第14話:先輩
翌日の朝、事務所の廊下で副隊長と鉢合わせ、そのまま集合場所の訓練場へ向かうと、すでに滝野さんが待っていた。
ベンチに座り、脛当てのような装備を整えていたが、こちらに気付くとすぐに立ち上がり副隊長へ敬礼する。
「副隊長、おはようございます。藍沢さんとは初めましてですね。私は滝野 梨子、入隊して三年目です。よろしくお願いします」
「はっ、はい……!こちらこそよろしくお願いします!」
滝野さんは、丁寧な言葉遣いときびきびした動作が印象的で、いかにも優等生タイプに見えた。
学生時代は委員長や生徒会長を務めていそうだ、とつい想像してしまう。
「副隊長、本日の訓練はどのような内容でしょうか?」
「ん?そうだな……滝野には藍沢の相手をしてもらうか。決まった相手とばかり手合わせしていたら、変なクセが付きかねないしな。その後の内容は、その場で考えるよ」
「……副隊長。私が今日参加することは一週間以上前から決まっていたのですから、訓練内容は事前に考えておくべきでは。上に立つ者が場当たり的では下の者が――」
「あー、分かった分かった!悪い、正直に言うと昨日まで忘れてたんだ。次からはちゃんと考えるから、今回は勘弁してくれ」
「わ、忘れてたって……」
ここでさらに言葉を重ねてくるのかと思いきや、滝野さんは石のように固まった。
副隊長は気にする様子もなく、滝野さんに聞こえない声量で私にひそひそと話しかける。
「……もう分かったと思うが、滝野は隊長以上の堅物でな。色々と融通が効かないところもあるが、悪いが仲良くしてやってくれ」
「は、はい……」
ちらりと滝野さんを見ると、固まったままの表情は怒りや呆れではなく、戸惑いや哀しみに近いものに見えた。
副隊長に忘れられていたことが、よほどショックだったのだろう。
その後、私たちは訓練場の一角――いつも副隊長と手合わせをしている模擬戦用のスペースへと移動した。
地面には既に幾度もの訓練の跡が残っていて、そこに立つだけで自然と気が引き締まる。
滝野さんも無言のまま、きびきびと準備を整えていた。
◇ ◇ ◇
「よし、それじゃあ二人とも準備はいいか?ルールは簡単。相手に『参った』と言わせるか、もしくは私が決着と判断したら終了だ」
「私はいつでも始めていただいて構いません」
「わ、私も大丈夫です!」
少し距離を取って滝野さんと向かい合う。武器は持たず、体術のみでの手合わせだ。
相手は二年上の先輩ではあるが、こちらも副隊長や隊長に鍛えてもらっているのだ。少しは善戦できるかもしれない。
同期以外の年代が近い人と手合わせするのは初めてで、これまでの成果を出すべく、いつも以上に気合が入る。
そして、手合わせ開始の合図と同時に――。
「――ッ!!?」
「遅いです」
視界が揺らいだ。
ほんの一瞬、目の端に残像を見たと思ったら、滝野さんの影がもう目の前に迫っている。
反射で両腕を頭の横に構えた、その直後――。
ドンッ!!
強烈な衝撃が腕を突き抜け、体ごと宙に浮かされた。
床に叩きつけられる感覚と同時に、肺から息が漏れ出す。
「終わりだ!!滝野、いきなり飛ばしすぎだぞ!」
「すみません、大丈夫ですか?」
ぐらりと揺れる視界の中で、私は必死に状況を理解しようとする。
今の一撃、ほとんど副隊長と同じ速さだった。
「悪い、藍沢。先に伝えておくべきだったな。滝野は私と同じく身体強化に特化しているタイプで、若手ながら体術は部隊内でも上位だ」
「……なるほどです……」
昨日、滝野さんも個別訓練を受けていると聞いていたのに、すっかり頭から抜け落ちていた。
滝野さんの動きが副隊長と似ているのも納得だ。副隊長と違って寸止めをしてくれない分、これはいつも以上に気を引き締めなければならない相手だ。
「もう一度お願いします!」
「滝野、次はあまり怪我させるなよ。……それじゃ、始め!!」
再び合図。
地面を蹴る音と同時に、滝野さんが視界から消えた。
一瞬後には拳が眼前へ迫る。皮膚が粟立つほどの速さだ。
「ッッ!」
身体をひねり、紙一重で避ける。頬に風が切り込む。
休む間もなく、反対の足がうなりを上げて飛んできた。
咄嗟に右腕で受け止めるが、痺れが骨まで突き抜け、思わず数歩後退する。
目の前の滝野さんは、呼吸すら乱さず連撃を繰り出してくる。
打ち込まれる拳を捌きながら、額を伝う汗がぽたぽたと地面を濡らした。
「副隊長に習っている割には――まだこの程度ですか」
「えっ……?」
「構えてください。ここから速度を上げます」
滝野さんが呟いた言葉の意味を考える余裕はなかった。
その後も必死に防御に徹しているうちに体力は削られ、最後はよろけて転びかけたところで、副隊長が終了を告げる。
「そこまでだ。藍沢も新人とは思えない動きをするようになったが……やっぱり滝野には敵わないな」
「当然です。そんなに簡単に追いつかれては困ります」
胸を張る滝野さんに、副隊長が苦笑する。
「よし、藍沢は一旦休憩だ。次は私と滝野でやる。端で見ていろ」
「は、はい!」
肩で息をする私に休憩を告げると、副隊長は滝野さんの正面に立った。
すると滝野さんはベンチに置かれていた手甲を取り上げ、それを手際よく装着する。
誰のものか気になっていたが、まさかあれが滝野さんの武器だったとは。
鉄製の手甲は、打撃に十分すぎるほどの威力を与えそうだった。
「じゃ、始めるか」
「はい。よろしくお願いします」
構える滝野さんに対し、副隊長は相変わらず素手のままだ。
最初に動いたのは滝野さん。地を蹴る音と同時に、副隊長の顔面めがけて拳を突き出す。
それが避けられると見るや、即座に反対の拳を振るう。だがそれも軽く躱され、攻撃は空を切った。
その後も矢継ぎ早に攻撃を仕掛けるが、副隊長はすべてを防ぎ切る。目で追うだけでも大変な速度なのに、二人の攻防は延々と続いた。
「久しぶりだからか、今日は随分と激しいわね」
「!」
振り向けば、そこには隊長が立っていた。手には外出用の鞄。
出かける前に立ち寄ったのだろう。
「隊長、お疲れ様です!」
「お疲れさま。藍沢さんは見学中?」
「はい。さっきまでは滝野さんと手合わせしていたんですが……手も足も出なくて」
「滝野さんは実力者で、何事にも手を抜かないからね。怪我はしていない?」
「少し擦りむいたくらいで、大丈夫です」
「そう、良かったわ」
にこりと微笑む隊長に、頬が少し熱くなる。
「ところで……藍沢さんは、副隊長の魔力特性については聞いたことある?」
「魔力特性…ですか?」
「どうやらまだみたいね」
隊長は説明を続ける。
「見ての通り、副隊長は武器を持たない。手加減してるわけじゃなくて、そもそも必要がないのよ。彼女の魔力は珍しいタイプで、身体の一部を硬化することができるの。その硬化した部位だけで攻防が成立するから、武器なんて要らない。もともと格闘術も得意だから、肉弾戦ではほとんど敵無しね」
「そんな特性があるんですね……!」
「ええ。だから特対局の中でも肉弾戦で副隊長に勝てる人はほとんどいないわ」
説明を聞き終え、息を呑みながら状況に視線を戻す。
副隊長は滝野さんの攻撃を的確に受け流し、その動きは目が離せないほど鮮やかだった。
やがて戦いは佳境に入る。体力を削られた滝野さんが最後の力を振り絞り、猛攻を仕掛けた。
連撃の末、拳が副隊長の目前に迫った――その瞬間。
ガンッ!
手甲が副隊長の掌に叩きつけられる。だが副隊長は微動だにせず、痛みの色も見せない。
そして片手で拳を押さえたまま、もう一方の手を中指で構えると、滝野さんの額へ――。
「こっ、降参ですッ!!」
中指が弾かれる寸前に滝野さんが叫び、勝負は決した。
私は思わず拍手を送る。迫力満点の戦いに、体が熱を帯びる。
「持久力は十分だが、攻撃が単調だな。押すだけじゃなく、一度引く工夫も覚えろ」
「はい、ありがとうございます!」
「隊長。見ていたのなら隊長からも何かあれば言ってやってくれ」
「そうね……。滝野さんが副隊長に憧れているのはよく分かるけど、そろそろ自分のスタイルを模索してみてもいいんじゃないかしら」
「なっ……!べ、別に憧れてなんかいません!」
「おいおい、そんな全力否定されると傷つくぞ」
顔を真っ赤にした滝野さんは取り乱したまま「水を飲んできます!」と立ち去ってしまった。
「副隊長に憧れて第七部隊に来ただけあって、滝野さんの情熱は大したものね」
「小言も多いけどな。雛鳥みたいで可愛いもんだ」
「小言を言わせる原因は、副隊長にあると思うけど?」
隊長は苦笑しながら、そっと鞄を手に取った。
「それじゃ私は行くわね。藍沢さん、引き続き頑張って」
「はい!」
去っていく隊長を見送ると、副隊長がこちらへ向き直った。
「藍沢、もう休めたか?大丈夫なら、滝野が戻るまで私と手合わせするぞ」
「はい!よろしくお願いします!」
私は深く息を吸い込み、気持ちを切り替えて副隊長の前に立った。