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8月と散華  作者: 更科
8/8

7 例えば、

俺は家を出た。



手には、あの古い作業日誌と、新崎煙火工業の銘板が刻まれた筒の写真を握りしめている。

向かう先は、新崎煙火工業。父を、そして彩花を奪った真実の鍵を握る場所。

俺は、この手で、すべての罪を暴き出すことを誓った。


父は、俺が家を出ることを知っていたのだろうか。

工房の扉の隙間から、俺の背中をじっと見つめているような気がした。

しかし、俺は振り返らなかった。あの父の背中、あの花火への執着が、俺の怒りをさらに燃え上がらせていたからだ。


新崎煙火工業は、町から電車で一時間ほどの、海沿いの工業地帯にあった。駅から会社へと続く道は、大型トラックが行き交い、潮風に混じって、様々な金属や油の匂いが漂ってくる。北煙火店の、火薬の匂いが薄く漂う、どこか牧歌的な雰囲気とは全く違う、巨大で無機質な場所だった。


会社の敷地は、高い塀と厳重な警備で固められていた。正門には警備員が立ち、大型のトラックが出入りするたびに、ゲートが重々しい音を立てて開閉する。俺は、その光景を遠巻きに眺め、自分の行動の無謀さを痛感した。


こんな場所に、俺一人が乗り込んで、どうにかなる問題ではない。もし、彼らが事故の真相を隠蔽しようとしているなら、俺のような何の力もない若者が立ち向かっても、簡単に潰されてしまうだろう。

最悪の場合、証拠を奪われ、逆に俺自身が追い詰められる可能性すらあった。


俺は、無力だった。

彩花を、父を、そしてこの町の未来を守ることができなかった。そして今、真実を追うことさえも、俺にはできない。


「くそっ……!」


俺は、手に持った紙片を強く握りしめた。

皺くちゃになった作業日誌が、俺の無念を嘲笑っているかのようだ。この怒りを、この悲しみを、一体どこにぶつければいいんだ。僕の頭の中は、混沌としていた。


気づけば徐々に、空が白くなっていた。夜明け。

夏は日の出が早い。そういえば、昨日から寝てないことを思い出し、一気に眠気が襲った。

最初に降りた町外れの無人駅で、自然と眠りについた。 

あの事故があってから、家でぐっすりと眠ることはなかったので、誰もいない場所で変に考えを巡らせることはなかったのだろう。




「起きて!」


眠い目をこすりながら、目を覚ます。誰かに呼ばれたような気がした。


「海に行こう!」


それはいつも突然だった。いきなり、行きたい場所があればそこへ連れて行かれる。日の出を見に行こう!だったり、おいしいお店がある!と自慢気に手を引かれたり、花火を見に行こうと言われたり。

それが、今回は海だった。


「なんで海なんだよ」 

「んー、なんとなく!」

「なんかする?釣りとか、あ、泳ぐ?」

「なんもしない!」

「あ、そーですか、」

「うん!」


何気ない会話だ。俺たちはいつもこうだった。いつも彩花は明るくて、俺はただそのペースに飲まれていただけ。今回は何をするわけでもなく海に行くらしい。

まぁ、海を見たいといきなり思うことはある。

電車に乗って海へと向かう。主要駅から地方の少し寂れた路線に切り替えて、1時間ほど。その電車の中でも、何かと話していた。


「そういえば、課題全然終わってないよ〜」

「またかよ」

「ゆうすけはおわってんの?」

「おわったよ」

「えー!はや!」

「いや、もう夏休み終わりだろ」


高校生の時だ。このときは何でも楽しかった。


「ねぇ、みてみて!」


彩花が電車の窓を指さす。海だ。

太陽の光に反射して、波とともにキラキラと光っている。目の前に広がる水平線が当時の俺たちには嬉しかった。


海に近い無人の駅に降りて、早歩きで砂浜へと向かう。太陽が照りつけ、夏を感じさせた。

お昼頃だろうか、日光で肌が痛い。ゆらゆらと景色が揺れていて、当時の暑さを視覚で感じる。

彩花が手招きして、こちらに何か喋っている。

聞こえない。白く光る砂浜と海が眩しくて、うまく彩花を、見ることができなくなってきた。

暑い、太陽が。揺らぐ、視線が。光る、景色が。


「っ…、」




うだる暑さで目が覚めた。肌に汗が滲んで、蝉の声が邪魔くさい。

妙にリアルな夢だった。スマホの電源をつけ時間を確認する。お昼前。


俺は家に帰った。




その日の夕方、インターホンの音が、俺の静寂を破った。俺は、玄関には出ず、二階の部屋から、玄関を覗き込む。来訪者は俺が予想していた警察やメディアの人間とは少し違った。年の頃は二十代後半だろうか。背筋をピンと伸ばし、黒いパンツスーツを着こなした女性が、玄関の前で、しきりに携帯電話を眺めている。手には、真新しいノートと、ペンが握られていた。


俺は、ため息をつき、インターホン越しに声をかけた。

「どちら様ですか」

俺の声は、低く、警戒心に満ちていた。ここ数日、父の代わりに何度も追い払った報道関係者と同じだろう。彼らの好奇の視線、無責任な言葉、そして俺の心をえぐるような質問に、俺はもううんざりしていた。


「すいません、私、フリージャーナリストの早坂真琴と申します。北さんにお話が聞きたくて」


女性の声は、落ち着いていて、どこか知的な響きを持っていた。しかし、その声すらも、俺にとっては煩わしい雑音でしかなかった。


「お話なんてありません。帰ってください」


俺は、言葉を切り捨てるように言った。彼女は、それでも諦めようとしなかった。


「北煙火店の事故について、私は独自に取材を進めています。警察や大手メディアが報じない、ある疑惑を追っているんです」

「疑惑? そんなもの、ありません。すべてはうちの責任です。帰ってください!」


俺は、自分の心の中の痛みを、わざと荒々しい言葉で覆い隠した。彼女に、俺の心の奥底を覗かせてなるものか。だが、彼女は引き下がらない。


「あなたはそう思っているようですね。でも、私はそうは思いません。あの事故の背景には、北煙火店だけでは説明がつかない不審な点があります」


彼女は、少し間を置いて、俺の心臓を鷲掴みにするような、ある言葉を口にした。


「例えば、新崎煙火工業の存在とか」


その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が、ドクンと大きく脈打った。


俺の中で、警戒心と、微かな希望がせめぎ合った。この女は、一体何者だ? そして、なぜ「新崎煙火工業」という名前を知っている? 俺が、血眼になって探し、ようやく見つけ出した、あの闇の核心に繋がる名前を。


僕は、インターホンに手を伸ばし、もう一度、絞り出すような声で尋ねた。


「……何の用だ」


俺の声は、先ほどとは打って変わって、微かに震えていた。彼女は、その声に、俺が興味を持ったことを確信したように、ゆっくりと、しかしはっきりと答えた。


「話は、玄関先ではできません。……中に入れてくれませんか? あなたが見つけ出したものと、私が掴んだ情報。それを合わせれば、きっと、あの事故の真実が明らかになります」


俺の頭の中で、あの日の、あのメモが、そして新崎煙火工業の銘板が、フラッシュバックする。彼女の言葉は、まるで俺が探し求めていたパズルの最後のピースだった。

彼女は、敵か、味方か。それはまだ分からない。しかし、俺は、このチャンスを逃してはならないと、直感的に悟った。


俺は、重い足取りで階段を降り、玄関の鍵を開けた。

読んでいただきありがとうございます。

最近雨が凄かったですね。近くの川が氾濫して、80cmの浸水もありました。何とか水も引いてくれて良かったです。

また、次話もよろしくお願いします。

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