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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
81/124

狂想曲は、業都に響く――狂奏・馬鹿――

 ——墜ちていく。


 昏い闇の中を。どこまでも続く漆黒の空間を。


 そこは、わたし(アリス)(有栖)が漂っている空間にもよく似た場所。肉体でなく、精神や魂といった存在の住まう世界。

 だけど、ここはワタシのそれとは違い、多くのものの姿が見受けられる。闇に呑まれ、少しずつ混ざりながら消えてゆくもの。あるいは闇よりも黒い鎖に縛られ、この空間に囚われ続けるもの。そんなもの達が——人や魔物の姿が無数に存在している。


 恐らくここは、あの虹色の怪物に取り込まれたもの、その魂が行き着く先なのだろう。

 ここに来た者達の行き着く先は二つ。闇に呑まれあの怪物の一部として取り込まれるか、もしくは漆黒の鎖——隷属の術式に縛られてオールヴの手駒になるか。

 そしてワタシの周囲にその鎖が何本も近寄ってきていることから、オールヴはワタシを手駒に、あるいは研究対象として捕らえておくつもりなのだろう。これに縛られれば、呪詛に長けたワタシであっても抜け出すことは出来ず、少なくともオールヴが死ぬまでは使役されることは間違いない。


「......ここまで、かな」


 それを目にしていながら、ワタシの口から零れ出たのはその一言だけだった。

 ワタシ、という終わったものの行き着く結末としては妥当に思えたから。



 ——ワタシの存在は、周りを——大事な人達を不幸にする。



 私の両親や祖父の結末がああであったように。

 わたしの存在そのものが、母が死ぬ要因となったように。


 分かってはいた。ワタシ自身が不幸の原因だと、忌み子だと、疫病神だと、死神だと。

 けど、それを手放すことは出来なかった。ワタシにはそれしか残っていなかったから。


 ——その結果、わたしは彼女を失った。


 ——その結果、私はあの子を死なせてしまった。


 そのワタシが、どの口叩いて『復讐』などと言えるのか。一番にその刃が向けられるべきは、他ならぬワタシ自身だというのに。


 ——ああ、それに。 


 ワタシは、わたしと私が混ざり合った存在ではある。けど、それは決して、ワタシ=私もしくはわたし、とはなり得ない。フューリからしてみればワタシを私とは許容出来ないだろうし、転生したイオにもし記憶があったならワタシを私と認めはしなかっただろう。


 ——そんなワタシに、彼女らと共に過ごしたわたしと私ですらないワタシが復讐を掲げるなど——初めから、滑稽以外の何物でもない。


 鎖がワタシに纏わりつき始める。ワタシを縛り、主の従属物にするために。

 ワタシはソレに抗わない。もはやこうなれば、ワタシに出来ることは無い。ワタシはオールヴの僕に成り下がり、命令のままにその力を振るい、もしくは実験の為にその身を捧げるのだろう。

 それは最低の結末だろうけど、ある意味ワタシにお似合いの最期と言える。

 だからワタシは考えることを放棄し、身をゆだねようとする。そうすれば、もう何も考えなくて済む。復讐に囚われることなく、全てを任せてしまえば、楽になれる。




 ——そう、思ったのに。




 無意識の内に、ワタシはその鎖を弾いていた。

 躰が勝手に動くのを抑える事が出来ない。縛られまいと、囚われまいとこの身が動き、暴れる。

 もう楽になりたいと考える一方で。ワタシはどうしてもそれを捨てられない。無視できない。


 ——この身の奥に燻る、どす黒い炎を。


「どう、して......」


 なんで、それを捨てられない?それは、ワタシのものとは言えない感情。わたしでも、私でもないワタシが掲げることは決して許されないもの。その筈なのに、どうして、ワタシは......。

 そう考えていた時だった。




『——はぁ、ここまで馬鹿でしたでしょうか、お嬢様は』




 漆黒の空間に、突如として二度と聞けないはずの声が響いたのは。


「......え」


 思考が停止し、躰が硬直する。徐々にその事実を認識し、顔がばっと跳ね上がり声の主を探すべく周囲を見渡せば、すぐ目の前に声の主は——彼女はいた。

 そこにいたのは、ガンダルヴ家の侍女服を着た二十代ほどの女。灰色の髪を後ろ手に一つに縛り、かつてのように礼儀正しい姿勢でこの闇の中を漂っている。ワタシとは色合いの少し違う青色の瞳は、氷のように冷たくも見えるながらも優しい光を宿している。


「......フュー、リ?」


「ええ、そうです。ご無沙汰しております、お嬢様」


 わたしの侍女であった女性が、ワタシが探していた人がそこにいた。




「なんで、いや、ここがあの獣の内なら......」


 なぜここにいるのか、そう問おうとしてすぐに思い至る。この空間はあの虹の獣の内側。なら、彼女がここにいることは、何ら不自然な事でなく、むしろ当然なことなのだと。


『ええ、そういうことです。......お久しぶりでございます、お嬢様様。大きく、はその躰ですと正しく無いかもしれませんが......。こういう形なのは少し残念ですが、それでもお元気な姿を見ることが出来たのは、とても喜ばしいことです』


 そう言って優しく、あの頃と何も変わらない笑みを浮かべるフューリ。そんな彼女の姿に、胸中に様々な感情が吹き荒れて言葉を返すこともできないでいた。

 喜び、後悔、懺悔、感謝、彼女に対するありとあらゆる思いが内を渦巻き、端から口にしそうになるのをなんとか抑え込む。だって何よりもまず、言っておかなくてはいけないことがある。


 ——ワタシが何者であるのかを。 


「......フューリ、ワタシのことをお嬢様と呼ぶのはやめて。ワタシは、貴方にそう呼ばれる資格は......」 


 その言葉を口にしながら、躰が微かに震えるのが分かる。覚悟はしていても、フューリに正体を告げることを、彼女に受け入れられないことをワタシは恐れていた。彼女は、それだけ大事な人だったから。

 それでも、伝えなくてはいけない。腹を括り、続きを口にしようとしたところで。


『——改めて申し上げます。お嬢様は馬鹿ですか?』


 ワタシの言葉は、その一言でバッサリ斬り捨てられた。


「......え?」


 突然放たれたその言葉に、ワタシは呆けてしまう。一方のフューリは天を仰ぎながら顔に手を当て、呆れたように溜息を吐いた。


「ば、馬鹿っていったいなんの......」 


『決まっています』


 ワタシの口から咄嗟に疑問が零れるが、それを予測していたかのようにフューリは続ける。


『他の魂が混じったから、あなたはお嬢様では無い?魔物となったから、そう呼ばれる資格はない?それを決めるのは、私にございます』


「なんっ......」


 なんでそのことを知っている?魔物は兎も角、有栖のことはまだ口にしていないのに......。

 困惑するワタシに対し、フューリは苦笑いを浮かべている。


『ここはかの人造魔物の内なる世界。なら、その核の一部である私だって、その世界の主の一人になります。無論何でも出来るという訳ではないですが、ここに囚われたものの記憶を読むことくらい訳ありません。というより、勝手に流れ込んでくると言うのが正しいのですが』


 ......つまり、彼女にはバレているということか。ワタシが誰なのかも、そしてワタシが為してきた様々な事も、その全てが。


「なら、分かっているでしょう?ワタシは......」


『――あなたは、お嬢様です』


 そして、それを知ってもなお、彼女はワタシをそう呼ぶのだ。


『魂が混ざろうが関係ありません。かつての記憶や思い出が消えたわけでもない。余程もう一人のお嬢様と相性が良かったのか、人格とてそう変わった訳でもない。何よりも、こうして話しているだけで分かるのです。私の目の前に人は、他の誰が何と言おうと、それこそお嬢様自身が否定されたとしても。——私にとって、あなたはお嬢様なのです』


「フューリ......」


 ......何も変わらない。唯一人、ずっとわたしの傍に居続けてくれた人がそこにはいた。わたしの力が及ばなかったせいでこんな目に遭っているのに、彼女が浮かべる優し気な笑みに曇りは一切ない。


「......でも、ワタシは」


 だからこそ、ワタシは彼女の顔を直視できないでいた。彼女に対しての罪の意識から、目を合わせることが出来ないでいた。一体どの面下げて、彼女の主を名乗れるというのか。


『......そうですね。確かに、今のあなたはお嬢様ではありません』


「っ!?」


 するとフューリは、今度は先程とは正反対の事を口にした。突然の掌返しに驚きのあまり顔を跳ね上げれば、彼女は真面目な顔で、ワタシを叱るような目をこちらに向けていた。


『魔物になったから、ではありません。その魂に別人が混ざっているから、でもありません。こんなところで諦めようとすることが。......いえ、より正しく言うならば』


 


『——お二人ともが死んでもなお消す事の出来なかった、胸の奥底に宿る炎。それを無視してここで全てを捨て去ろうとする、その事こそが何よりもお嬢様では無いと言っているのです』


「————」


 その一言に、ワタシは言葉を失った。


『それは、お嬢様達の根幹。理不尽な目に遭い続けてきたことで内に溜め続けてきた、憎悪そのもの。それから目を反らして楽になろうとする、......それはお嬢様にとって正しい事なのですか?』


 何も反論できない。声が出てこない。


 それは、確かにその通りだから。ワタシにソレを捨てることなど出来はしない。それがあるから、ワタシは魔物として再誕したのだから。

 先程躰が動いて鎖を弾いたのが、まさにその証拠。頭で諦めていようとも、心の奥底ではそれは到底認められないから、アレを拒絶したのだ。


 ......けど。それと同時に。


「......だけど、ワタシにはあなたを殺す事なんて出来はしない。出来る、訳がない」


 それだって、ワタシにとっての真実なのだから。

 死んでいるかもとは覚悟していた。どんな結末であれ、その事実は受け入れるつもりではあった。けれど、ワタシの手で彼女を殺さなければならない、それだけは想定外で、——ワタシに出来る訳が無かった。

 そう口にしたワタシに対し、彼女は困ったような笑みを浮かべる。


『そのお気持ちは、とても嬉しいです。お嬢様にとって、私はそれだけ大事な存在なのだと、認めて貰えるようで』


 でも、と彼女は続ける。


『それでも、それを捨てればお嬢様はお嬢様で無くなってしまいます。だから——私を殺してください』


「っ、だから、ワタシは......」


 フューリの言葉につい感情が荒ぶる。その勢いのまま叫ぼうとするワタシを、再び彼女の言葉が遮り。


『——なぜなら、私は私ではないのですから』


「......は?」


 その言葉に、ワタシは絶句した。

 口を開けてポカンとするワタシ。それに対して、フューリはだって、と話を続ける。


『今の私の姿見たでしょう?あんな醜悪な怪物の核にされて、首だけのまま生きている屍同然の姿。あんなの、さっさと消えてしまった方がいいに決まってます。そして、その魔物の一部になったこの私だって、とっととくたばった方が......』


「——違う」


 その言葉を、今度はワタシの声が断ち切った。その言葉だけは、認められなかったから。


「だって、フューリはここにいる。どんな姿になろうとも、あの怪物に取り込まれたとしても。あなたはあなた。だから......」


 ワタシが感情のままにそう捲し立てると、何故かフューリはクスッと笑った。口に手を当てて、可笑しそうに。

 何か変な事を言っただろうか、そう考えてワタシは気が付いた。ワタシの口からついて出た言葉、それは先程の彼女の言葉と何ら変わらない事に。


『......お分かりになられましたか?同じなのです。お嬢様にとって私がそうであるように、私にとってのお嬢様もそうなのだと。私のお嬢様は、今ここにおられるお嬢様なのです』


「わたしは、私は、......ワタシ......」


 ......ああ、そういう事。そうなんだ。ワタシはわたしや私では無い、のではない。どれだってワタシの一部で、ワタシそのもの。フューリがどんな姿になったって関係ないと、ワタシがそう考えるように。彼女がワタシを大事な人と思ってくれている限り、ワタシはわたしなのだ。


 ——難しく、考えすぎていたみたい。わたしと私なんて、わざわざ分ける必要なんてない。


 思い返せ。ガンダルヴ家に復讐した時、アレはアリス(わたし)だけの復讐だったのか?イオと出会った時、あの時流した涙は有栖()だけのものか?


 ——そうじゃない。アレはワタシの憎悪で、ワタシの後悔だ。どんな経緯であれ、混ざり者であろうと、今ここにいるワタシこそが、ワタシなんだ。この身に抱えるものは全てワタシの物で、決して他の誰のものでもない。

 ワタシがそう悟ったと理解し、笑うフューリ。彼女はその表情を真剣なものに変え、言葉を紡ぐ。


『では問いましょう、お嬢様。なら、ここであなたはその憎悪を捨てられるのですか?自らの怒りを、憎しみを、怨念を、何もかもを無為に帰す、そのことを許容することが出来ますか?』


「——冗談じゃない」


 そんな事できるわけが無い。いや、最初から分かっている。この奥底で燃え滾るどす黒い炎。あの日復讐を誓った日から、この炎を捨て、裏切る事だけは、決して出来ない事を。


『......なら、私を殺してください。その目的を果たすための障害を、その手で消してください。お嬢様に殺されるなら、本望でございます』


 そう言ってニコリと笑い、自らの首に手刀を当てるフューリ。その顔は晴れやかで、ワタシの行く先を寿ぐかのように満面の笑みを浮かべている。

 ワタシは道を定めた。もう迷いはない。だから、この先に行くためにはその障害となる彼女に、引導を渡すしかない。

 

 ——だけど。


「——いやよ」


『......お嬢様?』


 ワタシの答えにフューリは困惑の表情を浮かべる。まさかここでそう答えるとは思ってもいなかったのだろう。

 彼女の言葉がワタシに届いていない、という訳ではない。ただ、死ぬか殺すか、それだけが選択肢では無い。それだけが、答えではない。


 脳裏に蘇るのは、あの日のエイルの言葉。



『——それは『義務』じゃなくて『願望』であるべきものでしょう』


『——子供はもっと、我儘をいうものよ』



 ......思えば、彼女には全て見透かされていたようにすら感じる。流石はガズ随一の大商会の幹部というべきか。その心眼には恐れ入る。


 その生い立ちや環境から自らの本心を抑えて過ごしてきた弊害、それに周囲を不幸にしてきたワタシが幸せになってはいけないという贖罪。魔物として転生した後もそれらはワタシの枷となり、視野を狭める原因の一つとなっていた。

 だけど一つの枷が外れたことで、それに連鎖するように途端に全てが開けた。今までの自分は何だったのだろう、と呆れかえってしまうほどに。


 ——自分の願いは何?周りを不幸にしてきたワタシが、この生で何を為したい?


 そんなの、端から決まっている。


「——ワタシはね、幸せになりたいの」


 それが、ワタシの願い。ずっと散々な人生を歩んできたからこそ、願って止まないもの。幸せにならなければという義務じゃなくて、そうなりたいという願望。

 ——全ての復讐、その先に求める未来。


「そしてそれはね、ワタシだけじゃ駄目なの。あなたやイオがいて、初めて意味があるものだから」


 それが、ワタシの贖罪。不幸にしてしまった彼女達を救う為に。大事な人達を今度はワタシが幸せにしてあげたい、いや、共に幸せになる未来を歩みたいから。


 ——だから。 


「フューリ、あなたをここから助け出すわ。諦めてなんか、あげないんだから」


『あ、あぁ......』


 ワタシの宣言にフューリはしばらく呆然とし、やがてくしゃりと歪んだ、それでいてとても嬉しそうな顔になった。


『ああ、お嬢様......。それがあなたの決めた道、なのですね......』


「——ええ、そうよ」


 例えそれがどれだけ無謀だろうと知ったことじゃない。既に聖人を殺すと誓っているのだ、今更無理が一つ二つ増えようと変わりはしない。

 我儘、欲張り?結構、それがどうした。


 ——これが、ワタシの進む道だ。


「——だから待ってなさい。すぐに、ここから連れ出してあげる」


 その宣言と共に、ワタシはその空間を高速で浮上する。

 さあ、敗者復活戦といこう。生憎、もう負けてやるつもりは無い。




 ——ワタシの意思は、もう誰にも砕けない。




次回は12月4日12時投稿予定になります。

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