雨の日のフルーツティー
私のおばさんは、英国風のカフェを運営していた。古めかしい商店街にある小さなカフェだったが、本格的なイギリス風ケーキやスコーンが楽しめる為、常連客も多かった。
ここは日本。ジメジメとして鬱陶しい空気もある日本だが、おばさんのカフェに一歩入るとイギリスの田舎にワープ出来るようだった。
店の前にも英国国旗が飾ってあり、中にも小さな旗を飾っているので、本当の英国の方にも何か誤解を受けるのはたまに傷だったが。
小カフェで、テーブル席は四つしかなかったが、カウンターにあるケースには、キャロットケーキ、スコーン、ヴィクトリアスポンジのケーキが常備されている。スコーンも味が各種あり、プレーンはもちろん、チーズ、チョコ、ナッツ、レーズン味などが楽しめる。
店に棚には、可愛いティーポットやカップ、ソーサーもずらりと並び、お客さんが選んで使う事もできた。常連さんは好きなカップやソーサーをキープする事ができた。イチゴ柄やローズ柄が人気が高い。おばさんによると、アンティークでちょっと価値の高いものもあるので、扱いには十分注意が必要だった。
あとは、店内ではおばさんがブレンドした紅茶などもお土産で買う事もできた。今は紅茶にドライフルーツを入れるフルーツティーが一押しだった。
私はこんな英国風カフェを手伝っていた。旦那と別れ、バツイチとなったが、なかなか心の傷も癒えなかった。旦那は浮気性だった。不倫は心の殺人というのは本当かもしれない。なかなか新しい仕事も決まらないという事もあり、しばらくおばさんを頼って生活する事にした。おばさんの方もコロナの影響でバイトを辞め、新しい人が必要だったという事情もある。
店の仕事は忙しいながらも楽しかった。居心地の良いカフェの空間を作り上げるには、想像以上に大変だったが、カップを一つ一つ丁寧に洗ったり、皿にスコーンを盛り付けたり、帳簿を記録しながら忙しく動いていると、だんだんと元夫の事は思い出さないようにはなっていた。
そんなある日の閉店後。閉店準備はだいたい終わったところ、厨房の方からおばさんに呼び出された。
今の時期は梅雨で、窓の外からポツポツと雨音が響く。厨房も閉店準備が終わり、すっきりと片付いていたが、叔母さんはため息をついていた。
叔母さんは年齢は五十五ぐらいだが、その割には若く見えた。確かに皺やシミもあるが、目は黒々とし、生命力がある。そこはアラサーの自分には負けていない。体格は痩せ型では無いが、逆に安心感は持てる雰囲気だ。地震とかきても動じない。肝は据わっているタイプだろう。
そんな叔母が珍しく戸惑っていた。片手には黒い男物の傘を持っている理由もよくわからない。
「その傘、何?」
「実はね」
先日の休みの日、この店の近所で散歩していたらしい。しかし、突然雨が降ってきて困った叔母さん。そんな時、この傘を誰かに貸して貰ったらしい。
「でも、今日も雨降ってるじゃない? この持ち主の人が困っていないか心配なのよね」
叔母さんは再びため息をつく。
「誰に貸して貰ったかわからないの?」
「わからない。男の人だったけど、すぐに帰ってしまったからね」
それで困っているという事か。
事情はわかった。私はその傘を貸して貰い、よく見てみた。ビニール傘ではなく市販に黒い傘のようだが、大して珍しいものでは無かった。ただ、ハンドルの所にはアニメキャラクターのシールが貼ってあった。いわゆるヲタクに人気がありそうな美少女キャラクターで、女の自分からすると、胸も大き過ぎる気もする。このシールだけ見ると、持ち主は男性なのだろうか。しかもヲタク?
「叔母さん、この傘の持ち主はヲタクみたいな感じだった?」
「うーん。そんな感じではなかったわね。スーツも着ていたしね」
しかし、今の時代はヲタクに偏見は無い。シーツの男性がアニメにハマっていても、不自然では無い。
「どうやって探そうかしら。持ち主は困っていないかしら?」
叔母さんは、この事を一番心配しているようだった。
「だったら店のSNSで拡散してみる?本人に届く可能性もあるし。有力情報をくれた人には、フルーツティーを一杯プレゼントするっていうのは、どう?」
「まあ、それは良いわね! さっそく拡散とやらをやって見て」
叔母さんの見た目は若かったが、SNSなどには疎かった。ここは自分がやってあげたほうが良いだろう。今もお店のSNSは、私がほとんど運営していた。たまにSNSがきっかけで店に来てくれるお客様もいるので、なかなか侮れない。SNS映えする写真の撮り方なども勉強し、ケーキやスコーン、紅茶の画像を載せると、そこそこ評判が良かった。
こうして傘の画像をSNSに載せて数日後。どうやら本人に届いたようで、閉店間近にやってきた。もう店には他の客も帰ってしまいほとんどケーキもスコーンも売れ切れていた。私と叔母さんは彼の為の取り分けて置いたスコーンやキャロットケーキを盛り付ける。ケーキスタンドに載せただけだったが、かなり豪華に見えてしまった。もちろん紅茶も淹れる。中身はイチゴ、リンゴ、キュウイなどのドライフルーツを入れたフルーツティーだった。紅茶もテーブルの上に持っていくと、ふわっと華やかな香りが広がっていた。
「わー、これっていわゆるヌン活みたいですね!」
傘の持ち主は、かなり喜んでいた。この近くに死んでいる風見将吾という男性だった。なんと弁護士として働いているようで、見た目も良いイケメンだった。このルックスで傘をさっと貸せるなんて、中身もイケメンではないか。叔母さんは大喜びで目をハートにしながら紅茶を注ぎ、もてなしていた。このお茶はもちろん、ケーキもスコーンもタダで奢りになるはずだ。将吾さんはニコニコと美味しそうに食べていたので、私も自然と笑顔になってしまった。
「それにしてみ、アニメキャラクター好きだったんですか?」
私は一つ気になる事を聞いてみた。
「あれは、盗難防止で貼ってるだけです。もちろん、面白いアニメとは思いますけどね」
将吾さんは、穏やかに微笑みフルーツティーを啜っていた。なぜか心がキュンとなる。叔母さんに影響されてしまったのだろうか。
窓の外はまだ雨だ。ポツポツと静かな雨音も聞こえる。この音が心地よく、いつかまでも続いても良い気がした。
これが恋なのか何なのかは不明だ。でも、もう元夫の事などは全く考えていなかった。雨が心の傷も洗い流してくれたのだろうか。
華やかなフルーツティーに良い香りが鼻に届く。何だか賑やかな日常が始まりそうな予感がしていた。