狂想曲は、業都に響く――終奏・中――
アリスが去った後。レジスタンスの者達に指示を出した後も、エイルは未だ闘技場の中にいた。少し離れたところでは二人の弟妹が声を掛けづらそうに彼女の様子を伺っており、護衛として選ばれたリッキーを始めとした数人もその場で待機している。
エイルの目に映るのは、少し壊れた闘技場から見える夕焼けの空。そして先程までアリスがいた場所。
——出会ったのは偶然だった。
彼女は出会う前からその存在を知ってはいた。手元に回ってきた、教会が発行する特異指定個体の手配書。呪詛と空間を操り、高い知能を有する危険な魔物として。
だからリッキーがあの日偶然イング商会地下で出会い連れてきた時に、その顔を見てすぐにその正体が分かった。ガルジも同じだろう。教会の手配書はかなり正確性が高い。あの見た目であそこまで不穏な気配を宿す者が他にいるとはまず考えられなかった。
手を組めた事は運が良かった。彼女がガズに来て日が浅く、エイル達の方に彼女の求める情報を一早く集める手段があったのが幸いした。情報アドバンテージはエイルの側にあり、お陰でレジスタンスは今回における鬼札を味方につけることに成功した。
......その裏で、リッキーを使って教会の裏を探り当てるとは想定していなかったけど。けどお陰でエイルとアウルーズ商会にとっての仇を見つけ出すことができた。リッキーに関してもその気持ちは分からなくも無いし、最終的にいい結果へと至ったこともあってきつい処罰は出していない。......無論お咎め無しとはいかず、ガルジにしこたま怒られてはいたのだが。
彼女の助力は、計画を可能にするだけでなく大幅に早く推し進めることとなった。もちろんただ早ければいいという訳ではない。人手や物資は常に不足していたし、出来る事ならもっと準備を重ねたいという意見も少なくなかった。また、魔物と手を組みことなど出来ない、という反対の声も多かった。人で無いものを信用できるわけが無い、そう声を上げる者達は多く、説得には少々時間を要した。
......だけど、ここしか無かった。ここまでの戦力を味方に引き込むチャンスはこの先二度とあるとは思えないし、当の本人が急ぎの人探しをしていた以上、こちらも急がねば彼女の助力を失う事となる。今回準備に掛かった期間でさえ、彼女にすれば惜しいと思っていたに違いない。ゆえに必死で反対意見を説得し、ギリギリ今回の作戦に漕ぎつけることが出来た。
結果は言うまでも無い。四大商会は壊滅し、違法奴隷達は解放された。未だ街で暴れる奴隷達もほとんどは対応済み。直に騒動も収まるだろう。......あくまで表向きは、だが。
今回の騒動を各勢力が黙って見ているわけでは無い。商国は無論の事、ハイダル帝国にグラム王国やビレスト王国、そしてイザール聖教国とそこを総本山とする聖典教会。彼らはこれを機にガズへの干渉を強めてくることは容易に想像がつく。だからこそ、商国に下ることを一早く決めたのだ。アウルーズの名を護る為もあるけど、それ以上に他国の干渉をどうにかするために。
だけど、そう上手くいくかは分からない。商国がこの取引に素直に応じるかは不明だし、そもそも問題は他にも大積み。ここから先一手でも間違えれば、アウルーズとて滅ぶのは間違いない。何よりもう彼女の助力を得られないのはエイル達にとっても痛手と言えた。
けど、これから先の協力を無理強いするつもりは端から無かった。というよりそもそも強要なんてしようものならこちらが潰されるし、既に契約は完了している以上文句などあるはずもない。むしろエイルからすれば恩が大きすぎて返しきれないとすら思っていた程に。
リッキーを始めとし、彼女と同じように思う者は大勢いた。
だがそう思わない者達も一定数いる。騒動をここまで広げたのだから最後まで関わっていけ、と愚痴を零す者もいくらかいた。そういう者達に限って、魔物の手を組むなどあり得ないと声を上げていたのだから質が悪い。お前達より魔物の方が信用できるぞ、と言ってやりたいと思うくらいだった。
「......友人、か」
思わず口からその言葉が零れる。ポケットに手を入れ、取り出したのは通信の魔術具の一つ。アリスが持って行ったものの片割れと共に、彼女が最後に残していった言葉が蘇る。
「おねーさま?」
後ろから声が掛けられた。声の主は義弟のバル。その半歩後ろにはその姉であるゲルダもいて、二人してエイルをじっと見つめていた。どうやら随分と待たせてしまったらしい、と彼女は反省する。
「ごめん、待たせたわね。行きましょうか?」
「い、いいえ、それは大丈夫なのですが......。あの人は、お姉さまのご友人なのですか?」
いつまでもこうしている訳には行かない、と足を歩めようとすると、少し戸惑いながらゲルダがそんなことを聞いてきた。
「......そう見えた?」
ついそんな聞き返し方をしてしまう。自分が彼女の友人として見えていたのか、そんな考えがふと頭を過ぎってしまったから。そんな彼女の心中を知っている訳では無いだろうが、ゲルダは少しはにかみながら答えを口にした。
「ええ。親し気な話し方をされていましたし、何よりお姉さまが楽しそうでしたから」
「......え?」
予想外の言葉に思わず呆けてしまう。
「うん、おねーさまたのしそーだったよ!」
どうやらそう思ったのはゲルダだけでは無いらしく、バルも嬉し気にぶんぶんと縦に首を振る。
「お姉さまにあのような友人、がいるとは初めて聞いたのですが。......少し不思議な、ちょっと怖さもある人でしたけど、それでも悪い人には見えませんでした」
「うん、きれーなおねーちゃんだったね!」
「......ふふ、そうね」
そんな風に話す二人の言葉を聞きながら、エイルは再び物思いに耽る。
そもそもエイルには友人と呼べる関係の人はあまりいない。幼い頃から商会に関わっていたから同年代の者は取引先などを始めとした他の商会の跡取り、あるいは傘下の工房の子供くらいなもの。前者であれば何かしら腹に一物抱えており、後者では向こうがへりくだってしまう。少し歳は離れているが、ガルジなんかもそんな一人といえる。
だから友人とはいえ、それは別の繋がりを前提としたものとなってしまっていたのだ。
だがアリスは違う。いや、確かに始まりが打算的な繋がりであったことは否定出来ない。だが契約自体は対等な立場で結んだものであり、故に気兼ねなく話すことが出来た。魔物という人の枠組みから外れた存在であるのもそれを後押しする要因となった。
それは今までエイルには無かった繋がり。だからこそ、僅かとはいえ彼女との時間は楽しく、ゲルダとバルにもそれが伝わったのだろう。
——そしてそれを隠しきれない程に、彼女との縁を保てたことが嬉しかったのだとエイルは初めて自覚し、思わず笑みが零れた。
「お姉さま、そろそろ行きませんか?」
ゲルダにそう声を掛けられて、エイルはハッとする。見れば既に日はほとんど落ち、辺りは暗くなりつつあった。バルも待ちくたびれたのか、リッキーの肩によじ登りながらこちらを呼ぶように手を振っている。
「ええ、そうね今......」
これ以上待たせたら悪い、そう考え歩きだそうとしたエイルは手に握った通信の魔術具を見て、動きを止めた。ゲルダはまた止まった義姉を見て、首を傾げている。
少しの間何事か考えていたエイルだったが、やがて首を一度縦に振ると、ゲルダへとこちらに来るように小さく手招きをした。ゲルダはそれに疑問を抱きつつも、彼女に近づく。
「お姉さま、どうしましたか?」
「——これを、あなたに預けるわ」
そう言いながらエイルはゲルダの手にあるものを握らせる。置かれた物の正体が気になりそっと手を開いたゲルダは、それが何なのかを認識すると、弾かれるように顔を上げた。
「これは、先程の......」
その手に握られたのは通信の魔術具。しかも、それはアリスの持つものの片割れであった。それが大事なものだと分かっているゲルダは、どうしてそんなものを自身に渡すのかという疑念の籠もった視線をエイルに向けた。
それに対してエイルは静かに答えを返す。
「——それはもしもの時の保険。普段は決してそれを使ってはいけないわ。......だけど、これから先。あなたやバルの命に危険が迫り、私達ではどうにもならない事が起きたなら、それを使いなさい」
それは、最悪への備え。先行きの見えない彼らの道に滅びが見えた時に、せめて二人だけでも救うための保険。その時に一番頼れる者に連絡を取るための手段を、ゲルダに託す。
とはいえ、それはあくまで保険。アリスが助けてくれるかも分からないし、そもそもそこまでの事態になるかどうかも不明。
でも、打てる手は一つでも多いほうがいい。そうなったときには、エイル自身はきっと二人の元には居られないだろうから。アリスには恩も返しきれていないのに更なる迷惑を掛ける事になってしまうけど。
(——私が二人に出来ることは、何だってする)
それが、彼女が義父より受けた恩を返す唯一の方法だから。
「......私は、ずっとお姉さまと一緒がいいです」
「......私もよ、ゲルダ」
ゲルダは色々言いたそうな表情を浮かべるが、それでもエイルの意図と覚悟を汲んでか口にしたのはそれだけだった。それに対し心の内で感謝しつつ、いい加減待ちくたびれているバルの方へと今度こそ向かう。
(——願うことなら、次に彼女と話すときはこんな要件じゃなくて、ありふれた、普通の話が出来ますように)
——そんな最悪が、起きないことを祈って。
次回は明日12月13日12時投稿予定になります。




