未だ姿見えぬ、骸の王
——剣を振るのが好きだった。
騎士の家系に生まれれば、それは身近にあるもので。庭で剣を振るう父の真似をして、木剣を握ったのが始まりだった。幸いと言うべきか血筋と言うべきか、この身には武の才能があったらしく剣の腕前はめきめき伸びていった。
この頃は、ただただ剣を楽しんでいた。毎日飽きもせずに振り続け、前の日の自分を少しでも超えて、それをひたすらに繰り返す。時には父に教わり、たまにやりすぎて母に叱られて。それが、子供の頃の私の日常だった。
それが崩れたのは、剣を振るようになってから数年経った頃。
——父が、魔物に殺された。
それまで知りはしなかったが、私達の国はよく魔物による襲撃を受けていた。いや正しくは、人々を魔物から守る盾として築かれた国であった。父も人々を守る騎士であり、その日も任務で北の山脈に赴いていた。そこで強力な魔物の襲撃を受け、同僚や部下の騎士達を護る為に殿として残ったという。
父が逃がした騎士達は怪我の大小はあれども、亡くなった人はいなかった。......ただし、一人残った父は助からなかった。父の救出に向かった騎士達が見つけたのは、戦闘で荒れ果てた跡と、そこに広がる血だまりと。
——剣を握ったままの、父の右腕だけだった。
信じられなかった。いつも目標として私の先にいて、憧れであった父が死んだことが。あまりの出来事に、泣き崩れる母に声を掛ける事も出来ずにただ呆然と突っ立っていた。歯をきつく食いしばりながら、涙を零しながら頭を下げる騎士達の声も耳に入ってこなかった。
何も考えられないまま、私はフラフラとそれに近づいていった。持ち主の血で真っ赤に染まった、父の剣へと。騎士達が持ち帰ったその遺品に触れて、私はようやくそれを自覚した。
——腹の奥底から湧き上がる、どす黒い殺意に。
その日から、私には剣を振る理由が出来た。魔物を殲滅し、父の仇を取るという目的が。
かつてはただ楽しく振るっていた剣には、殺意と憎悪が乗っていた。時間を忘れる程に毎日繰り返していた鍛錬は、文字通りの血反吐を吐きながら、気絶するまで体を酷使するものへと変化した。明確な目的が出来たからか、今まで以上の速度で成長していったが、それに興味を示す事さえなくなった。
ただ、魔物を殺す。その為だけに、体を鍛え上げ武を極める事に取り憑かれた。
周りから静止される事もあったが、それでも私がそれを改めることは無かった。そんな日々を過ごすうちにまた数年が経ち、私は騎士見習いとなった。
当時を知る者からすれば、私は決して良い騎士とはいえなかっただろう。別に同僚の騎士達や守るべき民に危害を加えたりしていたわけでは無い。ただ、国を守る為にその力を振るうべき騎士でありながら、魔物への復讐に固執する者など、色々と面倒だったに違いない。
それでも、その頃の私は自身の行動を顧みることは無かった。父の仇を取る、その事に固執し続けていた。
——そして、私はあの方と出会ったのだ。
迷霧樹海は、ギラール山脈南麓に築かれた砦を囲うように、ヒダルフィウスの元国土全域に広がっている。東西に約百キロ、南に約三十キロ。常に濃霧に覆われ、一度森に入ればその霧のせいで周囲十メートルすら見通せない。森の内部には無数の死霊系魔物が潜んでおり、それらは霧に惑わされること無く樹海に入り込んだ獲物へと襲い掛かる。
聖典教会が手をこまねくのも無理は無い。この樹海を攻略方法は、主に二つ。森の地図を作り上げて行路を完成させるか、森そのものを切り開くか。
だけどそのどちらも容易ではない。前者の場合、濃霧に覆われた状態で地図を作るのは至難の業。その上、この樹海を生みだした死霊達の手に掛かれば、内部の構造を変える事さえ難しくは無いだろう。
後者の場合でも、死霊達がいる限り木々は再生する。死霊達を祓おうにも数が多すぎるし、霧がまたそれを邪魔する。その繰り返しで、終わりが見えない。
結局のところ、最初の対応を間違えた時点でこの樹海の攻略は詰んでいる。骸王による騎士国襲撃、これを防げずにかの魔物を自由にさせてしまったから、こういう事態に陥っている訳で。これを攻略するには、地形の変化を物ともしない地図を作るか、樹海と死霊を諸共吹き飛ばせる何かか、そんな常識外の物が必要になるだろう。
「......っと、こっちね。結構根が複雑だから、足元注意してね」
そして、ワタシ達の攻略法はそのどちらでも無く、恐らくは骸王も想定していないだろう手段だろう。
ワタシ達は、既に迷霧樹海へと突入していた。外から見た時にはただの樹海にしか見えないのに、一歩足を踏み入れた途端に周囲を覆う濃霧には驚かされた。こんな中、周囲から無数の死霊に襲われたら堪ったものじゃないだろう。
たとえ力は弱いとしても、数の暴力は決して馬鹿に出来るものじゃない。しかも見えない視界の上、足元は樹海の木々の根などで非常に歩きにくい。それが目的地まで何十キロも続くと考えたら、堪ったものじゃない。
......普通なら、ね。
『......流石と言うか、何と言うか。お嬢様にはこの程度障害とすらなり得ないとは』
「相性が良いだけよ。ここまで楽だとはワタシも想定していなかったし」
そう、フューリの言う通りワタシ達はそんな樹海の中をスイスイ進んでいた。何なら樹海の中はまだ雪が積もっていないので、むしろ樹海に入る前より進みやすいまである。足元の根も浮遊しているワタシには関係ないし、黒騎士やフューリだって気にした素振りも見せずについてこれている。うん、実に順調な道のり。
『......それにしても、そんな方法があったとは。奴の元から逃れた当時、何度も祖国に戻ろうとした時には悉くこの樹海に阻まれたのだがな......』
黒騎士はそう呟きながらワタシの取った手法に感心しているけど、先程も言ったようにこれは相性が良かっただけに過ぎない。
ワタシが取った手段、それは実にシンプルなもの。樹海に潜んでいた霧を生み出す魔物を死霊魔法と愛し子の能力を使ってワタシの配下に変えただけの事に過ぎない。要はかつて黒騎士にやったのと同じ、死霊の支配権の上書き。ここに巣食う死霊が骸王の生み出した存在なら若しや、との思い付きからだったのだけど、これが大成功。
あの時は中途半端にしか成功しなかったけど、今回はあっさり上手くいき、今は道中の霧を晴らしつつ樹海の中心部——かつて首都であった砦跡まで案内して貰っている。黒騎士に道案内を頼もうかとも思ったけど、ここまで変わってしまっては流石に祖国とはいえ分からないらしい。
うん、順調、実に順調......、なんだけど。
『キュッ?』
そんな声と共に、小さな白蛇の頭が覗きこんでくる。雪が積もっていないとは言え、霧も相まってか外よりも冷えるというのに、イオは元気なまま。
これに関しては魔術具、では無くイオの自力によるもの。とはいえ、寒さへの耐性を獲得したわけじゃない。使用したのは、彼女がガズにて身に着けたスキル『百薬生成』。あれで寒さへの耐性を一時的に高める薬を作り、自身で服用したのだ。ワタシは気付かなかったけど、どうやら飲んだ薬にそういう類いの物があったらしい。
おかげでこうして元気で動けるようになったわけだけど、それでもまだ動きには少し鈍さが見られる。なので無理はしないようには伝えている。
......その時に白い目で見返されたけど。ええ、ワタシの方が無理してましたよね、散々心配かけてすみません、反省してるから許して。
それはともかく、イオはワタシが何か考え込んでいることに気付いたみたい。
「ええ、ちょっと気になる事があってね」
『気になる事、ですか?』
フューリにも気付かれていたらしい。自分でもまだ考えがまとまっている訳では無いので、口に出しながら整理していく事にする。
「いや、おかしいと思わない?いくら数がいるからって、霧を生み出す死霊の支配権をこんなあっさり奪えるなんて」
気になっているのはそこ。これは黒騎士という前例を見ているからこそ、というのもある。あれはオールヴの呪術と混ざりあっていたから例外かもしれないけど、それでもあれだけ苦労したのはその基礎にある骸王の死霊魔法が高度だったから。それなのに、今先導している子はいとも簡単に上書きすることが出来た。
『そもそも死霊術——お嬢様の場合は死霊魔法ですが、それの使い手が現れる事を想定していないのでは?アルミッガ大陸では禁忌とされている術ですから』
「そうなんだけどね......」
それでも、霧を生み出す魔物は骸王にとって砦を護る生命線の一つであることに変わりは無い。それなのに、こんなに魔法を雑に掛けるものだろうか?
それに、雑なのは魔法だけではなく彼らの扱いに関してもそうだ。樹海の中を進んでいる以上、周囲にいる死霊は案内してくれている子だけでは無い。姿は見えなくとも、ワタシ達を取り囲むように何体もの魔物が待機している。けど彼らが襲ってくることは無い。
何故襲って来ないかと言えば骸王の命令、そして死霊達が主に向ける忠誠心、これらが『愛し子』の力で無効化されてしまう程度のものでしか無いから。それも、『呪歌詠唱』による強化も無い状態でも。
つまり、彼らはそれだけ雑に扱われている、という事。霧を生みだし、森を維持する重要な存在であるはずなのに。
「......そもそも、何か妙なのよねこの魔法」
何よりも違和感があるのは、彼らに施された魔法そのもの。黒騎士のものを知っていることもあるのだろうけど、だからこそおかしさしか感じない。
前提として魔法と魔術、これらは大きく違うものだ。それは発動に術式や媒介を有するとかそういう問題じゃなくて、そもそもの構造からして異なる代物になる。
魔術は、魔法を模して人々が生みだした技術。その発動方法や術式には多彩な種類はあれど、その元となる魔術言語や式の構造は画一的なもの。太古にエルフが生みだしたものを基礎とし、そこから外れることは無い。
例外があるとすれば、聖術かな。あれに関してはエルフが生みだしたものとは似た構造をしているけど、その術式なんかは別種のものが使われている。それらの術式に関しても、教会が秘匿しているしね。
対して魔法はどうか。これは魔王から連なる魔物が、魔力を変換して自在に操る力。そしてこれは魔術と違い、たとえ同じ属性だとしても個体によってその魔法の性質や発動方法は大きく変わる。
何故なら、魔法とは技術では無く力。魔術のように知識を必要とするわけでは無く、想像のままに力を振るうもの。必要なのは、それを操れるだけの力量を有している事だけ。
ワタシの場合、元が人だったのもあって魔術書を読み込んで知識を身に着けた訳だけど、別に魔術式を魔法で再現したりはしていない。解析に役立つから知識として魔術に関して学んだし、属性ごとにどんな使われ方をしているのか参考にさせて貰ったりはしたけど。
魔術を使ったことがあるとすれば、屋敷の結界を書き換えた時くらいかな。あの時は結界の効果を損なわないように、術式を維持したまま弄ったからね。後、あの頃は魔法で上書き出来る程の力は無かったし。今だったら、魔法で結界を塗りつぶすのにも大して苦労しないと思う。
話を戻すと、魔法は同じ属性のものでも、使い手ごとに個性とでも呼べるべき特徴が存在している。癖、と言ってもいいかも知れない。そして、その癖が黒騎士とここに漂う死霊に掛けられたものとでは、まるで別物としか思えなかった。
『お嬢様の力によって、黒騎士様の方に変化が起きたとは考えられませんか?あるいは、あの科学者の呪術の影響もあり得るのでは』
「......問題があるのは、黒騎士じゃなくて彼らの方なのよ」
フューリの意見も間違いとは言えない。けど、そうとは言えない点がある。
それは、死霊達に掛けられた魔法の構造に、明らかにおかしな異物が紛れ込んでいる事。
以前ガズの宿屋で生み出した個体の様に、怨念を失ったことで魔物としての個を保てなくなるものがいる。弱い個体なんかは特にそうで、逆に言えばそれでも魔物として長く維持できるとすればそれだけ長けた使い手という事になる。
ここに漂う死霊達はまさにそう。彼らは魔法によって何とかその存在を維持できている、そんな存在ばかり。そういう意味では、これらを使役し続けている骸王は確かな腕前を持つ証拠とも言えるのだけど。
問題は、彼らが魔法無しでは存在を保てない理由の方。彼らの場合は、宿屋の個体とは訳が違う。怨念は足りている。見れば分かる、彼らが狂想に取りつかれていることが。ただ、その魂があまりにボロボロすぎる。今にも崩れそうなものばかりで、正直見ていられない。
......骸王、この状態でも使役し続ける腕前は確かに一流と言える。けど、ワタシとは根本的に気が合わない。これは、ワタシからしたら到底許容できるものじゃない。
だけど、ワタシに彼らを解放することは出来なかった。『愛し子』の力があっさり効いた事や魂の劣化具合からも、彼らを雑に扱っているのは丸わかり。なのに、支配圏も上書き出来ているのに、魔法を解くことだけは出来ない。何かが、ワタシが理解出来ていない何かが魔法に潜んでいて、解放を阻害している。
これらの事を踏まえると、やっぱりワタシは黒騎士と彼らを生みだした存在が同一だとはどうしても思えない。
けどこの死霊達がこの樹海を護る存在なのは確かだし、黒騎士の記憶からも彼があの事件で生み出された魔物なのも確か。そして、それに深く関わっているのは骸王しかあり得ない。......なのに、この差は一体なんだ?
『六十年の差異、とは考えられないか。それだけの違いがあれば、魔法のそれも変化しよう。あるいは、新たに未知の能力を手に入れたのかも知れない。それこそ、貴公の〈愛し子〉のような』
「......なるほどね」
黒騎士の言葉を聞きながらも、どうしても拭えない違和感。この魔法に潜む異物、こいつに対して抑えようの無い嫌悪感を抱いてしまう自分がいる。しかも、ワタシはこれをどこかで知っている......気がする。なのに、それの正体を掴めない。
「——骸王。一体、何者なのかしら?」
この先に待つ、まだ見ぬ敵。人より変じた災位の魔物に対して、ワタシは警戒心を募らせた。




