3.リカ
知人のおかげで、僕は『HAPPY』ブログに侵入できた。
ここまでは順調だ、さてこれからが大変だろうなと溜息をつく。僕は音楽でも聴くかとオーディオに手をかけた。何でもいいかと選んだのがLUNA SEAのアルバム、昔に買った物だ。ランダム再生にして、演奏が始まった。
(日記を読むか……)
スマホを操作しながら、僕は最初に真優美の日記を遡って読んでいった。そんなには量が無いなと思った。ブログを始めたと言っていたのは何時だっけかな、一年くらい前だったのではないだろうか。その短期間で真優美は日記を不定期に書き、『鬱コミュ』というものを立ち上げ、死にたがっていたり日々に落ち込んでいたり、そういった人の所へお邪魔しに行って、励ましていたりしていたはずだった。
真優美はそれでよかったのかもしれないが、いい事ばかりでもないらしい。コミュニティで罵声を浴びていた形跡があった。複数に書き込まれていたが、順番に読んでいっても時々に話が繋がらない時がある。だいたいの全体像が掴めても、詳細で何を言われていたのかが分かりにくかった。
徳永に後で聞くと、それは書き込んだのに削除されたからだよ、と教えてくれた。削除? 書いた内容を消せるのかと聞いたら、消せるが、それができるのは書いた本人と、見出し(トピック)を立てた者、コミュニティのオーナー(真優美だが)、それとブログの管理者(運営)だという。
一度削除すれば二度と見れる事はない、らしい。
僕は内心困った。証拠が消される。本人のつもりでログインしても意味はなかったかと項垂れた。犯人が居たとして、いつまでも証拠を残すとは思えなかったからだった。
「ふうむ……」
肩を回しながら考え込む。日記、コミュニティを一見しただけでは、特別変わった事はない。空振りか。残念な気持ちでいっぱいになった。「ん?」
スマホで画面をスクロールしている内に、『メッセージ』という項目を発見した。僕は直ぐにそれを開いてみる。すると、送信者、宛先、件名、日付、と並んでいるメニューが開かれた。そうか、これで相手と連絡が個人で取れるわけだな。ここでなら、特別に親しい人が判明し易いかもしれない。何なら、ここでやり取りしていた人と連絡を取り合ってみるのもいいんじゃないだろうか……僕は、その思いつきで試してみる事にした。
メッセージ記入欄を開くと、文字を打ちかけて手が止まる。何て書き始めたらいい?
初歩的な事だが、まずは挨拶か。こんにちは、初めまして……。
初めまして、だと相手にとっては「誰だ?」と警戒されるな。かと言って、もう真優美に成りすますつもりは徳永の指摘通りもあって、無かった。真優美が自殺してしまった事を伝え、その原因を知りたいので尋ねる。単純に、これでいいかと決行する事にした。
送信別に並んでいるリストの上から送る相手を選び、慎重に文字を打っていく。ブログでのハンドルネームが、『さなぎ』さん。この名前は何処かで見た覚えがあった。そうだ、さっきコミュニティでも見かけた名前。普段でもメッセージで対話してたのか。では、仲が良かったわけだな。僕は、ある事に気がついて固まった。待てよ、ハンドルネームか……。
真優美は、ブログでの名前が本名ではなく『マユ』を用いている。もし僕がスマホを使用している事を相手が知っていたとしても、相手にとっては『マユ』なのだ。混乱というか、紛らわしくなる。それは避けた方がいいな、と思った。なので、『マユ』を変えて、頭を悩ませたが『ダーク』で通す事にした。陰の者、という意味だ。ここにいつまでも居るつもりはないので、どんな名前でもいいかと考えた割には、結構この名前を気に入っていた。
文字の打ち直し。そんなに負担になる量でもない。初めまして、こんにちは。マユの代わりにこのメッセージを書いています、マユの友人です……。
マユが自殺した事、マユのスマホからログインしている事、それから……。
再びに、ピタリと手を止めた。自殺の原因を探っている……だが、それは書かずにいた方がいいのではないだろうか。相手は、間違いなく警戒している。成らざるを得ないだろう。だがそれで知りたかった情報が拾えず、相手に閉口させてしまう恐れがある。
考えた末、マユがお世話になった方々へ挨拶まわりをしている、という事だけにした。そうだ、それで行こう。それで他に交流のあった人が居なかったかを聞けばいいのだ。
僕の行き当たりばったりな作戦は、上手くいった。順番にメッセージを着々と送っていき、書くのに没頭している間にメッセージが送られてきた。
そして、この作業を続けていく内に僕はある人物に行き当たった。返ってきたメッセージの内容や、交流のあったブロガーを辿っていくと、その名前が浮上した。
『リカ』
名前を見ただけでは、女。だがここはネットだ。女とも限らない。知ったからといって訪問してしまうと、向こうに足あとが残る。迂闊には近づけなかった。
何故、注目したかというと、これはメッセージボックスを順番に開いていって判明した事だが、相手、リカさんとの諍いが少々見れた。争い、というまでもないが、マユが一方的で「あなたが信じられなくなった」と書いていた事のせいだった。
返信された中でも、リカさんの名前が挙がっている。つまり、リカさんとマユは公でも知れるほど、交流が深かったという事なのだろう。何故マユが相手を信じられなくなったのだろうと過去へ遡ってみれば、たぶんだが、リカさんが自傷行為を止めないからマユが気に病んでおり、マユの言動が今に近づくほどおかしくなっていったようだ。
一見すると、マユが感情的になって、その書かれた内容も酷いものになっている。
[どうして人の真似するの 人のブログタイトル真似しないで]
[さなぎと 織姫は 私のブロフレよ 何でよ とらないでよ]
[コミュでも書いたけど、ブロフレを切らせて頂きます]
リカさんからの反応は戸惑いしかなかった。マユの一方的なメッセージだった。
意外だった。マユにこんな一面があったなんて、正直ショックだった。だが、相手のリカという人物が気になった。優しいはずだったマユにこんな事を言わせるなんて、一体どんな相手なんだ? 僕はリカという人物に接触してみる事にして、ブログを訪ねた。素っ気ないページが開かれる。
写真は掲載されてはいないが、プロフィール、ブログのタイトル及び説明、足あとやコミュニティへのリンクがあった。どうやら『鬱コミュ』にも参加しているらしい。日記を読むと女性らしさが窺えた。やはり女性なのだろう。
[私が悪いのかな……私が弱いから……私のせいで あるブロガーさんを怒らせちゃった 嫌だよねこんな自分……]
日記には、励ましが大半、コメントが書かれていた。「多いな……」
つい呟いたのは、コメント数が多いだけではない、同様に、弱気になっていると見える内容の日記記事が、多いという事だ。
「こんな事ばっかりを繰り返しているのか、この人」
また切っちゃった、とか、画像消された、とか、ほぼ同様の内容で日記リストは埋まっていた。自傷行為を繰り返す。探せば、たまにコメント欄でマユの書き込みも発見した。切ったらあかん、私も切ってたけど、今はもうしてない、だから――。
僕はまた驚いた。マユが昔、自傷行為をしてた? 何時?
改めて思い出してみると、マユはいつも左手首には腕時計をしていて、袖が短いのを着ていた事を見る機会というものが少なかった気がする。いや、気にした事がなかったから、よく思い出せてはいないが。とにかく、そんな気配には感じなかった。
ここには、僕の知らなかったマユが存在していた。以前からそうだったのだろうか……僕の見てきたマユの像に、翳りが生じる。
時系列で追っていくと、ブロフレを一方的に切られた(やめられた)リカさんとは、暫く膠着状態が続いていた様だが、マユの方から謝罪の様なコメントが書き込まれていた。
[ごめん。うちがどうかしてたのかも。薬の副作用でおかしくなってたんやわ]
リカの返答は無い。
[ブロフレ申請はどっちでもええよ]
これ以降、書き込みが無い。
削除されたのか、あるいは……。
この後で、はじめに見たメッセージ内容に戻る。
[あなたが信じられなくなった]
この間、修復しかけていた糸が切れる「何か」があったのだろうか。
探すと、話の流れから、マユがリカさんへブロフレ申請を行ったらしいのだが、リカさんから申請許可が出ていない事が、マユを苦しめていたらしい。
たいしてリカさんからの返答は無く、日時から、この後でマユは死んでいる。
「この事で……?」
他に、争っていた形跡は無い。メッセージ機能、日記、トピック、コメントでのいずれでも。どういう事だ……マユは。まさか、マユを死に追いやったのは。
リカ。
自傷行為を止めない女。
マユの書いた内容を思い出していた。
[どうして人の真似するの 人のブログタイトル真似しないで]
[さなぎと 織姫は 私のブロフレよ 何でよ とらないでよ]
人の物を盗る女。
書いていた日記だって、自分の事ばかりでまるで悲劇のヒロインじゃないか。怒らせた相手に対して謝罪は無いのか? まずは謝罪じゃないのか。自分が本当に悪いと思っているのなら。それとも思っていないのか?
僕の中で熱い塊が蠢いていくのが分かった。気味が悪かった。
こいつだ。
こいつが、マユを。
あの優しかった、マユを、死に……。
ぷっつりと、電源を切る。
今日はここまでだ。僕はそう判断して、ログアウトも忘れてスマホの電源をブチ切った。かなり冷静でいられない、汗をかいていた。「ちきしょう……」興奮して、嗚咽が漏れた。変だった、今の僕は冷静でいられない。
マユが最期、どの様にして死んでいったか。僕はこの目ではっきりと見ている。とても現実とは思えないほど凄まじい惨状に、僕こそ今直ぐに死んでしまいそうになった。
忘れるわけがない。
『見て』しまったのだから。
「許さない……」
頭に血がのぼったまま、僕は激しく歯ぎしりをした。ぎりぎりぎり……。
「絶対に、許さない」
形見であるマユのスマホを見つめ、僕は立ち上がって自分の携帯電話から友人に電話をかけていた。