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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
71/124

狂想曲は、業都に響く――前奏・堕落——

「——呪い、呪詛と言われて、あなたはまず何を思い浮かべるかしら?」


 聞こえてきた声に、ミストの意識は覚醒する。だが視界は暗闇に包まれたままで、どれだけ力をいれても体は動かない。それだけでなく、体に何処か違和感があるのだがその正体も分からない。

 混乱する彼の耳に、再び女性の声が聞こえてくる。


「教会や王国が禁忌と定めるように、悪意を持って貶めるもの、という考えが一般的でしょうね」


 いくら踏ん張っても動かない体をどうにかしようと悪戦苦闘するが、そんな彼を気にした素振りも無く女性の——アリスとエイルの会話が続く。


「そうね。呪い——牽いては呪詛属性の本質は『侵食』。呪詛を対象に流し込み、それを書き換える。禁忌と定める者達からすれば、死者の魂を弄ぶ死霊属性と並んで人の尊厳を踏みにじるものという事なんでしょうね」


 まぁそれも間違ってないけど、とアリスがクスリと笑う。一方、自分を放って談笑する二人に対し、ミストの奥から怒りが湧き上がる。状況は把握しきれていないが、分かる限りでは彼は怪我一つ負っていない。そんな彼を拘束だけして放置し、談笑をしている二人の態度は、彼からすれば舐められているとしか思えなかった。


「呪詛による書き換え。その多くは対象を弱め、陥れる形で使われてきたのがほとんどだから。肉体を衰えさせ、精神を蝕む。隷属の呪詛も要は対象の体と心の主導権・命令権を自分自身ではなく術者に上書きするってことだし。だから、掛けられた対象は逆らえない。自分の体が、自分のものでは無くなっているから」


 二人の話が聞こえてくる中、ミストは冷静に打開策を練り始める。体がここまで動かない以上、これは恐らく物理的でなく魔術、いや呪詛魔法によるものに違いない。ならば聖術を何とか発動できれば、どうにか出来るだろう。

 ......先程の魔術で実力差を思い知っているはずだが、彼はそれを偶然だと思い込んでいた。自分の聖術が、あの魔物に劣るはずが無いと。


「けど、呪詛は決してそういった使い方しかできないものじゃないわ。しっかりと制御できれば、侵食と言う特性をプラスに向けることも可能なのよ」


 そう結論づけた彼は、どうにかして魔術を使えないか思案し始める。触媒に関しては既に手元にある。体は動かなくとも、感覚はある。それによって彼は隠し持った触媒——もしもの時の為に舌の裏に縫い付けてある物が奪われていないことが分かっていた。触媒としては剣に着けているものよりは劣ってしまうし、下手すれば舌が弾け飛ぶ可能性もあるが、この状況では背に腹は代えられない。


「さっきあなたがやったように、かしら?」


「そうね。奴隷達に掛けられた隷属の呪詛を今度はワタシが侵食し、無力化をした。後は無効化だけじゃなく、呪詛によって力を引き上げることも可能よ。ワタシが使う狂獣の呪詛も、掛けた対象の身体能力を上げる効果があるから」


 そして教会騎士として訓練を受けてきた彼は、簡単な魔術なら詠唱が無くとも魔術を発動できるように訓練を受けている。それで状況を打破できるかは怪しいが、なんとかやるしかない。そう考え、魔術発動の為に術式を構築し始め——。


「——まあ、呪詛による強化は()()()()()()()()()()()()


 そこでようやく、自身に起きた()()に気付き始めた。

 ——聖術を発動できない。いや、脳内での構築は出来るのに、それを外界に展開することが出来ないのだ。


 聖術に限らず魔術に必要なのは、魔術触媒、魔術式の正しい知識とそれのイメージ、その魔術への適性、そして展開した魔術を発動するための魔力とそれを扱えるだけの魔力制御能力。

 触媒は存在する。知識は欠けていないしイメージも問題ない。魔力量と制御能力は発動した後の問題。となれば、発動できない理由は明確。

 ——ミスト自身から、聖属性適性が失われているのだ。


(あり得ないあり得ないあり得ないっ!?そんなことが、()()()()()()が失われるなどあるはずが無いッ!?)


 聖術が使えない事に混乱し、それでも発動しようとするが結果は変わらない。その事実に彼は未だかつてない程動揺し、恐怖していた。

 聖術は、他の魔術とはあらゆる面で異なる。魔物への特攻ともいえる特性もそうだが、最大の特徴は先天的に属性への適性を持つ者がほぼ存在しないという点。聖属性の適性は教会に所属し、認められた者のみが受けることの出来る儀式——聖別を以て()()()()()()()。それ故に聖属性への適性は《聖者の恩寵》とも呼ばれるものなのだ。

 例外はただ一つ。聖痕を持つ者である聖人のみが、聖別なしにその適性を有している。彼らにしても、聖痕が覚醒しなければそれに気付くことさえないのだが。


 今のミストは教会騎士でありながら、授かった筈の聖属性の適性を失っているという状態。それは彼からしてみれば恩寵を失った、つまりは聖者に見捨てられたも同義なのだ。

 その事実に混乱する彼の耳に、再びアリス達の会話が聞こえてくる。


「侵食による書き換えは単純な強化とは違う。書き換えるという工程を踏む以上、元からあったものを捻じ曲げる、或いは消す行為を踏まないといけないのだから。先程あげた例だと、狂獣の呪詛は対象を強化する代わりにその理性を失わせるというデメリットを有しているわ」


 そこで、彼の思考が真っ白に染まる。明確な理由は無い。だが、先程から聞こえる二人の雑談。今の彼は何故か、それを聞いているだけで身の毛がよだつのを止められなかった。


「後はそうね、獣化なんて言うのもそれに入るかしら。人以上の力を得る代わりに、人の姿を失うのはある意味当然とも言えるのでしょうね」


 同時に、別の事にも気付く。自分の体への違和感、それが一体何なのかということに。


「呪いを扱うなら、()()は覚悟してないといけないって事?」


(——あり得ない。そんなことがある訳がない)

 

 そう思い込もうとするミスト。今すぐ耳を塞ぎたい、彼女らの話を聞きたくない。彼は必死に耳を塞ごうとするが、縛られた体は動かせない。


「ええ、そう言う事。他にしてもそう。呪詛が無効化されたり破られた際に術者に襲い来る反動が大きいのも、その侵食という特性故。そしてそれを利用すれば——」


 ふいに、アリスの声が途切れる。直後、ミストの視界を覆っていた闇が突如として晴れ、彼の眼に光が差す。突然の光に彼は少しの間目が眩み......。


「——()()()()()も可能って訳」


 ——視界が開けるとともに、彼は絶望に叩き落された。




 まず目に入ってきたのは、先程と同じ礼拝堂の内部。ただし、毒の沼があった場所はその面積を縮ませ、彼を覆うようにドーナツ状に広がっている。その奥、礼拝堂の主祭壇前にはアリスとエイルが立ち、こちらを見上げていた。

 彼はそこで自身が縛り上げられ、天井から吊るされていることに気が付いた。

 彼の足元に広がるのは、()()()()()宿()()()()。ドーナツ状の毒の沼の中央を埋めるように満ちたその水は、何故か毒と混ざることなく、彼の足元に溜まっている。


 ——そして次に目に入るのは、自身の顔から伸びる緑色の物体こと、伸びた鼻。視界が晴れるとともにある程度動くようになった顔を下に向ければ、そこにあるのは緑一色のゴツゴツとした肌。鋭く尖った爪に、子供ぐらいの大きさながらどこかずんぐりとした衣服一つ纏っていない体。口からは生臭い息が漏れ出る。


 ......血の気が引けていくのを感じる。あり得るはずの無い光景に全身が震える。

 その現実から必死で目を反らそうとするが、何故か瞼を閉じることが出来なかった。


(噓だ噓だ噓だ噓だっ!?)


 それでも何とかこの現実から思考を逸らそうとする彼に、止めが刺される。


「ほら、こっち見なさいな」


 アリスの前にいつも間にか置かれていたのは、姿移しの鏡。その意図を察してしまい、ミストは必死でその姿見から視線を外そうと試みる。

 だが、彼の体はいう事を聞かない。どれだけ目を反らしたくとも、視界を閉じようとしても、その意思が通じることは無い。


(やめろやめろやめろやめろっ!?)


 どれだけ胸の内で懇願しようとも、それは届かない。願いも空しく、彼の有り様が鏡に映された。

 



 ——子供位の大きさをした、緑のイボイボした肌を持つ醜い化け物。鋭く尖った耳に、肥大化した鼻。牙の生えそろうひどく歪んだ口に、淀んだ光を宿す黄色い眼。

 

 ——ゴブリン。そう呼ばれる醜悪なる魔物の姿がそこに——ミストがいる筈の場所に映っていた。




「ガ、ガ、ガアアアアアアァァァァァァァッ!?!?」


 目の前の非情な現実を受け入れられず、悲鳴を上げるミスト。だが彼の口から出てきた叫び声は、醜い魔物の叫びでしか無かった。


「どう、魔物になった気分は?」 


 絶望する彼に対し、そう声が掛けられる。声の主——アリスはおかしそうに笑いながら彼を見ていた。


「ガアァッ!?」


 どういうつもりか、そう叫ぼうとしても彼の口から漏れ出るのは獣の叫びだけ。それでも言いたいことが分かったのか、アリスは問いに答え始めた。


「まず、何をしたかは分かっているのでしょう?その体をあなた達が忌み嫌う魔物のものに変えてあげたのよ。言うならば獣化の亜種ね」


 何でもないように言うアリスに対し、彼は有りっ丈の憎しみを込めた視線を向ける。生きたまま魔物に帰られるなど、彼にとって地獄以外の何物でもない。

 その視線を気にも留めず、アリスの視線が横にいるエイルへと向けられる。


「この子からの依頼でね。あなたへの復讐なら、これが一番だろうからってことで。まあ、教会騎士が魔物になる何て、恥でしかないものね」


「ガガッ!?」


 どの口が言うか、という意思を込めて叫ぶミスト。同時に、エイルにも恨みの籠った視線を向ける。だが彼女から返ってきた彼以上に憎悪の宿った眼に、思わず息を呑んでしまった。


「あなたを許しはしない。そう言ったでしょ。私から、何よりあの子達から義父さんを奪ったこと、絶対に後悔させてあげる。そう決めたのよ」


「グッ......、グガガッ!?」


 彼女の言葉に怯みながらも、彼は濁った叫びを上げる。ミストからすればすべては教会の、ひいては人類の為の行動でしかなく、ここまでの事をされる謂れはない。

 だが、奪われた者にそんな理屈は通用しない。それに何よりも。


「——ああ、これで終わったつもり?まだ()()()()()()()()()()()()


「グガッ!?!?」


 エイルの言葉にミストは驚愕する。人を魔物に変えておきながら、それで終わりではないとはどういうことだ、そう叫びを上げようとして、ふと足元を見て、そこにある物が何なのかを理解した。

 金の光——聖属性の魔力を宿す水。つまり、聖水しかあり得ない。


 聖水は教会で作られている水だ。教会に伝わる聖術を用いて、ただの水に聖属性を付与して一種の魔術具に近いものへと作り替える。無論術式は秘匿されているものの(そもそも聖属性の使い手はほぼ全員が教会の者なのだが)比較的簡単に生産が可能なため、教会は安価でこれの販売も行っている。


 用途は様々。土地の浄化、掛けられた呪いの除去、さらに最低位の魔物ならこれでダメージを与えることも可能であり、需要は極めて高く、社会に広く浸透している。

 聖属性を付与しているため、呪詛を掛けられた人や死霊が住み着いた土地の浄化に使われる。また、軽いものであれば毒なども無効化できるため医療などでも有効に使われている。さらには下級の魔物へと対抗手段として使われることもある程便利な物で、安価であろうとも需要が非常に高いために教会の収入源の一つとなっている程だ。


 今足元にあるのはまさにその聖水。しかもそこから漏れでる金の光の量からして、通常教会で販売しているものよりも質が良く、より高価な物。普通なら手に入れられないもののはずだが、ミストにはこれの入手先が分かっていた。


 ——何故ならそれが、ルニル商会の地下に保存していた物だからだ。

 教会の計画において、薬を広めた後でそれの対処の為に用意していた聖水。計画後にガズにおける教会の信用をより得るための、保険として用意していた物。事態を速やかに収集し、ガズでの影響力を増やす為に仕掛ける予定でいたマッチポンプの種。


 それがどうして自身の下に置かれているのか、そこまで考えたところでミストは思い出す。彼自身が、今魔物であることを。

 背筋に寒気が走る。彼女達が次どういう行動に出るのか、想像がついてしまったために。


「ガ、ガ、グガガガガッ!?!?」


 彼は必死に命乞いをするが、口から出るのは魔物の叫び声のみ。そして、アリスは口から嘲笑を漏らし、エイルから向けられるのは何処までも冷たく憎悪に満ちた視線だった。



「——何を言ってるか、分からないわよ?」



 アリスの一言と共に綱が切られ、彼は聖水の池へと落下した。


「アガ、アガガガァァァァァァァァァァッ!?!?!?」


 途端に聖水がミストの体を焼く。聖属性の力が全方位から襲い掛かり、彼の肉体を——魔の存在を滅しに掛かってくる。

 聖水は聖属性を宿した物とはいえ、いくら効果が高くても魔物を殺せるほどの力は有していない。霊体系であれば肉体を持たないために効き目が高いが、それ以外ではそこまでの効果は発揮しないのだ。


 ——だが、だからこそ聖水は彼を長く蝕み続ける。


「イギギギギィィィィィィィィ!?!?」


 体の全身から襲い来るのは肉や骨を焼かれるような激痛。それが止まることなく、彼を襲い続けるのだ。


(ああ、クソ、なんだこれは!?何故私がこんな目に遭わなければいけないっ!?)


 痛みに耐えかねて、何とかそこから逃れようとし、聖水の池から抜け出そうと必死に抗った。少ししてから彼は何とかその池の端に辿り着いた。これでこの地獄から抜け出せる。彼は心からそう安堵した。


 ——そんな彼を嘲笑うかのように、その池の先に出した手が毒に侵されるまでは。


「グギギギギギギギギギッ!?」


 彼は忘れたいたが、聖水の外には毒の沼が広がっている。それに触れたことで今度は別の激痛が襲い来る。体をバラバラにするような、肉が引き裂かれる痛みが彼を蝕む。毒は机などを溶かすことは出来ても、魔物の体を溶かすまででは無い。そしてだからこそ、聖水と同じく、彼の体と命を侵し続ける。


 激痛に喘ぐミストだが、前にも後ろにも彼の逃げ場はない。それでもどうにかする手は無いか、痛みに支配されながらも頭の端で突破口を探す彼の眼に映ったのは、彼をこの地獄に叩き落したアリスとエイルが、蔑む視線を自身に向けている姿。


(クソが、あのアマ共!ここから出たらただじゃおかねぇっ!ここから出たら散々に甚振って、思いのままにして......)


 そこで、彼は気が付いた。......自分の思考が普段とまるで違う事に。

 今彼が思い浮かべたのはこの街にいる下卑た男達が思い浮かべるような在り来たりな、そして彼自身がまず抱くはずが無い感情。相手は魔物にそれと取引した背信者、本来なら教会に徒為す彼らを滅する事を第一に考えるはずなのだ。

 なのに今の彼の思考は普段とはまるで違う。そう、まるで魔物のような......。


「ガ、ア、アアアァァァァッァアァァ......?」


 そこまで考えたところで、恐ろしい予測が頭を過ぎる。魔物に姿を変えられたことと同じくらい、いやそれ以上の、悪魔のような考えが。


「あら?ようやく気が付いたの?」


 それを肯定するように、アリスの嘲笑がその場に響き渡る。その言葉の真意を理解し、自分の予測が間違っていなかったと確信した彼は、——まさしく絶望の淵に突き落とされることとなった。

 ——それは、聖水の引き起こす副作用。魔物は聖属性によるダメージを受け続けた時に、暴走する傾向にある。それは聖属性の影響が、肉体だけで無く精神にも及ぶ可能性があるからだと言われている。

 今ミストに起きているのも同じこと。彼は気が付いてしまったのだ。自身が受け続けたダメージにより精神が侵され——心まで魔物へと変わろうとしていることに。


「ガアァァァァァァァァッァァッ!?!?」


 彼は精一杯の声を上げ、懇願する。体だけでも狂いそうになるのに、心から魔物へと変わるなど彼にはとても耐えられなかった。許してほしいと、止めてくれと、謝罪を叫ぶがそれはエイルとアリスには届かない。


「——だから言ったでしょ。絶対に許さないって」


 エイルがそう言い、踵を返した。アリスが彼女の腕を掴み、最後にミストへと微笑みを向けた。

 

 ——どこまでも冷たく、それでいて誰もを魅了するような笑みを。


「それじゃあね。体も心も魔物に堕ちて、惨めに死んでいくといいわ」


 その言葉を最後に二人の姿は消え去った


「ガアァァァァァァ、イギイィィィィィィィィ!?!?」


 声をいくら上げようと、それはもうどこにも、誰にも届かない。......いや、初めから届く相手などいなかったのだ。エイルの敵となり、アリスに目を付けられたその時から、彼の道は途絶えていたのだから。


(ふざけるなふざけるなふざけるなぁっ!?なんで俺がどうしてこんな目にぃっ!?)


 怨嗟の声を上げながら、ミストは本能に呑まれていく。敬虔なる信仰心も、悪しき魔への憎悪も、自らの結末に対する絶望も。全てが泡沫の如く弾け飛び、消えていく。

 醜き獣に変じていく中での渇望だったのか、それとも忘れることの出来ない恐怖であったのか。薄れゆく彼の意識に最期まで残り続けたのは、アリスの恐ろしくも美しい笑みだった。





 ——しばらく後の事。礼拝堂の前を一組の男女が通りかかった。彼らはこの街では珍しく後ろ暗い者達と関わりの無い冒険者であり、今は暴動から逃げ、治療院に駆け込もうとする人々の避難誘導を担当していた。

 そんな二人だったが、今彼らはある問題に直面していた。暴動は収まる気配が無く、治療院に集まる人も続々と増えている。まだ医療院の施設には十分空きがあるが、いつ限界が来てもおかしくない。どうにかするには新たな避難場所を用意するしか無いが、肝心の場所が無い事には話にならなかった。


 そんな時だ。二人はふと聖典教会の礼拝堂へと視線を向け、そう言えばここがあったなと思い出した。いや、彼らとてそれを知っていたはずなのに、()()()今まで眼に付かなかったのだ。


「......おい、ここなら」


「ええ、十分じゃないかしら」


 礼拝堂は治療院に比べたら狭いだろうが、避難場所の一部として十分に使える。そう判断した彼らは礼拝堂の前に行き、許可を取るためにその扉を開けた。中に入った彼らは内部の光景に違和感を覚えた。何故か椅子や机は一切存在せず、()()()()()()為に。

 その事に疑念を抱いた二人だったが、彼らの意識はすぐに別のものに持っていかれる事となる。


 伽藍洞となった礼拝堂の中央、そこに一つの影が横たわっていた。初めは教会関係者が倒れているのかと思い駆け寄ろうとする二人だったが、すぐにそれが違う事に気付く。

 その影は人では無く魔物。一糸纏わぬ子供のような体躯、荒れている緑の肌、異様に伸びた鷲鼻、鋭い牙。その魔物の正体を二人は良く知っていた。


「何でここにゴブリンがっ!?」


「クッソ、まさかここまで逃げてきたのか!?」


 闘技場から逃げてきた魔物だと考えた彼らは、剣を油断なく構えてゴブリンへと近寄る。


「......グ、ギィ!」


 ゴブリンは音に反応して顔を上げると、その濁った眼を彼らに——女性へと向け、醜悪な笑みを浮かべる

「グギィィィィ!!」


 そして理性の欠片も無い、欲望に満ちた叫び声を上げるや否や、彼女へと飛び掛かった。


「まったくゴブリンは、これだから嫌、なのよっ!」


 女性は嫌悪を顔に浮かべつつも、慌てることなくそれに向けて剣を振り下ろし、ゴブリンを一刀の元に切り捨てた。


 ゴブリンは断末魔の声を上げることも無く、両断される。彼らは地に伏した遺体に気を留めることも無く辺りを見回し、危険がもう無い事を確認してほっと息を吐いた。


「驚かせてくれるわね。それにしても、教会の人間は何をしているのかしら?」


「大方奥で震えているんだろうさ。おら、さっさと話しを通しに行こう」


 そう会話しながら、彼らは教会の奥に入っていった。


 だがその後、何故か教会には誰もおらず、周囲を探したが聖典教会の者が見つかることは無かった。冒険者たちは責任者が不在であることに困惑したが、今は状況が状況。仕方ないという事で礼拝堂を避難場所として開放することになったのだった。




 ——そして切り捨てられたゴブリンの死体はゴミとして捨てられ、誰の目に留まることも無かった。





次回投稿は11月9日になります。

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