お互いの秘密
蟷螂のような蟲を相手に、暁は全く苦戦を強いられなかった。
強いていえば、茸に興味を奪われかねないことだろうか。目の前で動く珍妙な茸に注意をそらされ、鋭い鎌で跳ね飛ばされるなんて滑稽な失態を重ねたのは内緒だ。
「せぇい!!」
空気が弾けるような掛け声とともに、振り下ろされた木刀が、与えられた役割以上の成果を叩き出す。
硬そうな甲殻は豆腐のように切り裂かれ、真っ二つに体が割れて地面に倒れた。流れ出る透明な血液も、すぐに地面に吸われてなくなってしまうだろう。
「珍妙な魔獣であったでござるな。さて、白狼に加勢でも」
無惨な死体を前にそう呟き、頭上の戦いに意識を向けた暁。その背後に突如として出現した気配に暁は反射的に跳び上がった。
直後、暁がいた場所に、先程よりも小さな鎌が落下し、地面を深々と抉った。
惨劇を回避した暁の目の前に広がる光景に、暁は「おぉ」と感心した。
死した蟷螂の腹から、大量の赤ん坊の蟷螂が飛び出していた。その数は百を超え、目にも止まらぬ速度で成長している。
「名は知らぬが、珍妙で強力な魔獣であるな。数に力とあらば、こちらも本気で挑むでござる」
木刀を握りしめ、再び戦いが幕を開ける。
「さぁ、来い!」
魔獣の大軍の渦中へ、暁は木刀一本で突っ込んだ。
~~~
「オラァッ!!」
振りかぶられた木刀が見えた時、咄嗟に頭を防御してしまう。しかしその動きは読まれているようで、防御した直後に腹を足で穿たれた。
「ごほっ……もう、女の子は蹴っちゃいけないんだよ?」
「知らねぇなァ。俺が知ってんのは男だろうが女だろうが、他人は蹴っちゃならねぇって平和じみた世論だけだ」
「でも蹴ってるじゃん」
「平等じゃねぇのが問題だって言ってんだ」
「とどのつまり?」
「男も女も平等にぶん殴る。それだけだァ」
「最低じゃん。でもその考えには同感って思ったよ」
双刀を握りしめ、一歩踏み出すくノ一の姿が消え失せる。反射的に木刀を背中に回すと、案の定斬撃がそこに直撃する。
「でもそういう考え方の人って、自分が殴られること考えてないよね」
押し出され、白狼は勢いそのままに木の幹へ突っ込んでいく。背中で身体を受止め、木を蹴ってくノ一へ木の刃を振るう。
白狼の一撃は速く、重い。急所に喰らえば一撃であの世へ吹き飛びそうな威力は、暁でさえ喰らえば脳が揺れる。
短い攻防の中、白狼の攻撃の危険性を理解したくノ一は躱すことに全力を注ぎ、攻撃の合間に生じる隙を上手く突こうとする。が、
「オラオラオラオラァッ!!」
獣のような獰猛な笑みを浮かべた白狼の連撃に、合間など存在しない。
「もう何さ!君本当に侍?」
木を蹴り猿のような動きを見せ、驚くべき身体能力を持ってくノ一を翻弄する白狼。天才と評すにふさわしいセンスを持ち合わせた戦闘狂に、くノ一は『双刀術』を駆使しても圧倒できない。
「若い子は成長早いから苦手ー。お姉さんやる気なくしちゃう」
「俺も弱ぇ老人は嫌いだなァ、あとは腐ってくだけのクソ野郎だからよォ!!」
疾風を纏いし白狼は人間じみた動きをしない。人間を相手取ることが多いくノ一はその狂った戦闘法に戸惑ってばかりだ。
「強いし速いし、面倒くさいなぁ……てことで」
対面する二人。一本の木の枝の上で、互いに着地した瞬間に白狼は目を見開いた。
気配が明らかに別物に切り替わった。
「はッ!」
鼻を鳴らし、白狼は迫った死の予感全てを打ち返す。閃光に包まれたような視界、その正体はくノ一が放つ斬撃の波だ。
素早く奇妙な動きをするその斬撃を防ぐのは困難。ここで打てる最善手は、一旦後ろへ引き下がることだ。というか人間なら脊髄反射レベルでそのように動く。
しかし白狼は違った。
「ゥラァッ!!」
斬撃の波から引き下がるのではなく、その波を打ち砕かんと白狼は一歩踏み出した。急所に向かう斬撃だけを木刀を犠牲に防ぎ、他の斬撃は痩せ我慢で突破。皮膚が削ぎ落とされる感覚を無視して白狼は岩をも砕く拳を突き出した。
「うわ!?」
それはくノ一にとって予想外の攻撃。そもそも避けられると想定していた攻撃だったから威力も低い。最善手を超える最善手を選択され、くノ一は突き飛ばされた。
木の枝に足を突き刺そうと止まらず、木の幹へ体を埋めたくノ一へ、白狼は容赦なく拳を叩き込もうと踏み出した。
「流石に、ちょっと無理しよーかな!」
くノ一が手を前へと突き出した。その瞬間、待機で閃いたものを白狼は見逃さなかった。
極細の糸。『操糸術』による攻撃だ。見えずらく防ぎずらいそれを躱すのは至難の業だが、見えているなら話は別。
意気揚々と糸を全て躱して本体を叩こうとしたその瞬間、足に違和感を覚えた。
すぐさま足を引こうとしたが遅かった。気付けば足だけでなく全身を糸に巻かれ、ものの一秒で白狼は完全に動けなくなるほど糸巻きにされてしまった。
それは、目の前のくノ一が出した糸による拘束じゃない。別の角度から仕掛けられた、明らかな罠───
「いぇーい。多勢に無勢に卑怯な手。これ、忍の特権ね」
背後から、目の前で木に埋まっているくノ一と全く同じ声が近づいてきた。
本体と遜色ない能力を持ち、記憶や感覚を共有することだってできる、万能な忍専用の技、
「『分身』か……確かにそりゃ忍の特権だ」
瞳だけ動かして背後の景色を見えた白狼が笑う。そこにいるのは、両手の指からピンと伸びた糸を伸ばしているくノ一だった。
拘束されてしまっては白狼の持ち味も活かせない。どうにかしてここを突破しなければと考えていた白狼へ、『分身』は一つの話を持ちかけた。
「ねぇ、君さ、私達の仲間にならない?」
「……あァ?」
突拍子のない提案に、白狼は思わず全ての思考が停止した。聞き間違いかと思って訝しんだが、くノ一は両手をヒラヒラと揺らして「いやね」と続けた。
「正直さ、アタシら人手不足もいいところでさ、強くて役に立つ味方募集中なんだよね」
「んで、俺に来いってか?てめぇら片っ端から勧誘してんのかよ」
「してるよ。適材適所、その人にはその人が輝ける場所がある。人間の常識化に引かれた大衆の世界では、それは埋もれやすいし、打たれやすいし、発揮されづらい。でも、アタシらに付いてきたらそんなことにはならないし、今よりもきっと自由になれるよ?どう?」
悪い話じゃないでしょ、そう言いたげにくノ一は肩を竦めてみせた。白狼は提案を聞き、心内で噛み締めながら更なる会話を試みる。
「てめぇらの目的は?」
「それ言わなきゃダメ?」
「仲間になるとしたら、それくらいは共有しやがれ。入ってからやることがイタチ狩りだったら救いようがねぇ」
「同感」
くノ一は白狼の目の前に立ち、両手を広げて背筋を伸ばした。黒装束に隠された顔、しかし漆黒の布越しでも分かるほど、くノ一は口元を歪めて笑っていた。
「アタシらの目的は、主様の復活。闇の世界の再来さ」
「主だァ?その言い草じゃあ、考えつくのは──」
思考を巡らせ、今まで培ってきた知識を紐づける。そして結論にたどり着いた時、今起こっている様々な問題が全て繋がった。
「……てめぇら、まさか『魔王』を復活させようとしてんじゃねぇだろうなァ?」
「ご名答。アタシはあのお方の再来を、心の底から願ってる。恐怖で全てを支配し、それでいて聡明で貪欲なかの『魔王』。あれはまさしく、闇の女神」
心酔した様子のくノ一。その反応から白狼は疑念が増していく。
「まるで、『魔王』を知ってるかのような反応だなァ」
突然『晴宮』に攻撃を仕掛け、口からは『魔王』なんて単語を零して、闇がなにやらと胡散臭い。
しかしその言葉に嘘があるようには感じられない。
「本気なら狂ってやがるぜ」
「それ、褒め言葉ね」
くノ一は糸を握りしめ、強く引き始める。糸が皮膚にくい込み、血が滲み出て糸が赤く染まる。
「それで、どう?アタシらの仲間になる気になった?」
糸をギリギリと鳴らしながら問いかけるくノ一。選択肢があるような言い方だが、ここで拒否を選べば糸で体がバラバラになってしまう。
実質選べるのは一択。だが、それを素直に選ぶように白狼の頭はできていない。
「てめぇらがどこまで本気で『魔王』なんざの復活を望んでるかは知らねぇ……知らねぇが、少なくとも俺はそれを望まねぇ」
「───ということは?」
「悪ぃな、俺ァ泥船に乗るほど頭がイカれてる訳じゃねぇんだよ」
「ざんねーん、じゃ死んでー」
糸を引く力が強まり、全身が裂け始め、痛みで埋めつくされていく。そのまま肉を超えて骨を断ち、やがて命すらバラバラに細切れになって──
「……あれ?」
と、くノ一が違和感に声を上げた。肉にくい込んでいく糸の感触が、突然、岩に糸を巻き付けたような感触へと変化した。
巨大な岩石をフォークで切り裂くような、大海へマッチの火を投げ込むような、大空に向けて泥を投げつけるような、そんな強大なものを前にした絶望感。
糸越しに伝わってきたそれは、くノ一に無意識に畏怖の念を抱かせ、背筋を凍らせた。
「……まさか」
糸で締め付けられる白狼。血で赤く染った糸を見下ろして、彼は獰猛に笑った。
「オラァッ!!」
雄叫びを上げ、白狼が糸を自ら引き始める。ギリギリと音を立てる糸。しかし締め付ける糸は白狼の肉体を引き裂けない。
ならば逃げられぬそのエネルギーはどこへ向かうのかと言うと、
「え?」
操作しているくノ一の両手に向かう。
「うそーん」
白狼が糸を引いた拍子に、糸が巻き付けられていたくノ一の腕が糸に切り裂かれて吹っ飛んだ。
鮮血が舞い、糸が一気に緩んで白狼が自由になる。
すかさず『分身』のくノ一の顔面へ一撃ぶち込む。肉と骨が砕ける音が響いて、頭が黒装束の中でぺしゃんこになる。
すると『分身』は消え去り、目の前には双刀を持った本体のくノ一が木の幹から脱出し終えていた。
「君、凄いね。体硬いんだ」
「昔っから、体の頑丈さだけが取り柄だったもんでなァ」
飄々と言ってみせる白狼に、くノ一は今までにないほど強い鬼気を放った。
目の前の少年が、侍が覚えているというのはいささか不可思議な技によるものだと勘づいたからだ。
それは、肉体を鋼のように強固に変化させ、攻撃防御ともに超強化を施す忍の技、
「『拳術』……どこで覚えた?」
「師匠直伝だ。もちろん、こっち側のな」
そう言うと白狼は懐から小さな刃を取りだしてニヤリと笑った。
その刃には呼び名がある。──クナイだ。
「変な侍だね、君。しかも、ちょっと珍しい体質みたいだし」
「みてぇだな。自覚はねぇが」
「えーそりゃ嘘でしょ。だって君さ」
くノ一は自分の耳がある場所を指でつんつんとつついて、
「心臓の音バクバクで、ほとんど聞こえないんでしょ?」
「……さぁ?どうだかな」
胸の中で動く命の原動。その特徴を言い当てられた白狼の笑い。それにくノ一が吹き出した。
「お互いに不利が分かりあってよかったじゃん。こんな事言うのもなんだけどさ、アタシ今めっちゃ楽しいよ」
「奇遇だなァ、俺もだ。てめぇは暁の次に面白ぇ」
「へーめっちゃ嬉しい。結婚する?」
「しねぇ、そこまで俺は生きる気ねぇ」
互いに得物を握りしめ、強い殺気が交差する。するとくノ一は懐を漁りだし、一つの武器を白狼へ投げつけた。
「君はこっちの武器の方が得意なんでしょ?」
「はッ、分かってんじゃねぇか」
投げ渡されたのは、何の変哲もないただの刀だ。白狼の腰下と同じ位の長さ、クナイの何倍も長いリーチのほうが白狼は使いやすい。
「それとさ、君にだけアタシの秘密教えたげる」
「あァ?秘密だァ?」
「見て驚いてね」
くノ一がそう言うと、一拍遅れてその意味を白狼は理解した。
急増する魔力の気配。存在感が圧倒的に強まっていき、目でわかるほどの変化がくノ一に起こった。
くノ一の額から何かが生えのび、やがて限界を迎えて黒装束を突き破る。
それは、輝かしくも禍々しい二本の角であった。暗い森林を照らす赤桃色の光。闇が溢れ出し、くノ一に超強化が施される。
その姿を見て、白狼は今日で一番驚いた。
「てめぇ……鬼人か」
「そ。珍しいでしょ?」
この世に存在する珍しい種族の一つ。竜人に次いで数少ない鬼人が、白狼の目の前に存在していた。
鬼人の特徴は自らの超強化、つまりは覚醒技の保持だ。角を伸ばし、本来の姿へ戻ることで普段とは比べ物にならないほどの力を得る。
何故か強力な種ほど繁殖力は薄く、鬼人も例に漏れず数が少ない人間である。隠れて生きる鬼人が多いため、まだまだ謎多き種族なのだが、
「まさかここで出会えるとはなァ」
「でしょ?しかも、戦えるなんて貴重な体験じゃない?」
武器を構え合う二人。暁に鬼と評された侍と、角を煌めかせる鬼忍の激闘が、幕を開けた。