『刀儀』
月日は少し流れ、『建国祭』の日がやってきた。
「『建国祭』の時間だァーーー!!!!」
「「「うぉぉおおおおーーー!!!!」」」
朝っぱらからうるさい喜びの声が飛び交い、桃色の花弁が舞い散るこの日、老若男女問わず誰もが笑顔で歌い、踊っている。
出店で賑わう大通りはギュウギュウ詰め。普段はなかなか食べられない甘味なお菓子にほっぺを落とし、ついでに財布も落とす人が多い、そんな記念日。
「輪廻!起きよ!建国祭であるぞ!」
「分かっておりますから、予兆なく部屋に突入するのは勘弁してください」
襖を勢いよく開かれた輪廻は、見るからに興奮している灰呂へそう気ダルげに言い放った。
「紅葉を連れて出店を回る!輪廻、其方には紅葉の車椅子を押すという重大な役目を任せる!心してかかれ!」
「言われずとも、紅葉様のためならば私は命すら捨てる覚悟です」
「はっはっは!悪くない!ただ、命は捨てるな、紅葉が悲しむからな!」
一応主従関係を結んでいる二人だが、今はこのように軽口を叩ける程度の腐れ縁である。二人は長い渡り廊下を早足で進み、紅葉の部屋へたどり着くやいなやすぐさま襖をあけた。
「紅葉!」
「紅葉様!」
「はいよ」
早朝だと言うのに、紅葉は二人が来ることを見越していたかのように準備を終えて、車椅子に腰掛けていた。
その後ろには、灰呂と同じくらいの背丈の強面の侍が立っている。
「なんだ水蓮、紅葉の部屋にいたのか!探したぞ!」
「申し訳ありません当主様。奥様が車椅子に乗るのを手伝っておりました」
水蓮という名を持つこの侍は、灰呂を昔から世話係をしていた侍だ。側近のような扱いで、灰呂が出向く際にはいつもお供している。
水蓮は灰呂の隣にいる輪廻にも「おはようございます」と丁寧に挨拶をして、車椅子の持ち手を輪廻へ譲った。
「では往くぞ!祭りは楽しんだ者勝ちであるからな!」
「ふふ。そやねぇ。でも、迷子にはならんでな?」
「あまりはしゃぎ過ぎないでくださいよ」
「同意見です。当主様。羽目を外しすぎないように。斬咲家当主として、恥のないよう──」
「其方ら、某を四歳児と間違えているようだな!」
こうして四人は、『建国祭』へと心を踊らせながら歩みだした。
~~~
人でごった返す大通りは笑い声で溢れている。だというのに人々は驚くほどぶつからずに歩いており、知らぬ人だろうとぶつかれば直ぐに謝っている。
だがそんな人混みも、灰呂達が通れば開かれる。
「『将軍』様ぁ!おはようございます!」
「おう!おはよう!」
「『将軍』殿!今夜楽しみにしてますよ!」
「任せろ!この地位を失うことは決してないからな!」
「『将軍』様!これ買っていきませんか!奥様とぜひ!」
「おうありがとう!四つくれ!」
「『将軍』様ぁ!僕に剣を教えて!」
「おうよ!其方が某と同じ背丈になったらな!」
道行く人々に笑顔で返す灰呂。灰呂は手馴れているが、それについて行く輪廻は気が気じゃない。
忍びとして生きていた輪廻にとって、注目を浴びるなんてことは死と同義であった。忍びの本来の存在意義と対極にある存在の仕方だからだ。
それを楽しいと思える灰呂が羨ましくて、輪廻は彼の隣でつい言葉を零した。
「人気者なのですね」
「ふむ、傍から見ればそうだろうな」
「む?事実ではないですか」
「はっはっは!よく聞けばわかるぞ輪廻!」
いつものように笑い飛ばし、その直後一瞬だけ覗いた仄暗い表情が珍しくて、輪廻は目を見開いた。
「……腹でも下したんですか?」
「はっはっは!某の腹を舐めるなよ!乳を飲めば一発!緩んで厠からは一日出ることができん!」
「何を自慢してるんですか?」
そう減らず口を叩く灰呂に突っ込む輪廻。その様子を微笑ましげに見つめる水蓮と紅葉。四人は今日この祭りを誰よりも楽しんでいるように見えた。
しかし、楽しい時がずっと続くことはない。
「おや、これはこれは灰呂殿」
「む」
笑顔が絶えないでお馴染みの灰呂が、割り込んできたその声に真顔になって振り返った。
そこにいたのは糸目で黒い髪を持つ男。腰にこさえた少し立派な刀に触りながら煙管を吹かす男は灰呂へ微笑みかけた。
「そんなに警戒しなくとも、私がこの場で切りかかるわけでもないんです。『建国祭』だし、今夜はよろしく頼むと言いに来ただけですよ」
両手をヒラヒラと上げて軽く言ってのけるその侍を輪廻は知らない。だがその言葉と雰囲気から、この男の身分はなんとなく想像ついた。
この男は波門家現当主である、波門彪我だ。
「そうであるか。ならばよし!某は負けるつもりなど毛頭ない!良き戦いができることを願っている!」
灰呂が突き出した拳に、彪我は自らの拳を合わせた。
「えぇ、良き戦いを」
短く応じた彪我は直ぐに歩き出し、人混みの中へ消えていった。すれ違って初めて気がついたが、彪我は白髪の子供と手を繋いでいた。灰呂は「彪我に子供などいただろうか?」と不思議がっていたが、輪廻が驚いたのはそこじゃない。
忍びとして、くノ一として育てられた輪廻は、人の気配に敏感だ。存在すら気づかせない子供など、前代未聞で───、
「輪廻」
「はい、紅葉様」
「今は余計なことは考えず、祭りを楽しも?うち、りんご飴食べたい」
不必要な思考に沈みかけた輪廻を紅葉が引き上げてくれる。
相手は子供だ。気配を感じとれなかったのは他に集中していたからというのもある。そこまで深くは考えず、輪廻はこの後にその子供のことを思い出すことはなかった。
~~~
「おぉ……」
夜空に咲く花。それは正しく、正しく───、
「発煙筒のようですね」
「台無しですね」
輪廻の率直な感想に、水蓮が呆れたように言葉を添えた。
現在夜の八時。輪廻、紅葉、水蓮の見上げる先には大量の花火が打ち上げられ、それぞれが不思議な軌道を描きながら美しい花を咲かせている。
それも数分で終わり、建国を祝う祭りの最後を飾るにふさわしい輝きも夜の暗闇に消えていった。
そして、人々の関心は次に向く。
「さて、始まりますね」
手に沢山のお土産を持つ水蓮が向く先、花火が打ち上げられていた広い草原の真ん中に、侍達が集まっていく。
人々は徐々に熱気を上げ、各々支持する侍を応援する時間へ突入する。
そして、それは一瞬にして終わる。
「帝様のご登場やね」
近衛武士に運ばれてきた輿の中から、簾越しに見える女性の影。それが帝であるとわかった途端、民は皆静かに言葉を待つ。
「これより、『刀儀』を始める」
帝がこの場で発するのは一言のみ。だが民衆はそれだけで大盛り上がり。近衛武士が審判を務める『刀儀』が始まる。
『刀儀』はいつも最終的に斬咲家と波門家の戦いになることは既に述べたが、それでも人々は新たなダークホースの出現を期待する。
しかしその期待とは裏腹に、今年の『刀儀』にそのかたやぶりな侍は現れなかった。
「さて、結局こうなるんですね」
戦場に立つ片方の侍は、片手で刀を構えて敵へ呟く。片やもう一人の侍は、両手でしっかりと刀を握りしめ、深く息を吸って吐いてを繰り返している。
「なぁに、また来年まで、某に挑む侍の出現を待つのみである!」
「灰呂殿が勝つことが約束されているような言い草ですね。その自信が、あなたのいいところですよ」
見合って、見合って、とある一拍のタイミングで、両者は踏み込んだ。ぶつかり合う刃と散らす火花。
色も音も輝き方も地味なのに、何故だかあの花火よりも目を惹くその決戦に、皆釘付けになっていた。
美しく描かれる銀の弧。それが交わり続けた戦いの決着は───