狂想曲は、業都に響く――狂奏・敗北――
——届かない。
いつもわたしを支えてくれた彼女が、奴隷として売られた時も。
あの日私を助けようとしてくれたあの子が、勇者に殺された時も。
——全部、ワタシのせい。
幼い頃病に倒れた私の母の助けが間に合わなかったのも。
わたしの母が呪いに侵され命を落としたのも。
父と祖父が事故で亡くなったのも。
——そして、目の前の彼女がこんな姿になってしまったのも。
——ワタシの手は、いつだって届かない。
怒りに呑まれる。奴を、オールヴを殺さんと、衝動のままに躰は奔る。魔力を迸らせ、奴に向かってあらん限りの魔法を放つ。
先程までの戦闘で魔力は底を尽きかけているし、黒騎士から受けたダメージも回復してはいない。分離できるからといっても、あの一撃の代償は少なくない。もはや限界に近く、躰は軋み、悲鳴を上げている。
——それがどうした。
魔力が無いなら命を削れ。躰なんぞは後で直せ。今は、今だけは、何としてでも。あのクソ野郎を、絶対に殺すのだ。
——だが、そこまでしてもなお、ワタシの刃は奴に届かない。目の前に立ちふさがる、彼女によって。
いや、分かっている。アレは彼女では無いと。彼女を核にはしていても、所詮アレは奴の生み出した人造魔物に過ぎない。オールヴの命令に従い忠実に動く、奴の駒でしかないのだ。
だからアレを殺せばいい。弱点である核を潰せば、それだけでこの魔物は殺せる。限界が来ている躰であろうと、こいつが黒騎士程の堅さを有していない以上、難しいことでは無い。
そうあの核を、彼女の頭部が納められたアレを破壊すればいい。それだけの事、それだけの——。
——出来る訳がない。
だって、分かってしまうのだ。あんな姿になってもなお、——彼女は生きている。いや、あの魔物の体に生かされている。例え頭しかなくとも、虚ろな瞳に光を宿していなくても、禍々しい虹色の血管が首の断面から幾つも伸びていたとしても、そこには魔物じゃない彼女の命が、そして魂が宿っている。
その事実にさらに怒りが湧き上がるとともに、ワタシの躰の動きが鈍り、魔力の制御が乱れる。
——殺せるわけが無い。生きたまま魔物の一部に組み込まれる事がいかに悍ましい事象であろうと、彼女にとって死こそが自由になる唯一の方法であると分かっていても。それが、彼女を助ける行動であろうとも。
——ワタシに、彼女を殺すことなど。決して出来はしない。出来る訳がない。
躰の動きがさらに落ちる。ガタが来始めていることもそうだが、既にワタシの心中は怒りよりも絶望が勝っていた。
——ああ、そうだ。結局、ワタシには何も助けられない。
生まれながらに親殺しの原罪を背負い、生涯呪われ続けたアリス。生前一番近くにいてくれた人でさえ、こうして失った。
疫病神と呼ばれ、忌み嫌われた有栖。大事な人達程私の前からいなくなり、最後に唯一味方でいてくれた人はそのせいで殺された。
どうしようもなく終わっている、わたしと私。その残骸から、後悔、憎悪、妄執、怨恨、そんな物から偶然が重なって、生まれ落ちたのがワタシだ。
そんなワタシに、一体何が為せたというのか。
そんなワタシに、どんな先があるというのか。
——ああ、実に滑稽だ。そんなもの、何もありはしないのに。
ワタシの動きが急激に落ちる。魔力は途切れ、躰は進まず、声は響かない。
そんなワタシへと無数の触手が襲い掛かる。それを防ぐ術は今のワタシには無く、為すがままに触手の攻撃を喰らい、躰が宙へと舞い上がる。
高々と飛ばされたワタシだったが、やがて重力に従って地へと墜ちていく。そんなワタシの下で虹の獣は待ち構えており、その顎を大きく開いている。禍々しい虹色を宿した口腔、その奥には全てを呑むような昏い穴が続いていた。
堕ち行くワタシの視界に彼女が映る。その姿は、あの子の成れの果てを想起させるもので。
「......ごめんね。伊織、フューリ......」
最後にそんな言葉が口から零れ出て、ワタシは虹の塊に吞み込まれた。
「......えげつない事するな、アンタは」
目の前の光景——オールヴの人造魔物にアリスが吞み込まれたのを見ながら、護衛の一人である褐色肌の男は思わずそう呟いていた。狐目の護衛も言葉にはしないが、同意するように頷いていた。
戦闘の終わった闘技場は、見る影もない程に荒れていた。地面は砕け、壁には亀裂が走り、天井にまで破壊の痕跡が及んでいる。何よりも被害が大きいのは闘技場の中央、そこは先程まで暴れていたアリスの魔法によって幾つもクレーターが生じ、原形を一切留めていない。
これを為した存在の事を二人は思い返す。まさに小さな暴風としか言いようのない、高密度の魔力を纏い魔法を放つアリスの姿。怒りに呑まれた彼女の放つ殺気を思い返すだけで、全身が恐怖に震える。彼女が虹の魔物に呑み込まれたことで、彼らはようやくそれから解放され、息を整える事が出来ていた。
だからこそ、それを制圧したオールヴの人造魔物、そして彼の用意していた『保険』がここまで嵌ったことに彼らは驚きを隠せなかった。事前に聞いていたとはいえ、こうも上手くいくとは思っていなかったのだ。
核に使われている首こそがその保険——対アリスに特化した一手である。
魔物を複数掛け合わせた弊害として、理性を失い暴走しやすい人造魔物。その制御に必要となる、生きたまま人を魔石に組み込むという狂気でしかない方法。オールヴはその核に組み込む人間に、偶然手元にいたアリスの従者を使用したのだ。
無論その能力、隠密として有能であったからというのも理由の一つである。それによってこの人造魔物——オールヴにカオスビーストと名付けられた存在は、見た目とは反した高い隠密性を有するに至ったのだから。
だが、アリスの存在を耳にした事も要因の一つと言える。とはいえ、もしもの時の可能性でしかない。グラム王国で事を起こした知性の高い魔物が向かうであろう方向は聖教国のある東でなく、その反対であるガズのある西の可能性が高い事。それと彼の手元にそれに繋がる奴隷がいたこと。
これらの事実を統合し、もしかしたらアリスがその奴隷を探しにくるかもしれない。そして、これを上手く利用すればアリスの身柄を手に入れる事が出来るかも知れない。オールヴはそう考え、噂を聞いた直後——アリスがガズに来る前にオールヴはフューリをカオスビーストの核へと組み込んだ。その後にフェニアの傘下を襲った未知の呪術師の存在を聞いた時には、アリスが来たことを確信してほくそ笑んだものだった。
そしてオールヴはアリスをその掌中に収めた。半分賭けではあったものの、彼の狙い通り生きたまま魔物に組み込まれた侍女をアリスは殺せなかった。死していない為に死霊魔法や未知の固有スキルでも干渉は出来ない。魔石に組み込む前に掛けた隷属の呪術は、魔物のなった際に生命機能の一部に取り込まれる事によって複雑化し、オールヴの実力では殺さなければ解けない領域にすら達している。アリスに解かれる可能性は危惧していたが、どうやら彼女でも解呪は出来なかったようだ。
「フェッフェッフェッ......。これは良い収穫じゃったのう......」
眼前に鎮座するカオスビーストを見下ろしながら、オールヴは笑いが止められなかった。アレに取り込まれた存在には二つの道が用意されている。隷属の呪詛を転写して従属させるか、もしくはカオスビーストに吸収され力の一部になるか、だ。今回は研究の為に従属させるよう厳命している。
その証拠に、取り込まれたアリスの姿が半透明の肉体越しに見えている。吸収形態の時は完全に姿が見えなくなる仕様になっているから、問題は起きていない。アリスの呪詛に影響されて妙な事になっている可能性は否定できなかったので、彼は一先ず安堵していた。
通常なら得意分野である呪詛がアリスに効くわけが無いのだが、今の状態なら効果は十分にあるだろう。時間は掛かるかもしれないが、それだけの価値がアリスにはある。
後はガズから脱出し、帝国に亡命するだけだ。面倒な点は幾つもあるだろうけど、従属化が上手くいけばアリスの能力が手に入る。それさえあればどうとでもなるというのが彼の考えだった。
「さて、それじゃここから離れる準備を......ん?」
そうとなれば早速動く必要がある。そう考え護衛の二人に指示を出そうとしたところで、護衛の二人が武器を構えていることに気が付いた。顔には緊張が浮かび、周囲に鋭い視線を向けている。
一体どうしたのか、そう問おうとして彼もそれに気付く。どこからか聞こえてくる——複数の足音に。
「......なんじゃ、これは?」
もしかしたら奴隷闘士達が攻め入ってきたのかと考えた三人だったが、すぐにその考えが間違いだったと気付かされることになる。騒がしい音共に入ってきた——無数の死霊系魔物を目にした事によって。
「はぁっ!?」
「っ!?」
「なんじゃあ、こやつらはっ!?」
闘技場に捕えていた魔物ではない。こんな数を捕えておいたという話は聞いたことが無い。他の商会だとしても、そもそもがこんな数の魔物を確保していたら隠しきれるわけが無い。
ならば、これは死霊術によって、いや死霊魔法で生み出された存在。真っ先に思い至るのは先程アリスが上げた叫声。アレによって魔物が都市全域にて生み出されたのだろう。
(......だとしたら、ちとマズいかの)
オールヴの頭に浮かぶ、面倒な想定。その予測通り、死霊供はこちらを——オールヴを凝視し、彼に向かって襲い掛かってくる。
彼の予測——それはあの叫声がビーストを目にしたことによって放たれたものであるならば、同時にそれに込められているのはオールヴへの怒りに違いないというもの。その予測は正しく、たとえ術者が意識を失おうとも死霊達は受けた命令に忠実に。
——死霊達は、一直線にオールヴへと向かってきた。
「やはりかっ!ビーストよ、薙ぎ払え!!」
命令を下されたカオスビーストが死霊達を蹴散らす。幸い死霊達は下級のものがほとんどらしく、ビーストに危うさは見られない。だが従属をしている最中の為か、その動きは普段より僅かに緩慢になっているし、数の多さは面倒でもある。
とはいえ、所詮は下級。このままならどうとでもなるとオールヴは判断した。念の為に護衛達に警戒を解かぬように指示を出しておくが、彼らとてそれは理解しており、武器を構えたまま周囲に視線をやる。
このまま事態が収まるのを待てばいい。そう高みの見物を決め込んだオールヴだったが、彼は気が付いていなかった。
——いつの間にか黒騎士の姿が消えていること、そしてカオスビーストの肉体が妙な拍動をしたことに。
次回は12月2日12時投稿予定になります。




