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彼女の名は、ドンキー  作者: あゆみかん熟もも


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2.リスカをしたのは僕じゃない

 リスカをしたのは僕じゃない。リスカ、リストカット。インターネットでウェブを覗いていると、登録無料で『HAPPYブログ』というサイトがあったので、面白そうだと好奇心で早速と登録したのが、全ての始まりだった。

 主にスマートフォンで日記を書いていた。アプリでゲームも幾つかあったし、掲示板で交流の場もあったが、さほど興味ははじめは無かった。仕事の合間にイジくるか、寝る前にメッセージが届いてないか、確認する程度。親しい人としかメールアドレスや電話番号を教えていないし、出会い系と呼ばれる連中が数えきれないほどよくサイトで見かけるが、たとえメッセージで番号を一方的に送られてきたり、実際に会おうと誘われても、全て迷惑だと断っていた、という。

『HAPPYブログ』の機能として、友達登録のできる『ブログフレンド』、通称『ブロフレ』機能というものがあるのだが、自分の気に入った人をリストに登録しておく事ができる。相手にもそれが分かる様になっている。ちなみに、自分が相手のブログなんかに訪問すると、足あと機能、といって、相手の所に訪問履歴が残り、それは関係のない周知にも知れる仕様になっていた。

 日記には、撮影した写真、描いたイラスト、主にそういったものを画像で掲載する事ができる。特にこのサイトは、空や、猫や犬、自作のイラストなんかが多くアップされていた。

 そこで稀に見かけるのが、手首を横線で切った、リスカの画像だった。


「また、この子。リスカしちゃってるわ」

 溜息交じりでそう呟いたのは、佐野真優美さのまゆみ。僕の隣で不機嫌そうな顔をしていた。

「どんな神経してんだろ。自分で切った傷跡の画像載せるなんて。不愉快だな」

 僕がそう言うと、真優美は首を振った。

「確かにそうだけど、この子にとってはこれで落ち着くの。心配しないで、死にはしないから」

 解ってる様に僕を遠巻きにした後、スマホをいじり、暫くはその場に居たままで動かなかった。恐らく、リスカをした相手に励ましの書き込みか何かをしているのだろう。僕には関係ないが、真優美を見ていると時々呆れてしまう事もある。そんなに人に干渉して楽しいか、という疑問だった。

 聞くと、彼女はいつもこう答えた。世の中にはね、干渉しなければ生きていけないほど繋がりたい人がたくさん居るの。反対に、他人との接触を一切無くして過ごしたい人も居る。

 どちらかがいいという事ではない、お互いに理解しなければ、と。

 じゃあ自分はどっちなんだ? と聞けば、さあね、としか返ってこなかった。

 彼女は優しくて、人の世話をするのは好きなんだろうと思う。僕の仕事での愚痴も、嫌な顔せず黙って聞いてくれる事も度々。だから、僕は彼女の事がいつの間にか好きになった。まだ、恋愛とまではいかなくとも。

「あんまり深追いするなよ。死なない、と言ったが、死なないからといって、していいわけではないのだからな」

「当たり前でしょ。だから止めるんじゃないの。自分の体を傷つけて何がいいのって思うでしょうけど、リスカは、してしまったらもう、止められない……気が高ぶって追い込まれた時、他にする手段もなくて、行動に出てしまうのは、リスカしか、ない……」

 僕は馬鹿げてる、と思った。気が高揚したなら、音楽を聴いたり絵を描いたり外へ出掛けたり、いわゆるストレス発散という奴だが、何故それができないのか。どうして自分の体を傷つける。自傷行為に走る。それってうつではないのか。

 後で知った事だが、真優美は、ブログのサービスでコミュニティという、公に向けた書き込み掲示板があり、分かり易く言えば公園みたいなものだが、そこで『鬱病のためのコミュニティ広場』、略して『鬱コミュ』というものを立ち上げた。そこでは不特定多数の、鬱に関して興味を持った者が集まってくるのだろう。真優美はコミュニティを立ち上げたオーナーとして管理していく。果たしてできるのか、と思っていた。

 だが僕は仕事で忙しく、ちょうど海外派遣会社とのトラブルで、頭を抱えていた時期だったのだ。ブログは、『HAPPY』だけではなく他にも知ってはいるが、利用した事は無く噂や仕事の関係で聞くだけだ。

 なので彼女がどういった経緯でブロフレと知り合い、何があったのかは、詳しくは知らなかった。たまに話を聞いていて、悩んでいる事が多いだろうなと気配を察してはいたが、彼女の口から相談を直接に受けた事はなく、やはり忙しいを口に出している僕だったからこそ気を遣って言わないでおいたのかもしれないと思うと、非常に心苦しかった。


 彼女は自殺した。

 遺書が、無かった。


 何処かにあるのではないか、と必死になって身の周りを探したが、出てこなかった。

 何故……僕だけでなく、彼女の家族もだ。考えても結局は分からない。何か、決断をするキッカケがあったはずだ、それを探せと執拗に粘るが、手から砂が落ちていく様に手がかりすら掴めなかった。部屋の机まわりも、ベッドにも、鞄やコートにも、何処にも。僕は落胆した。彼女の死を最初に確認したのは僕だった。その死に様は思い出したくないので語らない。

 彼女の親族と僕、妻も連れてお通夜を済まし、葬式について段取りを聞いた後、次週の日曜までにはと彼女の周辺を探していたが一度は諦めて、日曜、葬式の日に、彼女の従姉妹である直美さんから、スマホを受け取った。

 これは、段取りを聞いていた日に約束された物だった。どうかスマホを貸してほしい――理由は、話す前に直美さんから言い出した。

「真優が自殺だなんて。あたしには信じられない。そんな事をする人じゃない。真優は絶対に」

 言って聞かない子どもの様に直美さんは口を尖らせて言った。僕もそう思います、と返事をした。

「彼女は、献身的でした。死にたがる子を何とかしようと頑張ってました。深追いするなと忠告はしてましたが、彼女は頑固で、真っ直ぐで正直で。でも……悩んでいた様子も、確かにありました。僕自身、彼女には頼ってばかりでしたから、愚痴を言われてもたいして気の利かない返答ばかりをしていた気がします」

 直美さんが提案したのだ。

「頼みがあるの。聞いて下さいませんか」

「何でしょう?」

「真優が生前に使ってた、スマホですけど。貴男にお貸ししますから、何か手がかりが無いか、探ってほしいのです」

 それが、願ってやまないお願いだったとは、直美さんは気がついていただろうか。僕はチャンスだ、と思って頷いていた。

「直美さん」「はい」

「ひょっとして直美さんも疑ってらっしゃるんですね。真優美さんが自殺したのが、ブログのせいじゃないか、って」

 僕のこの追求は、当たっていた。

「そうです。やはり貴男も。いえ、まだ周辺を片づけてないから結論を出すには早いのですけど、たぶんそうじゃないかって。最近、ますます真優がブログにハマっていってる様に思えたんです。片時もスマホから離れてない様に。だから、そこで何かあったんじゃないかって、真っ先に思ったんですよね……」

「そうでしたか……」

「周辺を探してはみます。でも、期待はしていない。確信に近いものです。真優は、ブログの誰かに殺されたんだ、って」

「殺された……」

「分からないけれど、あたしの中ではそう確信しています。まだこれから遺体の検証で色々と分かってくるんでしょうけど、きっと他殺ではなく自殺で決着ついちゃうんだわ。遺書も無いっていうのにね。それだと真優が浮かばれないと思うの。あたしは、原因を作った奴がもし本当に居るのだとしたら、絶対に許さない。絶対に」

 その時、直美さんの目から涙がこぼれた。ハンカチを取り出して直美さんは鼻をすする。さっきまで手を繋いでいた3歳くらいの子どもが意味も分からぬ顔で僕と直美さんを交互に見て首を傾げていた。直美さんの子どもだった。

「分かりました。今度、お借りして探ってみます。実は、直美さんから聞く前に僕の方からお願いしてみるつもりだったんです。スマホを解約してしまう前に早くと思って」

「お願いします。自分で探してもいいんですが、あいにく機器には疎くて。ブログとか、テレビで皆がしているのは知ってたんですけど、それが具体的にどういうものかは全然。今度、スマホ買おうかなあ」

 僕は苦笑いして去る事にした。

「じゃ、今度の葬式の時にでも」

 足早に去る。

 何かが分かるはずだ、きっと。真優美、君のためにやってみる。

 僕の中で熱いものが込み上げていた。


 そんな経緯で、僕は真優美のスマホを手に入れる事ができた。あとは、どうするのか。決まってる、『HAPPY』ブログの会員としてログインし、真優美の事を調べるのだ。日記も読んで、他にもそうだな、立ち上げたコミュニティとやらでも様子を探りたい。それでできれば真優美を死に追いやった原因を見つけたい。だが、上手くいくのだろうか……僕は知人に相談してみる事にした。

 待ち合わせた喫茶店でパソコンを叩いていた知人を見つけ、近寄る。彼は徳永といって、IT関係には詳しい。ほとんどは企業秘密だとぬかして明かしてはくれないのだが。高校時代からの同級生で、友人だった。

「よお。久しぶりだな。元気してたか。だいぶ変わったな、お前」

 近寄って行くと眼鏡の奥からキラリと輝きが見えた。徳永は、ノートパソコンを閉じるとテーブルの端に寄せた。携帯端末らしきがパソコンに繋がっているが、それも一緒に横へどける。

「やつれた、ってよく言われるけど。仕事が詰まってたせいかな。それより、早速だが……」

 僕は席について早々に言いながら、徳永に真優美のスマホを鞄から出して見せて、渡した。女の子のバイトが注文を聞きに来たのでコーヒーを頼んだ。大筋の話は先にしてある。自殺した友人の事で、原因を探りたいから力を貸してほしいと。徳永は「そんな事言ったって」と迷ってはいたが、探せないと気が済まないんだという必死の願いのもと、何とか協力してくれる事になった。

「とは言っても、俺にできる事って何だよ。お前、何か企んでる?」

 唐突に徳永は聞いてきた。僕は何でもない風にあしらった。

「別に何も。何でそう思う」

「だってさ、彼女に起こった事を知りたいってんならさ。彼女と同じ様にブログの会員になって、親しい連中にでも事情を話して聞いたらいいだろう。この、彼女の端末じゃなくてもさ。それが普通じゃねえ?」

 いい所を指摘されて、僕は痛いよりも逆に嬉しかった。だから、僕は徳永にあるひとつの提案を持ち出した。

「だろうな。普通はそうだろう。しかしだな」

 腕組みをしてもったいぶっていると、注文したコーヒーが運ばれてきた。少し間を置いた後、僕は静かに話を切り出す。

「聞いてくれ。彼女の……真優美のスマホが手に入ったのは、これは、偶然だったんだ。チャンスだったんだ」

「と、いうと?」

「僕から頼んだわけじゃない。真優美の従姉妹からの依頼だ。恐らく従姉妹さんは、スマホもブログというものも、ろくに知らない。知らないから、僕にこれを託したんだ。従姉妹さんも僕も願いはひとつ。真優美の死の原因を突き止める事。僕も、原因はこの中にあると睨んでる」

 本当を言うと、直美さんが言い出さなくてもダメ元でスマホを借りれる様に頼んでみようと目論んではいたが。黙っておいた。

「考えてもみろ。仮に原因が本当にこの中に存在したとする」

 さっきから言う『この中』とは、まだ握っている徳永の手の中のスマホを指している。ブログの事だった。

「死の関係者が、簡単に口を割ると思うか? ……隠すだろ」

 それは悲しい事だった。もし関係が無い人で同情してくれる人だったなら、積極的に協力してくれるかもしれない。だが、現実、人は自分の立場が悪くなると嘘をつく。保身が働き、隠れようとするものだ。僕は仕事でもプライベートでも多くの人をこれまで見てきた。酷いものなら、おとしめようともする。たかが自分を守るためにだ。

「だから考えた。僕が、真優美に成り代われば、と」

 徳永が飲みかけていたコーヒーの手を止めた。そして僕の真意を汲み取ったのか、低い声で確認する。

「……本気か? つまり、ええっと、本人に成りすまし?」

 僕は頷く。徳永は呆れたという顔で背を反った。

「それって難しいと思うぜ。過ごした時も性別も価値観も違う人間になろうってんだからさ。結構無理がある」

「ダメか」

「至難だと言ってるんだ。ただの変人ってバレて、かえって善意ですら近寄って来なくなるぜ。下手すりゃ通報されかねない。犯罪者になっちまう」

「そうか」

「あのよ、そりゃあな、他人から見りゃ本人の真意なんてものは知り得るわけがない。だから、本人の所で、そうだな。非公開の日記とかをもし見つけて読めば、真実に一歩も二歩も近づく事はできるかもな。だけど」

 徳永はスマホを手元で触りながら、深く溜息をついて、言った。

「原則として、本人以外はログインできない」

「ああ……」

「メールアドレスは知ってたらいいけど。大概、ログインするのに必要なのはメアドと、パスワードだ」

 そこまで言って、徳永は何故かニヤリと笑っていた。そして僕を一瞥して、何か言いたげな顔をする。僕はただ頷いて徳永の言葉を待っていた。

「そのために俺を呼んだんだろ? 実は」

 また頷く。察しがいいのは分かっていた。徳永とは、昔からよくこんな感じで気が合った。今でもそれは変わっていない事に安堵する。

「さーてね。どうしましょかね」

「頼む」

「ちょちょいの、ちょい」

 変な呪文を唱え出し、徳永はパソコンを引き寄せて、繋いであった端末を引き抜いてから、持っていた真優美のスマホを繋げた。そして何事かを始めると、数分も経たぬ内に僕あてに書いたメモを渡した。「それがパスワード。メアドはいいな?」「えっ、もう分かったのか?」「難なく」

 やけにあっさりとしていたので、度肝を抜かれたなと頭を掻いた。メモには確かに、ログインするために必要であるパスワード、それっぽい数字と記号とアルファベットの羅列の並んだものが書かれていた。なるほど、やはりその道に長けてる者は長けているんだなと、しきりに感心した。


「幸運を祈っているよ。協力はする。人が死んでるんだもんな……お前の、コレが」

 わざとらしく小指を立てた。僕は首を振る。真優美とは、そんな間柄では無かった。

 ……まだだった。

「ありがとう徳永。頼りにする。電話するよ」

 僕と徳永は会計を済ませて店を出た。出て直ぐにタクシーを呼び、僕だけが乗り込んだ。僕はこれからまだ仕事が残っている。本来なら、時間的な余裕の無い人間なのだった。

 またな、と言い残してタクシーは道路へ向かった。徳永は手を暫く振ってくれていたが、やがて背を向けて遠ざかって行った。



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