狂想曲は、業都に響く――転調・女商――
「......状況を報告して」
アウルーズ商会地下。その一角にある、かつてアリスも訪れたエイルの書斎。今はレジスタンスの作戦本部となっているその場にて、エイルはその報告を聞いていた。
先程まで、作戦は怖い程に順調であった。違法奴隷達の解放および避難の準備は着々と進み、既に北の門から外に出ている砂丘船すらあった。
街への被害も大きくはあったが想定程では無かった。四商会、そのトップが暴動直後に死亡無いし行方不明、或いは上層部ごと壊滅したことで奴隷達の暴動を抑える手が少なく、それが逆に暴動を速やかに収める結果になっていた。この街を支配していた、奴隷達が最も憎む相手が軒並みいなくなったことで彼らの暴動の勢いは無くなりつつあった。勢い良く燃え盛る火が、燃えさしを失い早々に鎮火するように。
無論犯罪奴隷の者の中にはそれでも止まらず怒りに身を任せる者や、自由に溺れて再び犯罪——避難した商会への強盗や逃げる者達へ襲い掛かる者もいたが、それも各地に配置されたレジスタンスやアウルーズ商会の者達、そして違法奴隷達の手で対処されていた。つい先刻まで奴隷として扱われていた彼らの体調は万全とは言えない。だからこそ、弱い個が多くとも数で圧倒的に勝る違法奴隷達の方が犯罪奴隷達よりも優位に立っていた。
そして街で暴れていた魔物達はどういう訳か動きを止め、闘技場に引きこもっている。もちろんそれはアリスの仕業なのだが、それを知るのはエイルを含めた数人のみ。その動きは不気味に思われつつも、暴れないのならと一先ずは放置されていたし、真実を知る者は後でそれをどうにかする算段——アリスが処分することを理解している。
計画を立てた者達からすれば想定外の事態はほぼ無く、このまま事態が収拾すればすべて解決する......、そう思われていたその時だった。
——突如として悍ましい叫声が地の底から響き、それに呼応するかのように無数の死霊が現れたのは。
骨の戦士や獣。動く死骸。宙を舞う悪霊。そんな者達がうじゃうじゃと、それこそ暴動を起こす奴隷達よりもよほど多く出現したのだ。収まりかけていた状況は、再び混沌の極みへと墜ちつつあった。
「......そう」
その報告を聞いたエイルが沈黙の後に呟いたのは、その一言だけだった。この都市にいるほとんどの者達は今回の元凶を知りはしない。だがレジスタンスの面々には分かっていた、否それしか思いつかなかった。これを引き起こした存在が、一体何なのかを。
『......状況からして、間違いなく奴の仕業。しかもこのタイミング......、奴はここで俺ら諸共全員を始末するつもりなのでは?やはり、奴と手を組んだのは......』
「いいえ、それは違うでしょう」
通信の魔術具越しに、ガルジがそう漏らす。彼からすれば、計画に無いこの行動はアリスの裏切りとしか思えなかったのだ。端からそのつもりで自分達と手を組み、途中で切り捨てて彼らの事も殺す。ようするに自分達は嵌められたのだと、彼はそう考えていた。
だが、エイルは違った。短い間とはいえこの都市で最も彼女と接し、友のようにすら思っている彼女には、アリスがそんなことをするメリットも、必要性も全く思い浮かばなかった。
むしろ今回の事はアリスにとっても想定外の事態、起こすつもりの無かった事故に近いことなのでは無いのかと考えていた。死霊を生み出す為に叫び声を上げたのでは無く、感情のままに放たれた声に乗った力によって魔物を生み出してしまったのではないかと。
となれば、その原因は一つしかないだろう。彼女が向かった先——闘技場地下で何かが起こった。それも、あのような叫び声——悲嘆にすら聞こえる声をつい上げてしまうような、そんな事態が。
恐らくは、彼女が助けたい人物に何かがあった。しかも、彼女の死すらある程度覚悟しているように見えたアリスがあんな声を上げたという事は、それ以上に最悪な状況で。......流石のエイルも、人が魔物に組み込まれているとまでは思いつきもしなかったが。
ともかく、今は事態への対処が最優先。その場合、最も注意——危険視しないといけないのは、この死霊達が感情のままに生み出された可能性が高いという点だ。死霊術で生み出された魔物は、基本的には主の命令のままに動く存在。その命令が荒ぶる感情によるものだとしたら、下手すればこの数の魔物が統制も無く暴れまわる事になる。いいや、それどころか怒りの方向性によっては人を積極的に狙う可能性も十分にあり得る。
(......どうしたものかしら)
内心で思わずそう愚痴を零すエイル。部下たちを心配させるわけにはいかない以上、そんな本音を漏らすことは出来ない。だが、このような事態は全く想定に無かった。
なにせ数が多すぎる。元々が他の都市よりも人死にが多いガズであるのに加えて、今回の騒動では死者も発生している。それらが相まって、死霊系魔物の数はガズの違法奴隷達と匹敵するまでに出現していた。無論の事、アリスの魔力にも限界があるし、何より即席の手段、その上意図しない形で生み出したものである以上強さは下級クラスに留まる。だがエイルたちがそれを知る由も無いし、何よりもやはりその数は人々の目に脅威として映っていた。
必死で状況を打開するために策を練らんとするエイル。——だが、状況が予想だにしない方向へと向かい始めた。
『......お嬢様』
「今はオーナーでしょ。何、今作戦を......」
考え込むエイルに、再びガルジが通信越しに話しかけてくる。レジスタンスとして動いている時とは違う呼び名に、つい苦言を呈しつつ、作戦を練りながら話を聞こうとする。だが、すぐに様子がおかしいことに気が付く。ガルジの口調、それに含まれているのは緊張もそうだが、それ以上に戸惑いが見て取れたから。
「......どうしたの?」
『死霊達が、動き始めました。が......』
本来ならすぐにでも対処すべき、死霊の軍勢が動き出したという事態。なのに、ガルジの様子は明らかに緊急時のものとは違った。一体何があったというのか、エイルは報告に聞き入る。
『......死霊の軍勢が一斉にとある方向に向かい始めました。人を襲うことなく、それどころか俺達や解放された者達が襲い掛かっても、まったく反撃することなく。ただひたすらに、進んでいくんです』
「......え?っ、まさか」
その報告に思わず呆けてしまうエイル。魔物が人を襲わない、しかも襲撃されても反撃一つしないなど聞いたことも無かったから。だがすぐに、それがアリスの生み出したものだと思い出し、それと同時に各方面に連絡を取り、事態の確認を行う。
いくつもの報告から、徐々に事態が明らかとなる。死霊の行進は都市全域で起きていること。そして、彼らが向かう方向に、何があるのかも。
「――闘技場」
場所は闘技場前に移る。正面広場に集まる奴隷闘士達は、これからどうするべきか話し合っていた。
闘技場内部に入ろうにも魔物によって道は塞がれ、アリスに警告もされている。かといってこのままオールヴを見逃すなどあり得ない。ならどうするのかと議論を重ねていたらあの叫声である。
彼らはオールヴ達を除いたら声の発生源から最も近しい場所にいた。故に声の影響を最も強く受けていた。とはいえ、声に直接的に彼らを害する効果があったわけでは無い。だが彼らは恐れてしまったのだ。悍ましい叫声に威圧され、先程邂逅した少女の姿と相まって、大半の者の心が折れてしまっていた。
――あれに挑むなど、自殺行為でしかないと。
それでも中には、彼らのリーダーのように諦めきれない者もまだおり、必死に仲間を奮い立たせようと発破を掛けていた。
――その時だった。彼らの耳に何かの足音が聞こえ、同時に背筋が凍えるような悪寒を感じたのは。
アリスが戻ってきたのか、はたまた別の何かがやってきたのか。説得していた者も心の折れていた者もそんな場合では無いと各々武器を構え、周囲を警戒する。
徐々に近づいてくる足音。周囲に満ちていく瘴気。緊張の高まる中、ようやく姿を現したそれらに彼らは絶句した。
現れたのは死霊の軍勢。今まで見たことも無い数の骸骨兵が、浮遊する霊体が、駆ける骸獣が、一つの群れとなって彼らの方へ、いや闘技場へと向かってきていた。
状況が飲み込めない彼らだったが、これだけは理解できていた。――このままここにいては、あれに巻き込まれることになることだけは。
彼らはすぐに撤退した。先程まで諦めてはいなかったリーダーでさえ、即座に撤退行動へと移行した。
自分達に出来ることはもう無いのだと、痛感してしまったが為に。
「――死霊の群れは放置するわ。手を出さなければアレは襲ってこないはずよ」
報告を聞き終えたエイルは、そう判断した。彼女は気が付いたのだ。あの死霊達は、アリスの制御下にあることに。なら問題は無いだろう、彼女の結論はそう至った。
『......何故、お嬢様はあいつをそこまで信じられるのです?』
アリスに信頼すらよせているように見えるエイルの態度に疑問を抱いたのか、ガルジがそう問い掛けてきた。
「決まっているでしょう?」
それに対して、エイルの声に淀みは無い。
確かに、アリスは魔物であり、本来人類とは相いれない敵。こんな状況で無ければ、取引する事さえまず無かっただろう、危険すぎる存在。それはこうして関係を持つに至った今でも変わりはしない、周知の事実。
それでも短い間とは言え、幾度もその力に助けられた。アリスがいたから四商会を追い詰めることが出来た。理不尽に囚われていた奴隷達を解放できた。——義父の、仇を討つことができた。
——そして、信じる理由などそれだけで十分。
体よく利用されただけかもしれない。商人としては甘いのかも知れない。仮に義父が生きていたなら、呆れた表情を浮かべながらエイルを叱ったに違いない。
それでも、彼女にはそれ以上の理由は必要無かった。
それを端的に表す一言を、エイルは通信の魔術具越しにガルジへと返す。
「——それが、悪夢のアリスだからよ」
次回は11月30日12時投稿予定になります。




