狂想曲は、業都に響く――前奏・妄執——
——聖典教会。
魔王を討伐した十人の聖者達の意思を継ぎ、魔の無き世界への回帰を絶対の教義として掲げる組織。その設立は聖者が没した直後、それこそ数千年以上前にまで遡る。
現存するあらゆる国、組織よりも古く、長い歴史を持つ教会。その年月で培われてきた魔物に対処するための知識、統率された教会騎士の組織力、磨かれ続けてきた聖術の技と力の伝承、——そして時代の折々に現れる、聖痕を受け継ぎし聖人。
これらによって教会は魔物討伐のプロフェッショナルとして、そして人々の支えとしての無二の信頼と不動の地位を確立したのだ。
だがその教会の力を以てしても、彼らの歩んできた歴史は決して順風満帆とはいえなかった。数千年が経った今でも北のムシュフェル大陸どころか、西のニールヘル大陸すらその多くが魔物の支配下に置かれているのだから。魔王が討伐されようと、それだけ魔物の力は強大だったのだ。
その中でも災位の魔物、なによりも『天災』の名を与えられた三柱の存在は、聖者亡きあとではどう足掻いても対処できる魔物では到底なかった。——あまりに隔絶したその力故、《柱》と畏怖される程に。
最後にその力が振るわれたのは約五百年前。当時の教会、その中でも魔物の殲滅に過激なまでに傾倒していた一派が独自に動き、焔の天災——《煉獄》の大規模討伐作戦を実施した時だ。
当時の教会は現在以上に力を有しており、正に黄金期と言っても過言では無かった。教会騎士にその精鋭たる聖騎士、さらにはその中でも一握りのエリートである聖典騎士、そして当時の聖人が三人も参加した、教会の精鋭軍。天災を甘く見ない方がいいと反対していた慎重派の者でも、もしかしたらと思わせるだけの力を有していた。
——その軍が、一柱の魔物によって蹂躙されるまでは。
彼ら討伐軍の中で生き残った者によって、当時の記録が僅かに残されている。それによると、ムシュフェル大陸の北部に上陸した彼らを出迎えたのは、まさに『天災』であったという。本来なら多く生息しているはずの災位の魔物はどこにもおらず、そこで待ち構えていたのは目標である《煉獄》のみ。
事前の消耗も少なく、ほぼ万全の状態。しかも討伐の障害となりうる災位の魔物はいない。まさに千載一遇の機会と、意気揚々と戦闘に挑んだ討伐軍。
——だが彼らは、その一柱の魔物に手も足も出なかった。
精鋭である聖騎士も、その上の聖典騎士ですら、まともに戦う事すら出来なかった。三人の聖人の総力を以てしても劣勢を覆すことは不可能であり、彼らが殿にならなければ生き残りすらいなかっただろう。
その結果、逃げ延びたのは僅か一部の者のみ。軍のほとんどが、そして三人の聖人も全員が命を落とすという最悪の結末。
そしてそれはある事実を世界に再認識させた。——天災が、名前通りの怪物であることを。
この一件は、教会にとって大きな傷となった。大幅な戦力低下、培ってきた信頼の欠如、絶対的存在であった聖人の敗北。一時的にではあるものの、教会の地位は大きく失墜することになる。
現在は力と地位を取り戻しつつあるが、嘗てには未だ及ばない。そしてこの教会の危機をきっかけとしてハイダル帝国とウート商国が建国され、彼らの障害として立ちふさがることになる。
特に帝国の存在は、教会にとって大きな妨げとなった。大陸北西部にあった、教会の他大陸侵攻の為の前線基地を乗っ取るように誕生した国。その上教会とは違う、実力さえあれば亜人だろうと問題なく受け入れる理念。教会の隙を突くように建国された帝国は、力を失った教会を尻目に着実にその力をつけて大国と呼ばれるまでに至り、代わりに教会は他大陸へ侵攻するための足場を失う事となった。
五百年という時をかけて、聖典教会は徐々に力を取り戻しつつある。彼らにとって、かの出来事は大きな傷であるとともに戒めとして、何より魔物を侮ってはいけないという教訓として教会内部で語り継がれてきた。それまで以上に組織力の向上に力を入れ、戦力を集めるために他国と同盟を組むようにもなった。
ニールヘル大陸東部には、グラムやビレストなどの大国と共に築いた巨大な前線基地も幾つか存在している。それに加えて最近異世界より喚ばれた勇者と、彼と共に来た多くの召喚者達。西の大陸に本格的に侵攻する準備は、徐々に整いつつあった。
——そんな彼らにとって、タナク砂漠はそれを行う上での大きな障害であった。
聖教国を始めとした大陸中央から東部の大国が他大陸に侵攻するには、必ず砂漠を経由しなくてはいけない。アルミッガ大陸北西の拠点都市が存在した時代はギラール山脈麓を北上すれば良かったが、その地に帝国が出来たためにそれも不可能となった。ゆえに西方大陸に渡るにはウート商国首都、商都トロキから行くしかなく、つまりは砂漠を超えるしか無いのだ。
幸い砂漠の遺跡が発見され、ガズとして発展したことでそれも容易にはなったが、あくまで砂丘船の利権はアウルーズ商会が握っており、砂丘船そのものを保有しているのも各商会だけになる。
問題はガズの商会、そしてウート商国と聖典教会との関係が決して友好的ではない事だ。魔物討伐という大義名分を教会が掲げる教会と、利益を優先する商会とではとにかく馬があわないのだ。
教会にとって教義は絶対であり、それを果たすために各国に協力を要請、場合によっては強要することも少なくない。ガズの商会にはその被害を受けた者も少なくなく、アウルーズ商会にも砂丘船の造船方法などを差し出すよう要請したこともあった。無論それらの商会は要請を突っぱね、それもあって彼らと教会の関係は決して良いとは言えないのだ。
教会に協力して西方大陸の支配権を取り戻せば莫大の利益にはなるだろうが、彼らが協力することは無い。商会の中には帝国と取引している者も多く、そもそも端からそんなことが不可能であると考えているからだ。
——だからこそ、教会はガズを掌中に収める為の画策を始めた。
彼らはまず、ガズに食い込むために秘密裏に商会を乗っ取った。彼らが狙いをつけたのは薬に精通している商会。それを乗っ取り、聖典教会の力を以てその商会を中枢へと食い込ませた。治療院への援助、彼らが有する治癒魔術の知識の一部の利用。それらによってその商会——ルニル商会はガズの五大商会の地位を得た。
——全ては、教会がその地を手にするために。
ガズの礼拝堂の内部。周囲に満ちた毒——イオ謹製の毒で作った罠に囲まれたミスト・カーフス司祭にしてルニル商会長モック・ルニルでもある男は、険しい表情でこちらを睨み付けている。
横にいるのはワタシの結界で護られたエイル。彼女の手にあるのは、先程ルニル商会から漁ってきた、そしてミストを毒で拘束している間に探してきた複数の書類。——ルニル商会と聖典教会の繋がりを、いや彼らが同一の存在であると示す物だ。
それにしても良く考えたものだ。書類を確認すれば教会と商会、その繋がりが徹底的に隠されてきたことがよく分かる。拠点こそ近くに在ったものの、ガズ内部で双方のやり取りは一切無い。指揮を執っているのは商会長であるモック——つまりは目の前のミスト司祭なわけだが、彼がルニル商会に足を運ぶことも無い。
彼らのやり取りはガズ外部——大陸東部の小国にある教会の幾つかを介す形で行われ、仕入れの商人に紛れさせた幹部が秘密裏にその指示を受け取る。計画に関する書類もそれぞれが分けて管理し、その両方を照らし合わせなければ彼らの繋がりや企みの全貌が明らかになることは無い。
今はワタシが両方の書類を持ってきたからこうして照らし合わせる事ができるけど、これらを見なければ彼らが繋がっているという証拠はほとんど無いに等しい。そもそも裏で繋がっていると疑われていなかったのもあるんだろうけど、他の大商会がこれに気付けなかったのも無理は無い。
「......それにしても、わざわざここまでする必要あったのかしら?」
書類を閲覧していたエイルの口から疑問が零れる。彼女からしてみれば、教会がガズに付け入る為の方法は他に幾らでもあるだろう、と思ってしまうのだ。真っ先に思いつくのは奴隷だろう。人族をを縛ることをとことん嫌う教会からすれば、この都市にいる多くの奴隷はまさに格好の的と言えるだろう。
——けど、それでは駄目なのだ。
「確かに、奴隷の存在を利用する手もあったのよ。......ここの奴隷が人族だけなら、ね」
「......ああ、そういう事」
「っ......」
ワタシの言葉にエイルは納得の声を漏らし、ミストは無言のままその顔をさらに歪める。
確かに、教会の教義には人の尊厳を護るというものもあり、彼らは奴隷の存在を許してはいない。
......ただし、それは人族のみの話。他の亜人族に関してはその対象外であり、むしろ排すべき対象でしかない。ガズの違法奴隷には亜人族もかなり多く、彼らを助ける行為は教会の教義に反するのだ。
「だから、この計画って訳なのね......」
エイルが今見ている書類は、彼らの計画が記された物。
ガズで教会にて禁忌とされる薬が取引されている、という中身のない噂を幾つか流す。それが十分に広まったところで別の薬——教義に反しない物を蔓延させる。たとえそうでなくても、元から流していた噂を根拠として、教会は大手を振ってガズに干渉を始め、その力を強める。
簡潔に纏めるなら、こんな感じの計画になるだろうか。
「......まったく、実に愚かな事」
「......あ?」
書類を見ていたワタシが思わず漏らした一言に、ミストは眉をしかめてこちらを鋭い視線で睨みつけてきた。
だが、そう言いたくなるのも当然だろう。彼らの計画は、その教義のせいで余計な手間が掛かりすぎている。亜人を助けることを許容すれば、もしかしたらガズはもう教会の手に堕ちていたかもしれない。薬の噂に関しても、噂は教義に反する物なのに対して広める予定の物はそうではないという矛盾を生んでしまっている。
要は、彼らの教義そのものが彼らの足を引っ張ってしまっているのだ。
——そして何よりも。
「聖者を始めとした先人達が護ろうとしたのは、人の安寧。魔を打倒しようとしたのは、それらが人々を脅かしたから。——つまり、彼らの掲げた教義は全てが人々の為」
だが、今の教会は魔の撲滅を最優先に掲げる組織となった。その為ならば亜人排斥を理由に奴隷となった人族を助けることは無く、ガズを掌中に収めるために薬を撒くことも厭わない。
教義に囚われ魔の排斥に固執し、魔石を始めとした魔物の素材が社会の基盤の一部となっている今の時代の在り方に合わせようともしない。
「魔物であり、今この状況を生み出しているワタシが言える事じゃないのだけどね」
——要は、だ。
「——人々を護るという目的と、そのために魔を討つという手段。それを履き違え、固執する者達を愚かと言わずに他に何と言うのよ?」
「っ!?こ......、のぉ......」
ワタシの言葉に、ミストの顔が憎悪に歪む。横のエイルはワタシの容赦ない言葉に呆れた表情を向けてくるが、表情を見る限り彼女も同じ考えなのだろう。まあ彼女からしてみれば、彼らの計画に巻き込まれて義父が死んだのだから当然だろう。
それに彼女は弱い人々を助けるために、自らの手を汚すという覚悟を示している。それは教会と似たような手段を取っているともいえるが、少なくともミストと彼女じゃその内にある信念がまるで違う。
だが、そんなワタシの言葉はミストには届かなかったらしい。いや、その言葉を胸の内のどこかでは認めつつも、魔物を忌み嫌うからこそ受け入れられないのだろう。顔を怒りで赤黒く染め、その身に纏う神官服のどこからか一本の剣を取り出してこちらへと突き付けてくる。
「黙れっ、人から魔に堕ちた背信者がぁっ!貴様の存在は世界の害悪でしか無いっ!」
そう言い放つと共に何事かを唱え、宙に金色の魔術式が浮かび上がる。どうやらあの剣は魔術の発動媒体も兼ねているみたい。
「ここで消え去れ、悪夢よっ!」
その一言と共にミストの眼前に金色の槍——聖術が展開され、こちらへと放たれた。
——聖属性。浄化などの性質を持つ属性だが、その本質を一言でいうなら《滅殺》。他を弾く光属性よりも苛烈に、他を消滅させる闇属性よりも徹底的に、魔に属する者を排し滅する属性。その性質により、どの属性よりも魔物への特攻効果を持つ、魔の天敵そのもの。
——とはいえ。
「まあ、流石にこの程度でどうにか出来ると思われるのは癪なのだけど」
「なっ......」
金の槍は、ワタシの指先に展開した10cm程の漆黒の盾に防がれていた。金の槍を受け止めても、盾はびくとも揺るがない。
彼が教会騎士団に所属する聖教国の騎士であるのは間違いないだろう。だが、司祭という事は教会騎士、見習いではなくとも教会騎士団における一般的な騎士でしかない。とはいえ決して弱いわけでは無い。少なくとも先程戦ったグロットと呼ばれていた男以上の実力はあると思う。聖術だってその特性上、決して侮っていいものでは無い。
......だが、かつて屋敷で喰らったものには到底及ばない。あの時の聖光はイヴが聖痕に覚醒した際の余波でしかないが、それを差し置いてもこの男の使う物とはまるで違う。もしアレと同程度の術が扱えるなら、この男はとっくに結界を破っているはずだし。逆に言うなら、聖痕とはそれだけの代物であるという事なのだけど。
それに、あの時からワタシの実力も上がっている。いくら天敵である聖術とはいえ、この程度のものでどうにか出来る訳もない。
ワタシはミストから目を外し、エイルの方へと顔を向ける。
「さて、それじゃ予定通りでいいのね?」
「......ええ、よろしく」
エイルがそう答え、ミストを睨みつけた。彼女の大事な者を奪った相手へと、湧き上がる憎悪と殺意を込めて。
「......義父を殺したあなた達を、私は絶対に許さない」
「っ!?」
彼女の気迫に押され、ミストは一歩後ろに退いた。——彼らの格付けは、それで済んでしまった。
ワタシは漆黒の触手を幾つも生み出し、彼に反応させる暇も与えずに拘束し、気絶させる。ここで殺してもいいのだけど、それではエイルとの契約に反する。
さて、と。少し面倒だけど始めましょうか。
「——さあ、覚悟しなさい。あなたが誰を敵に回したのか、じっくり味わうといいわ」
何も聞こえていない彼に向けて、ワタシはそう告げた。
次回投稿は11月6日になります。




