ガンダルヴ公爵家・父と息子
——アリス・クラウ・ガンダルヴが亡くなってから二週間。王都フロトにある公爵邸はそれまでと変わらず、むしろ厄介者が居なくなったことで雰囲気は明るいものとなっていた。
そんな公爵邸の執務室にて、二人の人物が会話をしていた。一人は現当主、ハーヴェス・クラウ・ガンダルヴ。もう一人はハーヴェスの息子にして、若くして宰相補佐官を務めるヒュンケル・クラウ・ガンダルヴである。
「父上、隠居なさったのですから少しはのんびり為されてはいかがでしょうか」
「宰相としての仕事は弟に託したが、公爵家当主はまだ私だからな。やることは沢山ある」
ハーヴェスは数年前に宰相を引退し、彼の弟のトヴァルに位を譲っている。...やがては家督を自身が継ぎ、宰相の地位にも就くことになるだろう、とヒュンケルは考えていたが。
「お前に当主の座を継ぐ前にやっておかなくてはいけないことは、いくらでもあるからな。それに最近ウートの動きが少し怪しい。特にガズに多くの物資が流れている。実にきな臭い」
ウート共和国。グラム王国西方に位置する商業により発展してきた国家で、首都である商都トロキは大陸最大の港湾都市である。その裏で違法商売の温床となり、犯罪組織が幾つも生まれた。特にウート第二の都市ガズにはその中でも大きな組織が複数集まり、中央大陸最大の犯罪都市とも言われている。
「ガズに、ですか?内務にそんな情報は......」
「トヴァルは掴んでいるだろうな。お前が気付けるかどうか、試していたんだろう」
その一言に、ヒュンケルの顔が少し歪む。が、ハーヴェスは気にせず続ける。
「まだまだ甘いな。一見些細で関係ないような情報であっても、集めて精査していくことで見えてくるものもある。それを見極められる能力を身に着けることだ。後は......」
「——アレのように、ですか」
「......」
ヒュンケルが発した一言で、部屋が静まり返る。
「アレならばこのくらいの事造作もなかったでしょう。あなたの出した課題に対して、数日経っても及第点しか貰えなかった私と違い、それを見て数時間であなたを満足される答えを、それも八歳で出すことが出来たアレなら」
「......アレの話はしていないだろう」
少しずつ昂っていくヒュンケルに対し、表情を一切変えずに淡々と答えるハーヴェス。そんな父の態度が余計に彼を苛立たせた。
「私は、由緒正しき公爵家の正当な後継者。いずれあなたの後を継ぎ、この国の宰相となりこの国の柱の一つとなる者。......アレと、あの妾腹の子と比べられるのは我慢ならない。私が気付かないとでも?」
ヒュンケルの怒りは収まらない。いつからか、父が自分とアレを比べていることに気が付いた時から抱えていた憤りが、彼の内から溢れる。——彼の脳裏に思い浮かぶのは、死んだアレの姿。
「アレと比較される私の気持ちは、あなたには分かるまい。あんなに痩せ細って、惨めに死んでいったアレより劣っているなど、冗談ではない。......ふざけるな」
そう吐き捨てて、ヒュンケルは部屋を出ていく。荒々しく開けられた扉が、大きな音を立ててしまっていく。
「......気づかれて、いたとはな」
一人残されたハーヴェスは、手に持った筆を置き、溜息をついた。まさか、息子に気付かれているとは思っていなかったのだ。いや、それこそ過小評価かと思い直す。若くして宰相補佐の一人に抜擢されたのは、決して親の七光りなどではない。気付かれていて当然だったのだろう。
......ハーヴェスとて、意識して比べていたわけではない。だがアレの才能を見た時から、無意識の内に比較してしまうようになった。三年前に、ヒュンケルに出した内政に関しての課題。当時はまだ宰相補佐ではなかったものの、同世代の中でも有望株と呼ばれていた彼でも簡単には解けない様に作った課題。図書室に残されたそれを偶然アレの侍女が拾い、その元に届き、数時間後には完璧な答えが書かれた用紙を見てしまったその時から。
アレは、異常なほどに才に溢れていた。呪いを持ち、周囲から忌み嫌われても、その才だけは常に光り輝いていた。眩く、目障りで、それでいて目が離せないほどに。
「......ヒュンケルには、悪いことをしたな」
ヒュンケルはプライドが、特に上級貴族であるという誇りが人一倍高い。正妻の子である自分が、妾の子であるアレと比べられ、ましては自分が劣っているなど認めたくは無いのだろう。
だが、ハーヴェスに謝罪をするつもりはなかった。ヒュンケルには次期宰相として相応しい器に成長して貰わねばならない。たとえ、その席に届きうる才を持たないとしても。今回の事も、彼が成長するための糧となるならばそれでいい。そう考えながら、彼は執務に戻る。
「——アレだったら、か」
記憶の端に残る、銀の輝きを無意識に思い返しながら。
ヒュンケルは、自身の部屋に戻ると、怒りのままに姿見を殴りつけた。文官とはいえ成人男性の拳を受けた鏡に罅が入る。
「フーッ、フーッ、フー......」
呼吸を落ちつかせながら、ヒュンケルは父の事を思い返す。恐らく、気づいていなかったんだろう。自分とアレを比べていることを知っていたことを。そして本人すら気付いてないことに、彼が思い至っているとは、考えもしていないだろう、と。
......ハーヴェスは気が付いていない。あの人がずっと求めているのは、ヒュンケルでも、ましてやアレでもない。無意識の内にアレについて考えていたのは、アレではなくその母、彼が唯一愛したあの妾の影を追っているのに過ぎないのだと。
いつも父の背を見ていたからこそ、ヒュンケルには分かってしまう。あの人は家族を本当の意味では愛してはいない。他人よりは大事なのだろう。情も無いわけでないのだろう。ただ、あの人が本当の意味で愛したのは、見ていたのは、あの妾だけだ。今はもう亡き死人の影をただ求めていて、——故に死んだアレの影すら無意識の内に追っているのだと。
「——母子揃って、忌々しいにも程があるっ!!」
彼は叫びながら、姿見に再び拳を叩きつける。広がる罅が、映った彼の姿を歪めた。
——死してなお、公爵家に彼女の存在は残り続ける。ひっそりと、でも確かにそこに。
「球体関節とか、一体どう作れと!?って、ああー!!せっかく上手くいっていたのに罅が、罅が!!おお、こっちの素材は良い感じに......。おぉう、やっぱダメ、一部がもろく変化してる。ん、何か臭い、おおおおっ、こっちの処理忘れてたー!?」
......当の本人は、それどころじゃなかったが。