心模様
「昨日こう・・・」「えっ?」「あ、いや、ごめん。やっぱり何でもない。引き留めて悪かった。」「そう?それじゃあ、また明日ね。」そう言って理子はその場を足早に去っていった。何聞こうとしてんだ、とほとほと自分にあきれてその場にたたずんでいると「恭弥、お疲れ様。今から部活?」と後方から聞きなれた声が聞こえた。声の聞こえたほうを振り返って「あ、あぁ」と答えたところ「ん?何かあったの?」と心配そうな顔でこちらの目をまっすぐに見つめてくる由依の姿があった。「いや、別に。久しぶりの授業につかれただけだよ。」とつい先ほど起こしかけた失態をごまかすため、嘘ではないながらもさもありげな返答をした。彼女は小さなころからよく一緒にいたせいか、恭弥のこととなると勘が鋭く、少なくとも恭弥が認識している範囲では隠し事を隠し通せたことはなかった。そのことからも今一番会ってはならないといっても過言でない由依に会ってしまったことをこれ以上にない不運と思わざるを得なかった。「そうだね。まだ体と頭がついていかないよね。ま、切り替えて部活頑張ろうね。」と見慣れた笑顔が向けられた。ほっとしたと同時に思いもよらないリアクションに驚いてしまった様子を顔に出さないよう注意をして心から安堵したのであった。
「恭弥、遅い!もうみんな始めてるぞ。」体操着に着替えて軽く準備運動をしたのち、久しぶりのテニスコートに足を踏み入れたところ、男子テニス部の副部長である上岡栄太があきれた様子で声をかけてきた。「悪い。帰りに色々あって。」「色々ってなんだよ?」「あー大したことじゃないから。それより今何やってるところ?」と墓穴を掘ってしまったと反省しつつ意図して図った話題の軌道修正は成功した。「ま、いーけど。今ストレッチとランニングが終わったところ。これから、前衛はボレーとスマッシュの練習、後衛はロブの練習だ。」「了解。それじゃ、ストレッチしたら球出しやるから。」「頼むぜ、部長。」と改めて部長と呼ばれることにむず痒さを覚えストレッチを始めた。主観的に見ても客観的に見てもテニスの腕は恭弥よりも栄太の方が上である。裏表がなく面倒見もよく、同学年や後輩からの人望も厚い。何よりも180㎝を優に超える高身長に加え、そこらの芸能人よりも整ったといえる顔立ち、おまけに勉強もできるというチート級な存在である。一方で恭弥も身長は180㎝と高身長の部類に入るし、顔も決して悪いほうではない、と思っている、実際にそのような評価をしてくれている女子がいることも知っている。勉強は栄太ほどではないがそこそこである。比べるとなんだか悲しくなってしまったが、ようやくストレッチが終わり球出しの準備を始めることとなった。「皆待たせて悪かった。お詫びもかねて厳しいコースがんがん攻めるからよろしく!」といたずらっぽく伝え前衛組に球出しを開始した。
午後6時30分、恭弥たちは後片付けのためテニスコートの整備を始めた。「ふーっ、今日もよく頑張ったなー。」と栄太に話しかけたところ「だな。でも、まだまだ頑張らないと地区大会突破も難しいだろうな。」と真剣な表情で返事が返ってきた。近くで球拾いをしていた男子テニス部の一年生たちが「今日って七瀬先輩見かけなかったよな?」「あ、やっぱりそうだよな?七瀬先輩がいるといないじゃ女子テニス部は大違いだからな。」などと話している声が聞こえてきた。「あれ、今日は由依いなかったっけ?」と栄太に確認したところ、「みたいだな。さっき女子テニス部の新藤から体調不良で休みって聞いたよ。」恭弥が部活に向かう前はそんな様子は一切なかったため不思議に思っていたところ、その新藤が部活を終えたのか恭弥たちの方、正しくはその先にある女子テニス部の部室を目指して歩いてきた。「新藤おつかれ。今上がり?」と話しかけたところ「吉野君、栄太君おつかれさま。今上がりだよ。今日も暑かったね。」と疲れを感じさせない声が返ってきた。「そうだな。ようやく涼しくなってきたけど。ところで由依が体調不良って本当?」と本題に入った。「本当だよ。部室には来たんだけど。ちょっと顔色が悪かったから、今日は休んでもらったの。」と。おかしいな、さっき話したときはいつも通りだったのに、恭弥がしでかしかけた下駄箱で会った時の由依の様子を思いだしていたところ、「由依はいつも頑張りすぎるから。軽い夏バテじゃないかなと思うけど。」と言い彼女は部室に向かって去っていった。
その日の帰り恭弥は由依に「体調不良って聞いたけど、大丈夫か?」とメッセージを送った。1年前までは恭弥と由依の家は歩いて5分もかからない程度のところに位置しており何かあるたびにすぐに互いの家に行くこともあったが、現在その距離は電車で2時間はかかる程となってしまっている。以前であればメッセージを送るよりも家に行き由依の様子を直接確認していたであろう。由依の両親は恭弥のことを小さいころから我が子のように可愛がってくれており、急な訪問にも嫌な顔をしないどころか心から喜んでくれていた。きっと半年たった今も変わらないだろう、とふと懐かしさと物寂しさを感じつつ恭弥は電車に乗り込んだ。その日の就寝直前に由依から「ごめん、休んでてメッセージに気が付かなかった。ほんと大したことないから大丈夫だよ。心配ありがとう。」と返信があった。
翌日恭弥が男子テニス部メンバーとランニングを終えてコートに戻って来た時、女子テニス部はサーブとレシーブの練習をしていた。その中には普段通り人懐っこい笑顔を携え練習に励む由依がいることを確認し少し安堵した。恭弥と栄太が対角上に乱打を行っていた際、球拾いをしていた一年生から「七瀬先輩と上岡先輩って付き合ってるらしいぜ。」「えー、嘘だろ。今まで二人で話してるところもあまり見たことないぜ。」「何の遮蔽物もないテニスコートで会話なんて普通しないって。美男美女でただでさえ目立つ二人なのに。」「まじでショックだわ。明日から何を楽しみにしたら良いんだ。」等と聞こえてきた。恭弥は栄太から打ち出され、緩い放物線を描くボールを打ち返すことができず見事に空振りをしてしまった。「おーい、何やってんだ。イレギュラーだったか?」と栄太からの声が飛んだ。「わるい!考え事してた。」と謝ったところ「そろそろ試合形式でやるか?」との促しを受けることとなった。先ほどの一年生の会話に動揺はしたが、おそらくデマだろうと考えた。栄太も由依ももちろん仲が悪いとは言わないが、二人だけで話しているところを恭弥自身も見たことがないというのがその理由だ。何より、仮にその付き合いが事実なら栄太もしくは由依のいずれ、もしくは両名から恭弥に報告があってしかるべきと思ったからである。
恭弥と栄太は一年生のころからダブルスのペアを組んでいる。ポジションは恭弥が後衛、栄太が前衛である。状況により入れ替わることもあるが、オールラウンダーな栄太に比べ、恭弥は前衛のポジショニングやフェイントが栄太ほど上手にこなせない、とうのが今のポジションに至る理由である。恭弥・栄太ペアは男子テニス部のエース格として不動の1番手を担っているが、これから行う試合形式の練習相手は不動の2番手の佐藤・山田ペアである。個人としての実力差で言うならば佐藤と山田は恭弥とさほど差はないが、やや恭弥に軍配が上がるだろう。そして栄太はその3人よりも頭一つ抜き出ていると言って過言ではない。これから2ゲーム先取の試合形式の対戦が始まるところで、恭弥と栄太がコート自陣のセンターマーク付近で簡単な作戦会議を行っていたところ、妙に真剣なまなざしでこちらを見つめる由依の姿を捉えることとなってしまった。




