みんな、かわいそう。
「やらなきゃよかった」と思うことは21年間生きてきて数えきれないくらいあった。
「やってよかった」と思うこともあるが、記憶に強く残っているのは前者だ。
やればよかったと後悔するならばと行動を起こしてみても最終的に行きつくのは
「やらなきゃよかった」が圧倒的に多いしずっと覚えている。
…ここに帰ってきて、戻ってきてよかったのか。正解だったのか。
そう思うのは自分の中でどこか「帰らなきゃよかった」の気持ちがあるからだ。
札幌と東京じゃ土地にもえらい違いがあるが何と言ったって
実家に帰るということだ。親のいる実家に帰る。
最初札幌に帰ってこいという話をされたときに正直「帰りたくない」が最初に頭に浮かんだ。
札幌には帰りたい。実家には帰りたくない。
上京した理由として半分以上割合を占めているのが「家出」だ。
この人たちと暮らしても続かないと思った。
札幌と東京くらい物理的に距離がないと、普段気軽に話せる距離にいないと仲良くできないと去年感じた。
表向きには仲良くしてるし友達にも仲がいいんだね。と言われることがしばしばある。
それは嘘。娘が親に気を使っているだけ。だから仲良く見えるだけ。私しかこの事実は知らない。
親には尊敬しているところ、自分の親として感謝しているところ、親としてどうかと思っているところ
人としてどうかと思っているところがある。
最初に述べた通り私はネガティブな印象を持つとそこにばかりフォーカスを当てる癖がある。
つまり、悪い印象がある時点でその人のことは好きではないのだ。血のつながった親でさえ。
娘に夫婦喧嘩の伝言役をさせる人たちのことを親というのだろうか。
娘に痴漢をする人を父というのだろうか。
たかが短期間の出来事、たかが数回の出来事でさえもう親としての信頼はない。
私にどんなことしたのか、私がどんなふうに感じたのか。
分かるわけがない。あんな親。
分かっていればそもそもそんなことしない。謝られても許さない。
私は人として、親としてそんな人にはなりたくない。
そうならないために勉強頑張ってきた。
バイトも頑張って、上京してセクハラパワハラに耐え、無職の期間はコンビニの単発バイトのはしごをした。
一緒になりたくないから、一生懸命頑張った。
今まで私が頑張ってきたことを親はうちの娘がすごいという自慢ネタを他人に披露するのだ。
私がなんで頑張るか知ってる?
あなたたちと一緒にされたくないからだよ。
かわいそうに、そんなこともわからないんだね。
みんな、かわいそう。
私はいったいどんな人になりたいんだろう。