閑話 振り払えぬ死影〈前〉
再び勇者サイドの話になります。
振るった剣が肉を斬り裂き、血が噴き出す。辺りは真っ赤に染まり、また一つ死体が増える。元の世界なら、この光景はさながら地獄に見えたことだろう。
けど、ここでは違う。常に魔物という危険が隣り合わせのこの世界では、奴らが人々を襲い惨劇を生み出すのはよくあることで、それをまた人が殺すのも当然の事。
そして今俺が剣を振るい、奴らを殺すことにも躊躇いは無い。だってこいつらは人で無く、世を害する魔物でしかない。自分達の行動は何一つ恥じるものでは無く、人々を救うための行いに他ならない。それに少しでもそれらを殺すのに躊躇すれば、死ぬのは自分達なのだ。容赦など出来る訳も無い。
......だからと言って、生き物を殺すことに何も感じないわけでは無い。剣で突き刺し、斬り裂く感触は簡単に慣れるものでは無い。目の前で魔物の肉体が弾け飛び、血肉が舞うのに吐き気を催さずにはいられない。
それでも、いつしかそんな風に感じなくなるのだろう。今感じているものだって、きっと徐々に忘れていくに違いない。
......ただ、二つを除いて。
——あの二人を殺した感触と、その時に向けられた目だけは、俺は生涯忘れることが出来ないに違いない。
「......ひと、武人!」
「っ!?」
その声にハッとする。慌てて周囲を見回すが、もう敵影は見当たらない。辺りに広がるのは魔物の死体と血肉のみ。どうやらやつらを殲滅した後で僅かな間とはいえ呆然としていたみたいだ。横では先程の声の主——奈緒がこちらを心配そうに見つめていた。
「大丈夫?何か考え込んでいたみたいだけど?」
「......ああ、ごめん。大丈夫さ」
さっきまで考えていた事を誤魔化しつつ答えるけど、奈緒は納得していないのがありありと伝わってくる顔を浮かべている。これは答えるしかないけど、あいつらの事を彼女の前で口にしたくはないから咄嗟に別の理由を口にする。
「いや、この先への不安、というべきかな。俺達は強くなったけど、本当に魔王を倒せるのかなって」
それは誤魔化しでもあったけれど、同時に本心でもあった。今回討伐したのは中位の魔物の群れ。今回俺達のグループは4人で動いていて、対して魔物の数は百を軽く超えていた。結果は圧勝。誰も大した怪我を負うことなく殲滅することが出来た。半年前この世界に来た時には無理な芸当であり、俺達は確実に成長していることに疑いは無い。
だけどこれからはそう甘くないと思う。上位ともなればもっと強いし、そもそも俺達が倒すべきは災位というさらに上の存在。無論奴らにこの人数で挑むわけでは無いけど、それでもこう上手くいくとは思わない方がいい。戦場で何が起きるか分からないのは、最初の実戦時に散々味わったから。
そんな愚痴をつい零してしまう俺だったが、話を黙って聞いていた奈緒が突然むぎゅっ、と俺の頬を両手で挟んできた。なんだか少し機嫌も悪そう。こんな話するべきではなかったかも、と考え謝ろうとするが。
「私達が負けるわけないじゃん。今だって皆強いし、これからもっと強くなるんだから。何より武人は勇者——聖痕に選ばれた凄い男なんだから。だからもっと自信をもって!」
そう言う奈緒の顔に不安は無く、俺を全幅の信頼を向けてくれているのが分かる。彼女の目を見ているだけで、俺の中にあった不安が消えていく。胸の内から自信が溢れる。
そうだ、何を不安に思っていたのか。俺には力があり、何より皆がいる。それに俺は勇者、曲がりなりにも皆のリーダーだ。俺の不安を抱けば皆にそれが伝播する。そうなってはそれこそが悪い空気を招くことになる。それじゃ本末転倒だ。
だから、今俺がすべき事は自分達を信じる事。皆の力が合わされば、超えられない壁など無いのだと。そう思うだけで嘘のように先程までの不安が無くなり、心が晴れやかになる。そんな俺を見ていた奈緒は分かったか、とばかりに嬉しそうに笑う。俺は耐えきれずにそんな彼女を思いっきり抱きしめてしまう。
「!?ちょっ、ちょっと武人!?」
「......ありがとう、奈緒。いつも、俺を支えてくれて」
顔を真っ赤にして狼狽えていた奈緒。でも彼女への感謝が抑えきれなくて俺の腕にはさらに力が籠る。そんな思いを汲んでか、奈緒の手が俺を落ち着かせるように優しく背を擦る。その手が心地よくてそのまま身を委ね......
「おーい、そこのバカップル!こんな場所でいちゃつくな!」
「「っ!?」」
仲間から掛けられた声で一気に現実に引き戻される。そうだ、ここは戦場なのに何やってんだ、俺は。奈緒を同じだったようで弾けるように身を離した俺達の顔は、リンゴの様に耳まで赤くなっていた。互いに目を見合わせ、恥ずかしさで変な笑いが零れる。それを誤魔化すように奈緒が先に行ってるね、と告げて向こうに駆けていく。
「ふぅ、今のは良くなかったな」
まだ魔物がいるかもしれないのに今のはマズい。十分反省しないと。視線の先では奈緒が仲間達に平謝りしている。とはいえ向こうも怒りよりからかい気分の方が勝っているのだろう。奈緒は途端に玩具にされてしまい、俺に助けを求める視線を送ってくる。俺もからかわれるのは確実だけど、行かないわけにもいかない。仕方ない、と覚悟を決めながら足を進めようとして。
——フフッ——
微かな嗤い声と一瞬目の端を過ぎった銀と黒の影に、体が硬直した。仲間に異変を気付かれないように索敵するが、いつものように何も引っかからない。数秒待って、何も起きないことを確認して俺はそっと息を吐く。
......いや、何も無いのは嘘か。奈緒のお陰で不安も無くなっていた筈なのに、あの影を見ただけでそれに陰りが差すのだから。
っと、いい加減これ以上待たせるのは悪い。からかわれ続けている奈緒もそろそろ限界みたいだし。そう考え俺は駆け足で皆の元に向かう。
——あの声と影を、必死に振り払おうとしながら。
俺達の方針を決めてから一月以上経った。今俺達は数人のグループに分かれて、ビレスト王国各地で活動を始めた。魔物の討伐を中心としているけど、その他にも困っている土地での支援活動なども行っている。俺達召喚者の持つ固有スキルにはそういった活動に向いている力もあるし、それに元の世界の知識が役立つ事も多い。
こういった活動は俺達の実力をつけるだけでなく、人々に勇者が現れたのだと希望を示す行為でもある。他にも政治的な思惑はあるんだろうけど、俺達からすれば人助けに躊躇う理由は無いから、そこまで気にすることじゃない。
グループはメンバー固定では無く、期間で入れ替えている。これには難色を示す者も少なくなかった。元の世界からの知り合いとはいえ、性格だって違うし、能力が噛み合わない場合だってある。
それでも、それを切っ掛けに派閥が出来たりすれば、それぞれが独立していくかもしれない。最悪仲違いが起き、召喚者同士で争うなんて事になったら目も当てられない。考えすぎかもしれないけど、やらかした前例がいた以上、手を打たないわけにも行かない。
別に無理に仲良くしろ、と言っているわけでは無い。ただ、既に派閥らしきものも出来つつある。そこから険悪な仲になり、争うようなことだけは避けて欲しいだけだ。それにもしかしたら俺達が思いもしなかった相性、いわゆるシナジーが生まれるかもしれないし。これは希望でしか無いけれど。
そう説得すれば、不満を抱いていた者達も一先ずは納得してくれた。
そうして動き出してから一月程経つが、俺達の活動は今のところ順調に進んでいた。やはり実戦経験に勝るものは無く、皆メキメキと実力をつけている。固有スキルが戦闘向きで無い者達だって各現場で技術を身に着け、腕に更なる磨きをかけているし。
それに勇者としての俺達が徐々に認知されつつある。今のところ評判は良く、それが結果として俺達のモチベーションを上げる事にもつながっていた。いい流れが来ている、俺はそう感じていた。
——皆が心のどこかで抱えているだろうあの二人の事件を、払拭できつつあるのだと。
任務を終えた俺達は王都に帰還していた。皆も疲れたのか各自部屋で休憩している頃。俺はと言えば、一人トムさんの元に報告に行っていた。今はその報告も終え、この後どうしようか考えながら城内を歩いている最中。
まだ夕食までは時間があるし、折角なら鍛錬では無く奈緒とゆっくりするのもいいか、なんて考えていたときだった。
「――よぉ、色事勇者」
その気配を感じて足を止めると同時に声が掛けられる。......何かよくわからない不名誉な称号と共に。その呼ばれ方に眉を顰めながら後ろを振り向けば、そこにいたのは予想通りの人物。
「お前から俺に声を掛けてくるなんて珍しいな、神楽坂」
俺に名前を呼ばれた男――神楽坂冬弥は口の端を歪めながらこちらに近づいてくる。普段共にいる取り巻き達の姿が見えないのは、外からまだ帰ってないのだろう。最近ではイザール聖教国まで行くグループも出てきているし。
「ああ、模擬戦の相手がいなくて暇しててな。アイツなんかが居れば良かったんだか、例の任務で北に行っちまったしよ」
「北に、ってああ、あのグループか」
神楽坂が挙げた人物は、俺達の中でも上位に入る奴の一人のことだろう。アルミッガでの重要任務の先行視察隊として、数日前に北の国境沿いに向かったという話を聞いているし。
そして、珍しくこいつが俺に声を掛けてきた理由も分かった。
「ってな訳で、だ」
神楽坂は挑発するような、それでいながらどこか真面目にも見える笑みを浮かべながら、右手でとある方を――訓練場の方を指さす。
その身に、隠すつもりもないだろう闘志を宿らせながら。
「話もあるし、時間あんなら相手してもらおうか、勇者様?」
次回は明日12月16日12時投稿予定になります。




