表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

助太刀

 数年前、まだ輪廻が灰呂に敗北せず、里長の命令に従って人の首を撥ねていた頃の話だ。


 依頼されたのは、『エレスト王国』という名の他国の貴族の持つ『呪具』の奪取であった。


 数ヶ月前に一度、忍を送り込んだ依頼場所であるらしく、今回は前回よりも実力の高い忍が選ばれた。


「よろしく、アタシ、夜叉やしゃって言うんだ。あなたは?」


 輪廻の他に選出されたのは、輪廻と同じ『双刀術』を習得した同い年くらいのくノ一だった。忍の癖に自ら名をつけているひょうきん者、そんな印象しか覚えていない。


 そんな二人が国を渡り、依頼された貴族の屋敷へ侵入した夜、屋根裏からその『呪具』のある宝庫へ向かっている途中、輪廻はとある手紙を発見する。


 震えた血文字で、その手紙に書かれていたことはこうだ。


『あれを里長へ渡すな、あれは晴宮を脅かす災厄である。そしてこの先へ足を踏み入れるな。只人が適う刃ではない』


 それを負け犬の遺言だと破り捨て、任務を遂行したのが間違いだった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………」


 任務にて死にかけたのはこの時が初めてだった。


「何者だ」


 目指していた宝庫から『呪具』を盗み取った輪廻を待ち受けていたのは、薄い寝間着に身を包み、果物ナイフを持った少女であった。


 この時輪廻の年齢は十四程度。物心ついた時から死ねる試練を乗り越え、若くして忍として成った才能の塊。


 それを軽く凌駕したのは、齢十歳ほどの少女であったのだ。


 輪廻の『双刀術』をなんなく突破し、挙句の果てには輪廻の脇腹を切り裂いた。血が流れでる感覚に輪廻は目を剥き、同時に絶望する。


 才能がある輪廻ですら適わない、超越者の存在に。


 輪廻は賢い選択をした。逃げることに全霊を注いだのだ。少女は対戦は強かったが、忍の全力逃亡を終えるほどの繊細な動きはできなかった。


 共に来たくノ一の存在は行方知らずとなった。珍しい事でもないので気にしていない。『呪具』は無事里長の手に渡り、その効果も、意味も知らぬまま、依頼は終わりを迎えた。


~~~


「斬咲家、初代が言い残した伝説の子を、儂は忍にする」


 その言葉を告げられた時、頭を過ぎったのはとある依頼の記憶だった。


 あの『呪具』の意味はなんだったのか。それは分からない。しかしあの時破り捨てた手紙の文言が、耳鳴りのように頭の中で反響していた。


「貴様、は……」

「んん?」

「何故……斬咲の子を……」

「英傑がそう示した。あのお方の、あの伝説を再びこの目で見る。とはいえ、ただる《・》だけではもの足りぬ」


 そこまで言って、里長はわざとらしく口に手を当ててケラケラと笑った。その度に垣間見える古臭さ、朽ちた木造の家のような匂いが違和感を生み出し続ける。


 その泥臭く蠢く幽霊のような雰囲気が見せる野望は、この時代のものではない。


 まるでそれは、遥か昔、『終焉期』から生きた人間のよう───


「……里長……あなた、は……」


 そこまで言って輪廻の瞼が落ちてくる。もう血は流しきった。命の残量はもう足りない。喋るにも息をするにも、もう何もかも間に合わない。


「けっけっけ、まぁ、良く頑張った方じゃよ。お主には才能がある。儂が四百……いや、五百年はかけたその技を、同等と言えるほどに使いこなせたのじゃ。お主に朔間さくまを重ねたこともあったが……今となっては、どちらにしても儂が上のようじゃ」


 輪廻の頭を踏みつけ、里長は懐から取り出したクナイを輪廻の旋毛に突き刺した。


 脳を破壊されても生きられる生物はほとんど居ない。人間には少なくともまだいない。これでこの国にある乗り越えなくてはならない壁は乗り越えた。


 そう確信し、里長が一歩踏み出したその瞬間、


「む?」


 足元に煌めく何かが見えた。月明かりを反射する刃にしては明るくて、光を斑にする宝石よりも暖かい。


 それは、炎が着いた起爆剤の光。


「弾けろ」


 聞こえないはずの声が響いた時、里長は笑った。


 思っていたより、才能というのは努力へ追いつくのが早い。


「肝が冷える」


 『縮地術』により即座に移動した里長。先程まで立っていた場所が灼熱に包まれ、小さな炎の花を咲かせて爆裂した。


 それを成したのは他でもない、本物の輪廻が『分身』達の中から現れた。


 いや、現れたと言うより、『分身』とすり変わっていたというのが正しい。


 里長の『分身』に囲まれた時、決死の覚悟で外へ逃がしたのは本体ではなく『分身』だったのだ。もみくちゃになる過程ですり替えただけだったが、里長は気が付かなかった。


「参ったのぅ。五感は慣れを含めて鈍くなっていく」


 目に捉えていたはずの情報も、それを処理する脳も、寿命が伸びようと衰えないかといえばそうではない。使えば摩耗する。それは精神であっても、臓器であっても変わらない。


 里長の『分身』を退け、輪廻は双刀を構えた。


「ベラベラと喋りすぎたのぅ。歳をとると、誰かに話を聞いて欲しくてたまらん」


 飄々と言ってのける里長。輪廻は油断せず、強い殺気で里長を睨め付けた。


「振り出しに戻ったような感覚じゃ。全く才能とは恐ろしいものよ」

「積み上げた努力ほど、目に見えて厄介なものはないがな」


 両者双刀を構え、強い眼力が交わった。


「はぁッ!」

「ふ」


 同時に踏み込み、同じような軌道を描いて刃が交わる。拮抗する鍔迫り合いを制したのは里長。やはり男の筋力に女は負ける。

 だが、伸縮性ならば女の方が上。


 『双刀術』との相性ならば──


「ぬ」


 輪廻の方が圧倒的に上。それを、里長の頬を切り裂いて証明する。


 振るわれる刃がぶつかると、輪廻の方が強く弾かれ火花が散る。輪廻が覚えているのは、現代の暗殺に特化したものであるが、里長の扱う『双刀術』はそうではない。


 彼が見た、英傑の斬撃。それを見よう見まねで練習し、習得したように感じている自己満剣技だ。


 それに加えて糸を操る『操糸術』や、技の弱点を突いて無効化する『死結術』など、『五指』の道を習得している里長の多芸さには目を見張るものがある。


 糸に阻まれ、死結を突かれ、双刀で切り刻まれる。里長が有利な対面を実現できてはいるものの、里長には一抹の不安が過ぎる。


 輪廻がこの戦いの最中に進化する可能性だ。


 才能は恐ろしい。凡人の努力を踏み潰し、ゴール前に生まれるチート技。時間も、失敗も、なにも苦労せずに生きられる才能というものを、里長は羨ましく思う。


 それがあれば、こんなに遠回りしなかったのに。


「早めに決着をつけるかの」


 里長はそう呟き、『分身』を九体作り出して輪廻を取り囲む。輪廻もそれに対抗して『分身』を五体作り出した。


 双刀を交わし、糸を伸ばし、死結を突いて、『分身』と戦った里長はこう思った。


「数も実力も儂が上ならば、当然儂が勝つる。そう思っていたが」


 どうやら、そう単純な話でもないらしい。


「はぁぁああッ!!」


 『分身』に全てを任せ、本体の輪廻は本体の里長にだけ食らいついてきた。里長は長く生きているだけで才能は皆無。『分身』を自分と同じ力量にし続けるのには集中を要する。


 それを直観的に判断した輪廻は、なりふり構わず里長へ刃を振るう。忍術をけしかければけしかけるほど、輪廻は前へと進み、里長は後ろへ下がる下がる。


 乗り越えさせる気のない壁、それを試練として乗り越えてしまう若き才能が芽吹く。


「ついて来れるか、くノ一よ」


 病院の屋根から飛び移り、夜の『晴宮』の中を駆け回る二人の忍。


 静かすぎる戦いに、同じ土俵の者達にしか気づけぬ苛烈さがある。


 刃を滑り込ませては、絡まる糸に肉を千切られ、下がったかと思えば一足で背後に回り込まれる。反撃に突き出す渾身の一撃でさえ指一つで抑えられ、生じた隙に『分身』からの多重攻撃を叩き込まれる。


 そして、それら全てを、信じた一本の技術を駆使して乗り越える。


 この夜、死合は輪廻を人生で最高潮に成長させる。


「外道!」

「くノ一!」


 互いに認識する名を呼び合い、静謐な街中にて同時に踏み込んだ。


 阻む糸を無理やり切り裂き、皮膚が裂けながらも輪廻は特攻する。その身のこなしは、現代最高峰の『操糸術』を受けながらも最小限の負傷で済ませる神業だ。


 空中で回転する輪廻が放つ斬撃は不可視と言っていいほど早く見えずらい。しかし里長は『双刀術』を知り尽くした先駆者。その軌道も、狙う箇所もよく分かる。


 分かる、という驕りが、里長の弱点となる。


「ぬぉ!?」


 首へ向かって閃く短刀が、突然軌道を変えて里長の肩へと落とされる。既のところで躱したが、初めての大怪我の危機に里長に緊張感が生まれた。


「まだまだッ!」


 輪廻の斬撃は予想ができず、よく分かってしまっている里長にイレギュラーな挙動は理解不能。もはや輪廻の『双刀術』は大きくその道を逸脱し、新たな剣術へと成り始めている。


「これならば、いずれこやつは──」


 里長の洗練された斬撃を打ち払い、糸を切り払い、責めるべきタイミングをあえてズラして隙を作らせて突く。


 打ち払い、受け流し、弾き返し、踏み込み、振るい、狙い、切り裂き、躱し、打ち払い──


「はぁぁああッ!!」


 全く別物の剣術は、ついに里長の『双刀術』を凌駕した。


「ぬ」


 初めて甲高い金属音が響き、閑静な住宅街の中を、弾かれた短刀が舞う。地面に落ちたそれを拾わせる暇を与えず、輪廻は更に踏み込んだ。


 里長の手から武器が落ちた。絶好のチャンス。これを逃す手はない。


 だからこそ、優秀な輪廻は踏み込んでくると里長は知っている。


「く……ッ!?」


 輪廻の全身の自由が突如として効かなくなる。戦いの最中、住宅街に張り巡らされた糸が原因だ。自分を囮に、里長は輪廻を糸で捕獲した。


「ようやくかかってくれたかの」


 両手の指に結ばれた糸を締め上げ、里長は勝ち誇ったように笑った。


 輪廻は全身を糸で結ばれてしまい、動けば里長の一存で小間切れになる。絶対的勝利。この状況を打破する手立てはない。


「さて、これにて終わりに──」


 しようと指を傾けようとした所で、違和感に気づく。


 ──糸が、張っている。


「ッ!?」


 それに気づいた時にはもう遅かった。輪廻を縛る糸の起点となる里長の十本の指。その内、左手の中指、薬指、小指が吹き飛んだ。


「なに!?」


 予想外の負傷に里長は目を剥いて輪廻を見た。そして更に驚愕する。


 輪廻の短刀にまとわりつく糸。それは里長の意思に反して強くしなっていく。


「くノ一……まさか」

「そのまさかだッ!」


 里長は急いで糸を解く。それを予想していた輪廻はすぐさま踏み込み、短刀を二本振り下ろした。片方は空ぶったが、もう片方には微かな手応え。それを証明するかのように、里長の首筋に切り傷ができていた。


 里長は死結を突き、輪廻を突き飛ばしたあと、なくなった指の付け根を見下ろして思わず笑った。


「驚いた。まさかこの短時間で、『操糸術』を攻略するとはの」


 里長の指には、確かに輪廻を縛る糸が着いていた。短刀を振るえないように、念入りに巻き付けた。


 その巻き付けた糸を、逆に輪廻に操られた。


「見て覚えるだけ。それが私の才能であり、力だ」


 切り落とし、里長が捨てていた糸を指に纏わせ輪廻は言う。輪廻はこの短時間で、『操糸術』を習得していた。


「全く……全く、愉快なことよ。お主ならば、『五指』にも上り詰めたじゃろうて」


 失った指を踏みつけ、里長は『分身』を十体作り出す。それに対抗して、輪廻も『分身』を五体作り出す。


 互いに見合い、残る刃を構え合った。忍の対戦に礼儀などない。侍のように名を名乗りあうこともない。


 死合は突如始まる。今回はただそれが、同時だっただけだ。


 壁を蹴り、空を蹴り、輪廻と里長の『分身』がぶつかり合う。苛烈な戦いで習得した技術は更に成長し、里長の使う『操糸術』は、逆に輪廻へ攻撃の武器を与える結果となる。


 『操糸術』を乗り越え、『分身』を五体処理。代わりにこちらは二体が消滅。


 残りは五体。それらのうち二体が『双刀術』。三体が『死結術』を使う構えをとる。


 輪廻の刀を食い止めるため、素手を突き出す『分身』達。その素早い手は攻撃を無力化するが、その弱点を輪廻は理解していた。


「……流石じゃ」

「あぁ、使って初めて気が付いた」


 『死結術』のために突き出された中指。それは針金以上の硬度の糸に直撃し、見事に指が半分に割れていた。


 『死結術』の弱点は、死結の存在しない『操糸術』だった。


「せぇあ!!」


 無力化された無力化攻撃など無意味。刃と糸で三体撃破。残るは二体。英傑の真似事が大成した最高剣術。


 それを糸を操る『分身』を犠牲に受け切り、本体の輪廻は飛び込んだ。


「越えられるか、くノ一?」


 里長の試すような言い草に、輪廻は目を閉じた。


 過ぎったのは、里長の修行でも、灰呂との戦いでも、『刀儀』でも、里長の扱う『五指』の道でもない。


 それはそう、あの果物ナイフの超越者の剣技。


「しぃァッ!!」


 刃は美しく、誰にも邪魔できない銀閃となる。


 それは洗練された侍でも年に一度繰り出せるかどうかの最高峰の斬撃。超越者の真似事は見事に顕現し、輪廻は二体の『分身』を突破した。


「これで、終わりだッ!」


 勢いそのままに、超越者の権威を借りた輪廻が踊る。


「見事。しかし──」


 美しい銀閃は夜に閃き、見事に里長を切り裂こうと──


「……は?」


 その時、刃が里長の拳と膝に挟まれ、砕け散った。


 『双刀術』でも、『操糸術』でも、『死結術』でも、『縮地術』でもない、最後の『五指』の道。


「『拳術』」


 肉体の一部に局所的に魔力を凝縮させ、一時的に鋼を超えた強度の部位を作り出す技。最も会得難易度が低いその技が、輪廻の渾身の一撃を残酷に打ち砕いた。


「終わるのはお主じゃ」


 里長の拳は輪廻の腹を穿ち、振り上げられた足が背骨を砕き、右手に握られた刃が輪廻の脇腹を深く切り裂いた。


「か、は……」


 血を流し、疲れが押し寄せ、瞼が重たくなった輪廻は悟る。


 ──最後の最後で、負けてしまった。


 力の入らぬ輪廻は地面を転がり、血を流しながら死へと近づいていく。


「いやはや、あっぱれあっぱれ。お主はよく頑張った。まさか、この儂を凌駕する剣術まで生み出すとは」


 危機を乗り越えた里長は倒れた輪廻の前に立ち彼女を見下ろした。


 価値を確信した笑み。改めて見上げて思ったのは、輪廻の功績は里長の指三本だけだったということ。


 今の輪廻では足りなかった。修行と、才能が。


「残念じゃったな、あと少しだったというのに」

「ふ……あぁ、そうだ……あと少し、私では、届かなかった……私では、な……」

「む?」


 負けが確定した輪廻。その清々しいほどの笑顔に、里長は首を傾げた。


 初めは負け惜しみに感じたそれも、輪廻の自信を見ているうちに違和感へ変わる。


 そして、里長は思い出したように顔を上げて辺りを見渡した。


「お主の『分身』は五体じゃった。──残り一体はどこじゃ」

「もう、いない……代わりといって、は、なんだが……」


 輪廻が見上げた先、里長よりも遥か上の月を背景に、風が舞い降りた。


「ぬ」


 まだ使っていなかった、張り巡らされた里長の糸が全て風に切り裂かれ、里長の背後に凄まじい赫怒の気配が降り立った。


「貴様らか。不審な忍の死体の元凶は」


 刀を構え、凛々しい顔つきでそう言う女の侍。風を纏い、鋭い眼光で里長を貫くその女は、敵を見据えて口を開いた。


「『晴宮』奉行所隊長、新瀬凪紗。身元不明の少女の要請により、罪人を裁きに参った」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ