第三話 一人じゃないと思えれば
自転車屋で子ども用自転車を四台確保すると、俺はホッと胸を撫で下ろした。火事場の馬鹿力がいつまでも続くわけがない。既に足がパンパンになっていたから、あの重量をずっと引いていくのは無理だと思っていたのである。
そのまま自転車屋で座り込み、リュックに入れていた缶詰をいくつか取り出すと、皆の前に並べる。
「兄ちゃん、オレあんまり食欲が」
「気持ちは分かるが食っておけ。いざという時に、空腹で倒れられても困る」
そうして、みんなで暗い顔のまま食事を取る。
まぁ無理もないよな。自分が知らない間に友達の肉を食わされていた、なんてことが分かったんだから……避難所として利用されている彼らの学校も、既にポジティブ・ゾンビに支配されている可能性が濃厚だ。状況は絶望的。むしろ子どもの割に泣きわめいたりせず、理性的な行動が取れているのに感心するくらいだ。
ひとまずこの表情を見ていれば、子どもたちがポジティブ・ゾンビである可能性は低そうだと分かったので、俺は自己紹介を始めることにした。
伏見康介、大学生。清水茜、引きこもり。順にそう自己紹介すると小学生たちの目が点になる。
「引きこもりって……都市伝説じゃなくて、本当に実在するんだ」
「そこは掘り下げないでやってくれ」
次いで、小学生たちの自己紹介が始まる。天橋翔吾が四年生、その妹の瑠香が二年生。翔吾と同じ四年生の、二条葵と賀茂雪音。
話を聞けば、避難所になっている彼らの小学校では少し前から失踪者が出始めていて、昨日はとうとう友人のケンタが行方不明になったんだとか。訝しく思った翔吾が妹の瑠香を連れて学校を出たところで、同じく危機感を覚えて逃げてきた葵と雪音が合流したのだという。
「オレたち、一応行き先は考えてたんだ」
「というと?」
「うちの爺さんのところ。けっこうな頑固ジジイでさぁ……自分ちの山を有刺鉄線で囲って暮らしてんだぜ。いつもピリピリしてて怖いんだ。ただ、なんでか瑠香にはめちゃくちゃ甘いから、一緒に連れて行けば逃げ込めるかなと思ってて」
なるほど。翔吾いわく、爺さんの山では山菜や木の実、茸なんかも取れるらしい。それと、近くの川では魚や沢蟹も取れるそうだ。社会基盤もガタガタなこんな世の中で生きていくには、理想的とも言って良い環境だろう。
「もし良ければ、兄ちゃんたちも来るか?」
「それは……ありがたいが、いいのか?」
「うん。そもそも、子どもだけで爺ちゃんのところまで辿り着けるかってのが問題だし。隣の県だからさぁ。それと爺ちゃんもいい歳だから、いつまで生きてるかも分からない。そう遠くないうちに、子どもだけで生活することになるから……それを考えたら、兄ちゃんたちがいてくれた方が何かと助かると思ってさ」
その後も色々と話し合ってみて、いくつか意見も出た。だがひとまずは、俺たちも翔吾の爺さんのところに行ってみよう。そういうことになったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
【翔吾、瑠香へ。この手紙を読んだ時にもし儂が死んでいたら、おそらくポジティブ・ウィルスとやらに感染して自ら命を絶ったのだと判断してほしい。妻に先立たれて以降、儂がこれまで生きながらえていた理由は、単純に死ぬ勇気が持てなかっただけなのだ。そのため、もしも前向きな気持ちになれば、儂は“よし死のう”と決意して即座に自殺を図るはずである。山や家のことはお前らの好きにして良い。達者で暮らせ】
猟銃で自分の頭をふっ飛ばしていた爺さんの亡骸を、庭の隅に埋葬する。手紙を読んで翔吾と瑠香は涙を流していたが、墓穴を掘る仕事はしっかりとこなしていた。完全に割り切るまでには、まだしばらく時間がかかるだろうが。
山の中に建てられた家は見た目こそ古い日本家屋であるが、設備を見れば古いなんてとんでもない。屋根のソーラーパネルから大きな蓄電池へ電力を溜め込み、ポンプを動かして水を地下から汲み上げている。キッチンもオール電化で、最新式の湯沸かし器とバリアフリーの風呂場も完備。つまり……時間とお金を余らせた偏屈爺さんが、ひたすら快適な自給自足を求めて改造していった最新拠点なのである。
「とりあえず……当面は安心できそうだな」
俺がそう言うと、茜はきょとんとした顔で首を傾げる。
「当面しか安心できないの?」
「そりゃそうだ。こういうのはちゃんとメンテナンスされるのが前提の設備だし、そもそも何十年も動き続ける機械じゃないんだよ。壊れた時に備えて、古代人みたいな生活も出来るように練習しておかないと」
うへぇと顔を歪める茜に苦笑いを返しながら、ほんの少し気持ちを緩める。やることはまだまだたくさんあるが、とりあえず拠点になる場所が決まったことだけは安心して良いだろう。
ここに来るまでの道中、見つけた図書館では様々な本を入手してきた。まだまだ読み切れていない本はたくさんあるが、今のところ分かったことといえば……現状で、俺たちのような農業の素人にまともな畑は作れないということだった。なにせ「ちゃんと化学肥料を継続的に用意できること」が大前提の資料ばかりなのだ。
「じゃあどうするの?」
「あぁ。自然の中に種を植えてみようと思って」
「んん?」
俺は一冊の本、「自然農法」と書かれたものを取り出す。
そこには――畑を耕さず、除草もせず、農作物が本来持つ生命力を活かして自然の中で育てるという農法が説明されていた。正直に言って、これだけで本当に全てが上手くいくとは思っていないし、ダメになってしまう種なんかも大量に生まれるんだろうが……ただ、素人が肥料もなしに持続的に生きていこうと考えたら、畑を作るよりもまだ成功する可能性が高いと思ったのだ。
「まずは山の地図でも作ろうか。日当たりや水はけ、土壌、植物相の調査。いろんな場所にいろんな種を植えて……後は植物が持つ生命力を信じるんだ。土壌改良とか、種の組み合わせとかには色々と工夫が必要だけどな」
「うわぁ……すごく失敗しそう」
「まぁ、手間の割に収穫量は大したことがないというか……持続可能性は高いが、普通の農業ほどの生産効率は期待できないからな。上手くいくようになるまで時間もかかるだろうし、まだしばらくは缶詰生活がメインか。じゃがいもあたりが上手いこと繁殖してくれると助かるんだが」
それに、俺たちは農業だけに時間を割くわけにもいかないのだ。
ゾンビどもや略奪者の存在を考えれば、現状の有刺鉄線による防衛では心もとないから強化が必要だ。リヤカー付き自転車を転がして物資や書籍を入手してくるのも大仕事だし。川魚を取るための罠もしばらく試行錯誤が必要だろうし、放棄された畑から種芋や苗なんかを泥棒してくることも必要になる。
もちろん、問題はたくさん起きるだろう。もっと最善なやり方があるのかもしれない。
しかし……決して楽観的にはなれないが、まぁ過度に悲観的になる必要もない。目の前の現実はどこまでも厳しいが、どうせ今の自分に出来ることを選択しながら、とにかく考え続けてやって行くしかないのだ。これまでも、これからも。
「あ、あのさぁ。気付いちゃったんだけど……私ってもう用済みなのかな。今の状況で役に立てることなんて何も思いつかないし。無能な根暗女だし。もしかして捨てられちゃう?」
「いや……そもそも最初から何の役にも立ってなかったろう」
「酷い! 康介はいっつも事実で殴ってくるんだから! あのさ! あの……あのね。こういう時はこう、そんなことないよーとか言って、優しく抱きしめたりとかね、する場面じゃないのかなぁって思うんだけど……私は、その」
あぁ、茜はどこまでも茜だなぁ。
彼女よりはマシだが、俺も根がネガティブな人間だ。これからも色々と悩むことがあるだろう。ただ、自分自身が前向きじゃなくても、隣にいるパートナーがさらに後ろ向きな人間でも……少なくとも、一人じゃないんだと思うことができれば、どうにかこうにかやっていけるような気はするのだ。
こんな考えは、ポジティブ過ぎるだろうか。でも今の俺は、茜を見ながらそんな風に思っている。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――こうして、“ポジティブ大崩壊”により人類の個体数は一万人を下回るところまで激減してしまいました。当時は“日本”と呼ばれていたこの大和列島も、いくつかのムラが点在するだけの寂しい土地となってしまったわけです」
歴史を担当しているオバサン教師が、生徒たちに巧みな催眠術をかけていく昼下がり。同級生が次々と夢の世界へ旅立つ中、一人の女子生徒がオバサン教師と一対一の対決に臨む。
「はい、先生! 当時は今と遜色ないくらい技術も進んでいたのに、どうして多くのムラが滅亡してしまったのですか?」
そんな無邪気な質問に、教師はうむと頷く。
「そうですね……その理由は諸説あり、現在も様々な研究者の間で議論になっていますが。もっとも大きかった要因は価値観の違いだろうと言われています。最新の研究で判明しているのは、当時は世界的に……」
「世界的に?」
「……過度にポジティブを尊ぶ文化が発展していたようです」
オバサン教師はホワイトボードに本の表紙を投影する。
それは、世界中の様々な遺跡から発掘された「ポジティブ大崩壊」以前の書籍の画像である。さすがに古代文字そのままでは解読できないため、横に現代語訳が併記されているが。
「見なさい。まず『一分でポジティブになる魔法の言葉』」
「え、ヤバい薬かなんかですか? 洗脳?」
「当時の人はナチュラルに、一分でポジティブになることを強いられる文化で生きていたようです。地獄ですね」
オバサン教師はふぅとため息を吐き、画像を切替える。
「これは『ポジティブな人はなぜ成功するのか?』」
「はい! ポジティブ過ぎて失敗を認識できないから!」
「研究者の間でもその説が有力です」
次の画像は、これまた衝撃的なタイトルである。
「次は『人をポジティブにする心の処方箋』」
「えっ! これこそヤバい薬じゃないですか!」
「まったくです。当時はどんな薬が出回っていたのやら」
その後も、信じられないようなタイトルばかりが並ぶ。
曰く、『ポジティブになれる七つの習慣』『ポジティブな人だけが知っている法則』『やればできる!』『嫌われても気にするな』『リーダーはポジティブでなければならない』『ポジティブな脳を作る方法』『人生をポジティブにする十人の言葉』『ポジティブは訓練で鍛えろ』『諦めない人になろう』『人生は感謝だけで上手くいく』『なんとかなるさ』『自分を好きになれ!』『苦難困難どんと来い』『人生苦あれば楽あり、大丈夫大丈夫』……。
オバサン教師と女子生徒は顔を見合わせて、深く頷く。
「先生……これだから人類は滅びかけたんですね」
「えぇ。こんな人間ばかりになれば滅びて当然です」
もちろん、彼女たちもポジティブな言葉を全否定するわけではない。だがしかし、行き過ぎたポジティブは薬ではなく毒として働く場面が多いのもまた事実だ。自分にあった用法・用量をちゃんと考えて利用する必要があるのである。
「少々脱線しましたが……授業を続けましょう。大和列島に点在するムラを統一した女王アカネは、王配であるコウスケとの間に五男五女をもうけます」
「頑張りましたね」
「えぇ。しかしそのうちの半数は集落の奥の方に引きこもり、残りの半数でどうにか頑張ってクニを作っていきました」
そこから徐々に増えていったのが現在の大和人のため、DNAを調べればほぼ全ての大和人が女王アカネの血を引いていることになる。またその後、世界に散らばった大和人も多くいたので、女王アカネの子孫は今や世界中に大勢いた。
伝承では、女王アカネは極端にネガティブだったと言われている。人類の中興の祖と言っても良い女性がそんな調子だったためか、はたまた彼女の血を引く者があまりにも多かったためか、今の世界ではネガティブこそが素晴らしいと尊ばれる社会にまでなっているのだ。
「普通に考えて、堅実だったり思慮深い人ほどネガティブだと思うんですよね」
「えぇ。それに繊細な感性の持ち主でないとネガティブにはなれませんから」
ネガティブというのは健全な社会に必要な、非常に優れた資質である。
ただ一つだけ難点を挙げるとするならば、真にネガティブな人間にはそんな言葉をかけても「でも……」から始まる否定の言葉を自分で吐いて、自己否定からさらに落ち込んでしまうことである。
世の中なかなかうまく行かないものですね、とオバサン教師と女子生徒は顔を見合わせて苦笑いしたのであった。
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