にうつ伏せになって唸っていたのだが、ドンキーの提案で矛先の無い怒りが消える。朝食は食べたい、腹が減った。でも体を動かせない……。

「口を開けていればいいのか」

「ご飯と玉子焼きと漬物はイケると思います。味噌汁は無理ですね。寝たままでは」

「それでいい……」

 まるで介護だ、私は鼻で笑う、自分のこんな状況を。私は土木作業員なのだ、なのに、腰をやられるとは。そのせいで解雇されたらと思うと厳しかった。ひとまず会社には熱のため、とでも言って休む。しかしこの絶望感はいたたまれない。

 朝食を済ませて、会社に連絡を入れて。もう一日ずっと布団で寝てるつもりだった。医者に行く気もなかった。激しい痛みを体感したのは一度だけで、ゆっくりと静養をとれば明日は大丈夫なんじゃないかと勝手に思った。

 用を済ませ、静かになった。ドンキーが私を見ている。布団に入ってる私を。まさかまた訊きはしないだろうな、決行は今日はしないぞ。というか、できない。

「せっかくだから、外へ遊びにでも行ってきたらどうだ。ジッと見つめられ続けても居心地が悪い。見世物じゃないぞ、私は」

「命令ならば」

「おいおい」

 命令で自由か。それって自由なのか? と思ったが、ドンキーは気にする事もなく出かけて行った。大丈夫なのかと心配していたが、途中で面倒になり寝に入った。

 私は、凶器を持って、わけの解らない事を叫びながら、街中で、逃げる獲物を捉えて。不特定多数の人間を、殺して殺して、殺しまくる。場は騒然として舞台ができ上がるだろう。私だけのオン・ステージ、何と華やかか。そんな――

 ……私の夢だ。



 どれくらい眠っていただろうか。目を開けると部屋の、汚い天井が見えた。時計を見れば午後に差しかかる時刻で、もう眠れないなと起き上がった。しまった、急に動いてしまって腰を忘れてたとヒヤリとしたが、幸いにも痛みはなくホッと安堵した。

「ドンキーは?」

 何となく呼びかけてみても返事は無い。狭い部屋で1DKだ、声は十分に行き届いている範囲だが、返事は無い。出て行ったきり帰ってきてないんだろう。起立できたので窓から外を見下ろしたら、そこでドンキーの姿を目撃した。

 驚いた事にドンキーは、ひとりで居るわけでなかった。ドンキーは子ども数人と一緒に居た。しかも、縄跳びをしている。これはどういう事だ。

 きゃっきゃっきゃっきゃとはしゃいでいる子ども達と一緒になって縄跳びで遊んでいる光景を長い時間、見ていた。冷蔵庫に缶ビールがあったので、それをちびちびと飲みながら眺めていた。テーブルに座るとちょうど窓と高さが合った。

 2時を過ぎると子どもの母親らしいのか、大人が現れ、遊んで頂いてありがとうございます、と御礼をされていた。上からでよく表情が見えないが、ドンキーはていよく返事をした様で、子どもが全員居なくなると電柱にもたれかけて突っ立っていた。

 何十分が過ぎただろうか。ドンキーは立ったまま、動かないでいる。お前は刑事の張り込みかと思える。まさか、夜まであそこに居続けるのだろうか。いや、帰ってくるのだろうか? 外へ遊びに行けとは言ったけれど。

「仕方ねえなあ……」

 頭をポリポリと掻きながら、私は着替えずにTシャツとスウェット着のままで、玄関から出て行く。一応鍵は閉めたが、直ぐに戻るつもりで。階段を下りると、壁を伝って歩き、ドンキーの元へと着く。「何してる」顔をこちらに向けて見たが、驚いた様子もない。

「何も。先ほどは、話しかけられたので子どもと一緒に」

「知ってるよ。部屋から見てた。それはいいんだけど、今。何もしてないなら、何かしないのかよって」

「命令ならば」

「おい!」

 命令が無いと何もできないのか。そうか、凶器だもんな、って……何かが違う気がする。

「わかった。とりあえず戻って来い。腰は寝てマシになったろうから……うーん、そうだ。トランプでもしよう」

「分かりました」

 ドンキーの笑わない顔は相変わらずだ。さっきの子ども達の前でも、笑い返しはしてないんだろうな。声は普通なんだが。

 部屋へ戻りかけている時に、私はドンキーに呟く。

「ドンキーは、笑わないのな」

「必要とあれば」

「ああ、そう……」

 物凄い脱力感に見舞われていた。


 腰の療養と称し、部屋に戻った後は言ってた通りにトランプで遊んでいた。はじめはババ抜きや神経衰弱、七並べで遊んでいたが、次第に飽きて『大貧民』で遊んでいた。

 そういやオセロが無かったっけな、と思い出して探そうと思った頃、玄関のインターホンが鳴った。「はい、どちら様」と私が返事をして、ドンキーが出てくれた。

 来たのは大家さんで、晩のおかずにと小鉢に盛ったイカナゴを持ってきた。ラップに包まっている。

「腰を痛めて奥で休んでおります」

「まああ、大変ね。それじゃ、おかずはちょうどよかったわけね。また持ってくるわねぇ~」

 玄関先での会話が聞こえてきた。他愛もない話だ。ドンキーのおかげで、大家さんとは距離が近まっていく。普段は近所付き合いなんてしないくせに。

 おかずが一品増えた所で、夕食にしようと私は言い出した。それでは支度を致します、と言ってドンキーは台所に立ち、数十分後には、綺麗に盛り付けられたサラダと肉じゃががテーブルに並んでいた。これにイカナゴが加わる。

(忘れてたな……懐かしい)

 あまり覚えてはいないが、母が居た頃、こんな風景だった様な気がする。父は居ない、兄妹も居ない。母と子、即ち私だ。世界が2人だけだった。あの頃が幸せの絶頂だったんだと、決めつけている。

「旨い」

 私は、肉じゃがをひと口食べて言った。ドンキーの反応は無かった。

 つけたテレビからは、楽しそうな声が聞こえる。今、人気のスポット特集で、観光地巡りをしているお笑いタレントがひたすら馬鹿をやっている番組だった。山頂から見下ろした夜景。百万ドルの宝石だと、ロープウェイに乗った芸人はもてはやす。私は、この地に見覚えがあった。確か過去で遠足の時に行ったと思う。だが、その時にはまだロープウェイなど存在しなかった。だから山頂からの夜景も風景も、見ていない。

 懐かしいけどな、とひとり言を述べると、ドンキーが「私を設計した技師も、ここへ来た事があります」と言った。私が「え、そうなのか。本当か」と意外な顔をしたら、はいと素直に答えた。

 ドンキーを設計した技師。一体、どの様な人なのだろうか。彼女のプログラミングを行ったのも彼なのだろう。凶器でありながら、生活ができるように水準を決め、人とした。だがそれは所詮、夢。『ドリームランド』なる非現実的な世界が存在したために叶えられてしまったが、確かにお試し期間ではあれど彼女が存在しているのだ。私の願望によって。

「とても、素晴らしい方でした」

 そう言ったドンキーの表情が気になった。些細な事だが、彼女の無表情に、赤みが差した様な気がして。一旦気にし出すと、いつまでも頭にこびりつくのか、離れない。無性に気になっていた。



 翌朝、ドンキーは正座していて、私が起きるのを待っていた。それでまた規則にでも従う様に真っ直ぐな瞳で聞いてくるのだ。

「決行しますか」

 私は向かいとなった彼女に「いや、今日は」と断る。腰が痛むからと……言い訳をした。


 会社に休むと連絡して、大人しく寝ていようと思った。だが、それで困るのがドンキーだった。ずっと見られているというのも監視されているみたいで窮屈感を覚える。ドンキーの方も、つまらないだろう? と聞くが、「いえ」と曇りも無い顔で答えるのだ。さらに、

「貴男のためなら、何なりと、何処までも」

 臆面もなく当然な顔をしているから、戸惑ってしまうのが常にこちらだった。

「そうだな……」

 私は実は昨日の晩で、閃いた事があった。彼女を設計した技師が訪れた事があると言ってた地。

 そこへ行ってみたいんだがと、聞いた。



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