地獄釜
突然の来訪者は、手に持つ鋭い得物を里長へと振り下ろした。風を纏う斬撃は刃渡りを大幅に伸ばし、慮外の地点から切り込んでくる。
「新瀬凪紗……『風の音』の能力者であるな?」
「なるほど、貴様も忍か」
新瀬凪紗は、『風の音』という能力の持ち主だ。魔術としてではなく、自分の体の一部として風を扱うというもの。
常に風を纏うことで自分を中心とした大気の変化を感じとることが出来る。そのため、彼女に奇襲は通用しない。
その能力と着いている役職、そして、曲がったことを嫌う本人の性格から、忍びの間ではこうも呼ばれている。
「『忍殺し』」
「その異名はいささか心外だ。私は殺めたくて忍を殺めているわけではないのだ」
身を翻す凪紗は風のように素早く動き周り、里長を輪廻から突き放した。
里長が片手首をくるりと回すと、ピンと空気が揺れて糸が凪紗へ迫る。全方位から囲い込み、そのまま小間切れにしようと糸が張って──
「小細工を」
凪紗の周りに寄り添う風が、全ての糸を切り裂いた。凪紗を慕う風達は、凪紗へ降りかかる障壁を自発的に取り除こうとする。『操糸術』は完封されたわけだ。
「小娘が。儂の数百年を小細工と」
「小細工は小細工だ。そんなに徒労を誇りたいか」
毅然として構えを崩さない凪紗に、里長は大きくため息をついた。輪廻を突破したかと思えば更なる強者が現れた。
自分の不運と不始末を呪い、里長は暫し考えた。
「降伏しろ。抵抗もしくは逃げるより罪は軽くなる」
「じゃろうな。が、実は罪の重さでいえば儂は斬首で妥当なんじゃよ」
里長へ凪紗なりの慈悲をかけたが、その慈悲に意味はない。里長は考えをまとめると、懐からクナイを取り出した。
その動きを見て、凪紗が険しい顔をする。
「……ならば、貴様の首を、今ここで撥ねても構わないな」
「あぁそうじゃな。───お主にできれば、な」
じりじりと見つめ合う二人。凪紗も里長も隙がない。傍で戦いを見る輪廻は思わず息を呑んだ。
二人の強者が対峙する夜、先に動いたのは里長だった。
クナイを一本凪紗へ投げつける。凪紗はそれを簡単に弾き、里長への距離を一歩で詰めて首を撥ねようとした、その瞬間、
「ッ!」
巨大な獣の鉤爪が凪紗目掛けて振るわれた。
凪紗はすぐさま風に乗ってその場を退避。代わりに現れたのは獅子の顔を持つ魔獣であった。
夜の国へ轟く雄叫びをあげるその魔獣は、クナイに巻き付けられた紙に刻まれていた封印忍術から解き放たれたものであった。
里長が『魔獣操』に命じて捕まえておいた切り札の一つ。その魔獣はとても強力で、一般の侍ならば五人以上かかってようやく討伐できる化け物だ。
「ッ、待てッ!」
魔獣を解き放った途端、里長は『縮地術』を用いて高速で逃げ始める。魔獣は暴れ始め、放置もできない状態。
「新瀬様は魔獣をッ!あの外道は私が!」
「待て少女!危険すぎるぞ!」
「そんなこと今更!私は既に首の皮一枚です!」
魔獣を凪紗へ丸投げし、輪廻は全力で里長を追いかける。
振りになった途端逃げ出すということは、輪廻がこの場から退けたということで、今日に限っては勝利ということになる。
だがそれでも、あの男を放置しておけば、更なる厄災を持ち込むに違いない。
地面を蹴り、瓦を踏み、風を超え、輪廻は里長を追いかける。
『縮地術』は素早いが、繋がった場所しか移動ができないのが弱点。屋根から屋根へ飛び移ることはできないのだ。
道が入り組み、行き止まりだらけのこの街を『縮地術』で逃げるのは至難の業。
そのため、里長は妨害のためにクナイを逃げながら投げつけてくる。打ち払っても打ち払ってもクナイは途絶えず、的確に足などを狙ってくるあたり本気だ。
それでも輪廻は二本の短刀で全てを弾き返し、里長との差をどんどん埋める。もう『操糸術』も『死結術』も効かない。輪廻の足止めは不可能だ。
里長は逃げ惑い、ついに灯りがまだある夜の街へ飛び出した。
曲がり角を曲がった里長。それを追いかける輪廻もその道へ走り込んだ。
「はッ!」
弾けるような声とともに突き出された刃が輪廻の眼前に迫るが、その刃を持つ手を切り落として対処する。
輪廻の目の前、腕を切り落とされたのは里長だった。が、輪廻は悟る。
この里長は本物じゃない。本物は──、
「そこだ」
双刀のうちの片方を蹴り飛ばし、回転する刃は突然の対戦に驚く一般人へ飛んでいく。
傘を被った赤い浴衣の女、に化けていた里長はその刃をクナイで弾いた。
「よく気づいた」
里長に化けていた名もない忍を斬り伏せた輪廻が一直線に里長へ迫る。
「ふん、良いのか、輪廻」
里長は両腕を広げ、その街の中に張り巡らされた糸を見せる。
「儂の一存で、この場にいる全ての人間を小間切れに」
「構わない。私が守りたいのは、私の家族だけだ!」
里長の脅しに怯むことなく突っ込む輪廻。里長は舌打ちをして、張り巡らされた糸を全て輪廻へけしかける。
輪廻はそのうちの一本に双刀の先端を引っ掛け軽く動かした。すると、張っていた糸の全てが緩み、解け、里長の武器がタダの糸に変わる。
里長はクナイで応戦。『死結術』と『縮地術』を使いこなし輪廻を翻弄。
そのどちらも対応するに苦労はしないが、如何せん戦いっぱなしの輪廻の体力の限界が訪れる。
火花が散る剣戟が交わされ、輪廻の双刀がクナイを弾き飛ばした。里長の足払いを跳んで躱し、クロスさせた双刀を里長目掛けて強く振るう。
「はぁッ!」
至近距離からの首へと迫る斬撃。里長が死結を見定める時間もない。
そして、刃が捉えたものは───首ではなかった。
「なっ!?」
割り込んできた里長の腕。それが爆発しそうなほど膨張して固くなり、刃を受け止めていた。刃が触れた皮膚から血が吹き出し、里長が苦悶の表情を見せた。
「この技は、儂が一番嫌いなんじゃがの」
『拳術』によって固くなった腕を振り下ろし、輪廻の双刀を地面へと押さえつける。咄嗟のことで判断ができない輪廻へ、里長は間方の手でクナイを握りしめた。
「死ぬがよい」
突き出されるクナイが眼前へと迫り、輪廻の右目から脳へ直接刃を届かせようとした。
「すまない、遅れた」
が、風のように穏やかな声と共に振るわれた刀によって、里長のクナイを持つ腕が斬り飛ばされた。
「な……」
宙を回転し、短い髪を揺らす凪紗が、斬り飛ばされた里長の腕を掴んで着地した。
腕を喪失し、呆気にとられた里長。そんな状態で凪紗の追撃に反応できるはずもなく、
「せいッ!」
真っ直ぐ走ってきた凪紗の切り上げ。右脇腹から左肩へ抜ける大振りを、里長は躱せなかった。
「ぐぁぁあッ!!」
痛みに吠える里長。体勢を崩したその瞬間を見逃さず、輪廻が糸で里長を縛り上げ、傷口を抉るように腹を蹴飛ばして壁へ押し付けた。
痛みに苦しみ、しかしまだ諦めないとばかりに顔を上げた里長の首筋へ、刃が宛てがわれた。
「名も無き忍よ。終わりだ」
大衆の目の前で、忍として最も屈辱的な敗北を、里長は侍に告げられたのだった。
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「けっけっけ……また負けか……」
糸で全身を縛られた里長は身動きができない。その状態で繰り出せる技はないだろう。
凪紗は周りの一般人へ家へこの件が解決したことを教えて安心させつつ、奉行所の侍達を集めて周囲を警戒させた。
里長の部下の忍が何人潜んでいてもおかしくない。
「全く……若い者の成長性とは恐ろしい……」
「外道……聞かせろ。その『呪具』を使い、斬咲家の子供を忍にして……何をする気だった?」
輪廻は里長の狙いを知ることを望んだ。ほんの小さな興味からの質問だ。
「お主は知らぬか……この『呪具』クロノスは、触れ合った物の何もかもを繋ぐ事ができる」
「何もかも?」
「記憶、感情、技術、経験、努力、才能、過去、未来、現在に至るまで、その者と繋げたいと願うもの全てを繋ぐことができるのじゃ」
「それで……どうしたかった」
「……儂は、英雄に憧れた」
輪廻の渋い顔に苦笑しながら、里長は口を閉じずに話を続けた。
「太古の昔、伝説が生きた時代。儂には彼らが持つような才能がなかった。それに憧れ、嫉妬し、いつしかそれになりたいと、そう願った」
「……だから、伝説に従って伝説を育てる……」
「そして、この『呪具』で繋がろうとした。英傑と呼ばれる者が見る世界を、儂も見たかった」
それは、輪廻が思っていたよりも幼稚な動機だった。
凄い人と同じ人になりたい。それは子供がヒーローやアイドルに憧れるのと全く同じだ。幼き頃に目を輝かせ、やがて大人になるにつれ不可能だと悟り捨てる幼稚な願い。
それを捨てきれなかった老骨が、何人もの命を犠牲にしてここで笑っている。
「外道が」
「そう呼ばれてもよい。そう思えるくらい、儂の英雄は輝かしい」
里長は薄く開いた目で輪廻を見つめた。
「儂は諦めぬ。いつまで経ってもな」
「無理だ。貴様は直ぐに処される。もう、貴様に逃げ場も生きる方法もない」
「そうさな、この状態ではどうにもできん……じゃが」
里長の目が大きく開かれ、気味の悪い笑顔が浮かんだ。その瞬間、輪廻の背筋が凍りつく。
「それは、儂が本当に、敗北した時の話じゃ」
「……何を言って──」
輪廻がその言葉の真意を探ろうとしたその瞬間、
「……は?」
里長の体が煙となって消え去った。
「む、少女よ。先程の男はどうした?」
丁度戻ってきた凪紗がそう問うてきた。輪廻は辺りを見渡したがどこにも里長は居らず、輪廻の焦りがだんだんと凪紗にも伝わった。
「皆の者ッ!敵が逃げ出したッ!辺りを探すのだ!まだそう遠くには行けまい!」
凪紗の呼び掛けに奉行所の侍達は里長を探すために走り出す。
が、輪廻はそれが無意味であることにすぐに気づく。
里長の、煙になって消える、という退場の仕方。あれはどうみても───、
「『分身』が死んだ時の……まさかッ!!」
真実に気づいたその時、輪廻は直ぐに駆け出した。それに反応し、凪紗もそのあとに続く。
今まで戦っていたのは里長の本体ではなかった。いつから?どの戦いのさなかに入れ替わった?
──いや違う。最初からだ。最初から、輪廻が戦っていたのは里長の『分身』だったんだ。
その絶望を無理やり頭から振り払い、輪廻は足を動かした。
目指すは、輪廻が絶対に守りたい人がいる場所、病院だ。
「紅葉様ッ!!」
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「うーん……」
「痛みますか?」
少し苦しくなり、頼れる輪廻が立ち去った病室で、紅葉は医者に付き添って貰っていた。
腹の痛みは常にあり、本当にいつ出てきたっておかしくない。覚悟はできているが、必要な人がまだ来ていない。
「旦那様が来るのを待っているのも、限界があります」
「そう、やね……でも、輪廻が呼んでくれないと……」
どうにか灰呂に立ち会ってもらいたい。あなたの子供はこんなに元気で可愛いんだよと、腹の中で育てた紅葉は教えたい。
小さな命を抱き、共にこれからを笑いたい。そんな野望に、紅葉は縋っている。
「ですが、ご子息にも負担になりますから、その時がきたら、お覚悟を」
現実を口にする医者。彼は着々と出産の準備を進めており、今も紅葉に背中越しに話しながら器具を用意している。
「お医者さん……うちはね、生まれた時から足がないんよ」
「お聞きしております」
「小さい頃……灰呂に拾われるまで、うちは足で歩く人が羨ましくてなぁ、よぅ地面を蹴る足を見ては、その感触を夢見てたんよ」
「そうですか」
「うん。色んな人を見た。侍や行商人。お役人に、忍までや」
「それは、中々珍しいものまで見てきたのですね」
「そうやよ……だから、分かるんよ」
紅葉は背中を向けている医者に向けて、一言だけ口にした。
「あんさんの足の動き……その、音を出すのを嫌った足捌きは……忍のものとちゃうんかな……?」
「……なるほど」
振り返った医者、その顔は先程までの知っていた顔ではなく、色の抜け落ちた、血色の悪い青年の顔であった。
「腐っても英雄を産む母親、斬咲家が向かい入れる程度の眼は持っている、ということかの」
そう言って医者の服を脱ぎ捨てた青年、里長の本体は、医者が使う小さな刃を持って紅葉へ近づく。
「さぁ、その腹の子を寄越せ」
刃を煌めかせ、里長はゆっくりと紅葉へ歩み寄る。歩くことなどできない紅葉はその刃の来訪を、ただ待ち続けることしか───
「できない、と思ったら大違いやよ?」
「何?」
絶体絶命のピンチ。逃れられない喪失を前に絶望すると思っていた紅葉の予想外の反応に、里長は訝しげに眉をひそめた。
その瞬間、体全体が壁にぶつかったような衝撃に襲われた。
弾かれた里長が瞠目して紅葉を見ると、それが展開されていた。
「斬咲家は代々、この国を守る最強の刃。次代を産む女が、そう簡単に死ぬようじゃ先祖に顔向けできんよ」
紅葉のような色をした、ガラスのようなシールドが、紅葉を守るために展開された。
それは、斬咲家に認められた『母親』に与えられる、斬咲家当主達からの加護。
「『子守り加護』」
強い魔力による壁。これを里長のが突破するのは不可能だ。
「全く、昔から、この血筋に関わる人間は皆、土壇場で切り札を出す癖があるのぅ。じゃが……」
『死結術』ならば突破は容易い。
「ほれ」
パリン、と硝子が砕けるような音を立ててシールドが壊れ、そして里長が一歩踏み出した途端、
「ふん!」
「ぬぉ!?」
里長が不意に弾き出された。驚いて顔を上げると、そこには再び同じ『子守り加護』が生成されていた。
「壊れた瞬間に再形成。無理やりじゃが確かに、お主が死ぬまではそれで持つ。よく考えたの」
「せやろ……はぁ……うち、は……頭、えぇん、よ……」
魔術は何度も練習した。だから展開するのは簡単だ。だが、それにも限度というものがある。
なにより、紅葉は今腹に生まれがけの子供がいる。普段のようには行かない。
だがそれでも、腹のこのためなら無理強いされたって構わない。
「うちは……あんたなんかに、うちの子を預けたりせぇへん!!」
「ふむ……ならば、その覚悟を見せてみよ」
里長は挑発するように笑い、拳を作って中指だけを突き出した。
『子守り加護』の死結を突く。するとまたすぐに同じものが展開される。
また死結を突く。展開される。突く。展開。突く。展開。突く。展開。突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開突く展開───
「ぐぅぅうう!!」
苦しみに思わず声を上げる紅葉。魔術の展開には当然魔術を消費するが、紅葉の魔力量は多いとは言えない。今は息を限界まで吐いた上で、大声で叫ぼうとしているようなものだ。
もうそろそろ魔力が尽きる。だというのに、里長の死結を突く速度は上がり続ける。
辛い辛い、防衛。それでも夫と子供と笑うため、紅葉は無理をし続けた。
「しぶといのぉ」
その全力の抵抗をそう軽くあしらって、里長は『子守り加護』を破壊する。そしてついに、紅葉の限界が訪れた。
「あぁ……」
もう、展開できない。『子守り加護』を使えない。
魔力は底を尽き、腹の子に栄養を吸われ続ける紅葉の中身はもうほとんど空っぽになっていた。
「ようやくか」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
苦しみと絶望に包まれ、なおも紅葉は腹を抱えて里長を睨みつける。弱々しいその姿を哀れに思いながら里長が刃を振り上げた。
「まずはその腹を割らねばの」
医療用の刃は、里長が扱えば立派な凶器。膨らんだ腹の子を引きずり出そうと里長が近づいたその瞬間、
「ぬぁ!?」
「……ぇ?」
里長がまた何かに弾き飛ばされた。その感触、衝撃から、『子守り加護』だとすぐ気づく。
しかし、紅葉にはそれが出来るほどの魔力はないはず──
「もし、かして……」
膨らんだ腹を撫でる。その中で元気に腹を蹴って返事する赤子が淡く光っていた。
「なんと……驚いた」
腹の中の赤子が、母である紅葉の『子守り加護』を真似て展開したのだ。
「いやはや……いやぁ……けけ、けっけっけ、あぁ、流石だよ赫羅ッ!!」
里長は興奮しながら『子守り加護』に手を乗せ、愛おしそうに輝く赤子を見つめた。
「やはり、あの人の言葉、伝説は本当なんだ。こんな、こんなことが、赤子にできるか!?できないだろう!あぁ、なんて……なんて素晴らしいッ!!」
生ける伝説の再来に興奮を隠せない里長。その完璧な魔術に圧巻される。
「死結すらない完璧な魔術。正にあの伝説と同じだ……あの英雄と同じなんだ!その赤子を!寄越せ!女ァ!!」
口調が若々しくなった里長が刃を本気で『子守り加護』に打ち付ける。シールドが傷つけられている感覚が紅葉に伝わり、紅葉は思わず目を閉じた。
しかし何故だろうか、不思議と壊れる気がしない。
「……ありがとう、ね」
腹を撫で、産まれてくる愛おしい我が子に感謝を伝える。すると、『子守り加護』が更に輝きを増して電撃を纏い始める。
「く……ッ!」
それは刃を通じて里長の手を蝕み、消えない火傷を負わせた。
しかしそんな強固な防御壁を前にして、里長は一切の絶望を見せない。むしろ喜びを増している。
「伝説たりえる力……証明はもう済んだ。さて、これをどうやって破壊しようか」
嬉々として電撃によってできた傷を眺めながら、次の攻撃を思案する里長。
そんな彼の真上の天井が爆裂した。
「外道がぁぁあああッッ!!!」
「間に合ってしまったか」
瓦礫の中から双刀を振るう輪廻が侵入。その刃を躱し、里長は紅葉達から距離をとるため廊下へ飛びずさる。
「止まれ、忍よ」
すると今度は、窓を突破って入ってきた凪紗の斬撃を浴びせられる。咄嗟に双刀で防いたが、輪廻と凪紗に挟まれては紅葉の子を連れていくことも叶わないだろう。
「仕方ないなぁ。じゃあ、こうしよう」
里長が楽しげに笑いながら指を鳴らす。
その瞬間、地面が大きく揺れた。
「な、なんや……!?」
「紅葉様!」
病院が軋み、あちこちがひび割れて崩壊が始まる。天井が落ちてくる前に輪廻は紅葉を抱きあげるため近づいた。
『子守り加護』は、輪廻に効果を示さなかった。
紅葉を優しく抱き上げ、壁を破壊して逃げ出そうとしたその時、
「ぐ!?」
地面が突然隆起した。
「太古の昔、『五指』が英雄が殺し損ねた魔獣を一網打尽にするために作り出した忍術。それがこの技───『地獄釜』だ」
地面から針が伸び、病院を飲み込んだ。
「さて、お前はどうする?」
「……外道が」
笑顔で訊いてくる里長へそう吐き捨てて、凪紗は窓から飛び出す。病院は崩壊し、隆起した地面は鋭く伸びて病院の瓦礫を貫いた。
そしてその土と岩でできた針は更に勢力を拡大し、国の中へ広がっていく。
「総員!退避ーーーッ!」
凪紗を追いかけていた侍に呼び掛け、地面の隆起の範囲内にいる民を逃がすことを優先しようとする。
が、間に合わない。迫り来るう岩石の針は、水滴の落ちた水面のように波紋を広げていく。
「風よ──」
凪紗は岩の波に飲み込まれる寸前で風を空へと放った。
波紋は広がり続け、ついに『晴宮』の四分の一を呑み込んだ。
強い衝撃と揺れ、そして下からの突然の攻撃に反応しきれず、多くの人間が死んだ。
だが、
「へぇ、生き残ったのか」
口調が若い頃へ戻った里長が、目の前の獲物を見てそう呟いた。
傷だらけの体で紅葉を守り、抱き抱えた輪廻が里長を睨みつけていた。
「さて、どうする?」
「再び……貴様、を……」
「できるか?お前のその状態で?」
そう言う里長の背後、地面から伸びた数百本の針の一つ一つに人影が舞い降りる。
その全てが、里長に与する忍達だ。
「なんて、ことを……」
「どんな罪を被ろうと、地獄に落ちようと、儂は……俺は、英雄を見る。そう、決めたんだ」
沈み始めた月を背景に、里長は高らかに笑った。