プロローグ
それは始まりだった。
縁日の暖かい提灯が湿った夏の夜空に光を投げかけている。人々の熱気が湯気のように立ち昇り、祭りの喧騒が熱帯夜に溶けていた。
君がふと、俺の手を引いて言った。
「ねぇ、もっと前で見ようよ!」
その瞬間に何かが匂った。それは、甘く、どこか焦げ付くような、まるで遠い記憶の残りのような香りだった。
花火師の家で生まれた俺には、あの匂いが何かなど、すぐに分かったはずだった。それは火薬。しかし、祭りの喧騒と君の弾むような声にかき消され、忍び寄る影に気づいた時には、もう手遅れだった。
空に不意に打ち上がる閃光と轟音が、遠くからでも俺の心を揺さぶった。夜空に逆らうように、次々と花火が咲き乱れる。町中の人々が空を見上げ、その瞳を揺らし、割れんばかりの歓声が夜空を彩る花火を褒め称えた。それは確かに壮大な花火だった。
だが、その時、俺はまだこの祭りの熱狂が「風情」だとは心から思えなかった。どこか、自分とは切り離された、ただの音と光のショーのように感じていた。
そして、あの時、鼓動が響いた。
まるで地面を揺らす雷鳴のように。
それは、打ち上げに失敗した花火玉が地上で炸裂する音だった。
その音は次第に、祭りに来ていた人々の耳を抉り、歓声を悲鳴に変えた。1人、また1人と光に飲まれる人々。気がつけば俺だけが、その場に取り残されていた。
祭りの終わりを告げるようにすべての音が遠ざかり、静寂だけが残った。
君はまるで夜空を彩る一瞬の花火となった。
あの夜、俺の目の前で、眩い光を放ち、あっという間に散った。今でも目を閉じればあの時の君が、夜空に咲き乱れる大輪のように、脳裏に強く焼きついていた。
君は永遠に、あの夜の中に留まりたかったのだろうか。
あの夜から俺の夜は明けない。陽光が差し、空が白々と明るくなっても、俺の中ではあの夜祭の闇が続いている。
残された、あの夜の残り火だけが、俺の足元で静かに燃えている。俺はその残り火を見つめながら、それでも来ない「朝」を待っていた。
すべては、あの夜、君が俺の手を引いた。その瞬間から始まっていたのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。
夏の雰囲気っていいですよね。花火に焦点を当てた物語を作りたいと思っていました。あの一瞬の光が、ただ美しいだけでなく絶望や失望をも感じさせる素敵なものだと思っています。