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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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狂想曲は、業都に響く――前奏・正体——

 ガズにおいて、聖典教会の権威は低いと言わざるを得ない。清濁併せ持ち、自らの利益や欲の為に掌を二転三転させるものも珍しくないガズの商人と、教義を遵守し、それに徒為す者を決して許すことの無い教会とではあり方が合わないのだ。


 ——だがそれを踏まえても、今教会が置かれている現状はおかしかった。


 権威が弱かろうと、ガズにある礼拝堂は十分な広さを持ち、いざという時の避難所にはなり得る。ガズでは権威が低かろうと、聖典教会の信者がいないわけでは無いし、そんな者達が頼っても何もおかしくは無いのだ。

 なのに、誰も礼拝堂に近寄ろうとしない。いやそれどころか、誰も礼拝堂を認識していないような振る舞いをしている。目の前を通ってもそこを避け、教会の存在に目を向けていない。まるで最初からそこには何もないかのように誰もが通り過ぎていくその光景は、それに気付いている者からすればあまりに異様としか言えなかった。


「......どういうことでしょうね、これは」


 その礼拝堂の内部。この教会に勤めるミスト・カーフス司祭は、その中央にて思わず疑問を零していた。一見すると普段の落ち着いた態度は崩れていないものの、眉間に寄った皺などが内心の動揺を表していた。

 騒動が起こり始めた当初、異変を感じ取った彼はすぐに状況を確認するべく、礼拝堂から外に出ようとして——その第一歩目で躓くこととなった。


 彼は外に出る事が出来なかったのだ。——礼拝堂の結界が書き換えられ、彼を閉じ込めるための檻と化してしまったが為に。


 昨日の夕方、ミストが礼拝堂に帰ってきた時には異常は見られなかったので書き換えられたのは恐らくそれから後。恐ろしいのは、結界の変化に彼が一切気づけなかったこと。結界に触れるまで、彼は結界の変化に、それこそ礼拝堂内部に満ちているはずの聖術の消失にすら認識することが出来なかった。

 恐らくは、何かしらの呪詛によって意識を逸らされていたのだろうが、だとしても自分が——聖典教会の司祭にして教会騎士も務める彼を騙しきるなど到底信じられることでは無かった。

 これは思っていた以上に厄介な事になっている。そう判断した彼は、すぐにその結界をどうにかするべく、書き換えられた術式核を破壊することに決めた。後々問題にはなるだろうが、今は迷っている暇はない。それが彼の決断だった。


 彼の判断は決して間違ってはいなかった。だが、此度の敵は彼の思考の更に上を行く。いざそれを実行すべく術式核が隠された部屋へと移動しようとして、彼に次の罠が襲い来る。


 ——礼拝堂の床の大半、彼を取り囲むようにして出現した毒の沼が。


 ミストはすぐに避けたため被害そのものは無かったものの、その結果彼はその毒に閉じ込められる事態となってしまった。毒の沼があったところに置かれていた荷物や礼拝堂の座椅子等はそれに触れた瞬間に溶けていき、彼の周囲にはもう他に何もない。聖術でほんの一瞬だけ吹き飛ばすことは可能だったが、数秒もしないうちに再び毒が溢れ出してきてしまうので、手の打ちようがない。数回試したところで魔力の無駄になると判断し、止めるしか無かった。毒を発生させている何かしらをどうにかしようとも、手掛かりも全くない。


 ——まさに八方ふさがりの状況であった。


 周囲の空気に交じりつつある毒気の対処だけしつつ、ミストは考える。これは、いったい何者の仕業なのかと。

 これだけの毒ならば、恐らくは魔物の仕業に違いない。だが理性無き魔物の仕業とは思えないほど、明らかにこちらを敵対視している。そもそもいくらガズとはいえ都市内部に魔物がバレずに侵入出来るとは思えない。

 ならば何かしらの魔術具、とも考えられるが、それにしてはあまりに毒が強力すぎる。

 となれば、恐らくは魔物を使役し、更には結界に詳しい魔術師を配下に連れている者。それも彼に気付かれること無く夜の間に二つの仕込みを出来るだけの猛者。


 ——そんなものが果たしているのか?


 猛毒を持つ魔物を使役するだけなら可能ではある。特にその筋に精通しているイジ―商会なら割と容易ではあろう。だが、結界の書き換えを出来る存在、それも短時間で行える者など聞いたことが無い。


 ——ふと、何かが頭を過ぎる。どこかで、似たような話を聞いたことが無かったか?


「——随分と考え込んでいるわね?」


「っ!?」


 考えこんでいた彼の耳に、突如として聞こえてきた声と、突然現れた気配。その気配と声の主の方に顔を向ければ、そこにいたのは予想外の人物だった。


「......エイル・アウルーズ?」


 アウルーズ商会の幹部が、一人でそこに立っていた。どういう絡繰りか、毒の沼の上にいるのにその影響を一切受けていないように見える。

 この状況に大きく関係しているのは間違いないが、だからこそ余計に信じられなかった。アウルーズ商会が事を起こすような行動を取った事にも、そしてそれを出来るだけの手段が彼らの手元にあることにも。

 何より、アウルーズの秘蔵っ子がこの場面で出てくる理由が分からなかった。

 あまりの光景に呆然として思わず漏らしてしまった言葉に、彼女はくすりと笑う。


「あら、可笑しいわね?何であなた、私の事を知っているのかしら?」


 そこでようやく彼は自身の失言に気付き、それを見落とす程に動揺していたのだと自覚した。

 エイルは別に聖典教を信仰してはいないし、この礼拝堂を訪れた事もない。だから教会の一司祭でしかないミストが、基本的に表に出てくることのない彼女の顔を知っているはずか無いのだ。


 咄嗟に口を噤むミスト。そんな彼を見つめるエイルの表情は笑みを浮べている。だが、彼女がその目の奥に激しい憎悪を宿しているのを見て、彼は確信を抱いた。


 ——どこまでかは分からないが、この女が真相の一部に辿り着いていることに。


「......一体どこまで気付いているのです?」


 誤魔化しは効かないだろうことは明白。ならば、と腹を括って正面から対峙する。エイルもミストの態度の変化に気付き、よりその笑みが深まった。


「——別に、初めから怪しいとは思ってなかったわ。きっかけは、あの事故を起こした馬車、その御者の遺体を調べていた時の事よ」





 全てのきっかけはやはり数カ月前の事故——に見せかけたアウルーズ商会会頭暗殺。


 あの後、事故を引き起こした馬車とその御者の遺体はアウルーズ商会の手で引き取られ、徹底的に調ベられた。とはいえ、確実な証拠を見つけることは出来なかったが。

 馬車や馬に変な仕掛けは無かったし、御者も事故を起こした直後に毒を飲んで死んでしまい、手掛かりはほとんど得られなかった。身元も不明、その裏にいる者も不明、まさに打つ手なしだった。

 その中で、最初にその事に気付いたのはエイルだった。毒そのものは採取できずとも、症状からその正体を調べた結果、即死性は高いものの特に希少な物ではないと判明して消沈する商会の者達。だが彼女が発したある一言が、流れを変えることになった。


『——これ、確かに希少性は無いんだろうけど。ここらへんで使われる物じゃないわよね?』


 そう、その毒は確かに希少では無い。だが、それの材料が流通しているのは大陸の東部。それ故にウートやグラム、ハイダル帝国などの大陸中央や西部ではあまり出回っていないものだったのだ。

 それに思い至らなかったのはガズだからだろう。大陸一の交易都市であり、あらゆる物が集まる業都だからこそ、地域での珍しさよりもその物の希少性で判断してしまっていたのだ。


 改めて調べてみれば、材料に使われているのは自然に生えている毒草で、大陸東部——イザール聖教国やビレスト王国付近に広く頒布しているものだと判明した。

 とはいえ、なんでそんな毒をわざわざ使用した理由は分からずじまいだった。即死性の高い毒ならもっと手に入れやすい物も多い。なのに何故そんな物を選んだ理由が分からない。偶然だろう、と考える商会幹部も何人かいたが、エイルはどうしてもそこが引っかかっていた。


 その謎は数か月後に氷解する事になる。アリスと邂逅し、彼女に助けを借りたことで浮かび上がった新たな視点によって。


『——即死性の毒は多々あれど、西部で出回りやすいのは魔物の素材を元にしたものでしょう?それを使いたくなかった、そうは考えられない?』


 ——聖典教会の戒律は、魔の撲滅。そして魔と混ざり合ったもの——亜人等の存在を許していない。それに類似して、魔を体に取り込むことも禁忌に指定している。それに当たるのは魔物の体の一部を体に移植する事、死霊術等によりその身を魔物へと変じる事、——そして、魔物の素材を利用した食物や薬を飲食する事もそれに当たるのだ。


 アリスの一言で、エイルはようやく真実の一端を掴むことが出来た。——今回の暗殺から始まった事態の裏で動いているのが、聖典教会であるということを。





「......そういう事ですか」


 以上の事を簡潔に話終えたエイル。それを聞いていたミストは肯定も否定もせず、ただ一言呟いた。

 今の仮説に間違いはない。事故に見せかけた暗殺の実行は信頼出来る者で無いと任せられない。その為、彼の部下がその役を買って出た。身分を徹底的に隠し、命を懸けた計画であったのに、まさかそこから事態が発覚するのは想定外だったが。

 事実の発覚に内心動揺する彼だったが、それと同時に安堵もしていた。教会の計画の()()が明らかにはなっていないことに。


「——まあ、本題はここからなんだけど」


 それを表に出すことなくそっと息を吐いた彼の意識を突くかのように発せられたエイルの言葉を聞くまでは。


「——そもそも、あなた達教会が何で義父を狙ったのか、という話なのよ」


 その理由は明白、教会とてガズの利権を狙っているからに他ならない。聖典教会の場合は四商会とは違い、帝国や海洋国、そしてニールヘル大陸への侵攻の拠点とするためであるのだろうが。

 恐らくはガズ最大の商会の会頭を殺すことで混乱を巻き起こし、商会間での争いを引き起こさせるのが狙い。何故この時期に行動を起こしたのかは、勇者が召喚されたことがきっかけだろう。


 そこで浮かび上がってくる疑念。それは騒動を引き起こしておきながら教会の動きが一切変わらない事。暗殺から数カ月経っても、聖典教会の動きに変化は無かった。内部の礼拝堂の神官の人数も活動も変わらず、外部からの干渉が増えることも無い。だからこそ、今まで教会に目が向けられることも無かったのだが。

 だけど、教会が暗殺の実行犯だと判明すれば、その行動は明らかにおかしいとしかエイルには思えなかった。


 その疑念を晴らしたのは、またもやアリスだった。彼女がどこからか仕入れてきた情報、それはルニル商会に流れているとある噂——かの商会が違法な薬を流しているという噂に関しての情報だ。

 薬、とはいってもこの世界ではその違法性などが大きく異なる。

 召喚者がやってきた世界で使われている、いわゆる麻薬程度なら大して違法性は無い。その程度の薬の処置ならこの世界では比較的楽なものだからだ。

 違法とされるのは、そんな物とは桁違いな物ばかり。麻薬をより強力にしたような物から始まり、果ては一滴で何十人も殺せる猛毒まで、実に様々。それに、各国でそれらの扱いも変わってくる為、一概にどれが違法とは言い切れないものばかり。


 ルニルが扱っていると噂される薬もそんな物の一種で、アルミッガ大陸では帝国以外の国で禁忌とされているものだった。

 しかし、流れているのは薬があるという噂だけ。薬を求める者はいくらでもいたのだが、肝心の薬を手に入れる方法は何も分からず、話だけが先行する形になっていた。それに疑念を抱いたアリスがとある方法で手に入れたもう一つの情報、それは実際にルニル商会を調べた結果、噂になっている薬は()()()()()()()()()()()、というものだった。


 なら、何でそんな噂が流れているのか。それを明らかにするために改めて調べなおした結果、とある事実が判明する。噂になっている薬のどれもがただ危険視されるだけでは無く、先程述べていた教会の戒律で禁忌とされる魔物の素材を原料としたものだったために。

 それならば、噂を流したのは教会にルニル商会を敵対視させるのが目的か、とも考えられた。だが教会の権威が及びにくいガズを拠点としている以上、そんなことをするメリットはほとんど無い。

 ならば噂を流した目的は何なのか。アリスとエイルで意見を交換し合い、とある結論に辿り着く。


 ——噂を流したのが、()()()()()()()()()()()()()()


「......何で、彼らがそんなことをする必要が?それに、それが私と何の関係があるのです?」


 ミストは表情を殺しながら、冷静を装ってそう問いを投げかける。まだ決定的な証拠は掴まれていない、その自信があったからだ。

 そんなミストに対しエイルはおかしそうに笑う。その目は何処までも冷え切っていた。


「今、まさに待っているのよ。貴方の問いへの全ての答えを、そして私の考えを裏付ける証明がここに届くのをね」 


「......待っている?」


 彼がそのように問い返した時だった。


「——待たせたわね」


 美しくも不穏な声が響くと共に現れる影。銀の髪を揺らし、黒の衣服を纏った、人ならざる目を持った少女。

 その声に聞き覚えがあった。数日前に教会を訪れた、少女のものだったから。だが、その声は人々を魅了し、恐れを抱かせる響きを宿していた。

 そしてその見た目は以前とは全く違っていたが、()()()()()()()()()()()。かつてはベールで覆われていた、初めて見るはずの顔は何回も見たことがあるもの。


 ——点と点が繋がった。結界の書き換え、これをどこで聞いたのかを彼はようやく思い出した。


「——悪夢、ガンダルヴの魔物かっ!?」


 落ち着いた口調が、アリスが現れたことで崩れる。それを横目に見ながら、とある資料がアリスからエイルに手渡された。それを読んだエイルは、その結果に納得の表情を浮かべる。


「......やっぱり、そういうことだったのね」


 エイルの視線が再びミストに向けられる。その目に宿る憎悪を、さらに滾らせながら。



「——改めて、始めましてと言うべきかしら。ミスト・カーフス司祭、いや()()()()()()()()()()


 

 ——彼の、もう一つの名を呼びながら。



次回投稿は11月3日になります。

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