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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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狂想曲は、業都に響く――前奏・暴動——

 ガズという都市は眠ることが無い。昼は大通りや中枢区画を中心に人が集まり、夜は娼館、賭博場などが騒がしくなる。闘技場の周辺は人が途絶えることなく、治療院は常に忙しなく稼働する。特に港湾区画は昼夜問わずに砂丘船が行き来し、ガズで最も慌ただしい場所とも言えるだろう。

 だが、そんな中でも比較的落ち着いた時間がある。空が白み始める夜明け方。裏が沈み、表が昇るこの時間、僅かな間だがガズは静けさを得る。


 ——その静寂を破って、どこからか歌が業都に響き渡り始めた。


「......ん?」


 どこからともなく聞こえてくる歌は、街にいる全ての者の耳に届いた。人々は初め、聞こえてきたその歌に疑問を抱いたが、すぐにそれに呑まれていった。

 その歌声は決して大きいわけではない。伴奏がある訳でもなく、ただ一人、恐らくは少女が口ずさんでいる、そんな歌でしかない。


 ——なのに、誰もがその歌に引き込まれてしまう。恐ろしい程に美しい、その少女の歌声に。港で荷を運ぶ者達はその足を止め、眠りに就こうとしていた娼婦たちの眠気は消え去る。寝起きの商人の意識は覚醒し、甚振られた奴隷達はその痛みを忘れて聞き入る。

 ゆったりとした曲調。聞き入るうちに何処か体が軽くなるような、何かから解放されるような気分になる。だが同時に、正体も分からぬ不安を抱かせ、恐怖を呼び起こさせる、そんな相反したものを秘めた歌が響く。都市の表層全体に、——そして仕掛けの施された地下全体にも。


 ——初めにそれに気が付いたのは、縛られていた者達だった。各商会が抱える犯罪奴隷や違法奴隷達。彼らは歌が響く中で、それとは別の音を耳にした。身を縛る鎖が擦れ合う音に紛れて響いた、何かが外れる音を。聞き覚えのありながら、絶対に聞こえるはずのないその音に、頭を振りつつもそっと首や腕の枷に触れ、その事実を目の当たりにする。

 誰もが言葉を失った。それを知らされていた者達でさえ、本当に起こるのか半信半疑、どころかありえるわけが無いとまるで信じていなかった。それだけ彼らにとってその枷の存在は大きく、その身だけでなく心さえ縛り付けていたのだ。


 ......だが、それはもう存在しない。ならば、解き放たれた者達が次にどういう行動に出るか、そんなものは火を見るよりも明らかである。物として扱き使われ、劣悪な環境に押し込められて弱っているはずの体に、彼らの内に燻っていた感情が力を齎す。湧き上がる衝動に突き動かされ、何故か開いた牢や独房の扉に疑問も抱かずに向かい、外へと歩み出す。


 一方、事前に知らされていた者達は彼らの影に隠れて動き出す。彼らの動きに一切の淀みは無い。この地獄から抜け出せる可能性を、希望をまざまざと見せつけられたのだから。


 ——今まさに、業都の闇が噴き出そうとしていた。





「......何だったんだ、今の歌?」


「さぁ......」


 同時刻、街の表ではそこらかしこで先程の歌について話をしていた。聞こえていたのはほんの数分だけだったが、その歌を聞いた時の悪寒は体に染みついていた。一体何が起きたのか、人々は身を寄せ合い話すが、答えが出る訳もない。


 その時、どこからか響く怒号が耳に入る。それ自体は別に珍しいことでは無い。ガズにおいて、喧嘩は日常茶飯事、騒音はただのBGMでしかない。だから人々もいつもの事だろうと聞き流していた。

 だが、その喧騒は収まるどころか徐々に大きくなっていく。しかもその声が四方八方から聞こえ始めたあたりで彼らはようやくおかしい事に気が付いた。

 

 ......既に、手遅れではあったが。


「「「——————!!!!」」」


「「「ウォラァァァァァァァァァ!!」」」


 周囲の建物からボロを着た者達——奴隷だった者達が飛び出してくる。満足に食事も摂れず、体はボロボロのはずなのに、その目は爛々と輝き、その顔は憎悪で歪んでいる。中には見張りから奪ったらしき武器を持った者もいるが、その多くは無手のまま、ひたすらに暴れている。


「はぁっ!?何が起こってる!?」


「知るか!?いいからとっとと黙らせるぞ!」


 商会の護衛や見張り、雇った冒険者もぼおっと成り行きを見ているわけではない。事態を収拾するべく彼らの制圧に動き始める。


「「「おらぁぁぁぁぁぁぁ!!」」」


「クッソ、こいつら一体どこからこんなに!?」


「数多すぎるだろぉ!?」


 ——だが、何分その数が違う。ガズに存在する犯罪・違法奴隷の総数は、この都市の人口の半数以上。そのすべてが暴動に加わっているわけでは無いが、それが膨大な人数であることに変わりは無い。対して商会の雇う護衛や兵士、冒険者は実力で勝ろうともその数は到底及ばない。

 しかも相手が人、しかも奴隷と言う各商会の資産である以上、迂闊に殺すわけにもいかない。彼らにとって、状況は圧倒的に不利と言わざるを得なかった。


「お前ら、何をするかっ!?こんなことをしてただで済むと......」


「知った事かぁ!今まで散々扱き使ってくれやがったなぁっ!」


「ヒャッハーッ!なんだか知らねぇが、自由になったんだ!好きにやらせてもらうぜぇ!」


 中でも酷いのはスィアーチ商会だろう。彼らの持つ戦力の多くは奴隷が占めていた。その多くが解放され、敵に回る事となった。中にはそのまま商会に従った者もいたものの、それはごく少数。スィアーチ及びその傘下では、戦力を大きく減らしつつ敵が増えるという事態が引き起こり、その勢いを止めることが出来なくなっていた。


「お前達、急に何をっ!?」


「何をじゃないわよっ!これまでどれだけ我慢したと思っているのよ!」


「人の体を売り物にして稼いでくれて、許せるわけないでしょうが!?」


 娼館でも同じように暴動が起きていた。隷属から解放された娼婦たちが一斉に暴れ出し、客や店員に襲い掛かったのだ。彼女らの多くは無理やり攫われ、娼婦にされた者達。呪いに縛られ、自らの意志に反して身を売らされ、辱められてきたことへの止めどない怒り。解き放たれたそれらは、彼女達を弄んできた男達へと襲い掛かる。

 例えひ弱な者だろうと、今彼女達を動かすのは積年の憎悪。彼らの命乞い程度で止まることは決してない。


『グゥラァァァァァッァァァ!』


『シュラァァァァァァァァァ!!』


「何でこいつらがっ!?ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


「くっそ、こんなのどうしろって言うんだよぉ!?」


 最も混沌に陥ったのは南西の闘技場周辺だ。奴隷であった闘士達だけでなく、捕えられていた魔物までもが一斉に野に放たれたのだから。襲い掛かる闘士、それを押えに掛かる兵士、それらを蹂躙する魔物。それらによって闘技場付近は地獄と化していた。

 イジ―の抱える戦力の多くは傭兵の為、スィアーチと違ってそこまで減ることは無い。だが、周囲に建ち並ぶ鍛冶屋などから奪われた武具が彼我の戦力差を覆し、数でも押される事態となってしまったのだ。


 それに、この街の戦力には大きな弱点が存在する。ガズでは人同士の争いは日常茶飯事の為、それへの対処には慣れている者が多い。だがその一方で、周囲を砂漠で覆われ、環境ゆえに表に出ることの無いガズでは魔物と戦う事があまりない。魔術具として利用する魔石もここではいくらでも仕入れることが出来る物でしかない。

 故の弱点——魔物との戦闘経験の少なさ。無論問題なく対処出来る者もいるが、それはほんの一部でしかない。そしてその内の幾らかには奴隷闘士が入るのだ。だが今暴れる奴隷達は魔物をどうにかしようとはしない。たとえ自分達が襲われるとしても、今彼らにあるのはその怒りを業都にぶつけることのみ。

 抑えられることの無い憎悪により、地獄はさらに拡大していく。


「——誘導は完了。次に移る」


「目立たないように動けよ。この状況もいつまで続くか分からない。一人でも多く、なるべく早く助け出さないとな」


 その裏で、レジスタンス達は密かに動く。暴動に加わっていない者達、彼らを助け出すために。





「——はぁっ!?何だそれはぁっ!?」


 一方、中枢区画の会議場も喧騒に包まれていた。歌が止んだ直後に彼ら商会の長達の持つ通信の魔術具に入った連絡。その知らせは彼らを激高させるのに十分なものだった。彼らの罵声が飛び交い、青筋を立てている者もいる。


「フフッ、アハハハッ、アハハハハッ!」 


 そんな中に、高い笑い声が響く。それに反応して長達は口を噤み、一斉にその声の主——エイルを睨みつけた。


「あ~、可笑しい。あなた達がそんなに取り乱しているなんて、流石はあの子ね。予想以上よ、ホント」


 その顔に笑みはあろうとも焦りは見えない。何故なら、此度の事を仕込んだのは彼女なのだから。


「貴様、一体どういうつもりだっ!?」


 フロズの怒声を受けても彼女の顔が変わることは無い。


「言ったでしょう、膿を一掃するって。このガズに巣くう害虫(あなたたち)を駆除するためにはこうするしか無い、これが私の判断よ」


「......正気とは思えないですな」


 嫌悪心を隠すことなくガングルがそう告げるが、それに対してエイルは笑みを深めるのみ。


「それだけあなた達を危険視しているだけよ、ガングル・イジ―」


「......だとしてもだ。これだけのことをすればお前らアウルーズも只では済まないだろうが。狂っていると言われて当然だ」


 ガングルの言葉に続けるように、アルヴィンがそう返す。彼らからすればそれは当然の問い。幾ら自分達を排するためとは言え、ここまでの騒動を起こしたらそれは自殺行為と何ら変わりがない。

 だが、その問いにもエイルの笑みは崩れることが無い。


「分かってはいるでしょうけど、私が頼んだのは隷属の呪詛の解除。起きたのは奴隷達の一斉解放よ。生憎だけど、アウルーズには奴隷がいないの。それがいなくとも私達は成り立っていたから。それに、私達はこの日の為に事前に準備を済ませていた。——レジスタンスの手も使ってね」


「......そうか、アレもお前達の仕業か」


 アルヴィンの顔がさらに険しくなる。彼の元にはシアズ商会でも同じことが起きているという信じられない報告も来ていた。どうやってその場を突きとめたのか疑問でしかなかったのだが何てことは無い。地図とそれを突きとめる手駒。それさえあれば隠蔽されたあの場を突きとめることも可能だろう。


「......だとしても無謀でしかない。事態が収束し、事がバレればお前どころかアウルーズは破滅に変わりないでしょうに」


 そう、いずれはこの事態も収束してしまう。そうなったら矢面に立つことになるのは五大商会に他ならず、今回の事態を引き起こしたのがアウルーズだと明らかになるのは時間の問題でしかない。たとえ目論見通り四商会が叩き潰されようとも、アウルーズの破滅は免れない。

 それでも、エイルの余裕が崩れることは無い。


「大丈夫よ。此度の事は『隷属の呪詛』の解除による暴動、それにより問われるのはあなたたちの管理不足。たとえ私達の被害が他より少なかろうが、事態だけを見ればそうとしか言えないの。そして、たとえ疑われようとも、アウルーズにその証拠はない。何せ、今回の騒動を引き起こした手段に関しては商会の者は私以外誰も知らないのだから」


「......そういう事か」


 彼らはようやく思い至った。これが、周到に組まれた罠であることに。確かにその言葉の通り、起きている暴動の事実を羅列すればそうとしか言えない。

 さらに、今の余裕な話しぶりからして本当にアウルーズ商会の者は彼女の企みを、そしてそれを起こした手段を知らないに違いない。そして仮に自体がバレてもエイル一人が責任を負えば済むように手を打っているのだと、彼女は暗にそう告げていた。


 ——それと同時に、エイルのどこまでも真剣な目が語っていた。これは、彼女がそこまでの危険を犯してでも成し遂げようとしたことであると。そしてこの事実を伝えた以上、ここで自分達を殺すつもりである事も。


 すぐにこの場を離れる必要がある。そう気が付いた彼らは一斉に逃亡に移る。先程入ってきた扉に駆け寄り、外へと出るために。自分達が生き残り証言すれば、彼女の計画は破綻する。

 それを分かっていようとも、エイルに未だ焦りはない。そのことに疑問を抱きつつも、護衛達は扉に手を掛けようと手を伸ばし、その手が弾かれた。


「なっ!?どうなってやがるっ!?」


「まさか結界かっ!?」


 彼らの視界に移るのは先程と同じ半透明の結界。それを見た瞬間、既に手遅れであることを彼らは悟った。ならばせめてこれを外部に伝えようと通信の魔術具を手に取るが、それも徒労に終わる。結界により通信が遮断されてしまったいるが為に。


「凄いでしょう。都市全域を覆える呪詛に、結界まで。フェニアの呪詛も()()()の仕業らしいしね」


「......待て。今何といった?」


 フロズの口から疑問が零れる。今のエイルの言葉からして、あの襲撃犯が今回の騒動を引き起こし、さらにはこの結界を張っているという事になる。そんなことを出来る存在がいるという事に、彼らは驚愕を禁じえなかった。

 突然、場に殺気が振りまかれて場に緊張が走る。全員が視線向けた先にいたのは、ルニルの代理人。無表情で一言も発していなかった男は、今までにない程憤怒で顔を歪めている。


「——呪詛に、結界。いや、()()()()()()()()()。まさか、貴様は......」


「——あ」


 初めて口を開いた代理人の言葉。それを聞いて全員がようやく理解した。呪詛と空間、これを扱える者の情報を最近目にしたことがあることに。


「フフッ......」


 エイルは何も答えなかった。だが、その表情が彼らの考えが事実であると告げていた。


「っ!?貴様ぁ、魔物に魂を売ったな!?今この場で私が断罪してくれ......」


 顔を憤怒一色で染めた代理人がエイルに向かって突撃する。その勢いは先程とは比べ物にならず、結界すら貫くかと思われた。


「ア、ガァッ!?なん、だ、と......」


 しかし、次に聞こえたのは結界を破る音でなく、肉が裂け血の噴き出る音。目に映るのは、結界に届く直前で胸を貫かれた代理人の男の姿。


「やは、り......、貴様、は......」


「その程度じゃワタシの結界は破れないけど、面倒だしさっさと死んでちょうだい」


 そして、男の胸を後ろから腕で貫いている、漆黒の衣服を着た銀の少女。胸を貫かれても動こうとする代理人に何事かを告げると、その腕から漆黒の杭が幾つも飛び出しその体を細切れにする。


「お疲れ様。ちょっと遅かったわね」


「会話を邪魔しないようにしてあげただけよ」


 周囲に飛び散る血肉に気にも留めず、エイルと話す少女。他の者達はその少女から目を離すことが出来なかった。今まで見たことも無い程美しく、そして悍ましい瘴気を纏った少女。

 ——その存在は知っていた。教会が手配書を出すほどの存在。グラム王国での騒動を引き起こした魔物。



「——悪夢」



 誰かの口から洩れ出たその言葉に、少女——アリスは彼らの方を向いて笑みを浮かべるのだった。





次回投稿は10月22日になります。

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