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地上への洗礼

 『晴宮』は小さい国である。


 本土の周りを海で囲まれ、大陸から孤立した島の中にある国なのである。


 『晴宮』は中心に大きな都市があり、その周りに小さな村がぽつぽつとある程度の規模だ。とはいえ、世界にある島では一番大きく、歩いて一周するのに一年以上もかかる。


 その四分の一が、一人の忍によって破滅させられた。


「けっけ、けっけっけっけ!」


 特徴的な笑い声をあげ、弱った獲物を前に笑う里長。名も無き哀れな忍。そんな敵を睨みつけ、輪廻は紅葉を強く抱き締めた。


  輪廻は無力感に歯を強く食いしばった。


 とうに体は限界を迎え、今は紅葉を無理させないように抱えるので精一杯。しかし敵は無傷どころか、数百人の仲間を引連れて再び目の前に立ちはだかった。


「大丈夫やよ、輪廻。すぐに、うちの旦那が助けてくれるから」


 紅葉は輪廻の腕を握ってそう言うが、その手は小刻みに震えている。輪廻に言ったというよりは、自分に言い聞かせた要素が強い。

 

 不安に怯える愛する人を今一度抱き直し、輪廻は考える。


「どうする……こんな忍術を扱える敵を、どうやって……」


 敵は強大。数もいる。今の忍術で大勢の侍が死んだだろうから、加勢も見込めない。


 絶望的状況。どう考えても詰みだ。


「──諦めるな、少女よ」


 項垂れ始めた輪廻の頬を、暖かい風が撫でる。


 顔を上げると、目の前には凪紗が立っていた。堂々と輪廻と紅葉を守る門のように里長の前に立ちはだかる彼女は、左腕を亡くしていた。


「凪紗、ちゃん……腕……」

「斬り落とした。挟まって動けなくなったからな。それより紅葉、あなたの容態は?子供は無事か?」


 紅葉とは知り合いらしい凪紗は振り返らずにそう訊いてくる。紅葉は悔しそうに唇を噛みながらも、その問にしっかりと答える。


「うん、無事やよ。もうすぐ、産まれそうや」

「……そうか。灰呂の子か、──私も、見てみたかった」


 残った右手で刀を構え、凪紗は風を纏う。


「少女、輪廻と言ったか」

「……はい」

「紅葉を守れ。いいな?」

「……あなたは」

「ふん、気にするな。君のせいじゃない」


 風を踏み、宙を歩く凪紗。疾風が吹き荒れ、凪紗の鋭い眼光が里長を貫く。


「外道、今から貴様を斬る」

「あぁ、覚悟を決めたところ悪いが、お前も、誰もかも、もう出番はない」

「何?」


 里長は凪紗へ徒労であると告げ、ケラケラと笑い続ける。その行為を訝しむ輪廻達だったが、そのすぐ後に意味を理解した。


 地面が再び大きく揺れた。


 先程よりも大きく、大きく。


「また、貴様は!」

「勘違いするな。これより行うのは、『地獄釜』なんてちっぽけな忍術よりも遥か上。覚悟せよ」


 里長の呟きと同時に、背後に控える忍達が一斉に動き出す。

 それぞれが違った印を結び、一気に大気中の魔力の濃度が高まっていく。


 超大勢の忍による忍術。それに反応した地盤が悲鳴をあげ、大きな揺れを放ちながら、島が震えた。


「地震……建物の倒壊に人を下敷きに……更に被害を増やす気かッ!」

「いいや違うな。これは、俺からかける慈悲だ」


 里長は背後へ視線を向ける。輪廻達もそれを追うように里長の背後を見た。


「………は?」


 その光景を見て、輪廻は思わず全身の力が抜けてしまいそうだった。


 夜の『晴宮』を更に暗くする壁が立ちはだかる。月すらも覆い隠す壮観な絶望は、遙か遠くからこちらへ猛スピードで迫ってくる。


 それは『晴宮』全土を飲み込めてしまうほどの、巨大な、


「──津波」


 それは自然が起こす、人類への最強の攻撃。地上への洗礼。それを人工的に引き起こした里長は、輪廻の顔を見て、


「さぁ、くノ一。その女の腹を裂き、赤子を俺に渡せ。そうすれば、あの津波は俺が止めてやる」

「……そんな、こと……」

「できないか?何を言っている。お前は今までも、俺の命令で人を殺してきたじゃないか」


 輪廻の瞳が震えた。天秤にかけられたのは、世界で一番愛している人、その子供と、この国に住む人々の大勢だ。


 一太刀、柔らかい腹を切り裂き、赤子を投げ渡すだけで自分も大勢も助かるのだ。

 確かに輪廻は紅葉を愛しているし、その子供も同じくらい愛してる。顔も名も知らぬ他人よりも、輪廻は紅葉達を優先する。


 だが、流石に見捨てる数が、多すぎる。


「……ぇ、う」


 答えが見つからず、輪廻は慟哭する。脳に流れる血が沸騰しそうで、吐き出しそうになる胃液が喉まで上がってくる。


 苦しい選択だ。何も考えず、ただ命令に従ってきただけの輪廻に、倫理を問う問題は酷が過ぎる。


「輪廻、君は何も選ぶ必要ない」

「……ぇ」

「君のような若い娘に委ねられていい問題じゃない。本来であれば、私らのような者が直面すべき問題だ」


 凪紗はそう言うと、刀を下ろして振り返った。


 酷く汚れていて、汗と血に塗れたその微笑みは壊れかけの宝石のようだった。


 そして輪廻は気がつく。凪紗がこの先にどうなるのかを。最期というものを何度も見てきたからこそ、その結末を知ってしまった。


「輪廻よ、君は、紅葉のことを一番に考えていてくれ。それだけでもう大丈夫だ」

「凪紗、ちゃ……ぅぅう!?」


 輪廻の腕の中、突如として腹を抑えて呻きだす紅葉。その尋常でない反応から、輪廻はそれが何か察した。


 ──産まれる。次代の斬咲家の当主が。


「伝説が、向こうから出向いてくるわけか!」


 その出産の機会を運命だと感じた里長は更に高揚して叫んだ。理想の為ならば他者を顧みないその自己中心的な生き様に、凪紗が断罪の刃を向ける。


「忍よ、貴様を斬る」

「できるか、隻腕の侍よ」


 里長の言葉の直後、多数方面から忍が飛び出し、各々が習得した絶技を持って凪紗の命を奪いにかかるが、


「笑止ッ!」


 風が吹き荒れ、不可視の斬撃が忍に切り刻んだ。血を吹き出し、荒く抉られた傷に悶える忍達を踏みつけ、凪紗は風と共に里長へと挑む。


「凪紗、様……!」


 何もできない輪廻ができたのは、その名を呼ぶことだけだった。凪紗は振り返らず、反応もせず、ただ己の信じるものに従って刀を振るった。


 そして、


「お前は、お呼びではないんだ」


 風でも切り裂けないほど強靭な糸が、凪紗の全身に巻き付きその動きを封じた。


「く……!」

「これでお前も動けまい。そこで精々、俺が悲願を叶える様を──」

「舐めるなッ!」


 手足の身動きが取れずとも、凪紗には風がある。鎌鼬のように吹き荒れ、風は里長を真っ二つにしようと迫る。


 身を傾けて躱す里長だったが、その首を掠めた風によって傷を負ってしまった。


「やはり、侮れぬな。死の覚悟を持つ侍というのは」


 里長の左手の指が動くと、糸の締まり具合が強まった。苦悶の表情を浮かべる凪紗の手足が、無理やり捻じ曲げられる。


 右腕は肘から先がへし折れ、両足は逆方向へへしゃげて、首はあらぬ方へ拗られた。


「──凪、紗、ちゃん……」

「ふむ。さて、次はお前だな」


 目立つ関節を、曲げては行けない方向へ曲げられた凪紗は糸をほどかれ、そのまま尖った岩が生え伸びる奈落へと捨てられた。


 その無惨な最期を前に、里長は顔色一つ変えずに赤子の誕生を切望する。


「お前に、選択は不可能か。ならば、訪れるのはその罰だ」


 津波は大きな音を轟かせながら近づいてくる。


 この場にそれを止められる者は里長しかいない。降伏しなければ、差し出さなければ、この国の多くの人々の命が──


「……ふん、決められぬか。ならばその目に焼き付けよ。波が全てを薙ぎ払う地獄を」


 津波はついに『晴宮』へ到達した。反り立つ波が月を隠したその時、紅葉は輪廻の頬に手を添えた。


「輪廻」

「……はい、紅葉様」

「大、丈夫や……大変、な、思いさせた、けど……」


 紅葉は痛みに悶えながら、それでもいつものような笑顔で輪廻の頬を優しく撫で、今にも消えそうな掠れた息を吐いた。


「今度は……うちが、守って、あげるから、ね……」

「紅葉、様?」


 そう呟いた紅葉。腹を撫でて、今にも産まれそうなその子供に一言、「ごめんね」と謝って目を閉じた。



「うぅうううぅぅうぅぅうんん!!!」



 精一杯踏ん張るような声を上げた紅葉。


 その直後、超巨大な紅葉こうよう色のシールドが、津波を受け止めた。


「何!?」


 予想外の防御壁に里長が驚愕する。


 その反応はとても正しい。

 

 この国がある島は決して小さくない。その大半を飲み込む津波なんて想像できないほど大きいのに、一滴残さず受け止めるほどのシールドを作り出すなんて荒業、常人にはできない。


 紅葉の『子守り加護』と、お腹の子供の力を借りてできる神業。

 

 そして当然、その代償を払うのは母である紅葉。


「ううううぅぅぅぅううううううう!!!!」

「紅葉様!!やめてください!!死んでしまいます!!紅葉様!!やめてッ!!!」


 明らかに無理をしていることが分かる紅葉。その儚い命が消えていくような気がして輪廻は必死に紅葉を止めようとする。


 が、紅葉は出せる全てをここに賭ける。


 しかし、それも長くは持たない。


「あぁぐっ」


 『子守り加護』は超質量の水とその威力を抑えきれずに崩壊し、津波は再び進行を開始する。

 一時的に国を守るために展開された壁は、もう二度と立ち上がることは無い。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「紅葉様!紅葉様、生きてください!お願い、お願いぃ……!!」


 一気に面相が悪くなる紅葉を抱きしめ、泣きながら輪廻は懇願した。失いたくない初めてのものが壊れるさまを見る苦痛は耐えられない。


 紅葉は輪廻の手を掴み、何とか再び開けた。


「ごめ、んね……守れ、ない……わ……」

「……いえ、いいえ!もう十分です紅葉様……もう、いいんですよ……」


 懇願するように顔を埋める輪廻。津波は止められない。誰も、あの絶望を阻むことができる者はいない。


 そう諦めて、紅葉と一緒に朽ちるならば、輪廻はそっちのほうがいい。


「いやはや、驚いた。まさかあの規模の壁を……英雄はここにいる。やはり、赫羅の言葉に嘘はない!」


 津波をけしかけた本人は笑い、勝ちを確信した。もう邪魔者はいない。あとはこのくノ一を殺し、産まれてくる赤子を連れていくだけ。


「俺の……俺のッ、勝ちだァーー!!」


 里長がそう高らかに宣言して──、


「よくぞ、持ち堪えた」


 ───その瞬間、津波が何かにぶち抜かれた。

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