幸運のアイスもなか
蒼井夏実は、和菓子屋の娘だった。子供の頃は、餡子の炊ける匂いなどが嫌だった時期もあったが、今はそうでもない。住宅街にあり、庶民に親しまれている和菓子は、悪くないんじゃないかと思っていた。夏実も大学生になり、だいぶ丸くなっていた。
ただ、コロナの影響を少なからず受け、売り上げは下がっていた。和菓子自体の人気は普遍的だったが、収入が下がっている人も多く、お菓子よりも生活必需品に金を回している人も多いのだろう。
そんな中、少しでも家の役立ちたいと思い、夏実はアイスもなかを新製品を開発した。片手で食べられるミニサイズで、フレーバーも多くした。抹茶、チョコ、バニラ、バナナ、チョコチップなどなど。元々アイスもなかは販売されていたが、あまり人気も出ず、和菓子職人の親が廃盤にしようとしていたので、夏実がアイディアを出し、新しいものに生まれかわらせた。ミニサイズだし、罪悪感も刺激されない。
販売方法も夏実が考えた。アイスはどうしても夏にしか売れない。店で売るよりは、自転車で移動販売でもした方が売れそうだった。また、お祭りなどのイベントは、客の財布の紐も緩くなっているはずだ。
親は最初は渋っていたが、結局夏実の熱意に押されて、こんな移動販売が許可された。大学の夏休み中はずっと公園やお祭りの会場に出掛けてアイスもなかを売り捌いていた。
今日も朝から暑かったが、近所の公園まで自転車とクーラーボックス、パラソルを持ち込んで営業していた。
「美味しくて冷たいアイスもなかはいかがですかー?」
夏実の明るい声に誘われ、子供連れの主婦らしき女性がやってきた。前にも公園で買ってくれたお客さんだった。夏実は学校の勉強は出来ないが客の顔を覚えるのは得意だった。右目の目尻にホクロがあり、長いまつ毛が印象的なお客さんだった。今はマスクのおかげで顔を覚えるのに難易度は上がっていたが、目でだいたい判断できる。
「アイス屋さん、チョコのもなか二ついただける? しかし暑いわねー」
そんな客にアイスもなかを売り、しばらく雑談していた。客の子供は側にあるブランコではしゃいでいた。よっぽどお腹が空いていたのか、子供は秒でアイスを食べていた。
「実はこの辺りの不審者が出たっていう噂があるのよ」
客は目をちょっとゲスっぽく細めていた。どうやら噂好きらしい。
「不審者? どんなやつです?」
夏実も同じような目になっていた。子供の頃から店の手伝いをし、近所の客の噂を聞いて育った夏実は、こういった話題が好きだった。大学の友達などは、ババくさいと言われるが、育ちがこうなので仕方ない。
「ええ。四十ぐらいのおじさんだけど、全裸で彷徨いてるんですって」
「えー?」
「確か腕に龍の入れ墨があるみたい。アイス屋さんも気をつけてね。あ、アイスも美味しかったわ」
客はそう言い残して子供と一緒に去っていった。
ここは、どちらかといえば田舎で平凡な町だったが、不審者がいるとは。夏実は腹に怒りが溜まっていく。そういえば町の交番には、子供の誘拐犯のお知らせも出ていた。世の中には悪い奴がいるものだ。
「おい、あんた!」
そんな事を考えていたら、客に声をかけられた。四十ぐらいの男だった。ちゃんとシャツとジーパン姿だったが、さっき話していた不審者の特徴と当てはまり、夏実は声をあげそうになった。しかも腕に龍の入れ墨もしていた。まさか、こいつが不審者?
「な、何でしょうか?」
「アイスだよ。全種類くれ」
「全種類?」
首を傾げつつ、袋に全種類アイスもなかを入れていく。怪しい男だが、アイスの買い方もおかしい。なぜか全種類? こんな買い方をする男は珍しかった。
「さっさとしろ」
しかも口が悪い。こいつは怪しい。
アイスなんて美味しいものを買う時は、みんな目がキラキラしている。お陰でクレームなどつけられた事はない。実際、とても美味しいし!
しかし、なぜこの男はイライラと態度が悪いんだろうか。不審者の特徴にも当てはまるし、夏実は思わず彼の顔を見る。大きめなマスクをしていて、ほとんど顔が隠されていたが、この重たい一重瞼は見覚えがある。確か交番に掲示されていた誘拐犯と同じ目! もしかしてこのアイスは、誘拐している子供に与える為に買ってたりする? そう思うと辻褄があう。
それに気づいてからは、ドキドキとし、お釣りを落としてしまった。
「ちっ!」
不審者、いや誘拐犯はお釣りを拾って去っていった。
このまま放っておくわけにはいかない。このまま商売していても身に入らないだろう。夏実は急いで店じまいをし、自転車をこぎ、誘拐犯の後を追った。
どうやら誘拐犯は、この町の一軒家に住んでいるようだった。回りは畑も多い地域だし、物音では気づきにくい場所だ。誘拐された子供がいても気づきにくいだろう。
夏実の額には汗が流れていた。夏の気温のせいでもあるが、それだけでは無い。このまま放置する事も出来ず、町の中心部にある交番に直行した。
制服を着た警察官は、夏実の言う事など信じてはくれなかった。必死に訴えても聞きやしない。三十歳ぐらいの警官だったが、明らかに夏実をバカにしたような目で見ていた。
こうなったら奥の手だ。自転車のクーラーボックスから抹茶とチョコレートのアイスもなかを賄賂として渡す事にした。これって犯罪になるかドキドキしたが、夏のアイスに逆らえる人間などいない。
あっさりと夏実の主張は聞き入れられ、警察があの家に向かい、誘拐犯は逮捕された。誘拐されていた子供も無事に親の元に帰る事になった。
ちなみに誘拐犯は賞金がかけられていたので、夏実の元には六百万円が入った。このお金を元手にして本格的にアイスの移動販売をやりたくなった。一つの店にずっといたら得られなかった展開かもしれない。こんな風に予想もしない幸運に出会えるのも移動販売ならではだろう。夏実の胸は夢でいっぱいになっていった。