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嬉しかったことが思いつかない

作者: 冲田
掲載日:2025/11/12

「最近あった嬉しかったこと……かぁ……」

 私はそのお題を前に、うーんと頭をひねった。

 情報発信ブログの次回記事の担当になって、このテーマが与えられたのだ。

 そもそも、最近って、いつまでさかのぼっていいんだろうか。学生のころは“最近”と言ったら一週間以内、くらいの感覚でいたような気がするけど、社会人になって、もうしばらく。数年前のことも“最近”にカウントしてしまっている気がする。

 こういうテーマって、パッと思いつかないんだよなぁ。嬉しかったこと……うれしかったこと……




 ノートパソコンの前で、手を動かさずにぐるぐると頭だけを動かしていたからだろうか。どうやらうたた寝をしてしまったようで、つんつんと、軽く肩に触れるものに起こされた。


「ねえ、最近あった嬉しかったこと、教えて?」


 コレでつんつんと肩を触れたのであろう、人差し指を立てた手の形のまま、にこにこ笑顔の少年が、カフェの目の前の席に座っていた。


「そうだなぁ……。今ちょうどその事を考えてたんだけど……。まず、“最近”にひっかかっちゃってて……」

「最近っていったら、やっぱり今に近いほうがいいんじゃない? 例えば三日以内」

「それなら、ずっと狙ってた後輩くんに、ついに夕飯誘ってもらえた……とか。

 ──いやいや、そんなこと公的なブログには書けないわ」


「それ、一週間くらい前のことみたいだよ?」

 少年はズズっと、ジュースをストローで飲みながら言う。


「そんなに前だったかぁ。じゃあ、推しのライブチケットが当たった!」

「おいしいけど、さらに前の話じゃない」

「じゃあ、昨日! お菓子を開けたら、レアなハート型が入ってた!」

「ささやかだなぁ」

「いいの。そういうささやかなところにも、幸せを見つけていかないと……」


 そこで、ハッとした。だって、よくよく考えたら、初対面の子供となんの違和感もなく会話が始まってるの、おかしくない?


「きみ……何……誰?」

「あれ? 気になっちゃった?」

「うん、すごく気になる。だって色々おかしいよ、この状況。」

「なんにもおかしくない。だって、今あなたは、夢の中だもの」


 夢の、中……?

 そう言われると、そのような気もしてきた。

 カフェでノートパソコンを開く日もあるけど、このブログを書こうとしていたのは、就寝前の自分の部屋のはずだった。

 周囲をあらためて見わたすと、どこかぼやぼやしていたり、実際によく行くいくつかのカフェの、内装の雰囲気が混じっているように感じられた。


 少年に目を戻すと、彼はまたにこにこと、いたずらっぽい笑顔をつくる。


「僕はね、あなたの夢の中にちょっとお邪魔している、夢の世界の住人……。そのうちの、しがない一人です。

 夢の世界の住人っていうのはね。例えばほら、夢を見るときって、自分以外にも登場人物がでてくるでしょ? あれを演じてる人たちとか。他にも悪夢を食べてくれる(ばく)とか。

 僕は、“最近あった嬉しかったこと”を聞いてまわってるんだ。

 獏が悪夢を食べるように、僕は嬉しかった記憶を食べる。それが僕のごはんだからね。

 最近であればあるほど、その人にとって嬉しければ嬉しいほど、おいしいな」


「嬉しかった記憶を食べる?

 聞かれるままに答えてしまったけど、記憶が食べられてしまったら? 私、どうにかなっちゃうの?」


「特に(なん)にも変わらない。今まで通りだよ。今回は、僕に気づいちゃっただけのことだ。

 夢って、目が覚めたとたんに忘れちゃうでしょう? それと一緒。

 僕が食べた分は、あなたにとってみれば夢の中へと消えて無くなっちゃってるだけ。だから、現実にあった出来事がなくなるわけじゃない。

 けれど、嬉しかった気持ちは思い出せなくなっちゃう。

 最近嬉しいことあった? と聞かれても、しばらくは何も思いつかなくなるかもね。

 嬉しかったことなんて、なーんにもなかったなって。新しく嬉しいことが起こるまではさ。


 でもさ? 最近嬉しかったことあった? って聞かれて思いつかないことなんて、よくあることでしょ?

 だから、特に何にも変わらない。今まで通りだよ。


 この僕の話も、目が覚めたらきっと忘れちゃうよ。だから、こんなにペラペラとネタばらししてんの。

 じゃ、ごちそうさまでした」




 ん……? ハッ! あ、ヤバい。寝ちゃってた! ブログの記事、今夜中に書かないといけないのに!

 さて、と。“最近あった嬉しかったこと”かあ……。最近、嬉しかったことなんて 何にもないなぁ。

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