第一話
――世界は理不尽だ。
[ターゲットNo.01、確保しました]
[よし、お前はNo.01を連れて行け……No.02はこのガキか?]
[ああ、間違いない。確かにこいつだ。情報通りだな]
全身が機械で出来ているような……いや、実際に機械で出来ている『機界兵』と呼ばれる三体の兵士の内の一体が床に倒れていた何かを担ぎながら発した、スピーカーから発せられたようなくぐもった声。その声に反応した一体の兵士がコクリと頷いた後確認するように呟いた言葉に、もう一体の兵士が左腕が展開して現れたモニターを見て肯定の返事を返し、自身の前を見やる。
三体の前にいるのは少年だった。歳は十五、六歳だろうか、それでいて幼さが残る顔立ちをしていて、少女に見えないこともない。逆に首まである銀髪がもう少し長ければ、少女にしか見えなかっただろう。
そんな少女のような少年が、腰を抜かして床に尻餅をついていた。
少年の顔は困惑に染まっている。原因は言うまでもない。目の前の機界兵と、その機界兵が自身に向けている機関銃。そして――一体の機界兵に担がれて連れ去られていく、大量の血を流しながらぐったりとして動かない母。
どうしてこうなったのかを考えて、現実から目を背けることも出来ない。何故ならば少年は、一部始終を自分自身の目で見てしまったからだ。
母より先にベッドに入り、眠りにつこうと部屋に行こうとした瞬間に、家の玄関を蹴破って現れた三体の機界兵を。
その機界兵が携帯していた機関銃から放たれた何発もの銃弾に、身を貫かれていく母を。
痛みに顔を苦痛に染めることもなく、訳が分からぬまま死んでいった母の顔を。
少年は見てしまった。命が散る瞬間を。手で花を握り潰すかのように、容易く命が散る瞬間を。
「――え?」
少年の口から漏れ出るかのように言葉が発せられる。だが、たった一言だけ。いや、一言と言っていいのかすら分からない短い言葉。今の少年では、それだけの言葉を発するだけしか出来ない。
腕は動かず、足も長時間正座をした後かのように動かない。
目は飛び込んでくる光景を直視しているものの、頭は、脳はその現実を認識しない。
銃口を向けられているというのに、恐怖も感じない。ただただ、母を連れ去った機界兵が出て行った玄関を見つめ続ける。
今の少年は――まるで人形のようだった。
[これで任務の半分は達成か……しかし、こんなガキがターゲットなのか? 俺にはさっぱり分からん。さっきの女だってただの女だったしな……というか殺しちまってよかったのか?]
[いいんだよ、分からなくて。俺たち下っ端は、ただお偉いさんの言うことに黙って従ってりゃいいのさ]
目の前の機界兵たちが何事かを話しているが、少年の耳には入ってこない。
今、少年の頭の中にあるのは、純粋な困惑、純粋な悲しみ、純粋な――殺意。
こいつらは何だ?
――機界帝国の、機界兵。
こいつらは何をした?
――母さんを殺して、連れ去った。
ならばどうする?
――殺す。
虚ろだった少年の瞳に、殺意と憎悪が宿る。どこまでも純粋な、殺意が。どこまでも純粋な、憎悪が。
少年の雰囲気が変わったことに気づかぬまま、機界兵たちは話を続ける。
[だけどよー、やっぱり気にならないか? このガキが何なのかよ]
[アホ。余計な詮索は止めとけ。でないと、首が飛ぶぜ?]
[げっ、そりゃ勘弁だ。俺ぁまだ死にたくねぇ]
[ハハッ、機界兵っつっても死ぬ時は死ぬから――]
表情がない能面のような顔で、おどけた調子で機界兵は言う。
そして、殺意と憎悪に身を任せた少年が脚に力を込め、機界兵に飛びかかろうとした瞬間――
[――な?]
――機界兵の首が飛んだ。
「え……?」
[は……?]
少年と機界兵の声が重なる。二人が呆けている間に、先程までおどけていた機界兵の首は宙を舞い、少年の前に落ちる。それに伴い、首を失った機界兵の身体が前のめりに倒れる。
そして、少年の視線の先……機界兵が倒れた先には。
「……」
身に着けているのは赤いジャケットに赤いスカート、赤いブーツ。
背中が隠れるくらいにまで伸ばした赤髪に赤い瞳、首に巻いた赤いマフラー。
振り切られた右手には、赤い刀身の片刃剣。腰には片刃剣を納めるための物と考えられる赤い鞘。
全身を血で染めたのかというぐらい、赤い少女が立っていた。
[なっ……てめぇ、まさか――くっ!]
放心状態から復活した機界兵が、少女に向けた機関銃の引き金を引く。放たれた弾丸は少女の身を貫き、蹂躙するかに思われた。
が、少女は訪れるはずの未来を凌駕する。
「――術式解放。加速」
[ッ……な――ろぉ!]
機界兵に届いたのは銃弾に身を貫かれる少女の悲鳴ではなく、感情の起伏がまったく感じ取れない、少女の冷淡な声。そしてその声は、機界兵の背後から聞こえた。
機界兵は咄嗟に振り返り、機関銃の銃身で少女に殴りかかろうと機関銃を持った右手を振りかぶる。
「術式解放。炎刃」
[ぐぉっ……!?]
だがしかし。刀身に赤い炎を纏った片刃剣によって、機界兵の右腕は何の抵抗もなく斬り飛ばされる。
斬り飛ばした右腕に目をくれることもなく、片刃剣を両手で持ち高く振りかぶる少女を見て、機界兵は忌々しげに少女を睨みつけ。
[【血濡れの猫】に出くわすなんざ、聞いてねぇぞ……!]
「――さようなら」
その言葉と共に振り下ろされた炎刃は、容赦なく機界兵を切り裂いた。
真っ二つとなった機界兵を数秒見つめ、動かないことを確認した少女は片刃剣をヒュンヒュンと左右に振った後、腰に提げた鞘へと納める。
圧倒的。そうとしか言いようがなかった。二体の機界兵を歯牙にもかけず、瞬く間に葬った少女に、少年は目を奪われていた。いや、正確には少女の顔に、だ。
……何を、考えているんだろう。
少女の顔からは、何も読み取れなかった。喜びも悲しみも怒りも殺意も。あらゆる感情が元々なかったかのように、抜け落ちている。初対面である少年がそう感じてしまうほどの、無表情。この顔こそが能面と言うのではないだろうか――少年はそうとまで思っていた。
だが、少年は少女のことを――この世界の何よりも美しいと思った。
「……あなた」
「……え、あ……な、なんですか?」
突然少女に声を掛けられたことに、少年は少し驚く。目の前の少女は自身とは別世界の住人のように思えて、声を掛けてくるなどと思っていなかったからだ。
少年の心境など気にも留めずに、少女は背後に振り返り。
「あそこの血。一体誰の血?」
少女の視線の先には、大量の血が広がっている床。少年の母の血だ。
床に広がっている血を見ると、もう向ける相手はいないと言うのに、胸の奥底から再び殺意と憎悪が湧き上がって来る。それを表情に出さない様に必死に抑えながら、少年は少女の疑問に答えるべく言葉を探すが、自身の心の整理がつかない。
――機界兵が憎い。奴らを殺せ。
頭の中に誰とも知れない声が響く。
……違う、今はそんなことを考えている場合ではない。だが、頭の中では分かっているのに、心がそれを受け付けない。心の中で暴れまわる感情を抑え切れない。
「――そう。あなたも私と同じなのね」
「……え?」
突然、少女は全てを悟ったかのような声を漏らす。
少女の言葉の意味が分からず少年が呆けた声を出すが、気にせずに少女は続ける。
「奴らが憎くて堪らない。憎悪の感情が抑え切れない……そうでしょう?」
「ッ……」
少年は声に出さずに驚く。そして少女を睨みつける、『何故分かった』と。
途端目つきが変わった少年を見ても、少女は表情一つ変えることなく。
「……」
「……?」
スッ――と。少年の前に手を差し伸べた。先程まで片刃剣を握っていた右手だ。
突然の行為に、少年は困惑するしかない。状況に付いて行けない。何が起きているのか、少女は何がしたいのか……ふと少年は、少女の目を見る。血のように真っ赤な瞳を。
そして、気付く。
「世界は理不尽。良い人程早く死んで、悪い奴程しぶとく生き残る。おかしいと思わない? 大切な人たちを殺した奴らがのうのうと生き延びて、今もこの世界に存在しているなんて……おかしいと思わない?」
少女の瞳には。
「機界帝国。あいつらが私の敵。そして、あなたの大切な人を奪った敵。今も尚、世界に悲しみを生む種を振り撒き続けている……敵。あんな奴らが我が物顔で蔓延る世界なんて、おかしいと思わない?」
少女の瞳には――
「おかしいと思うのならば、手を取って立ち上がって。理不尽に立ち向かって。あなたにはその資格がある、責任がある」
――少年と同じ、純粋な……どこまでも純粋な憎悪と殺意が宿っていた。
だけど。
「私と、【血濡れの猫】と――一緒に戦ってくれない?」
それでも、少女は美しかった。
――世界は理不尽だ。
――ならばどうする?
――立ち向かえ。
――理不尽に、立ち向かえ。
――理不尽を、世界を殺せ。