狂想曲は、業都に響く――前奏・鎧袖——
「......まさか、そこまでするか」
目の前に現れた存在——悪夢のアリス。それを目にしたフロズの口から零れた第一声がそれだった。他の者達も口にはしなかったが同じ心境だ。
——見誤っていた。エイルの覚悟は彼らの想像を超えていた。
聖教国、王国、帝国......、各国の関係は決して良好と言えるものでは無い。特に帝国と聖教国は思想や人権など、色々と噛み合わないところが多い。だが、ある一点においてだけは、国を超えて意見が一致している。
——魔物は人類の敵である、という一点だけは。
聖教国——聖典教会の思想は極端だが、その言い分とて決して間違っているとは言い切れない。魔物が脅威であることに変わりは無く、その点だけは間違えようの無い事実である。
魔物を隷属させ使役する事さえ国によっては禁忌とされている。もし魔物と組むような者がいれば、それは人類の敵であるのと同然。
そこまで覚悟した上でのエイルの行動に、彼らは恐怖すら覚えた。
一方で、その行動の裏にある真意も読み取っていた。
この騒動を引き起こしたのがアウルーズ、ひいてはエイルである以上、騒動の収束後に原因の調査が行われた時、いくら隠蔽していてもその事実に辿り着く可能性は無くならない。
——それを覆すのが、アリスの存在だ。
その騒動を引き起こした原因が魔物であると判明すれば、人々の目は否応なしにそちらに向く。魔物と人が手を組んでいるなど誰も想定していないからだ。いくらアウルーズ商会の動きが連動していても、魔物の騒動に便乗したと取られるだけで済む。
そしてエイルの言葉からして、魔物と手を組んだことを知る者はアウルーズ商会には彼女以外にいない。もしいたとしても精々数人だろう。仮にアリスとの繋がりが判明しようと、エイル一人がその責を負えばいいようになっている。アウルーズの古参の幹部は未だ健在、後継ぎ二人もいる。仮にエイルがいなくなったとしても、アウルーズは倒れはしない。
その代わり、事態が露見した時には彼女の身は破滅程度では済まない。間違いなく聖典教会に囚われ拷問を受け、最後には断罪という名の処刑を受けることとなる。
改めて彼らはエイルに視線を向ける。その表情から、彼女がそれだけの覚悟を決めてこの場にいるのだと伝わってくる。
——そうである以上、やはりエイルは彼らを逃すつもりが無いのだとも。
ならば、彼らにとれる手段は一つしか無い。
イジ―商会お抱えの冒険者が前に出て、腰の剣を抜く。それにアルヴィンの護衛二人が骨を鳴らし、あるいは片手斧を構えながら続く。その少し後ろでフロズの護衛であるグロットがナイフを数本抜いてじっとアリスを観察する。
対してエイルは椅子の前に立ったまま身動き一つせず、アリスは腕についた肉片を振り払いながら一歩前に出る。
「確かにお前の計画はとんでもないが、......そこの悪夢がいなくなればそれもご破算だろう」
「グフフッ、体は残せよ。それで精々楽しませてもらう予定だからな」
フロズがそう告げ、アルヴィンはその欲望を駄々漏らしにする。彼らからすれば、アリス程度なら護衛でどうにかなると思っているのだろう。
「ヘェ......、あなた達で相手になるとでも?」
その言葉にアリスが笑みを浮かべる。一見すれば少女が柔らかく笑ってるだけだが、その身が放つ瘴気と威圧がそういった印象をまるで抱かせない。
二人は楽観視しているが、護衛達はとてもそんな風には見れなかった。引退したとはいえ冒険者の経験のあるガングルの額にも汗が浮かんでいる。護衛達の顔色は変わってはいないものの、背に浮かぶ冷や汗が止まらない。
——格が違う。一目見ただけで彼らはそう認識していた。
唯一グロットのみが笑っているが、それも表面だけのもの。取り繕ってはいるが、その内心では愚痴を零さずにはいられなかった。
(ったく、どうしたもんかねぇ......)
相手は教会に手配される程の魔物。高い知性を持ち、呪詛と空間を操る存在。特に空間魔法で護りに入られたら部屋の結界を破れない以上、手の打ちようがない。呪詛に関しても、傘下の拠点で使われたものから分かる通り独自性が強く、今の惨状を引き起こせるだけの力もある。
口にはしないが、そもそも結界がこの部屋を覆っている以上、ここは既に悪夢の領域と同然。端から勝率はゼロに等しい。
かといって、抗わないという選択肢は無い。そうしなければ死ぬしか道は無いのだから。他の護衛達も同じらしく、覚悟を決めた表情をしつつ、護衛同士で視線を交わす。敵同士であろうと、今は協力しなければどうしようも無いと理解しているために。
それに対しアリスは笑みを深め、その口から鈴を鳴らしたような笑い声が零れる。その一つ一つが美しく見惚れそうで、それでいて恐怖を呼び起こすほどに悍ましい。
「いいわ、相手してあげる。でないと、......こちらからいくわよ?」
「っ!?」
悪夢の声の質が変わる。それに気圧されて焦ったようにイジ―の冒険者が飛び出した。グロットはその無謀な突撃を止めようとしたが、目の前に広がった予想外の光景に思わず足が止まる。
「くそっ、これでも喰らえっ!」
冒険者がアリスへと駆け、その剣を振り上げる。一方アリスは微笑んだまま避ける姿勢すら取ろうとせず、結界を貼りもしない。
だが、グロットには分かってしまった。これが絶対に失敗することが。
「っ!?が、あぁっ!?何を、してぐぺっ!?」
冒険者の後ろから武器が——アルヴィンの護衛の片手斧が振り下ろされその背を切り裂き、もう一人の護衛がその首をへし折るのが見えていたから。何故か殺気の無い攻撃に冒険者は反応が遅れ、対処が間に合わずに命を散らすこととなった。
突然の行動に全員が言葉を失った。特に男達を雇うアルヴィンからしたら、自身の護衛が起こした凶行に呆然としてしまった。
「はぁっ!?お前達何をしているっ!誰がそいつを殺せと言ったっ!?」
信じられない光景にアルヴィンが声を荒げるが、声を掛けられた護衛達は彼らの方へと振り向きながら、何がおかしいかも分かっていないかのように普通に答える。
「アルヴィン様、何を言ってるんです?」
「命令通り、敵を殺しただけでしょう?ああ、きちんと体は残しましたよ?」
「なっ、何を言って......」
護衛の返答にアルヴィンが絶句する。護衛達の表情に変わった様子はない。そう、おかしな程に変わりがない。他の誰よりも早く正気に戻ったグロットは、男達の異常とアリスが浮かべる妖しい笑みを見てその異変の原因へと思い至った。
「魅了か、いやらしい手を打つねぇ、まったく......!」
呪詛の定番の一つともいえる、魅了の呪詛。隷属の呪詛が対象を縛り付け無理やり従えるのに対し、魅了はその精神を書き換えるもの。それをガズでも実力者に当たるスィアーチの護衛にあっさり掛けられることに、グロットの冷や汗が止まらない。
だが、一体いつ掛けたのか。いくら術式を必要としない魔法とはいえ、掛けた瞬間さえ分からなかった。それを看破しなければ相手にすらならないと、グロットは必至で頭を働かせる。
呪詛を掛ける手段。先程都市に掛けられたもの。業都全域に広まった歌。
......歌。————声。
「っ、言霊ってことかよぉ!」
「おお、お見事」
グロットの導き出した答えにアリスは拍手を返す。
——言霊。呪詛を掛ける際の定番の一つで、声に呪詛を乗せるというもの。だが、アリスが発した言葉はいくつかのみ。それだけで護衛二人を魅了した、その事実に改めて格の違いを突き付けられる。
拍手をしていたアリスだったが、やがて思い出したかのように魅了された二人に視線をやる。
「ああ、そうだったわ。あなた達はもう用済みだから、さっさと死になさい」
「おいっ!?待て......」
「「はい」」
グロットは慌てて止めに入るがもう遅い。二人は互いに向かい合い、互いに斧で頭をかち割り、あるいは喉を手刀で貫いて血を吹き出しながら死に崩れる。
相手の本気を引き出すどころか、勝負にすらなっていない。アリスが打ったのは魅了と言う一手のみ。その一手で四人いた護衛は一人にまで減ってしまったのだから。
ナイフを構えて必死に打開策を練るグロット。だが、アリスにはそれを待つ理由は無い。
「——さて、これからやらなければならないことも多いし、そろそろ終わりにしましょうか」
その言葉と共に、どこからともなく赤黒い鎖が複数現れ、四人を拘束しようと迫る。グロットはナイフで切り払って抵抗するが、それも徒労に終わり全員が床に転がることとなった。
「くそっ、おい悪夢!お前がアウルーズに協力する理由はなんだ!なんならそいつよりも俺と取引しないか!金なら言い値で払う、物ならいくらでも取り寄せてやろうっ!悪くない話だろうがっ!?」
拘束された彼らの内、アルヴィンが苦し紛れにしながら命乞いを始めた。他は信じられないという目線を向けるが、一方でそれしか手が無いとも理解していた。彼らが助かる方法は、もはやアリスと取引するしか無いのだと。
だが、それは無駄足でしかない。
「ワタシの目的は、とある人物を見つけ出す事。......シアズ商会に買われ、イジ―商会のオールヴというクソに売られた人をね」
「なっ......」
その言葉にアルヴィンとガングルが絶句する。それだけで、アリスが彼らを敵対視する理由が分かってしまったからだ。何か上手く言わなくてはいけない、そう考えはしても口が開かない。—
——その穏やかに見える笑みの裏に、彼らへの憎悪が潜んでいるのを感じてしまったから。
次にアリスはフロズとグロットに目を向けた。
「ワタシ自身はあなた達への恨みは無いのだけど、ね」
彼女が手を掲げると、そこにある物が現れる。宝石のように真紅に輝き、人を魅了するような香しい死臭を放つ、脈を打つ直径10cm程の種の形をした何かが。
それを目にしただけで、彼らを悪寒が襲い、心臓を握りつぶされたように感じる。そんな尋常でない気配を放つ種を持ったまま、アリスは彼らの内の一人——フロズに近寄る。
「フェニア商会が裏で手を牽いていたあの宿。あそこにワタシが泊まった時点で、あなた達は終わりだったのよ」
アリスの手が、その手に持った種がフロズへと近づいていく。彼の表情が、アリスが何をしようとしているのか察してしまい、絶望に染まる。
「待て。待て待て待てっ!?やめ、やめろやめろやめろぉっ!?」
フロズが必死に身を捩らせるが、拘束する鎖が体を締め上げ、口を無理やり開かせる。
「——あの子達の恨み、存分に味わいなさい」
真紅の種が、その口に叩きこまれる。それを吐き出そうとフロズが抵抗するが、鎖がその口を塞ぐ。
「むっぐぅぅぅぅ!?!?がっは、げほっ、ごっほ!」
種が飲み込まれ、口の拘束が解かれる。フロズは無理やり吐こうとするが、もう種は出てこない。
「——さて、そろそろお別れね」
いつの間にか、彼ら四人の前にエイルが立っていた。その横でアリスが彼らの方に手を向けている。
彼らに対し、エイルは優雅に一礼した。
「それじゃ皆様、さようなら。——出来るだけ、苦しんで死んでちょうだい」
「フフッ、ぜひ楽しんでちょうだいね」
その言葉を最後にアリスの腕が横に振られ、——彼らはその場から姿を消した。
次回投稿は10月25日になります。




