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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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狂想曲は、業都に響く――終奏・前――

 ——気付いたら、また暗闇の中に漂っていた。目を閉じるとそこにある、漆黒の空間が。


 そしていつものようにそこにはわたしと私がいる。だけど、その姿はまるで違った。痩せ細り骨に皮が付いただけだったアリスは、肉がついて健康的な、今のワタシに似た姿に。胸を剣で貫かれて血を垂れ流していた有栖は、傷も無く服も新品の様になっている。


『『————』』


 いつもは何かしらを呟いていた彼女達であったが、今は一言も発さずにただ静かにそこに佇んでワタシを見つめていた。それでも、ワタシには彼女達の思いが伝わってくる......、とはちょっと違うか。

 だって伝わってくるもなにも、ワタシ達は同じ存在。ここにいる彼女達だってワタシであることに違いは無いのだから。


 それを肯定するように、穏やかな笑みを浮かべるわたしと私。それと同時に二人の体が光を放ち、粒子へと変化してワタシに流れ込んでくる。流れ込んできたそれらがワタシに溶け込んでいき、一つになっていく。


 ——そうしてようやく、ワタシは完全に『ワタシ』へとなった。





「——キュッ!?キュウッ!!」


『......あら、お目覚めになられたようですね』


 ——意識が浮上する。そのとたんに耳に入ってくる騒がしい声に、急速に目が覚めていく。次に目を開くと、視界には陽が傾きつつある空とこちらを覗き込むイオの顔が映る。どうやら地下から外には出たみたい、なんて未だに完全に覚醒はしていない頭で考えていると。


『——ガブッ』


「あ痛っ!?」


 さっきと同じように鼻面を思いっきり噛みつかれた。しかもさっきよりも何割増しか強めに。思わぬ激痛に飛び起きて鼻を抑えるけど今度はイオも離れてくれず、それどころかより一層強く牙が食い込んでくる。


「ごめんっ、ごめんなさいイオッ!?」


 イオが怒る理由も分かるから無理には引きはがせない。さっきも心配かけて散々怒られたのに、すぐに無茶を重ねたのだから。黒亡星はともかく、彼女の変生の方はイオの回復を前提とした行動だったし、その上人形の躰とはいえ片目を抉り取ったのだ。心配を掛けないわけが無い。


 空間収納から手鏡を取り出し顔の確認をする。左目があった部分には今は空洞がぽっかり空き、青白い火が宿っている。どうやら霊体の目は欠けていないようで、左側の視界は右より狭まってはいるけれどまったく見えないわけでは無いみたい。まあ不便にはなったけど、あまり凍の魔眼は使って無かったし、別にいいかな。新しい目はいずれどこかで用意すればいいし。そこら辺も人形の躰の利点と言えるかも。


 ——それに、今は彼女を助けることが出来たことを喜ぶべきだし、ね?


 イオもワタシが無茶をした理由を知ってるからか、それとも怒るのは後でと判断してか、鼻に噛みつくのを止めて首裏へと移動する。空気を読んでくれたことに感謝しつつ、ワタシは彼女へと向き直る。


 そこにいたのはもう一人の声の主。宙を浮く、大きさ15cm程にまで縮んだ結晶体。体を構成する透けた結晶体は、鉱物でありながら不思議な柔軟性を有しているようにも見える。その造形はクリオネに酷似しているけど、背後に楔の様にも見える羽が六本浮いている。基本は蒼色で、体の中心にはより濃い青をした球体が——ワタシの目を元とした核が存在している。


『——大きくなられましたね、お嬢様。いえ、その言い方は正しくないのかも知れませんが。でも、こうして立派な姿を見ることが出来て、助けていただける日が来るなんて』


 ——その姿を、魔物となったフューリの姿を目にして。


「......え、何それ?」


 ワタシは思わずそう漏らしてしまった。


『......はい?』


「いやだって、見たこと無いわよそんな魔物?」


 上手くいったのは分かっている。鑑定でもきちんと名前や種族名が見えてるし、話した感じ人格も元のままに見える。だが確かに我武者羅なまま儀式を行ったし、魔物として変生するための要素もそれしか無かったとはいえ、まさかこんな未知の魔物になるなんて。想像がつくはずもない。


 ——それでも、確かに。目の前にいるのはフューリだ。


 色んな思いが胸中を過ぎり、何を言えばいいのか分からなくなる。口を開いても言葉にならず、人形のはずなのに口が乾いて、涙が出そうになる。ようやく手が届いたことへの喜び、彼女にツラい道を歩ませてしまったことへの悔恨、それらを始めとした思いがごちゃ混ぜになって、何も出てこない。


「——おかえりなさい、フューリ」


 それでも、何とか絞り出せたその一言が、ワタシの思いを表していた。


『——ただいま帰りました、お嬢様』


 フューリの方も、言葉を詰まらせつつそう返してくる。感情に反応してか、結晶体の体が明るめの色で点滅している。


 ——こうして、ワタシとフューリはようやっと再開を果たすことが出来たのだった。





「さて、話すことは色々あるのだけど......」


 そう言いながらワタシは周囲を見渡す。積もる話は沢山あるけれど、今は事態を収束させて、ここから離れないと。


 ワタシ達がいるのは、闘技場の屋根という他からは見えにくい場所。そこから見える限りでは、夕暮れ時に近づきつつあるガズの暴動も、徐々に収まりつつあった。

 今回の騒動そのものはこれで終幕に向かうだろう。標的であった四商会はトップや上層部が軒並み壊滅。進みの遅かった違法奴隷達の避難もようやく回り始めた様子だし。

 ......あくまで、騒動そのものは、だけど。


「さて、ワタシの方も後始末をしておかないとね」


 ともかく、今はやるべきことをしておかないと。イオのお陰である程度回復していているから問題ないと判断し、呪詛を発動する。

 まずは、死霊術で生み出した彼らの解放。この業都で散々な目に遭ってきた被害者達。彼らのお陰でここまで上手くいったのだし、今までずっと苦しんできたのだ。もう解き放たれるべきだろう。

 それと同時に、隷属の呪詛をかけた魔物達に命令を下していく。とはいえ、正直彼らの扱いには結構困っている。迂闊に解き放つわけにはいかないし、かといって役立ってくれたのに無駄に殺すのは流石に忍びないし。

 結局、転移で魔物全部を都市外に飛ばし、後は十分ガズから離れたところまで誘導してから呪詛を解くことにした。タナク砂漠に適応できるかは分からないけど、自由にはするから勘弁してほしい。


 そのおかげでなけなしの魔力はほぼスッカラカン。いくら闘技場が外壁に近いとはいえ、あの数の魔物を転移させるのはキツかった......。イオにはまたジト目で見られるし。後でどれくらい怒られるかは分からないけど、素直に受け入れようと思う。そんなワタシとイオのやり取りを見て、フューリはクスクス笑っているし。


 それはともかく、ワタシに出来るのは精々ここまで。


「まあ、これくらいでいいでしょうね。後は、そちらに任せるわ」


 そう声を掛けると共に、闘技場内部に人影が——エイルが現れた。近くにはガルジの気配もあるけど、話には割り込むつもりは無いのか姿は見えない。


「これで、契約は完了ね。感謝するわ、お陰でガズは救われたわ」


「......救われた、といっていいのかしら?」


 そう言いながら首を回すだけで、ワタシの視界に入ってくるのは壊滅したというのが正しいガズの現状。これは救いというより破壊だろう。ここまでしてしまえば、あそこまで発展した都市へと復興するのにどれだけ掛かるか分かったものじゃない。

 何より、これだけの被害が出た以上この都市の運営は元通りにはいかない。四商会は上層部が壊滅した上に半ば暗黙の了解であった犯罪の数々が浮き彫りになり、再興の芽はほぼ完全に潰えている。アウルーズだって、表向きには騒動の原因とはなっていないとはいえ、その責任を取らされるのは必定。下手しなくとも商会の取り潰しすらあり得る。五大商会の力で成り立っていたといってもおかしくないガズには、それはあまりにも致命的すぎる。

 

 エイルだって当然それに行きついている。それでいながら今回の騒動を引き起こすと決めた以上、彼女には何かしらの考えがあるはず。

 それが一体何なのか問い掛けようとしたところで、彼女が口を開いた。


「知ってるかしら?元々アウルーズがどういう商家だったか?」


「......確か、元は魔術具を作る工房だったって話を聞いたことがあるわね」


 かつて魔術具の製造を生業としていたアウルーズの工房長は、その延長で古代の優れた魔術具に興味を持ち、遺跡巡りを趣味としていた。そして、その結果偶然にもガズの遺跡を発見したという話を聞いたことがある。

 だからこそ魔術具には精通しており、その結果砂丘船の復活や都市の水生成魔術具管理などが素早く進み、ガズを生み出す基盤となった、って......。


「......まさか」


 そこでとある考えが浮かぶ。アウルーズ商会にとっては大打撃となってしまう、だが今回の事態を乗り切るには最適な手段が。


「——利権を移譲するつもり?ウートの、商工議会に」


 ガズは一応だがウート商国の都市となる。だけど、その立地や独占している砂丘船の技術なども相まって、ほとんど独立国家ともいえる様相を呈していた。だからこそ、それが今回の事態が起きる原因となったともいえるのだけど。


 ——なら、それを手放せばいい。ウート商国を動かす大商会達による議会——ウート商工議会へと、砂丘船の製造技術、砂漠の航路に関する情報など、そしてそれを長い年月で積み上げてきたアウルーズの人材を移譲することで。

 ああ、この言い方だと少し違うかも。要はアウルーズ商会が元の工房へと戻り、商工議会直属へと下るということ。つまりは、アウルーズを護る為に商会を議会へと売る訳だ。


 もちろん、議会はこれを呑むだろう。今までアウルーズが独占してきた知識や技術、そしてそれを受け継いできた人材とノウハウが丸ごと手に入るなら、彼らにとってそれは膨大な利益となる。さらには、今は半壊状態にあるとはいえガズの都市も彼らの掌中に収まるなら、問題が山積みではあろうけどそれを捨てるという選択肢は無い。その利点と引き換えなら、アウルーズの名を残すことだって容易に違いない。


 ——けど。


「......いいの、それで?」


 エイルに思わずそう問いかける。

 確かにアウルーズという組織が残るにはそうするしかない。けど大商会から一工房に戻り、今まで保有していた権力の多くを失うことに反対する者は、商会の上層部を始めとして多いはず。その結果エイルに向くだろう恨みつらみは決して少なく無いはずだ。


 それに対して、エイルは柔らかく微笑んだ。そして、その顔を見れば分かってしまった。彼女は全て承知の上し、それでもあの四商会を叩き潰すことを決めたのだと。


「......ええ、いいの。このまま放っておいたら、ガズは取り返しのつかない事になっただろうし」


 それに、と彼女は続ける。


「ガズという都市がここから議会の手を借りて再生して、いつか本当の意味で交易都市として復興するなら、......それはある意味私の夢が叶ったようなものでしょう?」


 それはいつか語った彼女の夢。この都市を作り上げた先祖が目指した、ガズが交都となる姿。これこそがその一歩になるんじゃないかと、彼女はそう言いながら顔を綻ばせた。


「......まったく、本当に逞しい人ね」


 それはワタシでは目指せない答え。自らの手で目的を叶えるワタシとは違う、目的の為なら手段を選ばない、いや目的が叶うならそれは自らの手で無くとも、そしてそれを見られなくても構わないという、商人らしい——彼女らしい選択。ワタシにはその選択は取れないけれど、だからこそその答えを出せる彼女に、敬意を抱かずにはいられなかった。


「お姉さまっ、こちらですかっ!?」


「いたっー、おねーさまー!!」


「って、ゲルダ、バル!?」


 大きな声と共に闘技場内に二つの小さな影が姿を現した。ワタシの見た目くらいの年齢の女の子と、それよりも小さい男の子はエイルに一目散に駆け寄って彼女に抱き着く。あの様子からして、恐らくはあの二人がアウルーズの跡取り——彼女の義弟妹なのだろう。

 その護衛としてか後ろには何人かレジスタンスのメンバーもいる。その中にはリッキーもいて、ワタシの姿に気付いてこちらへと深々と頭を下げてきた。そういえばイオから話は聞いていなかったけど、どうやら大事な人——あの少女を救う事には成功したみたい。本当、奇縁というものはあるのだ、と話を聞いた時には笑ってしまったけど。


 ——さて、そろそろ行かないと。立ち上がり、転移の準備に入る。いつまでもここにいる訳には行かない。この事態を把握した周辺諸国は、様々な狙いを持ってガズに戦力も含めた人員を送ってくるはず。そうならないうちにさっさとガズを脱出しないとね。


「......ああ、忘れてたわ」


 返し忘れていた事を思い出して、ワタシは空間収納からあるものを取り出し、それをエイルの足元に転移させる。突現出現した物にエイルの弟妹はビクゥッ、と驚いて先程以上にきつく彼女に抱き着く。ただエイルはそれに見覚えがあるからか、現れたそれ——通信の魔術具が幾つも入った袋を持ち上げて、ワタシに視線を向けた。


「返しておくわね、それ。色々役に立ったけど、これから必要になるでしょう?」


 作戦の為に借りた物だ。アレの価値は中々に希少だし、返さないわけにもいくまい。エイルは律儀なのね、と言わんばかりに苦笑を浮かべる。一方エイルの弟妹は見知らぬワタシを彼女の後ろから恐る恐る伺い、レジスタンス達は警戒の視線を向けてくる。彼らとてワタシが協力者だとは分かっているだろうけど、流石にアレだけの惨劇を見て無神経にはいられないらしい。まあ、それが正しい反応なのだけど。


「......ねえ、これ」


 すると、とあることに気が付いただろうエイルが訝し気な視線をワタシに向けてきた。なんのことかワタシだって分かっているので、彼女が気になっているだろうそれ——初めに彼女に渡された通信の魔術具を取り出す。


「これは折角だから貰っておくわ。報酬としては中々良いものだしね」


 それに、とワタシはその魔術具を起動し、対を持つエイルの周囲にだけ聞こえるように小声で呟いた。


「——こうして出来た縁、捨てるのは勿体無いもの。勝手ながら、友人の証として頂いていくわ」


「っ!?」


 その言葉に驚いたのか、エイルが目を見開く。やがてクスリッ、と彼女は笑い、こちらに手を差し出してきた。


「——さようなら、悪夢のアリス。感謝するわ、あなたの助力に」


 ワタシもそれに応じるように手を前に出す。この距離なので届きはしないが、それでもその手は——その握手は互いへの感謝と共に伝わった気がした。


「——ええ、こちらこそ。ありがとう、エイル・アウルーズ」


 そう告げてワタシはイオやフューリと共にその場を転移で去り。




 ——ガズ史上最大の騒動は、ここに幕を閉じたのだった。





次回は明日12月12日12時投稿予定になります。

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