屋上青春同盟
高校生の川内陽菜(私)は、クラスメイトの学級委員、高峰美鈴の嫌がらせから逃れるために、昼休みを屋上で過ごしている。次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
ドアがわずかに動いたその瞬間、諦めに似た思いを感じた。私にとって屋上は、守られる空間だったはずなのに、こうも簡単に崩れてしまうものなのか。
最後に食べようと残していただし巻き卵に手を付けられないまま、ドアを見つめる。その後ろに居るのが奴らだというのは肌で感じていたけれど、どこかまだ別の人であってほしい、自分の知らない誰かであってほしいという願いが消えない。
もちろん、叶うはずもない。
「あれ?陽菜ちゃーん、だめだよ、こんな所に居ちゃ」
学級委員の皮を張り付けた美鈴が、ドアの後ろから顔を出した。
「あ、ごめん、美鈴ちゃん…」
「いつもどこに居るのかと思ったら…屋上って基本立ち入り禁止だからね」
「うん、ごめんすぐに出る」
片づけようと弁当に伸ばした手を掴まれた。そのまま美鈴は開いている右手で私の弁当を掴むと、地面にひっくり返す。
「え…」
「あ、ごめ~ん、間違えちゃった」
卵焼きの黄色が、砂にまみれてくすむ。何も理解できないまま顔を上げると、嫌な笑みを浮かべた美鈴と目が合った。
「片づけるの手伝おうと思ったんだ。そしたら手が滑っちゃって」
棒読みでそんなことを言われても、全く頭に入ってこない。
「……こんなことしていいと思ってるの?」
「なにそれ。先生にでもいいつける?誰も見てないこの場所で、陽菜の言い分と私の言い分、先生はどっち信じるだろーね」
そこで気が付いた。今日はいつもなら聞こえる野次が全く聞こえない。美鈴は取り巻きなしで、一人でここまで来たのだ。取り巻きとはいえ、誰かが見ている場所では美鈴の化けの皮は完全に剥がれることはない。こんな物理的な攻撃に出るはずないのだ。
その点、この場所は都合が良すぎる。誰も来ない。使い続けた私は身を持って知っている。仮に私が誰かに言いつけたとしても、証拠は何も残らない。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「あーあ、終わっちゃった。行かないと。逃げないでね、また遊ぼ、陽菜ちゃん」
優雅に化けの皮を翻し、美鈴は屋上から去っていった。何もする気になれないまま、屋上のドアを眺めるだけの時間が過ぎていき、もう一度チャイムが鳴った。おそらく授業が始まったのだろう。でも、私を動かすには弱すぎた。
ふと、青い空が目に入った。
青い春と書いて、青春。高校生になったら当たり前に訪れるだろうと思っていたものは、手の届かない高い場所にあるみたいだった。灰色の屋上で、私はなんて惨めなんだろう。
——あの大空に手が届けば、私も青春を生きられるだろうか。
気づいたら足が動いていた。屋上のフェンスは高い。でも私の身長程だから、乗り越えられないほどじゃない。手を伸ばせば、簡単に外側に行けた。1mもないくらいのその場所で、目いっぱいの青空に包まれて、肌で感じる。これが青春、もう何も怖くない。このまま自然に身を任せて、自由に落ちていこう。
一応、下を見た。すぐに後悔した。吹き上げてくる風が怖くて、スカートが捲れるんじゃないかなんて今更の心配をして、せっかく立った校舎の淵から一旦引き下がる。
ふいに人の気配がして振り返ると、私の弁当の残骸のそばにいた男子生徒と目が合った。
「なにしてるの?」
思わず言ってしまった直後に、自分が今そんなことを言える状況じゃないことを思い出す。
「ちょっとサボり。お前も?」
「うん、まあそんな所かな」
なんとなく気まずくて、とりあえずフェンスを上って内側に戻った。
「ごめん、それ、私の弁当」
急いで荷物に駆け寄り、散乱した中身をまとめて弁当箱に詰め込んだ。
「あ」
男子生徒が急に口を開いて、リュックを漁り始めた。やがて目的のものを見つけたようで、私に向かって差し出してきた。
「食べる?あ、半分だけど」
購買で一番人気のクリームパンだった。
「いいの?」
「だって弁当、」
どこか困ったような表情で口を閉じてしまった。その先を言わなかったのは私への配慮かもしれない。純粋に嬉しかった。
「ありがとう」
「おう」
お互いそれ以上何も言わずに、黙々とパンを食べる。満たされていく心と体に、視界が歪んだ。
問
「あの大空に手が届けば、私も青春を生きられるだろうか」とあるが、「私」がそう考える理由を述べよ。