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8月と散華  作者: 更科
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4 真実

彩花の葬儀は、雨が降る中で執り行われた。

しとしとと降り続く雨粒は、俺の頬を伝う涙と混じり合い、地面に吸い込まれていく。弔問に訪れた人々は、皆一様に沈痛な面持ちで、俺や親父、彩花の両親に言葉をかけていく。しかし、その言葉のどれもが、俺の心には届かなかった。ただ、遠くで聞こえる囁き声が、まるで俺を責めるかのように、耳の奥でこだましていた。


『北煙火店の……』

『あの花火の事故で……』


そんな断片的な言葉が、俺の神経をじりじりと焼く。

俺は、喪主席に座る彩花の母親の、やつれた顔を見つめることしかできなかった。彼女の目は、俺に向けられるたびに、俺の胸をナイフでえぐり取るような痛みを伴った。俺が、あの時、彩花の手を離さなければ。俺が、あの場所で、彼女を守れていれば。

そんな後悔が、潮のように押し寄せては引いていく。


彩花の遺影は、生前の彼女と同じ、花が綻ぶような笑顔を浮かべていた。

しかし、その笑顔は、もう二度と俺の目の前で輝くことはない。




ある夏の日、彩花と二人で海に行った。

照りつける太陽の下、波打ち際で無邪気にはしゃぐ彼女の姿は、まるで人魚のようだった。砂浜に座り、貝殻を拾い集めていると、彩花が俺の隣に座って、拾った小さな巻貝を差し出した。


「ゆうくん、これ見て!花火みたいに、くるくるってなってる!」


彼女の掌の上で、確かに小さな巻貝が、夜空に咲く花火のように見えた。俺は思わず笑って、「綺麗だな」と呟いた。


「ね、夏の思い出、たくさん作ろうね!来年も、再来年も、ずっとずっと、ゆうくんと一緒だよ」


彼女はそう言って、俺の腕にそっと頭を乗せた。

俺の耳には、波の音と、彼女の規則正しい寝息だけが聞こえていた。

この時間が永遠に続けばいいのに、と心から願った。




葬儀が終わっても、俺の心は鉛のように重いままだった。家に戻ると、そこには新聞社やテレビ局からの中傷じみた報道が、まだ貼られていた。父の煙火店は、もう誰も訪れることのない廃墟と化していた。


『北煙火店、業務停止命令。創業以来の危機か』


『遺族、北煙火店を相手取り提訴の構え』


冷たい文字が並ぶ新聞記事。

テレビでは、連日、事故の検証番組が組まれ、専門家と称する人間たちが、あたかも真実を知っているかのように、北煙火店のずさんな管理体制や技術的な欠陥を指摘していた。

町を歩けば、人々が俺を見る視線が痛い。

同情と、好奇と、そしてかすかな非難の混じった視線。まるで、俺がこの惨劇を引き起こした張本人であるかのように。


俺は、部屋に閉じこもった。

食事は喉を通らず、眠ることもできなかった。瞼を閉じれば、あの夜の轟音と、黒煙に消える彩花の姿が鮮明にフラッシュバックする。ベッドの中で体を丸め、ただ息をするだけの毎日。生きていることが、こんなにも苦しいとは知らなかった。


ある夜、親父が俺の部屋を訪れた。

ノックする音すらも、重く響く。


「裕介、飯食ってるか? 少しは……」


親父の声は、以前の威厳を失い、ひどくかすれていた。俺は返事をしなかった。背中を向けたまま、布団の中に顔を埋める。


「お前も、辛いだろうが……」


親父の言葉に、俺の感情が爆発した。


「辛い? 何が辛いって言うんだよ! 親父には、彩花の気持ちが分かるのか!? 目の前で、大事な人間を失う気持ちが!?」


俺の声は、震えながらも、怒りに満ちていた。親父は、一瞬言葉に詰まった。


「あの花火は、親父が作ったんだ! 親父の……いや、俺たちの花火が、彩花を……! 親父は、それでも花火師でいるつもりか!?」


俺は、その言葉を吐き出すことで、自分の中の花火への憎悪を父にぶつけたかった。

俺の人生を奪った花火を、なぜ父は守ろうとするのか。

その問いが、俺の胸を締め付けた。


親父は、黙って俺の言葉を聞いていた。

その顔は、暗闇に沈んでいて、表情を読み取ることはできなかった。しかし、彼の肩が、微かに震えているのが分かった。 


「お前には、まだ、分からないだろうな……」


親父の声が、絞り出すように聞こえた。 


「花火師は、一度火薬を扱ったら、もう引き返せないんだ。この手は、もう花火から離れられない……」


その言葉に、俺の怒りはさらに募った。

何を言っているんだ、この人は。こんな状況で、まだ花火師としての矜持を守ろうとするのか。

俺は、父の頑なな態度を理解できなかった。いや、理解したくなかった。


「ふざけるな! じゃあ、彩花は!? 彩花はもう、引き返せないんだぞ!」


俺は叫び、壁を強く叩いた。

拳から痛みが走る。親父は、それ以上何も言わず、静かに部屋を出て行った。残されたのは、重苦しい沈黙と、俺自身の呼吸音だけだった。

俺達の間には、これまで以上に深い溝ができてしまった。




子供の頃、父の工房で花火作りの手伝いをしたことがある。


火薬の匂いが充満する薄暗い部屋で、父は黙々と作業を続けていた。その日、俺が誤って火薬をこぼしてしまい、父に厳しく叱られた。恐怖と怒りで、俺は工房を飛び出した。河川敷まで逃げ出し、一人で泣いていると、そこに彩花が駆けつけてきた。


「ゆうくん、どうしたの?!」


彩花は、俺の顔を見て心配そうに尋ねた。

俺は、父に叱られたこと、花火が怖いことを打ち明けた。すると彩花は、俺の手をそっと握り、河川敷の向こうに広がる夕焼けを指差した。


「でもね、ゆうくん。お父さんが作る花火、本当にすごいんだよ。あのね、去年の花火大会で、最後に打ち上がった、ハートの形の花火、あれ、私、すごく感動したの。きっと、お父さんの気持ちが込められてたんだなって」


彩花の言葉に、俺は驚いて顔を上げた。父が、そんな花火を作っていたなんて。そして、それを彩花が、俺が知る以上に深く感じ取っていたことに。

彼女の言葉は、幼い俺の中に、花火に対する新たな感情の種を蒔いた。それは、恐怖だけではない、何か温かいものだった。




父との会話の後、俺はいてもたってもいられなくなり、ふらふらと工房へと向かった。

埃をかぶった作業台には、使いかけの火薬や道具が散乱している。誰も手を付けていない、事故当時のままの光景。無造作に置かれた設計図、そして、父が愛用していた花火玉の型。 


全てが、俺の心に重くのしかかる。


その時、俺の視界の隅に、古びた木箱が目に入った。普段は父が鍵をかけているはずの、古文書などをしまってある箱だ。なぜか、その日は鍵が開いていた。


俺は、吸い寄せられるように箱に手を伸ばした。中には、古い帳簿や、父の手書きのメモなどがぎっしりと詰まっていた。

その中に、一枚の薄い紙を見つけた。 

それは、あの事故の花火の打ち上げ記録だった。花火玉の種類、火薬の配合、打ち上げ筒の管理記録。震える手でそれを広げると、ある一点に俺の目が釘付けになった。


そこには、事故のあった花火玉の製造ロット番号と、通常ではありえない「検査異常」の印が、赤く記されていた。しかし、その異常に対して、何の対応も施されていないことが、俺の目にはっきりと見て取れた。


俺は息を呑んだ。

これは、どういうことだ。父は、このことを知っていたのか? 知っていて、なぜ……?

脳裏に、あの日の彩花の笑顔が浮かんだ。来年も、その先も、ずっと一緒に花火を見れると思っていた未来。それが、こんな形で、俺の手から滑り落ちていったのか。


俺の手に握られた紙が、ぐしゃりと音を立てる。その紙片は、俺の中に、新たな感情を呼び起こした。 

それは、絶望だけではない、怒りと、そして真実を知りたいという、激しい衝動だった。この紙一枚が、俺をあの闇の中から引きずり出す、唯一の光になるかもしれない。


君は、もういない。

その事実は変わらない。けれど、この痛みと怒りを、どこかにぶつけなければ、俺は壊れてしまう。

俺は、この手で、彩花の笑顔を奪った花火の、そしてこの煙火店の、真実を暴くことを誓った。

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