狂想曲は、業都に響く――響奏・突入——
「......これで、満足かしら?」
礼拝堂で事を済ませたワタシ達は、あの会議室へと戻ってきていた。部屋は先程までと変わらず、護衛達の死肉が散乱している。
あちらの様子は最後まで見届けなかったが、問題は無い。証拠隠滅の為、聖水と毒は一定時間経つと結界と共に消失する仕掛けになっている。その都合上、魔物と化したあいつがギリギリ生き残る可能性もあるが、弱ったゴブリン程度なら一般男性でも対処できる。誰もアレが元人間だったと気付きはしないだろうし、あいつの命が潰えるのは決まりきったことだ。
......それよりも、今気にするべきはエイルの方。転移してきてから一言も発せず、黙ったまま突っ立っている。全身は微かに震え、その拳は血が滲む程にきつく握りしめられている。
義父の仇を討てた、と言うのにその顔に喜びは見えない。いや、むしろ仇を取ったからこそ、抑えようの無い悲しみと怒りのぶつけどころを失った状態、といったところか。
それも当然だけど。復讐を果たす、その行為は成功しようと失敗しようと、内にある感情が消えてなくなることはあり得ない。だって、復讐を果たしても過去の仕打ちは消えては無くならないし、大事な人が戻ってくることも無いから。むしろその行為によって新たな犠牲が生まれるだろうし、下手すればそれは自身の身を破滅に誘うものとなるかもしれない。
だから人は『復讐など意味は無い』と語る。過去の出来事、失った物に囚われるよりも、自分の将来——未来を見据えるべきだ、と。
ただ、その正誤を議論するつもりは無い。そんなのは人によって千差万別だし、絶対に正しい答えなんてあるはずが無いから。
それでも、ワタシの意見をあえて述べるならば。
「——お疲れ様」
ワタシは彼女をそっと後ろから抱きしめる。同情でもなく、憐憫でもなく、——同じく大事な物を失った者として、彼女の行いに敬意を表するように。
——復讐とは、心の叫びだ。意味が無いかもしれない、愚かなのかも知れない。そう理解していたとしても、どうしても抑えきれない程の感情の爆発。心を護る為の防衛機能であり、同時にそれ以上大切な物を失わない為の反撃ともいえる。
ワタシは——生前の私とわたしは、それが出来なかった。劣悪な環境に置かれ、周囲に迫害され、それでも自分を抑え込み自らを諦めた。その結果が、彼女達を失うという結末へと至った。その後魔物となり、復讐に身を投じる事が出来ているし、想定外の形で失ったものを取り戻すことも出来た。けど、こんなの偶然の産物でしかないし、ワタシが一度全てを失ったことに変わりは無い。
ワタシは——どうしようもなく手遅れだったのだ。
けど、彼女はそれを成した。これ以上アウルーズ商会を——先代が遺してくれた家を、そして彼女の家族を護る為に。
——たとえ、他の何を犠牲にしようとも。
多くの者が、真実を知れば彼女を責めるだろう。大陸最大の貿易都市、私怨を理由にそれを壊滅に導いた、大罪人だと。魔物と手を組んだ、人類の裏切り者だと。
それでも、少なくともワタシは彼女に敬意を示そう。だって彼女は自らの手を汚してでも自らの心を、そして大事な物を護ったのだから。
「——、————」
彼女はワタシの言葉に何も答えはしなかった。ただ彼女から零れる感情が、声にならない嗚咽となって部屋にそっと響き続けた。
「——さて、それじゃ送ってくれるかしら?」
しばらくしてようやくエイルは落ち着いた。目元は赤くなっているものの、少しスッキリした表情を浮かべているしもう体は震えていない。先程の事に関しては互いに口にはしない。一々そんなことを口にするのは野暮だと、お互い理解しているから。
これで、彼女との契約の一部は完了。これからは計画を次に進めるために別行動を取ることになる。
エイルはこれからアウルーズ及びレジスタンスと合流し、指揮を執る。混乱を収拾しつつ、逃がせる者達をガズの外に逃がすために。
彼らは今ガズの北区域、アウルーズの治める区画に誘導されている。ガズの外に出る、つまりは砂丘船に乗るには本来なら南の港湾区画に行かないといけなく、誘導している場所はそれと真逆の方向となってしまう。
だが、実はガズにはもう一つ港がある。一般には知られていないが最北の壁にはアウルーズ商会専用の港——製造した砂丘船を出荷する際などに使うための場所が存在し、彼らはそこから逃がす手筈となっているのだ。
造船所程ではないものの、アウルーズの秘奥の一端ともいえる場所。そこを使うのはリスクが大きいのだけど、それはエイルの承知の上。というより、恐らく問題ないとすら考えているのだろうけど。
ワタシはと言えば、彼女を送った後で南西——イジ―商会の治めていた区画に向かう。この都市に来た目的を、ようやく果たすために。
エイルを対象に、空間魔法を発動させる。事前に送る座標はマーキングしてある為、ワタシが直接行かなくとも問題は無い。
「それじゃあね。これからが大変だろうけど、後は頑張りなさいな」
もしかしたらこれが最後の邂逅になるかもしれない。そう思い軽くエールを送れば、エイルは一瞬きょとんとした後、クスッと笑みをこぼした。
「ええ、じゃあね。そっちも頑張んなさいよ。——ありがとう、アリス」
彼女が最後の言葉を呟くのと同時に転移が発動し、その場からエイルの姿が消える。後に残ったのはワタシ一人だけ。イオもいないせいか、妙に部屋が広く感じる。
「——さて、ワタシも行かないと」
胸に宿る感情に名前を付けず、ワタシは意識を切り替える。さあ、ここからがワタシの本番。
——フューリを、助け出しに行こう。
転移したのは、闘技場正面の広場。先程までは魔物と人が争い混沌と化していた場所は、今は打って変わって静かなものだった。......ワタシが魔物を引き上げさせたんだから当然なのだけど。
視線を周囲に巡らせると、まず目に入ったのは無数に剣が付き立てられた肉塊。ガングル・イジ―だった者の成れの果て。
ちなみにこれはワタシの指示ではない。魔物を引き上げさせ、隷属闘士達が残った場所に送ればこうなるだろう、と想定していただけだ。
彼女を買ったのはオールヴなので、ある意味一番関係の薄いガングルの対応は少し甘く、というか簡素な物にした。万に一つも無いだろうが、生き残る可能性を残しておいてあげたのだ。
結果はご覧の通り。彼はその好機を掴めなかったらしい。予想を全く外れない光景に、思わずため息が零れる。......まあ、自業自得だろう。
スィアーチの方は、レジスタンスへと事前に通達しておいた。あの遺棄場を見つけたのもワタシだしね。あそこを見つけた時は、あんまりな光景に流石に絶句してしまった。一度は彼らを素に死霊を生み出して復讐させてあげようかとも考えたが、散々な目に遭ってきた彼らはもう眠らせてあげたかった。それを為し、その上で復讐も果たせるようnに生み出したのがあの魔術具ってわけ。
まあ魔術具とは言っても、呪詛を刻んだだけのもの。耐久性とか一切考えてない使い捨てだし、アウルーズ商会で扱っているような物とは天と地ほどの差もあるのだけど。それでも、あいつらを屠るのには十分すぎる代物。今どうなっているかは分からないけど、きっと犠牲者達の怨念を一身に受けている事だろう。どうかそのまま、惨めに死んでいってほしい。
フェニアの方は、弔花の呪詛があれば十分だ。念の為に関係者以外を襲わないようにも調節してある。あの護衛は腕が立つだろうけど、実は事前に屋敷内にあの種を他にも仕込んでいて、当主に仕込んだ物と同時に発芽するようにしていたから。アレを一個作るには徒花の果実が複数必要だけど、数があったから幾つか作ることが出来た。
それらが同時に発芽すれば、あの護衛がいくら逃げようとしても間に合いはしない。その為に、わざわざ逃走しにくい屋敷内部に彼らを送り、念の為脱出できないように窓に細工もしておいたのだから。
ここからでもそれが——咲き誇る百合の花束が目に入る。とはいえ、もう命が尽きかけているのか花が萎れ始め、少しずつ灰へと変わっているけれど。あの様子からして、標的は仕留め終えたらしい。
ワタシの自己満足でしかないが、これがせめてものあの子達への、そして助けられはしなかった彼らの大切な者達への手向けになればと思う。......いや、流石にあの花は悪趣味が過ぎるか。
視線を正面に戻す。ワタシが今いる広場には人影は見えない。闘士達の内何人かは居るかとも思ったのだけど、彼らはどうやらあっち——闘技場の方にいるらしい。
当然のことか。イジ―商会の手下はひとまず消えたけど、残党はまだいるかもしれない。それに闘技場にはまだ魔物達もいるしね。
彼らと鉢合わせるのも面倒だけど、仕方が無い。ワタシの目的地はその先にあるのだから。
闘技場に向かって歩を進めると、その入り口の大扉の周辺に人だかりが出来ていた。誰もが武器を手にし、その殆どが扉の方を向いている。やっぱり、ここにいたようだ。
その内周囲を警戒する何人かが、ワタシに気付く。少女の姿に一瞬困惑しているようだが、すぐに武器を構えてこちらを警戒する。こんな事態の最中に一人で出歩く少女がいたら、警戒するのは当然か。
「......嬢ちゃん、いったい何の用だ?」
一人が恐る恐る声を掛けてくるが、それに構う必要性はない。それに応えず、ワタシは闘技場へと進み続ける。
「止まれ。ここから先は俺達が占拠している。この警告を無視するなら、こちらも相応の対処をさせてもらう」
......占拠って、彼らは一体何を言っているのか。扉の向こうには魔物がひしめき合っているのに、占拠とはよく言えたものだ。魔物はほとんどが下位や中位のものだが、如何せん数が多い。とてもじゃないが、彼らに対処出来るものでは無い。
そのうえ劣悪な環境のせいで多くの闘士達は万全な体調とはいえず、しかも先程までの戦闘で疲労もしている。端から勝負になりもしない。蹂躙されていないのはワタシの恩情によるものでしかない。彼らは知りもしないだろうけど。
それでもあの場を占拠しているのは、......恐らくワタシと同じ目的なのだろう。彼らであれば——闘技場で捕らえられていた奴隷闘士達であれば奴がそこにいると知っていてもおかしくは無いし。
彼らの警告を無視して近づいてくるワタシに、見張りの者達が顔を険しくする。闘技場を警戒していた者達もこちらに視線を向け、多くの者が武器を抜ける体勢を取っている。
「......止まれと言っている。こちらは本気だぞ」
先程から警告している男が再びこちらに声を掛けてくるが、ワタシの歩みは止まらない。彼らへの距離は徐々に縮まり、遂に残り数mまで来たところで、別の男が痺れを切らしたのか、剣を振りながらこちらに向かってきた。
「この小娘っ!?話を聞いてんのか!痛い目みたくなかったらとっととここから消えろって言ってんだよ!」
そう言いながら男は剣をこちらに突きつけてきたが、その程度ではワタシは止まらない。むしろ彼を煽るかのようにニコリと笑みを浮かべた。
「こいつっ!?ふざけやがってっ!?」
「おい待てっ!?」
男がキレて剣を振りかざす。それを見ていた他の者達が静止に入ろうとするが、もう遅い。
——彼らにとって、だけど。
「っ!?逃げっ......」
何かを察してか闘士達の中でも一際屈強そうな男が叫ぼうとする。それはワタシにではなく、自身の仲間達に向けた咄嗟の警告。直感だろうがワタシが何かしようとしている事に気付いたようだけど......、手遅れなのよね。
『——止まれ』
その一言で男が、——否、その場の全員が静止する。誰一人として動けず、その場で硬直するのみ。
ワタシはそんな彼らの隙間を通りつつ、思わず愚痴を零す。
「......まったく、喧嘩を売る相手は良く見る事ね」
そう言いながら、ワタシは施していた偽装を解除する。本来の姿に戻ったワタシに、動けない闘士達が声も無く驚愕しているのが伝わってくる。それはワタシの正体を知ってのものなのか、それとも動けない事に対してなのか。
ワタシにとって、彼らの対処などこれだけで十分。隷属されていた彼らの枷を呪詛で上書きし、外したのは他でもないワタシなのだ。たとえもう隷属の魔術具が無かろうと、その彼らに再び呪詛を掛けることなど息を吐くのと同じぐらい容易い。
動けない彼らの間を通り抜け、大扉へと辿り着く。それを開けるべく手で触れたところで。
「......待、て。その先、は......」
先程唯一ワタシの危険性に気付いた男が、かろうじて声を漏らした。その言葉の真意は魔物がいるという忠告か、それとも獲物を横取りされない為の警告か。まあ、どちらも意味がないけど。
「——二つ、教えておいてあげる。『——こちらを向きなさい』」
大扉が開く音と共に聞こえてきた声。それに命令されるがままに振り向いた彼らは驚いたことだろう。
扉の前に立つワタシと——それに服従するように頭を下げる魔物の姿に。
「まず、この魔物達は今ワタシの支配下にあるわ。魔物のおかしな行動の原因はワタシって訳」
ワタシが手を振れば、魔物が一斉に動き、左右に分かれて道を開く。
「それともう一つ」
ワタシはその先へと進みながら、閉じ始めている大扉へと顔を向ける。
「オールヴはワタシの獲物。あなた達に譲るつもりは無いの。——引っ込んでいなさい」
それだけ告げて、闘士達の隷属を解除した。彼らは体の制御を取り戻し、その内半数以上がその場に腰を抜かして座り込む。他の者も膝を突いたりする中、例の屈強な男だけが閉じていく大扉の向こうからこちらに向かってこようとする。
「貴様、それを許すとでも......」
「ああ、そうそう」
彼は何か言い掛けるが、その進路を無数の魔物達が塞ぐ。一瞬怯んで足を止めた彼へと、ほとんど閉じた扉とひしめく魔物達の隙間からワタシは最後に告げた。
「もし来るつもりなら覚悟しなさい。この魔物達が全部襲い掛かってくることと、——ワタシを敵に回すことを」
それだけ言ったところで、大扉が完全に閉じた。
ここまで言っておけば、問題ないと思う。それでも来るなら、——死ぬ覚悟は決まったという事だろう。
次回投稿は11月15日21時投稿予定になります。




