おばあちゃんの愛のおにぎり
夫が出張で家にいないという事もある、治子おばあちゃんのお店へ来ていた。
おばあちゃんはおにぎり専門店を開いていた。もう八十歳になるが、その暖かい手で握られたおにぎりはファンも多く、最近では外国人観光客やメディアの取材も多いらしい。
店は住宅街の隅にある。見た目も小さなおにぎり屋さん。店の前にあるトレードマークであるハルコばあちゃん人形が目印だ。
これはデザイナーをしている私の兄が作った人形で子供達からも人気があった。昔のケーキ屋や薬局にもこうした人形賀店頭に飾ってあったものだが、今はかなり珍しいものになっているようだ。かえって「SNS映えする」と撮影スポットになっていたが。
「あれ? ハルコばあちゃん人形がない?」
店の前について異変に気づいた。あのトレードマークが無いだけで違和感がすごい。
ちょうど店から出てきた常連客・収蔵さんに聞いてみた。近所に住む独り身の老人で、おばあちゃんのおにぎりが主食になっているような老人だった。
「あの人形? さあ、そういえば数日前から見ないな」
「心当たりはない?」
「うーん。まあ、この辺りもガラが悪いヤンキーもいるからなぁ」
「そっか。ありがとう」
収蔵さんと別れ、店に入る。カウンターに入る。もう閉店間近だったので全部おにぎりは売り切れ。客もいなかった。
「すごい。いつの間にか儲かってるのね」
壁にはメディアの記事の切り抜き、芸能人のサイン色紙も飾ってある。前来た時にはなかったものだ。おばあちゃんによると、最近はおにぎりもブームらしい。
「ま、あんたは孫だから特別だよ」
「わーい、ありがと!」
おばあちゃんは私の為におにぎりを握ってくれた。皺だらけの小さな黒い手。
その手で優しく握られたおにぎりは絶品だった。米一粒一粒がふわりと寄り合い、具を引き立てていた。最高の握り加減だ。私が家で真似してもできない。コンビニのおにぎりとも違う。ロボットには絶対に再現できないおにぎりだった。
「すごい、美味しい!」
「そうかい、そうかい」
皺だらけの顔で笑うおばあちゃんを見ているだけでも美味しい。このおにぎりにはおばあちゃんの心が詰まっている。愛というものかもしれない。独り身の収蔵さんが常連になる理由がよくわかる。
「ところでおばあちゃん、店の前の人形どこいったの?」
カウンターの中にいるおばあちゃんに一番気になっている事を聞いてみた。
「さあ、わからない」
「えー?」
「数日前からないんだよ。どういうこっちゃ」
そう笑っているおばあちゃんは大して気にしていないだろう。
それでも窃盗だ。あの人形は人気があった。ファンが盗んだ可能性もある。
「こらこら、ファンを疑うんじゃないよ」
「そうかなー?」
おばあちゃんは徹底的に性善説。お金のない子供やホームレスにもタダでおにぎりを配っている事もあるらしい。共同経営者である叔父は呆れていたが、なぜかお金に困る事はなく、返って繁盛しているらしい。
「だったら転売とか?」
私はおばあちゃんほど良い人じゃない。何か犯罪の匂いを感じた私は、フリマアプリを調べた。すると、案の定、ハルコばあちゃん人形が転売されている事に気づいた。
「そうかい、仕方ない」
「おばあちゃん、お人好しすぎるよ。一応運営に報告しておくね」
「ははは、あんたは気がきくなぁ」
転売されていると知ってもおばあちゃんは何も気にしていない。むしろ笑顔だった……。
後日、フリマアプリの運営から連絡があり、犯人がわかった。警察も調査してくれているというが、心配になった私は再び店へ向かった。
犯人は近所に住むヤンキーらしいが。一体どうして窃盗なんてとイライラしながら、店に入ると……。
カウンター席に金髪で汚いジャージ姿のヤンキーが座っていた。その隣にはハルコばあちゃん人形も置いてあった。まさか、犯人!?
ヤンキーはカウンター内でおばあちゃんを睨んでいた。おばあちゃんは呑気におにぎりを握っていたが、これは危険な状態だ。復讐でもしに来たのかもしれないと思ったが、どうやら違う?
ヤンキーはおにぎりを食べるとぼろぼろ涙をこぼしていた。金がなく、闇バイトする勇気もなく、あの人形を盗む事を思いついたらしい。
「おばあちゃん、この人何? 何で泣いてるの?」
「さあ。私が話しかけて、おにぎり食わせたら人形も返してくれたし、謝ってくれたさ」
おにぎりが自白剤的な役割をしたようだ。
もっともあの優しいおにぎりを食べたら、悪い事など出来ないだろう。私も子供の頃、おばあちゃんのおにぎりを食べた後に、隠していたテスト用紙を全部親に見せた事があった。
その後、ヤンキーは警察に捕まったが、スッキリとした笑顔だった。罪を償ったら、またおにぎりを食べに来ますと言うぐらいだった。
「寂しいね。早くあの子も戻って来て欲しいよ」
「人形盗んだ犯人だよ? そんな甘くて良いの?」
「誰だって失敗するんだ。その時に責めるだけじゃダメ。こういう時は愛だよ、愛」
呑気に語るおばあちゃんを見ながら、私は苦笑してしまう。確かにこんなお人好しのおばあちゃん。彼女を目の前にしたら、悪人も改心できるかもしれない。とびきりの自白剤も作れるし。
「じゃあね、おばあちゃん。また来るね!」
「うん、元気でな!」
お土産のおにぎりを抱えながら、店を後にする。竹に包まれたおにぎりはまだ暖かく、早く帰って食べたくて仕方ない。