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第一話 ポジティブ・ゾンビ

本作は全ジャンル踏破「SF_パニック」の作品です。

詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。

https://ncode.syosetu.com/n0639in/

――人生苦あれば楽あり。失敗は成功の母、大丈夫大丈夫。


 同じサークルに所属する陽気な先輩はそう言いながら、借金をしてまで起こしたベンチャー企業を半年で潰し、音沙汰がなくなった。

 クリスマスイブの夜。乾燥した冷たい空気を誤魔化すように、イルミネーションで無理やり飾り立てられた虚ろな街。浮かれている恋人たちを尻目に、俺はかつて先輩が「ポジティブじゃなきゃ彼女なんて出来ねーぞ!」とウザ絡みしてきたのを思い出し、少々しんみりとした気持ちになっていた。


 俺は別に、先輩のことを嫌いだとまでは思っていなかった。まぁただ、奴の「ポジティブな言葉」に付き合わされ続けるのに少々うんざりしていたのも事実である。

 人生苦あれば楽あり。大丈夫大丈夫。そういう言葉にも使い時というものがあるわけで。例えば、妊娠した途端に彼氏にフラれてしまった女の子へとかける言葉としては、あまりに残酷だろうと俺は思うのだ。泣き喚く女の子に「悪気はなかった」と弁明したところで、いっそ悪気があって欲しかったとすら思う。


――ポジティブじゃなきゃ彼女なんて出来ねーぞ。


 そんなわけないだろう、とは思うが。大学三年になり、就活もひとまず落ち着いて、ぽっかり時間が空いているから……今のうちに恋人でも作るのが、たぶん健全な大学生というものなんだろうな。世間はそんな奴らに溢れているのだから、どうにか頑張れば、俺だってその輪に加われる可能性はある。

 それでも俺は、クリスマスにジングルベルを聞きながら可愛い恋人といちゃつくようなキラキラした自分を、うまく思い浮かべることが出来ないでいる。それよりも、先輩みたいなどうしようもない男と牛丼でも食べながら変な話題で盛り上がる自分の方が、しっくり来てしまうのだ。


 デートの予定など元より存在していない。

 早々に家に帰ってきた俺は、キッチンに立って気分を入れ替える。


「ホッケでも焼くか……あとは熱燗と、大根おろし」


 まぁ正直に言えば、少し寂しくはあるのだ。

 そこそこネガティブな俺にとって、陽気な先輩と一緒にいるのは楽しかった。彼女を取っ替え引っ替えするたびに自慢してくる鼻持ちならない部分はあったが、夜中にラーメン屋に連行されて馬鹿話を聞かされる時間を、俺は自分で思っている以上に「楽しい」と感じていたらしい。今ごろ、どこで何をしているのやら。


 そんなワケで、クリスマス気分とは真逆の行動を取りたかった俺は、部屋で一人居酒屋を開店することにした。

 客は俺、店員も俺、料理人も俺。テーブルに並ぶのは焼きたてのホッケと、だし巻き卵、梅きゅうり、冷奴に炊き込みご飯。それで熱燗をちびちびやりながら、スマホを横置きしてネットテレビを流し見するのである。


――俺はこうして一人でいるのがお似合いだな。


 そんな風に適当に寛いでいると。スマホの画面には「緊急記者会見」という赤文字と共に、この数年ですっかり見飽きるくらい見慣れてしまった内閣総理大臣の、皺だらけのしかめっ面がデカデカと映し出された。


『そのウィルスに感染すると思考が楽観的に――つまりポジティブになってしまう、と。そんな危険なウィルスが今、世界的に蔓延しているのであります』


 重田首相は、持ち前のダンディーな声で事態の深刻さを語る。話題になっているのは、通称ポジティブ・ウィルスと呼ばれるものである。一週間ほど前、米国に突如として現れたその新種のウィルスは、人間の考え方を強制的に前向きなものへと書き換えてしまうというのだ。

 感染者は常にニコニコと笑顔を絶やさず、油断している者にガブリと噛み付いて感染を広げていくらしい。その特殊な感染方法は、完全にゾンビ映画のソレである。


『ポジティブなのは良いこと? それは事態を軽く見過ぎだ。そんな悠長なことを言っていられる段階はとうに過ぎているのです』


 重田首相は口癖のように「悠長な」「危険だ」「緊急だ」と発言することで有名だ。画面の端っこに表示されているコメント数が急激に増えていくが、どうせ「今回も“悠長”いただきました」などと茶化す言葉で盛り上がっているのだろう。容易に想像できる。


『この一週間だけでも、交通事故の増加。工場災害の多発。行方不明者の続出。一部地域では停電の復旧目処も立たず、このまま感染が進めば社会は……』


 そう言って、一旦言葉を切った重田首相は。


 一転。

 口の端をニンマリと持ち上げ、目を細める。


『……たぶん大丈夫』


 首相の雰囲気がガラリと変わる。よく見れば、その首には何かに噛みつかれたような痕がついていて……ゾワリ、と俺の背筋を悪寒が走った。


『根拠はありませんが、たぶん大丈夫であります』


 首相がそう言うと、中継画面が突然乱れる。そして、そのままプツリと「配信停止中」の文字が表示され、俺は箸を動かすのも忘れて固まってしまう。熱燗もいつの間にか冷酒になっている。


「これは……だいぶ不味いんじゃないか」


 悲観的な展望を語ってばかりだった首相の、あまりに突然の変貌ぶり。皮肉にもその日を境に、日本人はポジティブ・ウィルスに対して強烈な危機感を抱くようになったのである。


  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 生活の基盤が軒並み崩壊したのは、それからすぐのことであった。


 ポジティブになった感染者――通称ポジティブ・ゾンビは、奇声を上げながら自動車をかっ飛ばし、幹線道路を事故車と死体で埋め尽くした。しかし、警察も消防も自衛隊も「大丈夫だと思います」と役割を放棄してしまう。流通が止まればスーパーもコンビニも営業をやめざるをえない。

 都市部では食料もろくに手に入らなくなり、街を徘徊するポジティブ・ゾンビどもは大きく三つの派閥――餓死派、死体喰い派、踊り喰い派に分かれるようになった。しかし彼らは「多様性って良いよね」と互いを認め合っており、派閥の壁を取っ払ってアニソン合唱祭を開催したりと日々楽しそうに過ごしているらしい。


――早々に都会を離れる選択をしたのは正解だった。


 俺はひたすら自転車を漕ぎ続け、一ヶ月ほどかけて田舎の実家まで帰ってきた。

 両親は無事だろうか。うるさいくらいに脈打つ心臓を落ち着かせるため、深呼吸を一つ、二つ。頬を叩いて気合いを入れ直し、もう一度深呼吸をして、それからゆっくりとインターホンを押す。


『はい。伏見でございます』


 いつも通りの母親の声に、少しだけ気が緩みそうになる。

 しかし、まだ安心はできなかった。ポジティブ・ゾンビは映画のゾンビと違って、普通に喋るのである。ちゃんと判別するには、もう少し会話を重ねなければならない。


「母さん。俺だよ。ただいま」

『あら、康介? 今、玄関開けるわね』

「待った。その前にいくつか確認したいんだが」


 ふぅと息を吐いて、質問を投げる。


「母さんは避難所には行かなかったのか?」

『うん、それが追い返されちゃったのよね。なんでも、少しでもポジティブな発言をする人は信用できないって』


 それはまぁ、旅の途中でもよく聞いた話である。

 ちゃんとしたウィルス検査の方法すら確立されていない状況下では、とにかくポジティブな発言をする人物を遠ざけるしか身を守る手段がない。初対面で好印象を覚えるような相手にほど、用心する必要があるのだと。


 この返答だけでは感染の判別はできないため、俺は次の質問をする。


「世の中が大変なことになってるが、大丈夫か?」

『うん、大丈夫よ。ご近所さんと助け合ってどうにか暮らしてるけれど、前よりも人間関係が広がったくらい。むしろ今のほうが楽しいかもしれないわね』


 この返答は……だいぶ怪しい。

 もともと母さんは弱音なんて吐かない人ではあるけれど、この状況下でここまで楽しそうにできるほどポジティブだっただろうか。


 もう少しだけ、質問を続けよう。


「食料はどうしてるんだ? 足りてるのか?」

『うん、今はお腹いっぱいよ。ちょっと前までは腹ペコで死んじゃいそうだったんだけどね。お父さんが先に死んだから、そのお肉を頂いたのよ』

「……そっか」


 俺はそのまま踵を返すと、自転車まで戻る。これは、予期していた結果の一つに過ぎない。実家はもう手遅れだったが……まだ落ち込む時間じゃないだろう。

 道中で手に入れた食料は残っているから、今は一刻も早くこの場を離れるのがいい。正直、この先の展望は何も見えていないが。そう思い、サドルに跨がろうとした時だった。


「あ、あのっ!」


 すこし離れた場所から声をかけられ、顔を向ける。


「康介、だよね……伏見康介」

「ん……茜か?」


 そこにいたのは俺の幼馴染、清水茜であった。

 風のうわさでは、彼女は大学を早々に退学して実家で引きこもっていると聞いていたのだが……ボサボサの髪にダボダボのスウェット上下、ゴムのサンダル。目の隈から割れた爪まで、なんだか全体的に不健康そうな様子であった。


 寒いのかガタガタと震えているが。まぁなんにせよ、まずはゾンビ確認からだ。


「茜は避難所に行かなかったのか?」

「む、むむむ無理無理。集団生活とか絶対無理」

「……よし。ゾンビではないな」

「へ?」


 一瞬で確認が終わってしまった。そういえば、昔からこういうヤツだったな。

 基本的に身の回りのすべての物事に、なんでもかんでもビビり倒していた彼女は、小学生の時に運動会のピストルの音で気絶したという伝説を持つ女である。

 また中学時代には黒魔術に開眼し、左手に巻いた包帯の中に邪神を封印することで陰ながら人類を救っていたという伝説を持つ女でもあった。


「あ、あの……康介。わ、私を連れてってほしいの」

「どこに?」

「どこかに……あの、私、お父さんとお母さんに食べられそうになって、どうにか逃げてきて、でも外は寒いし、お腹は空くし、もうどうしていいか分かんなくて、あの……全然なんも分かんなくて」


 あぁ、なんだかホッとするなぁ。

 ポジティブなんてモノとは存在概念からして真逆の彼女は、案外この世界で最も信用できる存在なのかもしれない。なにせ今現在、絶対に感染していないと確信できる人間は貴重である。それにこれから先、彼女が感染したら即座に判別できる自信もあった。


 ずっと張り詰めていた緊張の糸が、フッと緩んだ。


「分かった。一緒に行こうか」

「い、いいの?」

「あぁ。とにかく急いでこの場を離れよう。どうせ何も持ってないんだろ? まずは自転車。あとはアウトドア用品。着替えも食料も必要だ」


 ひとまずの目標はホームセンターかな。まだ何か品物が残ってると良いんだが。

 俺は寒そうに震えている彼女にアウターを着せると、自転車を押していく。この先の生活がどうなっていくのか……ゾンビどものようなポジティブな展望など、何も持てないままに。


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