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6.殺意

 世の中、理不尽だ。何故、あんな奴がのうのうと生き、助けようとした者が、不幸にならなければならない。

 もしかして、皆そうなのか。他人の不幸を食って生きているのか。馬鹿げてる。

 あいつらもそうなのか。幸せそうにしてる奴ら全員。あいつも、あいつも、あいつも……。

 奴ら全員、殺してやる。


 俺は死ぬのか?

 息ができない、真っ暗だ……。

 真っ暗だよ……。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……

 荒い息づかいが、聞こえる。何処かの家で、婦人が、自分の夫を殺害した。

 手に、灰皿を持って。それで殴ったんだろう、男を。

「あああぁぁあああ」

 断末魔の様な悲鳴だった。


 愚かな。


 人は過ちを繰り返し、

 繰り返し、繰り返し、

 ゼロに戻ろうとする。


 許されるわけがないのに、許されようとする。

 何のためにだ。


 断ち切らなければならないのに、できない、誰かの手を借りたい。


 玄関の、インターホンが鳴ったので出ると、真奈美が居た。

 心配して様子を見に来たんだ、と言った。玄関から肩越しに、後ろを見て彼女は不思議がる。「ひとりでずっと、何してたの……?」

 乱雑に散らかっていた部屋の中を見ては、首を傾げて困った顔をしていた。

「『彼女』と話をしてたんだ、ずっと……」

 手には、石でできた精巧な女性の像が握られて、少しだけ微笑んでいる。

 彼女の名はドンキー、彼女と過ごした数日は――夢じゃなかった。

 真奈美は、何もかもを知っているかの顔で、諭すように誘いかける。

「さあ。病院へ、行きましょう……」




 ・ ・ ・



 彼女、ドンキーが再び目の前に現れたのは、消えた日の翌日だった。朝起きると、台所に立っていた。起きたというより起こされた。部屋に味噌汁のいい匂いがしたからだった。「んな!?」つい声を上げて飛び起きた。

「おはようございます」

 台所からこっちを向いて、私に挨拶をしている。「んなななな」狼狽うろたえて変な反応しかできなかった。

「朝食の支度をしております」

「何で。勝手に何してるんだ。というより、消えたんじゃなかったか」

「もともと、お世話をする様に設定されておりまして。今後やめる様にとご命令あらば、もう致しません。猶予期間が一週間。貴男がご契約を結ばれるなら、私を使われるまで共に過ごせます。覚えておられますか、貴男との契約」

 私は記憶を探した。寝てしまったので半分忘れかけていると思ったが、どうにか思い出していった。

「確か君は凶器」

「そうです」

「『ドリームランド』という所から来たんだっけ」「はい」

「私が望んだから、形となって現れた。形となる事ができた、と言ったな」「はい」

「私が、凶器を持って大暴れしてみたいと望んでいたから」「はい」

「それで……」

 思い出していく内に、とんでもない事を思い出した。ドンキーの、変貌。私に触れた手は、人の手ではなかった。その時の感触と恐怖心が蘇り、背筋が凍って萎縮した。

 悪夢でも、夢だったらいい。

「それで、決行しますか」

 ドンキーは私の気も知らず平気で聞いてくる。火にかけておいたヤカンが音を立てた。私は沈黙し、力無く首を振った。やがて火を止める。

「それは、私とは契約しないという事ですか。それとも、決行は今しないという事でしょうか?」

 私は目頭を押さえながら弱りきった声を発する。「分からないんだ。何も」混乱は、寝ても覚めてもやまないんだと弱音が続いた。

「分かりました。大丈夫です。だから一週間、真の契約を結ぶまでに考える猶予期間制度が設けられているのです。まだ貴男と私は出会ったばかり。私は、設計士に与えられたプログラムに従い貴方の事を一に考え優先し、貴男が困る事なく清々しく決行できる様に、私も消滅したくはないので、懸命に尽くします」

 あまりにも流暢に人間の言葉、もしくは日本語を話す。ドンキーは必死だ、消えたくはないから。私も必死だ。大勢を殺しまくりたいと思った事は本当だ。そうして結局は、自ら死を――。

「なら、いいかな。まだ時間を置いても」

 契約をしないという決断ではない。「する」でもない。考える時間が欲しかったのだ……。


 こうして、ドンキーとの生活が始まる。扱いには徐々に慣れていった。私は土木作業員の仕事をしているが、体力を激しく消耗するだけに彼女の手料理は非常にありがたかった。頼んでおけば一日に3食、昼は弁当だが、作っておいてくれるという。金を渡すだけだ。仕事に出かけて留守をしている隙に、ドンキーは大家さんに見つかって聞かれてしまったらしく、自分は私の姉という事にした。それは私が予めそう言っておけと打ち合わせておいたからだった。

「とても素直でいい子ねえ。おばさん、上京しちゃった娘を思い出しちまったよ」

 大家さんは中年を過ぎた頃合いの女性で、アパートの一階の一番端の部屋で夫婦で暮らしている。娘が居たなんて知らなかったが、時折そういえば近所に住む子どもを眺めてぼんやりしている姿を見ている。アパートの前をほうきで掃いて掃除している事が多いので、仕事に行く時など通りかかる時には挨拶をいつもしている。

 素直でいい子と言われて「うん、まあ、そうかな」と彼女の従順さを思ったが、まさか凶器ですなんて言えるわけはないので、適当に相槌を打っておいた。

 そんなに親しくなるつもりはなかったのに、ドンキーが来て2日後、私が夜に仕事から帰宅すると、大家さんとドンキーは仲良く夕食を作ってテーブルに並べて、揃って私を「おかえり」と出迎えてくれていた。何でだ。

 温かいご飯は嬉しかった。炊飯器は無いので大家さんの所で炊いたと言った。夕食を一緒に食べながら、大家さんはテレビを観ながらよく喋る。ほとんどをひとりで喋っている。テレビで男性アイドルがクイズ番組に出ていて、「翔くううーん」とテレビに手を振っている。ニュースに切替われば「どうせ旦那が犯人よ!」と当てずっぽうな推理を展開する。○乙女太一のファンだった。

 受け取り箱に入っていた『青春ではなく群青の会』という怪しげな宗教の勧誘チラシと、買い物でもらったファーストフード店『ハブウェイ』の割引クーポン、それから配りに来ていたという水道工事のお知らせの紙。以上3枚を渡された。

 大家さんは暇なのだろうか。夕飯の後はテレビを観て、満足して帰って行った。


 次の日。

 起きると、既に起きていて朝食の支度をテーブルの上に終えていたドンキーが、正座して私を待ち構えていた。

「決行致しますか」

 抑揚のない、機械的に無機質な声が、私の耳に届く。

「ああ……そうだな」

 目覚めたばかりでまだぼんやりと宙の一点を見つめている最中だったが、答えた。

 もういいだろう。旨い飯も昨日食った。もういいだろう。

 人生に、疲れた。


 私が布団から立ち上がろうとした、その時。


 ぐき。


 妙な音がした。ギックリ腰だった。



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