夜クレープ秘話
鉄板に生地を流し、トンボと言われる棒でくるくると広げる。まるく、軽く、大きく。
この力加減が重要だ。力を入れすぎると破れるし、綺麗な生地にならない。
狭い厨房はバターの小麦、ホイップクリームやチョコレートなどの甘い香りに満たされる。香りは完璧だが、クレープを焼いている私は、それを楽しむ場合ではない。
出来上がったクレープ生地にホイップクリーム、チョコレート、フルーツ、それにプリンなどを載せ、手早く巻き、最後に紙に包んで完成。
カウンター席の前にいる客に渡す。
狭い店だ。カウンター席は三つ。主にテイクアウトする客が多いが、今日は夜営業の日。意外と仕事帰りのサラリーマンやOLなどに楽しんで頂けている。
週に一度、夕方から真也にかけて営業していた。クレープ屋としては珍しいが、「夜クレープ」なんて言われてメディアやSNSに取り上げられたりもしていた。
なんて日本は美味しいもの大国。特にスイーツは戦国時代といっていいほど多種多様にある。その中で何とか我がクレープ屋も行き残るために試行錯誤を続けていた。それが夜での営業だったりする。もちろん、期間限定のフレーバーなど味への探究も忘れないが。
元々は祖母がやっていたクレープ屋だった。コスパの良さで近隣住民から愛されていたが、コロナ時に嫌がらせやデマの被害に合い、祖母は店を閉じる事を決めてしまった。
ちょうど私も職人として勤めていた洋菓子店に限界を感じていたところだった。祖母のクレープ屋を引き継いでリニューアルオープンした。
祖母が作った素朴なクレープも残したが、SNS映えを狙った派手なクレープや夜の営業なども思いつき、何とか店を立て直す事ができた。祖母もたまに店を手伝いに来てくれるぐらいで、おかげで心の傷もすっかり癒えているようだった。
「店長さん、このプリンアラモード風のクレープ美味しいな。コーヒーとも合うよ」
「ありがとう。でもカロリー大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。金曜日の夜ぐらいは特別さ」
サラリーマンの常連客・井田さんは、ニコニコ笑いながら食べていた。小さな店だが、こうやってカウンター越しにお客さんと会話するのも嬉しいものだ。お陰で近所の良くない噂を聞いたりもするが……。店は駅に近い住宅街にあり、自然と噂もわたの耳に入る事が多かった。
「出るらしいよ。あの雑木林の方で、幽霊みたいのが」
次に来た常連客の美奈さん。彼女はアラフォーの看護師だが、仕事帰りによく店に来ては、噂をぺちゃくちゃ話していた。最近は体重が気になるようで、米粉や豆乳を使ったクレープをよく注文してるが、特に体型は変わっていなかった。
「出るって何? 幽霊?」
「そうよ、怖いわー」
美奈さんはわざとらしく身体を震わせ、コーヒーを啜っていた。
美奈さんが務める病院でも幽霊騒ぎがあり、本気で信じているようだった。
「そんな幽霊なんていないでしょー」
私はそういったオカルト的なものは信じないが、夜にワンオペで経営している。そんな話を聞いてしまった後は、怖くなってきた。視線を感じたり、物音も妙に大きく感じてしまう。踏み切りの音も怖い。
そうして数日が流れた。幽霊の目撃談は多いようで私の元にも噂がいっぱい耳に入ってきた。
幽霊は若い女。ジャージ姿。黒髪ロング。顔はげっそりとし、長い髪でよく見えないらしい。美奈さんによると、目は切れ長らしいが。
気になった私はAIに幽霊の似顔絵を描いてもらった。確かに怖いが、ジャージ姿というのが何とも間抜けな雰囲気。噂として聞くと怖いが、似顔絵にすると、意外とそうでもない。もしかしたら幽霊じゃない可能性もある?
祖母にも聞いてみた。AIに描いて貰った似顔絵を見せながら、心当たりがないか聞く。
「この子は玲那ちゃんだわ」
「玲那ちゃん?」
祖母は幽霊の正体を知っているようだった。祖母が経営していた頃の常連さんで、舞台女優を目指しているという。この姿もホラーの練習でもしてるんじゃないかという話だった。
「わかった。玲那ちゃんに話してみる」
「おばあちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫さ。まあ、うちの常連に悪い子はいない」
確かにそうだけど……。
後日、幽霊騒ぎの噂がぴたりと止まった。目撃談もなくなり、今はセレブ未亡人のホスト狂いの噂にみんな夢中だった。
「こんばんはー」
あの噂の当事者、玲那ちゃんも客としてやってきた。
「実は役作りで幽霊のように歩いてたんです」
「そうなのー? みんな噂してるから怖かったよ」
「えへへへ」
無邪気に笑っている玲那ちゃんは、ごく普通の若者。やはり幽霊なんていないようだった。
「でみ夜にクレープ屋さんやっているなんて罪深いですね」
「よく言われる!」
「でも今夜はいいか。たまには甘いもの食べても」
「うん。おすすめはバターシュガーのクレープ。これは祖母の味をずっと引き継いているし、トッピングも少なめだから、夜に食べても安心よ」
「えー、本当ですか?」
しかし玲那ちゃんはバターシュガークレープは頼まず、ティラミスクレープというカロリー爆弾のようなものを注文していた。作っている自分が言うのも何だが、これは夜に食べるのは背徳すぎる……。
「ほ、本当に食べる?」
「食べます!」
玲那ちゃんの勇気を祝福し、さっそくクレープを作り始めた。狭い厨房には甘い香りが広がる。
こうしてクレープ屋さんの夜も更けていった。




