狂想曲は、業都に響く――響奏・邂逅——
——闘技場。業都南西に存在するそれは、ガズの中で最も巨大な建築物といえるだろう。砦であった頃の用途は分かっていないけど、広さや他と比べて一層頑丈な事から、いざという時の避難場所だった可能性が高い。
——そして、この闘技場には地下がある。それも、上と同等の広さを持つ空間が。
現在ではその場所は表向きには使われていない。イジ―商会の者でもその存在を知らない者も結構いたんじゃないかと思う。
......そう、あくまで表向きには。実際にはそこはイジ―商会、というよりオールヴの研究所となっている。上の闘技場には出さない、希少な魔物や人材を捕らえ、実験するための施設へと。
地図を見た時、真っ先にここだろうと当たりをつけていた。むしろ、ここ以外にはあり得ない。ここなら魔物や人を運び込んでも、上の闘技場に運んでいるのだろうと思われるし、何よりここは侵入が非常に難しい。侵入するための経路が、闘技場の奥、そこのとある通路に隠されたものしかないから。
待機し続けている魔物達の横を通り、その通路へと辿り着く。とはいえ、ぱっと見では本当に分からない。簡単に調べても、そこはどう見ても通路にしか見えない。でもここにあるのだ、下に降りる為の仕掛けが。
足元の床に手をつけて、魔力を流す。少しして偽装が剥がれると、そこに現れるのは都市外壁に張られるのよりも高度な結界。しかも、どのような手段であれ、正しい手段以外では解除と共に警告音が発するように施された、実に面倒な物。
これ見たからこそワタシはここが元は避難所だったとより確信したし、同時に密かにここに侵入することを諦めるしか無かった。たとえ結界を破れはしても、この警告音をどうにかする方法が見つからなかったから。そして警告音が鳴り響いたら、多数の闘士や冒険者、果ては魔物が襲い掛かってきたらワタシとて後手に回ってしまう。フューリを助け出すという目的がある以上、そんな愚は犯せない。
彼女が上の闘技場、そこの牢に囚われていれば話が違ったのだけど、そこにはいなかった。だからワタシはエイルの計画に乗って騒動を起こし、その気に乗じてフューリを助け出すしか無かったのだ。
足元の結界をじっと観察する。改めて見れば、実に高度な結界だ。ただ妙な書き換えが加えられているせいか、脆そうな部分も幾つか見受けられる。恐らくはオールヴの仕業だろう。まあ、お陰で少し手間が省けるのだから文句は無いのだけど。
結界に干渉し、解除する。あの屋敷を出てから一回も進化はしていないが、魔法の技術は磨き続けてきた。転移もある程度自在に使えるようになり、そしてこのレベルの結界でも短時間でどうにか出来るまでには。無論、今回ガズで散々使ってきた呪詛魔法や闇魔法も鍛錬の賜物と言えるだろう。
バチリッ、という雷が弾けるような音と共に、結界が消失する。それと同時に、床が振動し、ゴゴゴゴゴッと鈍い音を立て始める。ワタシは数歩下がり、揺れる床から足を退ける。すると床が突然スライドし、一辺二十m四方はあるであろう巨大な穴が——地下に続く階段が出現した。
本来は大人数が素早く避難するためのものだったのだろうけど、確かにこれなら魔物の搬入も容易だろう。また、随分と都合のいい場所があったものだ。
そして階段が現れると同時に、その奥からビーッ、ビーッ、という音が響き始める。どうやらこれが仕掛けられていた警告音のようだ。分かってはいたことだけど、やはりすんなりは行かないみたい。ここから先はより警戒が必要となるだろう。警告音もそうだけど——この先だけは、ワタシの呪詛も届いていないのだし。
今回の作戦において、ワタシは隷属の呪詛解呪の手段に用いたのは、歌。呪歌詠唱により効果の高まったそれを都市全体に広げることで、一斉解呪を行った。
だが、これの穴は地下には歌が届かないという事。これから先はどうなるか分からないけど、今の私では都市全体に歌を届けることが出来ても、あくまでそれは表層にしか過ぎない。
それを解決するために使ったのは三つ。地下の地図、そこに送り込む人員、そして歌を届けるためにアウルーズ商会に用意してもらった秘策——通信の魔術具。これをレジスタンスによって各場所に配置し、それを起点として呪詛を広げたのだ。
問題があるとすれば、通信の魔術具の希少性だろうか。これは基本二個一対の仕組みとなっており、あらかじめ対に設定した物としか通信が出来ない仕様になっている。
だが流石はアウルーズというべきか。あの商会は砂丘船という高度な魔術具を扱うためか、そういった魔術具の製造にも精通している。通信の魔術具ならいくらでも用意できると、すぐに必要分を揃えてきた時には流石に驚いたけど。
なので、それを各地に仕掛けることで都市全域に呪歌を広げたのだけど、先程も言ったように闘技場の地下には厳重な結界が仕掛けられてる。そのせいで潜入できず、故にこの先では解呪が出来ていない。つまり、ここから先は完全に敵地という訳。......いや、それは大して変わらないか。人間の都市ってだけで魔物には十分敵地だし。
ともかく、この先に何が待ち受けているかは分からない。だからといって、退くつもりは全く無いけれど。
暗い階段を降りていく。ここは通路でしかない様で、牢などは一切見受けられない。それにしても、浮遊によって中々の速さで進んでいるはずなのに、まだ辿りつかない。地図でははっきりとは分からなかったけど、どうやら地下空間は相当深くに位置するらしい。
そのまま降り続けること十分以上。ようやく階段の終わり——そこにある大扉が目に入った。
触れてみたけど、結界は無し。その向こうから妙な気配も感じない。罠もどうやら無さそうではあるが一応の為に警戒しながらその扉を開け、——その奥から漂ってくる濃密な死臭に思わず顔を顰めた。
牢獄が通路の両脇に並ぶ、仄暗い空間。辺りに散らばる肉塊や血液によって、その場は上と同等以上に混沌と化していた。
最初はもしかしてここにも何らかの要素で呪詛が届いたのかとも考えたが、様子からして恐らく違う。血肉の多くは通路の左右に並ぶ牢獄の中にある以上、これは隷属で縛られた状態で起きたもの。牢から解き放たれて暴れたのではなく、何かによって襲われ捕食された後、といった方が正しいと思う。しかも、通路の奥に続く足跡らしき痕跡からして、恐らく元凶の魔物は一体だけ。
何がそれを成したかまでは流石に判別がつかない。何しろ、傷痕からして多数の種類がある。噛みついたようなもの、ドロドロに溶かされたようなもの、抉り取られたものなど、とても一体の魔物が行ったとは思えない。
......これは、相当マズいかもしれない。
ワタシの弱点は幾つもあるが、目下最大の課題の一つは、戦闘経験の少なさ——特に格上との経験がほとんど無いことだろう。ガズに来るまでの一月の間は道中で何体もの魔物と戦いはしたし、このガズに来てからも商会の護衛との戦闘経験はある。
けど、その多くは格下だった。フェニア傘下の組織にいた護衛も、ワタシにとって相性が良かったからあっさり片付いただけ。なにせ元の半分は寝たきりお嬢様、もう半分は平和な日本育ちにしてまともに訓練も受けられなかった召喚者から生まれた、生後五か月未満の魔物。しかもその内半分以上は宝物庫で引きこもっていたし。
そんなワタシにとって格上の、その上未知の相手との戦闘は貴重な機会であると同時に、危険極まりない行為に他ならない。でも、ここを引く訳にはいかない。......覚悟を決め、先へと歩みを進める。
進みながら得られた情報は幾つかあったけど、中でも良い情報はこの中に人の遺体が無いという事。ここに散らばるのは全てが魔物の物ばかりで、人らしきものは一切存在しなかった。根こそぎ食われた可能性も否定できないけど、鑑定した限り広がっている血液にも人のものは見受けられないので、恐らくここは魔物を管理していた場所なのだと思う。なら、まだフューリが無事な可能性も出てきた。過度な期待を持つのは良くないけど、少しほっとした。
血濡れ肉塗れの通路を進むと、道が二手に分かれていた。片方は同じような牢獄の続く通路、そしてもう片方は広い空間に繋がる道。そして広い空間に繋がる方からは、複数の気配を感じる。これは......、誘われているわね。予想だけど、こちらの存在を知った上で待ち受けている可能性が高い。まあ、警告音も鳴っていたし当然だけど。
行かない、という選択肢は無い。最大限に警戒し、魔法を即時発動できる準備を整えてワタシはそちらへと向かった。
少しすると、光が向こうから差してきた。そのまま進むと視界は急に開け、——そこに広がる光景にワタシは目を見開いた。
そこにあったのは、闘技場だった。とはいえ、天井は覆われていて外を見る事は出来ないのだけど。地上の闘技場は、簡単に言うならあちらの世界でいうコロッセオを思い浮かべれば分かりやすい。そして地下にあるのもそれと同じような物だ。ただし観客席となる部分が異様に狭くて、闘技場中心の広さは上のものよりも断然広いのだけど。天井には光源として魔術具が仕掛けられているようで、地下だというのに昼間のように明るい空間だった。
——そしてワタシが入ってきた通路は闘技場中央へと繋がっていて、そこから反対側——ワタシから見て正面の観客席には、三人の人物が待ち構えていた。
一人は小柄で狐目の軽薄そうな男。ワタシの姿を見て、ヒュ~と口笛を吹いている。二人目は褐色肌の大男。こちらは狐目とは対照的に無表情のまま、じっとこちらを観察している。正反対ともとれる二人だけど、どちらの目にも油断は見られない。恐らくは、ガズでも指折りの実力者なのだろう。
そして最後の一人。狐目以上に小柄で、ローブを着た枯れ木のような老人。杖を突いていて今にも倒れそうな風貌だが、ギラギラと輝く眼と狂気を浮かべた表情が、その印象をかき消していた。
——ああ、一目で分かる。こいつが、かの狂人なのだと。
「フェッフェッフェッ!良く来たのう、悪夢や。よもやここまでの騒動を起こすとは想定外じゃったが、流石は魔物というべきか。否、アウルーズの小娘の器を見誤った商会共の失態ともいえるかものぅ」
そう言いながら老人——オールヴは嗤った。その顔を醜悪に歪めながら。
「......どうやら、ワタシが来ると分かっていたみたいね?」
はじめに口にしたのはそんな疑問。オールヴの態度は明らかに商会長とは違い、ワタシの存在を想定していたものだったから。
「無論じゃ。フェニア傘下を襲ったのは未知の呪詛。そんな物を扱える使い手がこの都市に入り込んだなど聞いたことが無かったからのぉ。人で無いなら魔物、しかもそやつは都市に忍び込むことすら可能な存在。そこまでの条件が揃っておるなら、真っ先に思い浮かぶのはお主じゃろうて。それに、儂の手元にはあやつが居ったからの。お主がこの都市に来る理由も分かっていた、という訳じゃ。まあ、流石に上での事態は読めんかったがの」
......この爺、頭が回る。いや、柔軟というべきかもしれない。確かに今挙げた事実からそれは導き出すことは出来なくもないけど、誰もがそれに思い至れるわけじゃない。いくらワタシが手配されていたとしても、魔物が結界を破れるはずが無い、魔物が都市に入ってくる訳が無いといった先入観が邪魔をするはず。それだけ各都市の結界というのは永い時人々を護り続けてきた、盾としての信頼を得ているのだから。さらに言うなら、教会があまり信仰されていないガズでは手配書などの信用度も落ちる。
だがこの爺はそんなものに囚われない。他の者よりも情報を有してはいたのだろうけど、ワタシが都市に侵入する可能性を排除することなく、先入観に目を曇らせる事も無く事実のみで判断したわけだ。
......そして、こいつは理解している。ワタシが探している人物が、彼女であることを。
ワタシは爺からその下へと視線を向ける。そこ、闘技場の反対側にあるのはワタシが入ってきたのと同じような通路。恐らくはその奥——奴隷を捕らえている場所に繋がっているであろう道。
「......そこにいるのかしら、彼女は」
「フェッフェッ、どうかのう......。少なくともこの場には居るよ。生きておるか死んでおるのかは、分からんがの?」
「————」
はぐらかす爺の答えに思わず睨みつけ、威圧する。護衛二人は普通に耐えているようにも見えるが、額に微かに汗が浮かんでいるのを隠せていない。一方クソ爺は全くと言っていい程動じておらず、むしろその邪な笑みを深めるのみ。
それを見たワタシはより一層警戒を強める。爺の態度からして、奴には切り札が——それも恐らくワタシにとって有効なものを用意しているのだと。そしてそれはあの護衛でなく——先程からあの通路の奥から感じる、魔力の主なのだと。
「......分かっとるようじゃの。ほれ、こいこい」
ワタシが気付いたことを理解したのか、ますます嗤うオールヴ。そして爺の掛け声とともに、通路の奥から足音が響いてきた。
姿を現したのは、全長二m程のどこか古びた漆黒の西洋甲冑を纏った存在。その手にはワタシの身の丈程の斧槍——ハルバードを持っている。鎧に覆われていない場所は無く、兜の隙間には真紅の光が宿っている。
何よりもその存在が纏う濃密な瘴気、そしてそいつが察する武威が、只者でない事をありありと告げていた。
「......やってくれるわね」
マズい、実にマズい。気配からして死霊系の魔物——恐らくは生前騎士だった者が魔物へと変じた、死霊騎士の類い。つまりは近接戦闘型で、戦闘経験に長けている可能性が高い。
......ワタシの弱点、その二。それは近接戦闘に対抗する手段の少なさ。しかも恐らくは格上で、相手との戦闘経験の差は歴然。
——ようは、だ。ワタシの天敵ともいえる存在がそこにいた。
「——ほれ。お主がどれだけ耐えられるか、見せとくれ」
オールヴがそう言うと共に、黒騎士が斧槍を振り上げた。
次回は11月18日21時投稿予定になります。




