アリスの死霊術講座〈後〉
そして、ここからが話の本題、と言うか昼間の話に繋がる部分。
「死霊術には、もう一つ大事な事があるの。——魂の劣化、摩耗という点がね」
当たり前だけど、魂は永久に保つものでは無い。長い時間の中で摩耗し、負荷が掛かれば劣化していくもの。
死霊系の魔物は、その摩耗が激しい。なにせ死の摂理に抗っているのだ、負荷が掛からないわけが無い。特に、彷徨う死者の魂や霊体系は摩耗するのが非常に速い。その魂が表に剥き出しなのだから、当然の話だけど、
ただ、これは別に死霊に限った話ではない。魂の摩耗や劣化は、魂を持つあらゆる存在に起きる理。
死者だろうが生者だろうが、魔物だろうが人だろうが、魂があるならそれはいずれ限界を迎える。それこそ寿命にだって、魂は関係している。
そして、それは摩耗だけの話じゃなく、逆も然り。強大な存在であれば、その魂はより強いモノとなる。進化を重ね、力を増し、魂も強くなり、寿命も延びる。
その果てともいえる存在、それが天災級の魔物。彼らはその強さ故に、悠久の時間を生きられるだけの寿命を有しているとも言える。
人であれば、聖人なんかがいい例。聖痕という力を有する彼らの寿命は、他の者よりも長い。記録に残っている限りだと、百年以上生きた者もいたらしい。......聖人の場合、そもそも強大な魔物との死闘で命を落とす者が多いのだけど。
後は、エルフも寿命が長い事で知られている。彼らに関しては、その血も関係しているのだけど。
ともかく、魂の摩耗にはその存在の強さが関係している。けど、死霊はそれ以外にも摩耗が激しい理由がある。彼らが自我として抱き続ける怨念、存在を保つための楔が逆に魂を劣化させる要因の一つになってしまうのだ。
「誰だって、怒り、恨むことを続けるのは疲れるでしょう?それは、魂だって同じ」
『存在を保つ為の怨念、それが自らの命を削るという事か』
それを防ぐには、怨念の有無に関係なく《自我》を保てるようになる必要がある。記憶持ちの死霊はまさにこれに該当する。ワタシや黒騎士なんかは、復讐を果たして怨念を失っても、自我を容易に保てるからそのまま消滅することは無いだろう。死霊術師が変じた魔物は、そもそも術で生まれ変わった存在だから怨念に依らない。
そしてそういった者は、知っての通り強力な個体へと成長しやすい。そうなれば、強さを得た魂は容易に摩耗しなくなる。
逆に弱い個体だと、怨念を晴らすことで自我を保てなくなり、魔物でいられなくなるモノもいる。ガズの宿屋での個体がまさにそう。元々死霊魔法で何とか生み出しただけだったから、自我の元となる怨念も失っては魔物としての存在を保てない。
でも、こういう個体はまだいい。だって、恨みを晴らして、現世に留まる理由が無くなったって事なのだから。彼らの魂は輪廻に還り、新たな存在に生まれ変わるだろう。それは、幸せなことなのだから。
けど、骸王が生みだしている死霊はこれとは違う。怨念はあるから、自我はなんとか保っている。だけど弱い個体であるから、その魂は既に限界を迎えている。いつ魂が消滅しても、おかしくない程に。
怨念に呑まれ、自我が曖昧になった魂はいずれ輪廻に還ると言ったけど、全ての魂がそうなれるわけでは無い。輪廻に還る前に摩耗が進みすぎてしまえば、魂は限界を迎えて消滅してしまう。そうなった魂は、無に帰してしまい、二度と転生することも無い。
「そんな限界の状態なのに、こうして使役できているのが異常なのよね......」
『......彼らの出自を考えれば、より当然な話か』
黒騎士はそう呟くが、その声には隠しきれない憎悪が宿っていた。それも当然だけど。だって、ここは亡国の跡地。つまりここにいる死霊は、彼の護りたかった国の民の成れの果てなのだろうから。
死霊魔法の使役だって、魂への負荷となる。余程主を慕っていて、忠誠を向けているなら話は別だけど、国を滅ぼした怨敵にそんな想いを抱くはずが無い。骸王による彼らの扱いが雑な点からも、それは明らか。
だから、彼らの魂には相当の負荷が掛かっているはず、なのに何であの状態で使役できているのか、全くもって意味が分からない。普通なら、とっくに負荷が原因で消滅している筈なのに、一体どういう事なのか。
昼間は腕前が一流と評したけど、こう考えるとそもそも理屈に合ってない。彼らを現世に縛る、未知の法則。それが、この異常な事態を生みだしている。
『......どうすれば、彼らを解放できる?』
喉から絞り出すように、黒騎士が声を漏らす。それは、彼の悲痛な叫び。ヒダルフィウスが滅ぼされてから約六十年、ずっと苦しみ続けてきた彼らを楽にしてやりたいという想いの吐露。
彼の気持ちは痛い程分かる。けど、それは難しい。
「......一番手っ取り早いのは、殺してあげる事よ。無理やり魔法で縛られている状態から解放する、最も容易な手段。......本来なら、だけど」
けど、今の状態の彼らでは話が違う。ここまで摩耗してしまっていては、魂が耐えられずに消滅してしまう。彼らに掛けられた魔法に紛れた異物、それをどうにか解除出来ればいいのだけど、無理やり干渉するのさえ危険な状態。支配権の上書きだって、骸王と死霊達との信頼関係が皆無だったからこそほぼ負荷なく出来ただけ。もし少しでも術者に抵抗されていれば、その時点で消滅していたかもしれない。
つまり、彼らを解放するには、その魂を消滅させるしかない。
散々怨敵に利用された挙げ句、長い間苦しみ続けた最期が輪廻に還ることも出来ずに、消滅していく。これは、いくら何でも酷。かといって、このまま苦しめ続けることが正しいとも思えない。
だけど、実のところ方法が無いわけでは無い。彼らの魂を消滅させず、輪廻に還す形で解放する方法が。
——その難易度が、桁違いだけど。
「言っておくけど、今のままでは勝ちの目は非常に低いわよ?」
『......ああ、分かっている』
黒騎士だって、それがどういう手段か理解している。
——骸王を討てば、彼らを解き放てるのだと。
だからこそ、釘を刺した。相手は災位の魔物、国を滅ぼした怪物。そんな格上相手に、今のままでは力も情報も地の利も、何もかもが足りていない。
ただ、今の黒騎士はそれが分かっていても突っ走りそうな危うさがある。憎き仇敵なのだ、そんな相手への憎悪、抑える事の方が難しいのは当たり前だけど。ワタシだって、仮にここでイヴや勇者達と会おうものなら自分を抑えられるとは到底思えないし。
ただ、その場凌ぎの対処程度なら出来なくもない。
「ワタシの魔力でなら、応急処置くらいは出来るわよ。魔法の負荷だって、骸王のソレよりは軽減できるでしょうからね」
支配権がこちらの手にある以上、ブラックボックスがあってもそう難しい事じゃない。何ならば、彼らが無理しないように行動を最小限に抑えるようにすることも出来るし。
とはいえ、あくまでこれは応急処置。いくら保ったとしても精々数カ月の延命だし、何度も出来る事じゃない。つまり、再び限界が来る前に骸王を討たなければ、彼らは依然苦しみ続ける事になる。
一思いに消すか、それとも万一の可能性に掛けるか。
『......一先ず、延命措置を頼む。一時的でも、苦しみは和らぐのだろう?』
「......いいのね?」
今一度、黒騎士に確認する。彼に、骸王を討つ意志があるかどうかを。
『——元より、そのつもりだ。私の、我らの国の憎き怨敵。奴を討たねば、祖国を真に救うとは言えないのだから』
......そう、黒騎士の気持ちは決まっているみたいね。
「なら、作戦を考えないと。格上の災位、正攻法では勝ち目は無いもの」
ワタシの言葉に、黒騎士が戸惑いを露わにする。
『......いや、貴公との取り決めでは協力は民の解放だけだったはず。奴を討つのは契約外では......』
「何言っているの、これも契約の内よ」
そもそも、ワタシが彼と交わしたのは、亡国の民や彼の部下の解放する事。だけど、ワタシでは魔法を解除出来なかった。契約を果たせていない以上、それを為すには骸王を討つ方向に方針を変える。要はそれだけの事。
そう伝えると、黒騎士は黙り込んだ。甲冑のせいで顔は見えないけど、何だか呆れた雰囲気を醸し出している。兜が無くても、骨の顔じゃ感情が読み取れるか分からないけどね。
しばらくして、彼の兜の隙間から溜息が零れ出た。
『......貴公は、随分と律儀なのだな』
その言葉も呆れの色を含んでいたが、ワタシには何故か笑っているようにも聞こえた。
「......キュ」
『全く、お嬢様は......』
すると、横からそんな声が聞こえてきた。目を向ければ、イオとフューリが目を覚ましていた。どうやら、起こしてしまったらしい。
話も聞いていたみたいで、二人して呆れた視線を向けてくる。
「......ごめん、流石に勝手だったわね。」
自分の知らぬ間に、災位の魔物と戦う事を決められていたら堪ったものじゃないだろう。二人がそんな目を向けてくるのも当然だろう。
だけど、二人は呆れてはいても怒ってはいないらしい。
『ガズの一件でもそうでしたが、お嬢様は義理堅いですから。実にらしいと思いますよ』
それに、とフューリは続ける。
『——お嬢様だって、許せないのでしょう?彼らが、あんな扱いを受けているのは』
「————当然でしょう」
答える声に、知らぬうちに憎悪が宿る。
そう、契約とか言ってはいても、何よりも一番はフューリの言う通り。
ワタシは、気に入らないのだ。
骸王のやり方を、どうやっても許容できない。
奴への嫌悪を、抑えられない。
たとえ黒騎士が骸王を討つつもりが無くても、ワタシは骸王に挑んだだろう。絶対に、奴を認められないから。
ワタシの答えを聞いて、フューリは微笑む。
『そんなお嬢様に、私達はついていきます。共に生きていくと、誓ったのですから』
「キュウキュウッ!!」
「......ありがとう、二人とも」
フューリとイオの答えに、ワタシは知らず微笑んだ。
『......本当に、貴公らという者達は』
それを見ていた黒騎士が、何かを小さく呟いた。聞き返そうとしたが、その前に彼は何でもないとかぶりを振る。そして、こちらに体の正面を向け、姿勢を正した。
『——では、遠慮なく力を借りさせてもらおう』
「ええ、もちろん。全力を尽くさせてもらうわよ」
こうして、ワタシ達の目的は改めて決定した。——骸王、この地に巣食う災位を討つ事へと。




