私の婚約者を奪った女に突撃したら、話の流れが変わった。
夜明け前の彼女の部屋に、私は怒りに任せ、アポイントもなく押しかけていた。ドアの前には警備兵がいたので、窓から入った。
もちろん、非常識極まりないという自覚はあったが、それでも向かわなくてもいけない理由があった。
彼女が私の婚約者と浮気し、今日近々結婚式を行うと正式に発表したのだ。
パーティー会場で、嬉しそうに笑う彼を見て私は激昂した。
ーー前々から怪しい雰囲気だと思っていたけど、本当に人の婚約者を奪うなんて!
と。
そんなわけで、私はパーティー会場で彼の隣に立っていた彼女の部屋に突撃訪問したのだ。
「一体どういうつもりですの?」
「申し訳ございません……」
彼女は怒りで我を失いかけている私に萎縮し、縮こまっている。小動物のように見える彼女だが、化けの皮を剥がせば人の婚約者を奪った女なのだ。躊躇ってはいけないと意気込む。
「あ、あの。私の話をお聞きください。お願いします」
「人の男を奪うような人と話すようなことはありません!」
「私は貴方からしてみれば、確かに貴方の婚約者を奪ってしまった悪女になります。でも、それは結果的にそうなってしまったんです!」
「はぁ!?」
ーー呆れた! よくもまあそんなことを!
私は彼女をぶん殴りたい衝動を抑え、拳を固く握った。
そうして、怒りで震える声でなんとか言葉を紡ぐ。
「もういいですわ。このことは、正式に抗議させていただきます。ごめん遊ばせ」
「お待ちください!」
この女と話しても埒が開かないし、私が問題行動を起こすだけだと結論つけた私は、さっさとこの部屋を帰ろうとする。
しかし、それは彼女が私のドレスの端を握ってきたことでできなくなっていた。
どうせ、ここで彼女の手を振り払えば彼女は私の元婚約者にすがりつくであろうことは予想できる。
私は大きなため息をつくと、少しだけですわよ、と部屋の中央に置かれたソファに座った。
それに彼女は、ずびずびと鼻を鳴らしながら、ありがとうございます、ありがとうございますと繰り返しながら、私の正面に座った。
そうして、話し合いが開始されたと思ったのだが。
「私は、彼と本当は結婚したくないんです」
私は持っている扇子を壊しそうになるが、なんとか踏みとどまり、彼女に笑顔を受ける。
「……何をおっしゃいますの? 私を揶揄っておいでで?」
「い、いえ。すみません。私、馬鹿なのでよく人を怒らせてしまうんです。すみません」
そのようですわねと同意しかけるが、貴族の令嬢がそんなことを言ってはならないと言葉を飲み込む。
私が強く握っている扇子が、軋む音を立てているが知ったことではない。
「それで、私に話したいこととは? 私も忙しいのです。できるだけ早く話して欲しいものですわ」
「え、えっと。彼と私の出会いから今に至るまで聞いて欲しいんです」
「……はぁ?」
元カノに惚気話を聞かせるつもりですの? と私は思わず言ってしまった。
だって仕方がないだろう。彼女がこんなことを言い出すのだから。
「惚気話ではありません。お願いします。聞いてください……」
彼女は泣き出した。
私は呆れて言葉も出ないが、ここで帰って仕舞えば後が怖いので、私が今日ここにきたことを他言しないことを条件に話を聞くことにした。
そうして彼女に聞いた話は驚くべきものだった。
彼女と彼の出会いは、彼が街中でハンカチを落とし、それを彼女が拾ったことから始まった。普通ならば、お礼の言葉を言って終わる話なのだが、なんとこの人たちの話はここで終わらなかった。
数日後、彼が彼女の家を訪ねたというのだ。
「……ちょ、ちょっと。待ってくださいまし。なぜ、ハンカチを拾っただけで、あの人が貴方に会いに行きますの?」
「一目惚れだったみたいです。私の家はギルドを使って特定したと、自慢げに……っ」
彼女は鼻を鳴らした。
ーー確かに、彼女から彼を訪ねてきたことはなかった。いつも彼が街に繰り出していたことを思い出す。
いつも彼の表情ばかり見ていたが、彼の隣にいた彼女はどんな顔をしていただろうか。
少なくとも笑顔ではなかったことを今思い出した。
「そこからはすごいんです。私、平民で、マナーとか何も知らないのにパーティーに参加させられて、私があの人と付き合っているという噂まで流されて。それで、貴族の令嬢たちから冷ややかな目で見られて。ドレスは彼が送ってくれたものを着ていたのですが、どうしても立ち振る舞いなんかで、身分がわかってしまって。恥ずかしくて」
「でも、パーティーへの出席を断ればよかったでしょう?」
先ほどまでの怒りはどこへやら。私は恐る恐る彼女に尋ねた。
「私だって、そうしたかったです。でも、そう言ったら、彼がこんなことを言ったんです。お前の家族がどうなってもいいのかって」
「……嘘でしょう?」
「本当なんです……。それに、ハンカチを拾った時、私の隣には私の恋人もいたんです」
「はあ!?」
もう何を話されても怖くない、そう思っていたのだが、あまりの驚くべき発言に私は素っ頓狂な声をあげた。
「彼がハンカチを届けた私の名前を聞いてきた時、彼に隣にいる男性は私の恋人だと紹介しているんです。だから、彼もそれを知っているはずなのに、私を自分の恋人のように仕立てあげたんです。そうして、昨日、私と結婚しないなら、彼がどうなってもいいということだな、と結婚の約束までさせられて」
「ちょっとまって。貴方、昨日まで結婚することを知らなかったの?」
「はい。ただの貴族の遊びで終わると思っていました。だからなんとか耐えられたのに、結婚するとまで言われて。それに、私は今日まで彼に婚約者がいるなんてこと知らなくて。今日初めて知って、令嬢からの冷ややかな視線に納得がいったんです」
「でも、私のことを知ってらしたでしょう?」
そうなのだ。今まで街中で、ショッピングをしたりデートをしていたり、王宮の中で散歩している彼女たちに遭遇したことがあり、二言くらい話しているはずなのだ。
だから私は違和感を覚え、疑問を投げかけた。
「彼は貴方と遭遇した後、いつも私にこう言っていたんです。あの女は私の恋人だと言い張るおかしな女だから無視するようにって。私もそれを信じてしまっていて。知らなかったとはいえ、貴方に悪いことをしてしまったのは事実です。申し訳ありません」
ーーあの男!
まさかそんな複雑なことになっていたのかと私はこめかみを押さえる。
「誰かに相談したりなんかはできませんでしたの?」
「私平民なので、家族や恋人にはとてもじゃありませんが相談できませんでした。平民ですよ? 相談しても貴族とのトラブルを対処できるわけないじゃありませんか。社交界でも貴族のご令嬢は私のことを軽蔑しており、まともに取り合ってくれないでしょうし、なにより、護衛という名の監視役の騎士がいつも私の近くに張り付いているのでどうすることもできなかったんです」
「なるほど、私に話せたのは、私が今日約束も無しに、窓から入ってきたからなのですね?」
「はい、そうなんです。ここで逃せば、もう後がないと思い……」
私は、自分を落ち着かせるために大きな息を吸い、そして吐き出した。
まさかこんなことになっていたとは。もちろん彼女の言い分だけを聞き、物事を判断するわけではないが、彼女はどうにも嘘をついていないように見えた。
彼と彼女の話の詳しい経緯は懇意にしているギルドに調べさせることにして、私はとりあえず、すんすんと啜り泣く彼女にこう言った。
「安心して、私がなんとかするわ」
彼女はパッと顔を上げた。その表情は期待の色に染まっていた。
私は元婚約者からこの子を守ることを決意した。
それはただ彼女があまりにも不憫だったからであり、彼を取り戻そうなどという魂胆は少しもない。
この話を聞いて、私もこのことが終われば彼から離れようと決意した。
「ほ、本当ですか?」
「ええ本当よ」
私はニコリと微笑み、彼女を抱きしめた。すると、彼女は今まで我慢していたようで思いっきり泣き出した。
かくして、私の彼女を逃すための戦いが始まったのである。