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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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狂想曲は、業都に響く――狂奏・覚悟――

「......まだ抗いおるか。無駄じゃというのに」


 そう零すオールヴだが、そこには先程までの余裕は無い。その顔からは笑みが消えており、額には汗も浮かんでいる。


 先程から予定外の事が多く起きていた。迫りくる死霊達の数は留まることを知らず、今も通路から押しよせてくる。しかも弱い個体でありながら意外としぶといものが多く、蹂躙されながらも中々死なず、結果的にカオスビーストの障害となっていた。

 そこに突如として現れた謎の白い大蛇。それの不意打ちによりアリスの拘束が解かれ、さらには回復までされてしまった。しかも怒り狂って我を失っていたはずのアリスは、見たところ冷静さを取り戻している。折角捕らえたというのに、再び振り出しに戻ってしまったのだ。


 だがそれでも、オールヴはカオスビーストが負けるとは思っていなかった。回復していようと未だアリスは万全とは言えない。カオスビーストとの戦闘や拘束もそうだが、恐らくは黒騎士戦での傷が尾を引いているように彼には見えた。

 白蛇に関してもその登場には驚いたが、鑑定した限りステータスからではそこまでの脅威とは彼には思えなかった。高い回復力や変幻自在の体躯という固有スキルは厄介な点だが、ベノムサーペント自体は下位から中位に属する魔物。猛毒生成で作られる毒には個体差があるとはいえ、総じてそこまで強力な物ではない。ゆえにカオスビーストの敵とは成り得ない、と彼は判断した。


 ——何より、アリスにはアレを殺せない。その事実が彼の自信を支えていた。


 その時、状況に変化が起きる。しばらく宙に滞空していたアリスと白蛇が揃ってカオスビーストへと急降下したのだ。

 アリスはその手元に闇魔法の球体を生成して、少し離れた場所まで近づいてからそれを放つ。白蛇は瞬時にその体躯を10m程にまで巨大化させ、頭部を中心に垂直回転してその尾を叩きつけた。


『————』


 だが、カオスビーストには効きはしない。闇の球体は触手を一本吹き飛ばしたものの本体に関しては表面を削っただけに終わり、白蛇の尾はその体を抉り取るがすぐに再生が始まる。


「ふん、やはり無駄な......」


 無駄な行為を繰り返す二体に呆れて鼻で笑うオールヴだったのだが、すぐに彼は信じられない光景を目にすることとなる。

 カオスビーストの近くへと落下した白蛇。その口から禍々しい黒紫の液体を放ち——。


『——————!?!?』


 それを受けたカオスビーストの肉体の一部が一瞬にして消し飛んだのを。


「......ほっ?」


 思わず呆けるオールヴ。あまりに信じられない光景に頬を抓り、何度も目を擦るが、事実が覆ることが無い。肉体を消し飛ばされたカオスビーストは、余程の激痛だったのか今まで見たことも無い程暴れまわっている。

 一方それを為した白蛇——イオは体を5m程にまで縮めてカオスビーストの周囲を動き回り、再び黒紫の液体を放つ。それを危険視してか、本来は命令に忠実な動きしかしないカオスビーストが必死でそれを避けようと動く。が、何度も放たれるそれ全てを避けきることは出来ず、当たった場所からその体が少しずつ消し飛ばされていく。


「な、何が起きたんじゃっ!?」


「ってちょっと、前に出てくんな爺さん!?」


 観客席から身を乗り出すオールヴを必死に抑える護衛。だが彼の耳にその声は届いていない。痩せた体からは想像もつかない力を発揮して席の縁にしがみつき、目を見開いて目の前の現象を観察する。

 何よりもまず調べるべきは、あの黒紫の液体の正体だ。スキルからして、恐らくは猛毒生成によって作られた溶解毒。つまりあれは消し飛んだのではなく、肉体を溶かされたという事になる。

 だが、カオスビーストもある程度までの毒への耐性は有している。だというのにカオスビーストの体はそれに抵抗する事すら出来ず、一瞬で溶解してしまった。つまりあの毒はその耐性をほぼ無効化してしまう、猛毒どころか劇毒クラスの産物に違いない。


 そして、オールヴはそれの正体に予想がついていた。いや直接見たことは無いが、その色合いと効果の特徴を持つ溶解毒など、一つしか思い至らなかったのだ。


「まさか、ヒュドラの毒じゃとっ!?そんなものを、何故ベノムサーペントごときが有しておるっ!?」


 ——ヒュドラ。若い個体でも高位、成体では災位に至るものも多い、『毒の王』とさえ呼ばれることもある、毒を扱う魔物の代表格にして頂点の一角に座するもの。あの白蛇の毒は見たところ災位の毒にまでは至らないようだが、それでもカオスビーストの持つ耐性でどうにかなる程度のものではない。


 ——マズい。毒の正体を看破したオールヴの背筋に冷や汗が流れる。


 カオスビースト。その正体は、オールヴが改造した特殊なスライムに様々な魔物を取り込ませたもの。その体内に取り込んだ魔物などを吸収してその特徴を獲得し、急激に成長する怪物。人造魔物などと言ってはいるものの一から魔物を生み出したわけではなく、吸収させる対象を選別することで成長の方向を先導した改造魔物というのが正しい。

 それゆえの弱点——それは体内に取り込めなければ吸収も出来ないという事。今回の場合であればかの毒かそれを放つ白蛇の肉体を取り込む必要があるのだが、前者は肉体が消滅する以上不可能であり、後者に至っては内部から致命的な一撃を喰らう可能性すらある。

 カオスビーストの肉体は再生するものの、それにだって魔力は必要である。耐性が得られない状況で被弾と再生を繰り返していれば、いずれジリ貧になるのは目に見えている。


 ——つまり。カオスビーストにとって、あの白蛇は天敵なのだ。

 

 その事実へと至ったオールヴの決断は早かった。——この場は引くべきだと。


「......撤退するかの」


 護衛に対してそう一言指示を出す。護衛達はオールヴの判断に意外といわんばかりに目を開くが、すぐに命令を実行するために脱出経路の選定に入る。彼らにしてみても、一刻でも早くこんな場所からは離れたいので文句は無い。

 オールヴとて葛藤はある。結局のところアリスの身柄は確保できなかったし、離れるつもりではあったとはいえ拠点から逃げる羽目になってしまう。重要な研究成果の資料などは手元にある空間収納の魔術具に仕舞ってあるが、奥の研究室に置いてきた物や捕らえたままの奴隷達は諦めるしかない。

 だが、ここで退かなければカオスビーストまで失う事になりかねない。研究成果の結晶ともいえるソレを失う事だけは、彼にも到底許容できなかった。


 とはいえ成果が全くなかったわけではない。今回の事はカオスビーストの更なる成長の為にはいい経験となった。それに魔石にアレを使っている以上、アリスは再びオールヴを狙ってくる可能性が高い。であれば、その時には今回以上に万全な準備を整え、奴を捕えればいい。

 そう考え、オールヴはカオスビーストに撤退命令を出そうと口を開く。


 ——だが、彼は失念していた。この場にいた筈のもう一体の存在に。


「カオスビースト、撤退を......」


 そこまで口にしたところで、その声をかき消すほどの轟音が響く。それと共に闘技場全体が揺れ、カオスビーストの体が闘技場の端にまで吹き飛ばされた。通路入り口から少し離れた壁に激突した獣の肉体はクレーターを作り、その動きが大幅に鈍る。その隙を突いて白蛇の溶解毒が放たれ、再び絶叫を上げるカオスビースト。


「............」


 その光景に何が起こったのか分からず、絶句するオールヴと護衛達。やがて正気に戻った彼らはその轟音の元凶——未だ衝撃による砂埃に覆われた闘技場中央に目を向ける。しばらくして晴れたその場に現れたのは彼らの良く知る存在であり、だからこそ何故そうなったのか理解できずにオールヴは思わず叫んでいた。


「——何をしておるっ、番外検体!?」


『————』 


 オールヴに問われた存在——黒騎士はしかし何も答えず、その手に持った斧槍を構えてカオスビーストへと向かっていった。それは、明らかにオールヴに反旗を翻しているのに隷属の呪詛に縛られていない、という矛盾した事実。状況が理解できずに、再びオールヴは呆ける事しか出来なかった。


 アリスの呪歌により、隷属の呪詛が解けかかっていた黒騎士。それはあの絶叫を受けたことでさらに解呪が進んでいたのだ。アリスの呪詛の影響力の方が上になり、ある程度は自由に動けるようになるまでには。

 だが完全には解けていない為、オールヴ本人を襲う事は不可能だった。だから黒騎士は狙いをカオスビーストとし、イオの援護に入った。撤退行動に移るのを妨害し、アリスの目的であろう獣を逃がさない為に。


 そして、黒騎士の行動にはもう一つの意味があった。


「っ、くっそがっ!?」


 その気配に気付き、狐目の護衛が思わず叫んだ。もう一人の褐色肌の護衛も武器を構え、オールヴを護る行動に入る。黒騎士の離反に呆然としていたオールヴはそこでようやく気が付いた。

 ——周囲に迫る、死霊達の影に。


 元々死霊達の狙いはオールヴである。それはカオスビーストによって防がれていたのだが、イオと黒騎士の存在によってそれは不可能となっていた。防ぐものがいなくなった以上、それが本来の狙いへと向かうのは自明であった。

 これこそが黒騎士のもう一つの狙い。彼とて、オールヴを逃がすつもりは毛頭ないのだ。


「......下がっていろ。これをどうにかしなければ脱出など出来ようもない」


 そうオールヴに告げる護衛だが、その顔色は芳しくない。通路から侵入してくる死霊達の流れは流石に途絶えつつあったが、闘技場内部にいる数は相当のもの。いくら弱い個体がほとんどとはいえ、数の暴力は決して侮れるものではない。

 その上、護衛達も疲弊していた。疲弊とはいうが、戦っていない彼らに肉体的な疲労は無い。だがアリスや黒騎士の放つ濃密な殺気や武威、魔力の圧によって受けた精神的な疲労は、決して無視できるものでは無かった。さらに、雇い主の手駒であった黒騎士の離反にカオスビーストの劣勢という状況も、彼らの心労を促す原因となっていた。


 ......だからこそ、彼らは見逃してしまった。


 ——最初にイオと共に突撃したはずのアリスの姿が、いつの間にか見えない事に。






 ——準備は整った。ワタシは闘技場全体を俯瞰しながら、仕上げに入る。


 突撃時に敢えて弱い攻撃を放ち、ワタシが限界であると認識させた。そのうえであの怪物にとって脅威となるヒュドラの毒を持つイオに注意を向け、ワタシは認識阻害の呪詛を使いつつ闘技場の天井付近にまで戻った。


 ——全ては、決着となる一撃を放つ為の時間を稼ぐ為に。


 だけどやはり傷の影響は大きくて、思ったより時間が掛かってしまった。それに、予想以上にオールヴの逃走判断が速かったのは焦った。もう少しワタシに執着するかとも思ったのだけど、イオの毒を危険視したのだろう。あのまま逃げに徹されたら流石にイオだけじゃ手が足りなかっただろうが、なんとそこで黒騎士が協力してくれた。

 こちらが何か説明したわけではないけど、ワタシ達の動きから勝機があると踏んで力を貸してくれたんだろう。もしワタシ達ではどうにもならないと思ったなら、黒騎士も逃走へと切り替えたに違いない。


 とにかく、お陰で時間は稼げた。護衛達も目の前の死霊達に気を取られているから邪魔される心配も無い。

 今のワタシの状態では、一回しかこの魔法は発動できない。だから失敗は許されない。けれどワタシに不安は無い。イオと黒騎士がここまで時間を稼いでくれたのだ。


「——ここまでお膳立てされているのに失敗したんじゃ、女が廃るわよ!」


 そう言い放ち、ワタシは魔力を昂らせる。


 魔法発動の前兆によって認識阻害の呪詛が剥がれ、そこでようやくオールヴと護衛はワタシの存在に気が付いた。だが、護衛達はオールヴを死霊達から守るのに手一杯。オールヴも生き残るためには彼らに任せるしか無いので、下手に動くことも出来ないでいた。

 だが、オールヴがこちらを見る目には、未だ微かな光が宿っていた。いや、彼はそれに縋っていた。


 ——ワタシにフューリを殺すことは出来ないという、その一点だけの希望を。


 そう思うのも当然かもしれない。今あの獣を追い詰めているイオも黒騎士も、よく見れば致命的な傷は負わせていない。そうでなければ、劣勢でありながらもカオスビーストは未だに健在であることに説明がつかない、と。

 それは決して間違ってはいない。ワタシには、確かに彼女を殺せなかった。ワタシにとって彼女はそれだけ大事な存在であることに変わりは無い。


 ——さっきまでのワタシなら、だけど。


 既に腹は括った。あの状態のフューリを助け出す為の方法は限られている。その中でも一番実現可能なものを選択し、実行する為に。それしか手段が無いのであれば。




 ——ワタシは、()()()()()()()()()()()()()()




 ——結界、展開。


 カオスビーストの周囲を囲う結界を展開する。闘技場の中心部に漆黒の球体が出現し、獣はその中に囚われる。捕らえられた獣は暴れるが、それではこの結界は破れない。ワタシだって万全とは言えないけど、それは獣の方も同様。咄嗟に張った結界ならともかく、準備を重ねて発動したこれは容易く破れはしない。


 ——呪詛、注入。


 そこから結界内に呪詛を満たす。効果としては再生能力と肉体の硬度を減少させるもの。とはいえそれだけでは力は下がっていない為、内部で暴れるカオスビーストに変化は見られない。だけど、それでいい。どうせ、すぐに何も出来なくなるから。


 ——黒星、生成。


 結界内に漆黒の星——闇魔法の球体が多数出現する。その一つ一つが先程放ったのよりも強力な物だ。

 

 これは、かつてフェニア傘下の商会を襲撃した時に、あの護衛に使った物の完成版。消耗している今のワタシが放てる直接的な攻撃力においては最も強力な、闇、呪詛、空間の三属性を合わせた魔法。


『——黒亡星、発動』


 その鍵言と共に魔法が発動し、黒星が一斉にカオスビーストへと襲い掛かりその肉体を抉り取る。貫通力を高める為に効果範囲を狭めている黒星は触れた部分だけを消し飛ばしながらその肉体を貫通し、——結界に当たったところで加速しながら跳ね返り、再びカオスビーストへと襲い掛かる。

 要は、これは球体上の空間を動き回るスーパーボール。いや、どちらかというと球体上のトランポリンの内部をボールが跳ね回っている、というのが正しいかも。まあどちらにしても、それを喰らえばどうなるかは目に見えている。

 それは結界に捕えた者を亡き者にせんとする、黒き星の嵐。いくら30m越えの体躯を持とうが、高い再生力を有していようが関係ない。呪詛により弱体化しているのも相まって、今やカオスビーストはただのデカい的でしか無かった。


 まあ、これは魔法を発動しているワタシだからこそ分かる事。他の者達からすれば漆黒の結界内で何が起きているかなど知ることは出来ないのだけど。

 数分したところで魔法を解除する。結界が解けて露わになったのは、その肉体がほぼ完全に消し飛んだカオスビーストの残骸と、ほぼ完全な状態で中央に転がっているその魔石の姿。もちろん偶然では無く、ワタシが黒星の軌道を制御して最小限の被害に留めたのだけど。


 だが、肉体が消し飛ばされた影響は魔石にだってある。既にそれには大きな亀裂が入り、いつ砕けもおかしくない状態にある。

 それでも、ワタシには見えている。そこに未だ健在である——彼女の魂が。


 ——さあ、ここからが本番。今の攻撃とて、これから行う事の仕込みでしかない。急いで魔石の元に急降下して、その準備に入る。

 フューリを助け出す、そのためにワタシはある決断を下した。




 ——彼女を、()()()()()()()()()()ことを。





次回は12月8日投稿予定になります。

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